2021年09月02日

摂津野田城(大阪市福島区)

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 摂津野田城。
 詳細な来歴は不明ながら、文献上では1531(享禄4)年の細川高国と三好元長の抗争時に築かれたとも。その後、織田信長と本願寺の戦いでも利用され、大坂の陣でもこの付近で戦いがありました。

 現在は極楽寺と地下鉄玉川駅の出口そばに石碑が2つあります。いずれも比較的新しいもの。碑文の写真まで撮っていなかったのですが、私の記憶ではたしか平成に入ってからの建立だったような。

 遺構らしい遺構はなく、教育委員会のサイトでも「現在では跡形も残らない」と書かれています。
 7.野田城(のだじょう)跡|大阪市教育委員会

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2021年04月28日

現存最古の天守

 少し前に犬山城天守が現存日本最古の天守というニュースが流れました。

議論呼ぶ『犬山城最古説』 木材年輪幅調査、市長は胸を張るけど」(毎日新聞/2021.4.4)

 周辺事情を含めてよくまとまった記事で、今回の調査で明らかになったのは天守で使われている木材の伐採年代が1585〜1588年ということ。ここから言えるのは「犬山城天守の建築に取り掛かったのは1588年より後」ということだけで、実際に天守が完成した年代を確定するにはもう少し精査が必要です。

 ちなみに現存十二天守の完成年代は以下の通り。

・1590年代 犬山城
・1593-94 松本城 ※諸説あり
(1600 関ヶ原の戦い)
・1606 彦根城
・1609 姫路城
・1611 松江城
(1614-15 大坂の陣)
(1615 一国一城令)
・1624-44 丸岡城
・1660 丸亀城
・1666 宇和島城
・1683 備中松山城
・1747 高知城
・1811 弘前城
・1854 伊予松山城
(1867 大政奉還)

 犬山城天守が古い部類なのは確かです。松本城天守は1591年から1615年まで幅があり「諸説あります」の状態。この2つが「最古級」ですが、どちらが古いかを判断するのは難しいでしょう。

 かつて現存最古とされてきた丸岡城天守は木材の年代測定で寛永年間(1624-44年)と判明し、日本最古の看板を下ろしました。一方で建築年代が確定できていなかった松江城天守は棟札が発見されて1611年と確定し、国宝指定のきっかけになっています。

 このほか備中松山城天守は1683年に「今の形に大改修」が行われたとされていますが、原型建物があったかどうかは不明。
 意外に「よく分かっていない」ことが多かったのです。

 また現存十二天守のうち織豊期の天守の可能性があるのは犬山城と松本城だけで、残り10棟は江戸時代に入ってからの建築。天守建築の嚆矢とされる安土城天主が1579年なので当然ですが、戦国時代の建物はないんですよね。天守建築はお城の歴史の中では意外と新しい建物なのです。
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2021年04月08日

小牧山城(愛知県小牧市)

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 小牧山城が歴史の表舞台に出てくるのは2回。
 最初は織田信長の居城として(1563〜1567年)。
 次が小牧・長久手の戦い(1584年)の徳川家康の拠点として。この戦いは本能寺の変の2年後に起きた羽柴秀吉と徳川家康の直接対決で、戦術的には徳川方の勝利でしたが、最終的に家康は秀吉の傘下に収まることになります。

 このため現在の小牧山城の遺構は、織田信長が居城として築き、それを徳川家康が陣城として改修したものになります。山上の郭の基本形は信長時代につくられていますが、山麓をぐるりと囲む土塁は家康の入城時に整備されたもの。

20210408nagoyakomaki642.jpg20210408nagoyakomaki652.jpg 山上の石垣。石材はチャートや花崗岩。この近辺で花崗岩が採れるのは小牧・長久手の戦いでは羽柴方の陣地が置かれていた場所で、このため石垣は信長時代に築かれたと推定されています。

