2018年06月13日

歴史秘話ヒストリア「『戦国最弱』小田氏治がゆく」

 まさか小田氏治がNHKの歴史番組で全国デビューする日が来るとは思いませんでした。
 小田氏は鎌倉幕府の御家人から続く名門の家系ですが、戦国時代には後北条氏と佐竹氏の間で次第に衰退していきます。小田氏治(1531もしくは1534〜1602)は小田氏の戦国末期の当主でした。

 茨城県南の歴史を調べると分かるのですが、小田氏治、本拠の小田城(茨城県つくば市)を5回も6回も落とされている。何度も奪還はするのですが、最終的な帰還は能わず、小田原の役に際して改易され、戦国大名小田氏の幕を引きます。
 とにかく、またも負けたか小田天庵(出家後の名)といった具合で、しょうがない人だなあという印象しか持っていなかったのです。

 ところが最近、ネット界隈の歴史ファンの中で密かに小田氏治の人気が上昇していたというのです(知らなんだ)。
 確かに「小田氏治」で検索すると、「戦国最弱」とか「不死鳥」とかわんさか出てくる。マジですか。

 さてヒストリア。多少、話をまるめたところはありますが、面白くまとまっていました。
 個人的になるほどと思ったのは、小田氏治が小田城を最終的に失陥するのが1573年。その後は佐竹氏の支配下のもとで改修を重ねられたわけで、現在の平城なりに工夫をこらした縄張りは、佐竹の手が多く入っているのだということ。
 逆に氏治時代の小田城は本丸の方形館の基本から、大きく代わり映えしない姿だったのかもしれません。平城といっても普通は台地の隅などの高低差を利用するものですが、小田城は全くの平坦地で、南に桜川の低湿地帯がある以外、要害らしい要害はありません。だからこそ簡単に落とされて、また簡単に奪還も出来たのでしょう。
# 眼の前に筑波山系の山があるので詰城をつくってもよさそうなものですが。

 晩年は結城秀康の客分として越前に移り、そこで没します。子孫から軍学者が出たとか紹介されていますが、先祖が小田天庵って説得力なさすぎな気はします。
 しかし150回忌が営まれたってのはすごい。実は小田氏の家臣だった菅谷氏が江戸時代、旗本として筑波一帯を治めていたので、旧主の小田氏に対する敬意が根付いていったのかもしれません。

 ヒストリアに出たなら、狙うは何年後かの大河ドラマだな(無理無茶無謀)。

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posted by ふくだ at 23:45| Comment(7) | 読書録・映画録

2018年06月10日

時のウィーク 2018

 時の記念日に近い日曜日に明石公園で行われる「時のウィーク」メインデー。2018年は6月10日が日曜日に重なりました。

 例年、メインデーに明石公園でシゴセンジャーのイベントがあるのですが、6月10日は天文科学館の開館記念日でもあり、無料公開が行われて大勢のお客さんが集まります。さすがに科学館を空けるわけにも行かないと見えて、今回は6月9日の土曜日にシゴセンジャーの出番がありました。

 天気予報が晴れの方に外れて、日差しがきついくらいの中、ステージ進行もおして25分遅れでのスタート。
 以前は大きなお友だちが目立ったように思うのですが、小学校低学年くらいの子どもたちがわんさか集まってきます。

 いつものように時と宇宙にまつわるクイズが繰り広げられますが、今回はゲストが登場。
 情報通信研究機構(NICT)時空標準研究室の井戸室長。
 日本標準時は東京・小金井のNICTの原子時計で決めているのですが、2018年6月10日の時の記念日から、神戸市西区にあるNICT未来ICT研究所内に副局を設けることになりました。万が一、小金井の施設が止まっても、神戸から日本標準時の信号を出せるようになるわけです。
 ということで、そのPRも兼ねての登場。気さくな雰囲気の方でノリノリでクイズを出題されていました。
 それにしても「時空標準研究室」ってSFに出てきそうな名前です。

