では日本で一番低い山となると、これがなかなか難しいことになります。
そもそも「山」とはどういうものなのか。周りより高い土地なら山の資格はありそうな気もしますが、例えば海水浴で作った砂山は「山」といえるのか。
山の定義という根源的な問いになりかねないのですが、地図好きの間では国土地理院の地形図に「山」として記されている中で最も標高が低い山を「日本一低い山」とするのが一般的です。
ちなみに国土地理院の地形図の「山」ですが、紙の地形図では聳肩体(しょうけんたい)というゴシック体を右上あがりにしたフォント、電子版の地理院地図ではゴシック体を斜体にしたフォントで表記されています。
日本一低い山が最初に話題になったのは「日本の低山標高一覧」。当時、国土地理院に務められていた関義治さんが、全国4,414面の1/25000地形図を確認して、日本国内の低山の探し出されました。公表されたのは1996年で、当時のことですから紙の地図を人力でしらみつぶしに精査するという恐るべき労力の成果です。
私はこれを、山と溪谷社の「ヤマケイ登山学校 山の地図と地形」田代博,藤本一美,清水長正,高田将志(1996)で知りました。低山標高一覧のリストが広く公開されたのは当時のニフティサーブ「山の展望と地図のフォーラム」。カシミール3Dが1994年に発表され、パソコンでの地図の利用が普及しはじめる時期でもありました。
この中で「日本一低い山」とされたのが宮城県仙台市の「日和山(ひよりやま)」。
当時の標高6.05m。想像を遙かに超える、いや下回る低さに、これはいつか登りに行かねばなるまいと心に誓ったのでした。
新たに日本一となったのは大阪の「天保山」。
天保山は名前の通り、江戸時代末期の天保年間に河口の土砂を浚って積み上げた人工の山でした。往時は高さが十間(約20m)あったといいますが、後に砲台建設のために削られたり、また大阪市一帯の地盤沈下の影響もあって徐々に標高が低くなり、やがて山の体をなさなくなって1991年には地形図から天保山の名が抹消されてしまいました。
ところが地元から、国土地理院に天保山の再掲を望む要望が出されます。もちろん狙うは「日本でいちばん低い山」。通常であればこうした話題づくり的な要望は通りにくいと思うのですが、天保山の場合はかつて実際に山として掲載されていた実績と、二等三角点「天保山」が設置されている実体が効いたのかもしれません。
1996年発行の地形図から晴れて天保山が地形図に復活。標高4.53mの新たな日本一低い山となったのです。
ところが話はここで終わりません。
2011年の東日本大震災では仙台市の沿岸一帯も津波で大きな被害を受けました。
日和山も津波の直撃を受け、6.05mあった山も浸食されてほとんど流出してしまいました。一時は消失かという報道もあったのですが、そこは我らが国土地理院。わずかに残った日和山を再測量して、東日本大震災後の標高として3mを計測。改訂された地形図にも掲載され、改めて「日本一低い山」に復活したのでした。
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