2017年11月12日

富山の食べ物

 夜行バスを降りた富山駅にて。朝食は駅そばの立山そば。

 お昼は富山駅で調達した「ますのすし」を富山地鉄の車内で。駅弁フェアなどでおなじみの商品。

 ルマンドアイス。当時はまだ近畿地方では発売されていませんでした。味はまあ、想像の通り。

 翌日のお昼。宇奈月駅で調達した「炙りますのすし」。香ばしくて美味しい。

 午後。黒部市吉田科学館の自販機に入っていた「黒部の氷筍水」。長野・大町側から黒部ダムへ向かうトンネルの破砕帯で出る水を詰めたものだそうです。

 夕食。富山駅前で「富山ブラックラーメン」。醤油の量間違えたんじゃないかというくらい強烈に塩辛い。ご飯を別途頼んで、ラーメンをおかずにして食べるのがスタンダードだとか(本当か!?)。炭水化物+炭水化物+塩分過多。
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魚津埋没林博物館

 魚津といえば埋没林と蜃気楼。
 蜃気楼は季節外れ(春から夏にかけて)なので埋没林を堪能しにいきます。

 よく写真で紹介される水没した木の根は、発掘調査のあとに保存のために水浸しにしたのだそう。元は砂礫に埋もれていて、海水面下ながら真水の帯水層に浸った状態だったそうです。私は海底に林が沈んでいて、海に潜れば木の根っこがうねっているのかと思っていましたよ。

 こちらも実際の発掘現場を保存した展示施設。なんというか富士の樹海みたい状態を想像していたので、もっとうじゃうじゃしているのかと思ったら、意外に間が空いています。想像していたより現物のほうが地味、とはいえ、かつて林だった土地が海面下に沈降しているのですから(しかもそう古くない時代に)、面白いものには違いありません。
 2枚目の写真、奥のコンクリ壁に標高0mのラインが水色で引かれていて、埋没の様子がよく分かります。

 調査が行われる前の再現模型。砂浜に切り株が点々としていて、なるほどかつてはこんな雰囲気だったのかと。
 地元の人には知られていたけど、戦時中には引っこ抜いて薪に使われたりしてたそうです。「埋没林」という知識を持ってみているから貴重なものと分かりますが、そうでなければ古い木の根にしか見えないでしょう。意外にそんな扱いだったんだなあ。

 魚津埋没林博物館の企画展「河原の石ころ展」。ぱっと見は地味なのですが、水系ごとに転がっている石が違って、上流の地質を反映していて、すごく面白いです。前の日に黒部川の川原を見てきたばかりなので、答え合わせしてるみたいでした。

 受付においてあったブックレット。そういえば米騒動発祥の地は魚津でした。 日本史に名を刻んだ街の一つです。
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魚津城(富山県魚津市)

 魚津城跡。 現在は小学校の敷地となり、遺構らしい遺構はありません。
 戦国時代末期は上杉氏の持ち城でしたが、柴田勝家率いる織田方の攻撃が1582年3月から断続的に続きます。上杉景勝も援軍を率いて救援に向かい5月15日に城外に到達しますが、本拠の春日山城を信濃の織田勢が窺う勢いとなり、5月26日に撤退。そして6月3日、落城を悟った上杉方の守将12人が自刃して終局を迎えます。

 ところがこれが本能寺の変の翌日。直後に信長死すの報を受けた柴田勢は、落とした魚津城を放棄して撤退。
 城は再度、上杉の手に戻るのでした。

 その後なんやかんやあって、上杉は越中から手を引き、さらになんやかんやあって、加賀前田氏の領地となります。
 魚津城は廃城となりますが、江戸期を通じて堀は維持され、いざという時に機能を発揮する状態だったと言われています。
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黒部峡谷電源開発の記

 山彦橋(1923年完成)と奥の新山彦橋(1986年)に完成。黒部峡谷鉄道の橋として山彦橋がかけられ、砂防ダムに伴うルート変更で新山彦橋に架け替えられました。旧橋は遊歩道になっています。
 
 宇奈月ダム(2000年完成)。重力式コンクリートダムで堤高97.0m。宇奈月温泉のすぐ上流にある国土交通省管轄の多目的ダム。宇奈月発電所(最大出力20,000kW)併設。
 黒部峡谷鉄道からはダム本体はトンネルの間から少しだけ見えます。写真は上流側からダム湖越しに撮影したもの。

 新柳河原発電所(1993年完成・最大出力41,200kW)。
 新柳河原発電所の位置には1926年に完成した柳河原発電所がありましたが、宇奈月ダムのダム湖に水没するための除去され、新たに新柳河原発電所が作られました。景観に配慮して欧州中世古城のような外観にしてあります。上流の出し平ダムで取水した水を落としています。