 さて6月10日のメインデー。
 毎年メインデーには「日本標準時子午線通過証」の配布が行われます。
 今年は「明石公園」「魚の棚商店街」「天文科学館」の3ヶ所(ここ数年はこのパターン)。今回は明石公園に出向いて頂いてきました。
 2018年はステンドグラス風デザインのステッカーでした。
posted by ふくだ at 23:45| Comment(0) | 明石市立天文科学館

2018年06月09日

「HAYABUSA2-RETURN TO THE UNIVERSE-」(神戸市立青少年科学館)

 バンドー神戸青少年科学館で上映中の「HAYABUSA2-RETURN TO THE UNIVERSE-」を見てきました。
 2014年7月公開作品(上坂浩光監督)。「はやぶさ2」の探査計画を描いた作品ですが、「はやぶさ」を継ぐものとしての「はやぶさ2」誕生と旅立ち、それを支える人々の思いも浮かび上がらせています。

 6月は「はやぶさ」が帰還した月でもあり、ちょうど今「はやぶさ2」がリュウグウに近付きつつあるタイミング。この作品を見るのにピッタリです。

 上映前後のBGMの選曲も「はやぶさ」にまつわる曲ですし、上映開始前に解説員から「はやぶさ」と「はやぶさ2」の説明があるのですが、これが絶妙に本編につながる構成で気分が盛り上がります。ドームで見るのは、倉敷-池袋-大阪に続いて4回目ですが、今回がいちばん気持ちが入りました。
# 「はやぶさ」に思い入れのある人なら涙出る人いるかも。

 バンドー神戸青少年科学館の「HAYABUSA2」は朝10時からの回だけなので、早起きだけがちょっと大変かもしれませんが、ぜひぜひおすすめです。
posted by ふくだ at 23:45| Comment(0) | プラネ/天文台/科学館

2018年06月06日

ニキシー管時計

 ニキシー管時計を入手しました。
 ニキシー管は液晶やLEDが普及する前に使われていた表示器で、ガラス管の中に数字や文字を表示するものです。かつては電卓に多用され、また私の子ども時代のかかりつけの病院の体温計がニキシー管の表示でした。

 以前に種子島宇宙センターで使われていたカウントダウンクロックの写真を見て、これいいなと思ったのですが、ニキシー管はすでに1990年代に製造が終了。現在出回っているのはデッドストックや製品に組み込まれたものを取り外したものです。

 ニキシー管時計は4年ほど前に一度調べたことがあるのですが、当時は完成品が3〜4万円からで、ちょっと手を出しにくい価格帯。自分でハンダ付けするキットなら海外製のものが1万円台半ばからありますが、私に細かいハンダ付けをする技量がありませんし、正常に作動しない場合のトラブルシューティングも自信がないので、そのままになっていました。

 最近になって完成品の値段も落ち着いてきて、えいやっと購入しました。
 見かけはレトロでも表示部以外は現代の時計ですから、GPSによる時刻補正機能やタイマーによる自動ON/OFF機能も付いた実用的なもの。

 使用しているニキシー管はロシア製のIN-14という製品で、おそらく現在もっとも入手しやすいものです。コストダウンのために数字の「5」は「2」を上下逆にしたフォントを使っていて(おそロシア)、その点は好みの分かれるところ。これより大きな管や小さな管だときれいな「5」のフォントのものがあるのですが、値段や大きさのバランスも考えると、このIN-14が落ち着きどころになりました。

 通電すると何のトラブルもなく点灯して、程なくGPS信号も補足して時刻も自動補正、そのまま正常に動いています。キットを組むのはハードル高いな、と思っていたのを考えると拍子抜けした気分。
 高電圧部もありますし、むき出しのままもよくないので、アクリルケースを用意して入れようと思っています。
posted by ふくだ at 23:45| Comment(2) | ペパクラ/工作/科学的遊具

2018年06月03日

金井宣茂宇宙飛行士帰還

 6月3日、半年弱の国際宇宙ステーションの長期滞在を終えた金井宇宙飛行士が帰還しました。
 新快速の電車の中でスマホでネット中継を見ていました。少しくすんだ空に大きく広がる紅白縞のパラシュート。着地の瞬間は丘の向こうでしたが、ほどなく中継でも着地成功の一報。少し時間を開けて帰還カプセルから助け出される金井さんの映像も届きました。