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 石垣の巨石の後ろには裏込め石と呼ばれる小さな石が詰められていました。石垣の中に水が貯まると水圧で崩れてしまうので、水はけを良くするための仕掛け。小牧山城の石垣が丁寧に築かれたことが窺えます。発掘調査で大量に出土して、のちの整備時には戻すそうです。大変そうですが、復元整備が楽しみです。

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れきしるこまき(小牧山城史跡情報館)

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 小牧山城の一角に小牧山城史跡情報館があります。通称「れきしるこまき」。近年の発掘調査の成果を中心に小牧山城の歴史を紹介しています。

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 小牧山城は織田信長が美濃攻略のために清須から本拠を移した城です。1563年に引っ越してきて、1567年に稲葉山城を落として岐阜に引っ越していくので、わずか4年ばかりの仮住まいの城というイメージでした。
 ところが発掘調査で明らかになったのは、本格的に石垣で固められた山上と、計画的に整備された城下町の姿。後の歴史を知っている立場で見れば4年しか居なかった城ですが、当時の信長としては美濃攻略にどれだけかかるか分かりませんから、小牧にも本腰を入れて城と城下町を作っていたのです。
 ということでこちらは城下町から発掘された戦国時代の出土物。今の小牧の街は小牧山の東にありますが、信長の時代の城下町は小牧山の南に碁盤の目のような街区が形成されて広がっていました。

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 こちらは山上の石垣を紹介する展示。
 信長時代の小牧山城は高石垣を組む技術がなく、低い石垣を三段に重ねています。
 調査で発見された石材には「佐久間」と墨書されたものがあります。信長の家臣には佐久間氏がいるので、工事の割当があったのでしょうか。

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 最新の発掘調査の成果を紹介する企画展も。
 出土した「ゴミ」が展示してあったり、主郭部の再現模型をアップデートしながら展示していたり、親しみやすさとわかりやすさを演出する工夫がいっぱい。
 小牧山城を見学する時は是非おすすめです。
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2021年04月04日

小松城(石川県小松市)

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 小松城は加賀前田家3代の前田利常(前田利家の四男)の隠居城として築かれました。
 もともと加賀一向一揆の拠点があった地ですが、一国一城令で廃され、1639年に改めて築城されています。海岸線から2.5kmほど内陸にありながら、本丸周囲の標高は2m前後しかない平城。
 利常の死後も加賀前田家の支城として明治維新まで維持されますが、維新後は平城ゆえに公共施設用地を中心に市街化してしまいました。現在、敷地のほとんどは県立小松高校、小松市役所、芦城公園となり、目立つ遺構は本丸の櫓台くらいです。

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 本丸櫓台。事実上の天守台で、ほぼ10間四方。五層天守が建ちそうな大きさですが、実際は二層三階の御三階櫓が建っていました。

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 石垣は凝灰岩かと思ったら、戸室石と呼ばれる安山岩。金沢市の南東で産出するものだとか。凝灰岩よりは硬く、花崗岩よりは柔らかいということで、強度と加工のしやすさを兼ね備えた石材。
 石垣は石の隙間がないように加工する切込み接ぎですが、経年でそれなりに表面の凹凸が目立つように成っています。

 石垣の上は特に礎石もなく砂利がひかれていますが、二等三角点「小松」が設置されています。標高10.68mですが、周囲がまっ平らなだけに眺望もまずまず。

 天守台の一段下に本丸の石垣があるそうですが、雨が降っていたのであまり散策せず、見過してしまいました。ちょっと残念ですが、リュックの中まで濡れるほどの雨でしたから仕方ありません。
 他には城下の来生寺に移築した鰻橋御門が残っているそうです。本丸櫓台からは1km強の距離。

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2021年02月18日

堺南台場(堺市堺区)

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 堺南台場は現在、大浜公園の敷地になっています。
 安政年間に堺奉行所が整備し、後に堺の警護を命じられた彦根藩の手によって整備されました。このとき稜堡式の台場に大改造されています。彦根藩の堺警護は1863(文久3)〜1864(元治元)年のことで、桜田門外の変の後に減封処分を受けて大変な時期に重い負担だったのではないでしょうか。