 宇奈月ダムと出し平ダムの中間にある黒薙駅から、関西電力黒部専用鉄道の黒薙支線が分岐しています。黒部川支流の黒薙川にある二見取水堰堤・黒薙発電所・黒薙第二発電所へ向かうルートで、旅客営業はしていません。トンネルの壁、素掘りですよねえ。
 右写真は後曳橋。黒薙川を跨ぐ水路橋で、旧柳河原発電所と共に建設したコンクリートアーチ橋。現在も出し平ダムで取水した水を新柳河原発電所へ送っています。

 出し平ダム(1985年完成)。重力式コンクリートダムで堤高76.7m。関西電力の発電用ダム。関電のダムでは最も新しいもの。黒部峡谷鉄道から全景が見える数少ないダム。

 赤い橋の場所に旧柳河原発電所に送水していた猫又ダムがありました。
 隣接するように黒部川第二発電所があります。1936年完成、最大出力72,000kW。戦前に完成した発電所としては大規模なものです。上流の小屋平ダムより取水。
 この一帯は1995年の豪雨で土砂に埋まり、現在も絶えず上流から土砂が運ばれてくるため、河道を確保するための工事が行われています。

 新黒部川第二発電所。1966年完成、最大出力74,200kW。上流の新黒部第三発電所で利用した水を再利用して発電しています。景観に配慮して発電設備は全て地中にあり、排水口だけ見ることが出来ます。

 黒部峡谷鉄道の線路に沿って、上端の丸まったコンクリート擁壁のような構造物が伸びています。これは「冬季歩道」。豪雪地帯に建設された黒部峡谷鉄道は雪崩の被害を避けるために、12月から4月中旬まで冬季運休しますが、この間も発電施設やダムの点検は必要で、そのための人道を確保しているものです。よく見ると四角い通気口がところどころに開けられています(雪で塞がらないのでしょうか)。
 特に雪崩のひどい場所では、沢に掛かる橋を撤去して前後のトンネルに格納して冬越しする箇所すらあります。トンネルの入口はシェルターの扉がついている徹底ぶり。

 小屋平ダム。1936年完成。関西電力の発電用ダムで堤高54.5mの重力式コンクリートダム。ここから黒部川第二発電所に送水しています。黒部峡谷鉄道からは手前の空き地に視界を遮られ、堤体の上半分だけ見ることが出来ます。
 ダム脇に半円形の不思議な建物が2対あります(写真は片方のみ)。これはダムからの送水管の水門だとか。

 黒部峡谷鉄道の終点、欅平駅の直下にある黒部川第三発電所。1940年完成、最大出力86,000kW。上流の仙人谷ダムより取水。太平洋戦争を控えた日中戦争の最中、軍需のための電飾需要を賄うために建設。

 ここから高さ200mのエレベータでトロッコを運び上げ、さらに奥の関西電力黒部専用鉄道につながっています。仙人谷ダム建設の資材運搬のために建設され、途中に岩盤が160度にも達する高熱地帯があったため、ダイナマイトが暴発する事故が多発する難工事となりました。
 吉村昭の「高熱隧道」はこの出来事を元に書かれています。

 この更に上流に黒部川第四発電所、通称「くろよん」と、くろよんに水を供給する黒部ダムがありますが、そちらを訪問するのはいずれまた先の話となりましょう。
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黒部峡谷鉄道

 黒部峡谷鉄道は黒部川中流の宇奈月温泉を起点に、発電所建設のための資材運搬用の鉄道として開設されました。
 1923年に工事が始まり、1926年に宇奈月-猫又間が開通。のち1937年に現在の終点、欅平まで全通します。
 レールの幅は762mm。日本の在来線は1,067mmで新幹線は1,435mmですから、ずっと小ぶり。レールの幅が狭ければ橋もトンネルも小さくて済み、黒部峡谷の厳しい地形に鉄道を通すにはそれしか選択肢がなかったのかもしれません。もちろん建設費も安くなります。
 もともと工事用の鉄道で、要望に応じて「命の保証はしない」旨の誓約書を取った上で本来扱わない旅客を乗せたとか。

 1953年に正式な鉄道路線として開業し、現在に至ります。設立の経緯から、関西電力の100%子会社です。

 この黒部峡谷鉄道、機関車が吹きさらしの客車を牽いて走ります。通称「トロッコ電車」。
 もちろんちゃんと窓の付いた普通の客車もあるのですが、こちらは「特別客車」「リラックス客車」として特別料金がかかります。
 せっかく吹きさらしの車両があるなら、風に吹かれた方が気持ちいいに決まってます。誰だってそう思うに違いありません。予約時は迷うことなくトロッコ車両を選びました。