 写真は2009年の野口さん以降の、日本人宇宙飛行士登場中のISSです。
 若田さんの日本人最初の長期滞在だけは写真がないのですが、この時はまだ一眼デジカメを持っていなくて、ISSの写真も気が向いたときにコンデジで撮る程度でした。野口さん・山崎さんのフライトもコンデジの写真です。

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posted by ふくだ at 23:51| Comment(0) | 宇宙開発/宇宙科学

敦賀行き

 彦根・長浜の旅行は「夏の関西1dayパス」というフリーきっぷを利用しました。
 3,600円で大阪近郊区間が1日乗り放題になるのですが、近江塩津-敦賀の区間だけフリー区間にプラスされています。
 せっかくだから行けるところまで行って引き返そう、と思ったのが何かの間違いでした。

 当初の予定は、長浜1711→1746敦賀1749→1805近江塩津から湖西線経由で2129塩屋着。
 敦賀の滞在時間は3分で、駅の構内から出るのも無理ですが、まあ、これは、行けるところまで行くことに価値があるというかなんというか。

 ところが敦賀に向かう電車、駅にかかるところで急にスローダウン。何のアナウンスもないまま徐行が続き、駅に着いたのは1748。
 あ、これはヤバイ。全力疾走で跨線橋を渡りましたが、折返しの電車に乗ること叶わず、次の電車まで1時間。

 とりあえず駅の周りを散歩。なぜか道端に松本零士作品の登場人物の銅像が並んでいます。
 宇宙戦艦ヤマトやら銀河鉄道999やら。この持て余した暇を佐渡先生と飲み明かしたい。私はノンアルコールですけど。

 1848、夕闇の敦賀をあとにし、真っ暗な湖西線を南下して帰途についたのでした。
posted by ふくだ at 23:50| Comment(0) | 地図と地理と遠出

国友村と国友一貫斎の望遠鏡

 国友村は現在の滋賀県長浜市国友町。長浜の郊外の集落で、元は鉄砲鍛冶の町でした。
 火縄銃の産地として堺や根来と並び称されたといいますから恐るべしです。

 私が国友村を知ったのは「SKY WATCHER」という天文雑誌、現在の星ナビの前身です。
 江戸時代に天体望遠鏡を作って天体のスケッチを残した国友一貫斎という人物が紹介され、彼が鉄砲鍛冶であることと、その技量を生かして様々な発明品を作ったこと、そして望遠鏡は現在にも伝えられているということが記されていたのです。

 それはいつか見てみたいものだと思うこと幾年月。「そうだ、国友行こう」思い立ったが吉日です。

 「国友鉄砲の里資料館」があるのは知っていたので、公共交通機関のアクセスを調べて愕然。なんと休日はバスが一日3往復しかありません。しかもおすすめのバスを使った場合、現地滞在時間はわずか30分。いやいやいや、なんぼなんでも30分は短いでしょう。

 他の手段も検討したのですが、カーシェアだと最寄りのステーションがずっと手前の米原にしかなく、片道12km。微妙に中途半端な距離です。歩くには長浜駅から5km強と微妙に遠い。駅近くにレンタサイクルがあるようなので、それを借りるか。
 と思っていたのですが、佐和山城で時間を使ってしまい、結局バスのお世話になることに。

 さて国友鉄砲の里資料館。到着すると10分の解説ビデオを流してくれます。ただでさえ30分しかいられないのに、10分使うのは大変だと思ったのですが、これが国友の鍛冶の歴史をよくまとめたよい内容でした。
 しかし展示は超高速での見学。火縄銃はと光の速さですっとばし、目指すは一貫斎の望遠鏡です。

 って、あれ、キャプションの「複製」てなに、どういうこと!?
 ということは、本物はここにはないのか! 何しに来たんだ俺!