 私は勘が良いので、予約した後すぐに気づいたのです。
 「11月半ばの黒部峡谷って、もしかして寒いんじゃない?」

 寒いどころか雨が降ったら悲劇です。星見用の防寒具と百均商品ながらレインコートを持っていきました。

 始発の宇奈月駅の朝。旅客列車の出発まで間があるのに、改札に大勢の人が並んでいます。
 これは時刻表に乗っていない「工事列車」。この鉄道の本来の目的を思い起こさせます。

 さて私の乗る旅客列車の始発。
 トロッコ1号車を指定されますが、他に誰も乗ってきません。ええと、もしかして1両貸し切り!?
 になりました。賢明なみなさんはちゃんと窓の着いた車両にご乗車です。そりゃそうですよね。
 防寒着を着込んで使い捨てカイロを仕込んで乗車。何の覚悟でここまでして乗るんだ。

 もともと工事用の軌道ということで、トンネルはほぼ素掘りのままの場所もあります。窓がないので腕を伸ばせば届いてしまいそうですが、これは客も分かって乗ってるということだと思います。

 黒部峡谷は紅葉真っ盛り。
 沿線の景色は素晴らしく、終点の欅平駅まであっという間の80分でした。
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2017年11月11日

生地の清水

 黒部市吉田科学館へ行く前に付近で面白そうな場所はないかと探して見つけたのが生地の清水。「清水」は「しょうず」と呼びます。

 時間があれば行ってみようと思っていたのですが、「剣の山」を見たら是が非でも行かねばと思いました。

 黒部市生地地区は黒部川扇状地の扇端にあります。扇状地は砂礫が積もってできた土地で、水はけがよく、流れてきた水の多くが地下に潜む伏流水となります。それが扇状地の末端(扇端)で再び地上に出てくるのが生地地区。
 20mほど掘ると、地下の伏流水に水圧がかかっているので、自噴井戸になるそうです。共用の洗い場として使われている湧水が約20ヶ所あるそうです。
 
 冒頭の写真は生地の集落の家々にある自噴井戸。扇状地の末端で水が湧くというのは知識としては知っていましたが、こうして目の当たりにすると感動です。

 生地の集落の中にある清水の一つ、「弘法の清水」。さすが弘法大師で同じ名前のものが複数あるのですが、ここは生地の中でも2番目の湧水量を誇るのだとか。
 少し飲ませて頂きましたが、美味しい。冷えてるというのもあるのですが、それを差し引いても美味しい。

 ペットボトルに少し分けていただいて、その日の晩にも味わいました。

 この水を普段の暮らしに使っているなんて、なんとうらやましいことよ。
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黒部川花崗岩

 黒部川の河口に最も近い下黒部橋のたもと。河原に下りて黒部川花崗岩を探してみました。
 前日からの雨のせいか水嵩が多く、石の転がる河原は少ししか見えていません。川原の石は黒部川花崗岩だらけなのかと思ったらそんなこともなく、様々な石が入り混じっています。花崗岩は判別できるのですが、ただの花崗岩と黒部川花崗岩の違いとなると、先ほど覚えたばかりの知識で流石に自信がありません。拾った石を後で科学館に展示してある黒部川花崗岩と比較して、やっとこ一安心。

 「パンダ石」とも呼ばれる黒部川花崗岩は、通常の白っぽい花崗岩にグレーの部分が混じっています。
 生成年代は80万年前。と聞くと古いようですが、神戸で身近な六甲山系の布引花崗閃緑岩は1億1000万〜6000万年前。黒部川花崗岩のほぼお隣の宇奈月花崗岩は2億5600万年前。
 お金に例えると、80円と11,000円と25,600円ですから、桁違いの新しさ。世界で一番新しい花崗岩とも言われています。

 花崗岩は地中深くでマグマがゆっくり冷えながらできるものですから、それが地上に出てくるまでには地殻変動やらで長い時間がかかります。80万年前に出来た花崗岩が地表というか山の上にあるのは(河原で拾いましたが、元は黒部川上流の山々にある岩石です)、それだけ短い時間に激しい隆起があったということ。
 所によってはまだ熱を帯びた部分もあるということで、それが発電所の建設や点検に使われている関電の黒部ルートの「高熱隧道」。

 地球の最も新鮮な部分の一つです。
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黒部市吉田科学館

 本州最後のプラレアリウム巡り訪問先は富山県黒部市の黒部市吉田科学館。
 現行投影機はミノルタのMS-20ATですが、ロビーに展示されている五藤光学S-3がプラレアリウム巡りの対象機。
 魚津市立西部中学校で使用されていたものが静態保存されていますが、プラレアリウム巡りのパンフレットによると、日周・年周・緯度・歳差運動は動作したとか。電球つければ稼働できそうな状態の良さ(互換品あるんだろうか)。