 それでも一緒に展示されている反射鏡は本物とのこと。
 当時の反射鏡は金属鏡なので、メッキではなく、直接金属を研磨して磨き上げたものです。

 一貫斎の望遠鏡は反射望遠鏡で、グレゴリー式と呼ばれるタイプ。正立像を結ぶので地上観察にも使えます。というより、それが前提だったのでしょう。

 どの程度の精度が出ていたかというと、国友一貫斎の天体観測スケッチも残しています。資料館に展示されているのは写真パネルですが、月面や太陽黒点はもちろん、金星の満ち欠けや木星の縞模様、土星の環まで克明に記録されています。

 国友一貫斎の屋敷も国友村に残っています。現在も現役の住居なので、内部の見学は不可ですが、市の設置した案内板と屋敷の外構えを見ることができます。
 また近くには一貫斎の天体観測を記念したモニュメントが建てられています。

 国友村は幾多の歴史小説やエッセイの舞台となり、司馬遼太郎や吉川英治の文学碑もあります。
 集落の端を流れるのは姉川。この上流3kmが織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍が激突した「姉川の戦い」の古戦場です。

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posted by ふくだ at 23:49| Comment(2) | 博物館や美術館

長浜城(滋賀県長浜市)

 羽柴秀吉は信長の浅井氏攻めで手柄を立て、浅井氏の旧領を拝領します。その際に領国経営の拠点として築いたのが長浜城です。
 浅井氏の小谷城は堅固ではあるのですが、山上で交通の便は悪く、秀吉は琵琶湖に面した地に新城を築き、城下町も小谷から移したのでした。

 本能寺の変まで秀吉の居城で、賤ヶ岳の戦いの後は山内一豊が長浜城主となります。最終的には大坂の陣の後に廃城となり、資材は彦根築城に転用されました。元は湖城といってよい平城だったので、きれいさっぱり撤去されてしまったようです。知名度は高いのですが、わずか40年ほどしか存在しないお城でした。

 その後の調査で湖底の石垣が発掘されたりしたそうですが、現在は碑があるのみで石垣そのものを見ることは出来ません。豊公園として整備された一帯が城郭の主要部だとして昔を偲ぶのが良さそうです。
# 城門が城下に移築されて残っているそうですが、こちらは足を運ばすじまいでした。

 現在建つ天守は1983年に作られた模擬天守で、内部は長浜城歴史博物館になっています。
 当時の図面はもちろん、天守の外観を描いた絵も残っていないので、天守の形は完全に想像によるもの。犬山城などを参考にしたそうですが、時期的に望楼型の天守はそれなりに雰囲気が出ていると思います。
# ファセットのペーパークラフトが売店で売っていて、これが値段の割によい出来でした。置き場所さえ確保できれば買ってたなあ。
posted by ふくだ at 23:48| Comment(0) | お城

彦根散歩

 彦根城博物館は彦根城の御殿跡にあり、表御殿は外観復元の内部が博物館、裏御殿は木造復元の展示施設になっています。
 彦根の井伊家といえば赤備えの武勇の家という印象があるのですが、武張った展示は最初のひと部屋だけで、あとはひたすら茶道具や書画といった優雅な展示が続きます。譜代筆頭35万石の家格に合うだけの文化にも力を入れていたとのことで、言われてみれば成る程ですが、それにしても意外でした。

 井伊直弼の自筆の書状も何点も展示されていました。もともと井伊家の十四男で家督を継ぐ見込みのなかった直弼は茶道や武芸に力を入れ、茶道の著作もあり居合も名人の腕前でした。署名の「井」の字を少し伸ばして洒落たふうにしているのが面白いです。

 城内の井伊直弼の像。少し奥まった目立たない場所にあります。
 直弼は薩長からは「赤鬼」呼ばわりですし、桜田門外の変の後もそれまでの政治の責任を取らされる形で彦根藩は幕府から10万石の減封を受けています。
 とかく悪役扱いされることの多い人物ですが、大河ドラマ「花の生涯」は直弼再評価のきっかけとなったようで、城内に記念碑がつくられています。

 その直弼が部屋住み時代に過ごした宿木舎。他家に養子に出されるか寺に入るかの運命だった直弼は、青少年期を城下の屋敷で過ごします。豪勢なものではなく、中級武士の武家屋敷といった規模。後に直弼に仕えた大久保氏に払い下げられますが、現在は資料館として公開されています。
 目を引いたのがNHK大津放送局協力の歴代大河ドラマのコーナー。とにかく幕末が題材となるたびに登場して暗殺される運命なだけに、しかも倒幕側が主役の筋書きでも幕府側の大ボス的な存在だけに、いつの時代も存在感たっぷりの俳優が演じています。2018年の「西郷どん」では佐野史郎が鉄面皮の直弼を演じていましたが、5月末に桜田門外の変がやってきました。かごの中で運命を悟ったかのような表情の演技が見事でした。

 郊外の龍潭寺。井伊家の菩提寺である井伊谷の龍潭寺を移したもので、開祖は昊天禅師(大河ドラマ「おんな城主直虎」では直虎の兄弟子かつ教育役で登場)。静かな禅寺で、お堂と庭園が有料で公開されています。書院の佇まいが素敵。

 彦根駅前にある井伊直政の銅像。
 直政の時代には彦根城はまだなかったのですが、佐和山城の最寄り駅も彦根駅ですし(駅からの距離は同じくらい)、彦根井伊家の祖には違いありません。
posted by ふくだ at 23:47| Comment(0) | 地図と地理と遠出

佐和山城(滋賀県彦根市)

 石田三成の居城として知られる佐和山城。
 彦根城に機能を移し、廃城となりますが、佐和山城の破却は徹底したものだったようで、最高所の本丸の石垣はほぼ残っていません。

 ふつうは夏に山城へいくことはないのです。草が茂って遺構がわかりにくいですし、虫も出ますし、だいたい暑い。
 ただ彦根城からみた佐和山城がすぐ近くに見えたのと、市の教育委員会の方が「30分もあれば登れますよ、道は急ですけど」と親切に登山道への行き方まで教えてくださったので、ついついその気になってしまいました。

 佐和山城の大手は現在の彦根市街の反対側に開かれていました。
 現在の登山道は井伊家の菩提寺である龍潭寺の境内から始まっていますが、これは城の裏手からの道となります。ハイキングコースと称していますが、距離は短いものの、道は狭く険しく、ちょっとした登山です。

 最初にたどり着くのが西の丸の郭。三段に削平された郭が残っています。下段の郭には塩硝櫓の伝承があり、上段の郭の上には空堀様の遺構が残っています。
 しかし尾根沿いに土の郭が連なる雰囲気はほとんど中世山城です。

 西の丸をすぎると本丸跡までガシガシ登ります。下から頂上までの比高は200m程ですし、龍潭寺から本丸まで30分ほどですが、体が山道に慣れる前に着くので、ちょっとしんどい。

 本丸からの景色はまずまず良好で、西側は彦根市街を見下ろせます。
 彦根城も丸見えで、幕末なら佐和山山上に砲台を作れば城内打ち放題なロケーション。もっとも彦根築城の江戸初期は火器といえば火縄銃までの想定だったはず。

 本丸は平らにならされてはいますが、石垣はみごとに撤去され、ここに三重とも五重とも言われる天守があったとは思えません。
 郭の下には角ばった石を2つ積み上げた石垣の残欠のようなものもありますが、これ以外の石をみな撤去してしまったとすると、相当な作業量です。お城の破却は象徴的に石垣の角を崩したりする程度のことが多いのですが、ここは本気で解体撤去されたようです。

 佐和山城は三成の居城でしたが、奉行衆の彼はほぼ伏見や大坂に出ずっぱりで、城には父の石田正継が詰めていたようです。関ヶ原の戦いの後に落城し、その後は井伊直政が入り、やがて井伊家が彦根に城を移したのは前に書いたとおり。
 夏草生い茂る兵どもの夢の跡となったのでした。
posted by ふくだ at 23:46| Comment(2) | お城