 ピンホール式ながら惑星投影機を完備していて、五藤光学には珍しいツァイス式(恒星投影球が両端にあり内側に惑星投影棚がある)となっています。

 現行の投影機、MS-20AT。神戸青少年科学館でも使われていたミノルタプラネタリウムの大型機です。1986年に導入されて30年間稼働してきましたが、2016年にリニューアル。恒星原盤が交換され、光源もLED化。星像は白くシャープで、近年の投影機と比べても全く遜色ない星空を映し出します。

 全天周映像用のプロジェクタは魚眼レンズが2台横並び。変わった配列ですが、これは偏光メガネを用いた3D映像の投影に使われるため。私の見学時には「Mitaka」を利用した宇宙の果てまでの旅を実演していました。

 ドームの前方には芝シート席が用意されています。座席が全て前方を向いた配置のプラネタリウムは、前方の席はドーム全体を見渡しにくいのですが、思い切ってごろ寝シートにしています。黒部は座席配置に余裕があるので芝シートもまずまず見やすそう。子どもたちが大喜びで転がっていました。
# 全天周映像はドーム中央近くの座席が見やすいです。

# プラレアリウム巡り 27/33
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立山黒部ジオパーク映画「剣の山」

 黒部市吉田科学館立山黒部ジオパーク映画「剣の山」を観てきました。よい作品でした。

 科学館のある生地の街は黒部川扇状地の扇端にあり、そこかしこの水路に豊富な水が流れ、清水(しょうず)と呼ばれる湧き水や自噴井があちこちにあります。
 科学館へ向かう時は気に留めなかったのですが、帰り道は絶えず聞こえるせせらぎの音に心を惹かれっぱなしになりました。

 父を山で亡くしている主人公の少年は、科学部のキャンプ登山の経験を通じて、自らと山の関係を見つめ直していきます。火山噴出物の産んだ弥陀ヶ原、台地を切り刻む称名滝、山上の雪渓、黒部川花崗岩、そして剱岳。不器用ながら優しく剣を見守る科学部の仲間たち、生徒たちとともに自然の大きさと向き合う顧問の先生。
 立山連峰への登山は水の源をたどる旅でもあり、自然の大きさと命のつながりを探る旅です。
 岩の鎧に覆われた雄大な峰々さえ、遠い昔に平原から隆起し、遠い未来に侵食に消えていく。

 せせらぎの音に心を惹かれたのは、これがあの立山や剱岳から流れてきた水だと知ったから。それが黒部の人々の暮らしを潤し、命を育むものだと感じたから。

 科学館を後にして、黒部川の河原で黒部川花崗岩を探し、生地の街の清水を訪ねました。
 映画で見た雄大な自然と、私がいま立つ大地の確かなつながりを感じました。

 立山黒部は特別な場所かもしれません。でも私たち一人一人が住んでいるそれぞれの場所にも、その土地が生まれて今に至る何億年もの物語があります。私がいま住む神戸にも、生まれ育った茨城の片隅にも、そしてこれを読んでいるみなさんの住む街にも。
 遠くの街からこの作品を見た人が、そんなことを考えてくれたらいいな、と思うのは、私がかつて地理学をかじっていたせいかもしれません。

 清水で喉を潤したあと、そんなことを考えながら、いつか剱岳の山容を眺めてみたいと思うのでした。
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漏斗雲

 あいの風とやま鉄道の列車で黒部駅付近を通過中、窓の外に縦に細く伸びた雲が見えました。
 「えっ!? 竜巻!?」と、慌ててスマホのカメラを向けます。

 この雲は「漏斗雲(ろうとうん)」と呼ばれ、竜巻に伴って発生するもの。
 竜巻は「積乱雲に伴う強い上昇気流により発生する激しい渦巻き」です。今回の場合は地表まで達していない、竜巻の子どもというか卵というか、そんな現象。地表まで達しない竜巻を「空中竜巻」と呼ぶこともありますが、一般的には地表に達したものを竜巻とするようです。いずれにせよメカニズムは同じ。

 1枚目の写真を撮影したのは12:40で、黒部の隣の生地駅で下車してからも、弱まりながら移動するのが見えていました(2枚目12:43、3枚目12:44)。急速に小さくなったので、程なく消滅したのだと思います。

 この日の漏斗雲は複数見えていて、生地駅から黒部吉田科学館へ向かう途中でも、小さな規模のものが2つ見えていました。万が一大きくなったらまずいな、いちおう頑丈そうな建物に避難するかと、科学館が近かったので急いで駆け込みました。

 生まれて初めて見る現象でした。

・「富山 渦巻く雲は『漏斗雲』か」(NHK NEWS WEB
posted by ふくだ at 23:49| Comment(0) | 雑記録