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 大浜公園の北東側の道沿い、公園の外周が土塁の下部を石垣にした腰巻土塁になっています。この道路沿いの低い石垣は後世に積み直した部分もあるようで、一部コンクリートの補強が入っているように見える箇所もあります。

 冒頭の写真に見える石垣は途中から高さが変わっていますが、高くなった部分からは海へ向けて実際に大砲が据え付けられた区画になります。
 石垣がカーブを描いているのが稜堡の頂点の一つ。石材は花崗岩を用いています。おそらく六甲山麓か瀬戸内の島から運んできたものだと思います。

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 石垣は少しはらんでいる部分もあります。
 テニスコートと並行するように伸びていて、古図ではコート側に堀があるのですが、これは痕跡が無く、実際には掘られなかったようです。この面が港への水路を向いています。

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 土塁の内側は平坦ですが、内側から見ると土塁というより築山になっています。公園としての修景なのか、工事の残土を盛り上げたのか、元の高さを大きく上回る山脈になっています。

 そんな中に両側を石垣で固めた通路状の部分があります。もしかするとかつての砲座かもしれません……が、確証はなし。

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堺北台場(堺市堺区)

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 幕末になると外国船に対する備えとして、大阪湾岸一帯に砲台が築かれました。堺は幕府の直轄地で、港へ入る水路を挟む形で南北に台場を置いています。

20210218sakai026.jpg このうち堺北台場は1855(安政2)年頃に堺奉行所によって築かれました。絵図を見るとコの字に土塁を築いたシンプルなつくりです。同時に整備された南台場は後に彦根藩の手によって改築されるのですが、北台場はどうもそのままだったようです。

 現在は大浜北公園の敷地の一部になっていて、遺構はなく、看板だけが往時の姿を伝えています。看板一つといえども立っていると知ったら足を運んでしまうのが城好きなのです。

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 古い地形図を見ると「北公園」の文字の「公園」の南に小さな土壇がありますが、これがおそらく北台場かと思います。現在の地図では阪神高速の高架のすぐ東側で、案内看板が立っているのもこの辺りになります。
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2021年02月14日

摩耶山城(神戸市灘区)

 摩耶山の中腹に摩耶山城という山城がありました。
 南北朝時代に赤松円心が築いて、六波羅探題と攻防戦を繰り広げたといいます。
兵庫の北に当て、摩耶と云山寺の有けるに、先城郭を構て、敵を二十里が間に縮めたり。
(太平記/巻第七 赤松蜂起事)
 「山寺」は摩耶山天上寺のことで、天上寺跡を摩耶山城とする説もあります。南北朝時代は山岳寺院をそのまま城に転用する例が多いのでさもありなん。

 一般的には摩耶ケーブル・摩耶ロープウェーの乗り換えとなる虹の駅付近からその西側のピークにかけてが摩耶山城とされています。虹の駅付近に東曲輪群、西側のピーク周辺に西曲輪群があるとされています。
 ちょっと歯切れが悪いのは、この一帯、大正末から昭和初頭に観光開発が行われ、かなり工事の手が入っているのです。

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 左は東曲輪群の曲輪とおぼしき切岸。
 反対側に回るとやはり上部は削平されているように見えますが、立入禁止。手前の石積みは観光開発時に積んだ可能性が高そうです。

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 このあたり「摩耶花壇」という宿泊施設があり、現在は跡地に建った茶屋跡が休憩所になっているのですが、コンクリート製の半地下構造物が残っていて、大規模に地形に手を加えていることがうかがえます。

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2021年02月07日

摂津滝山城(神戸市中央区)

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 滝山城は新神戸駅のすぐ裏にある山城です。
 南北朝時代に赤松氏が築いた城を戦国期に松永久秀が改修して利用しました。現在も曲輪のあとが良好に残り、戦国時代の中世城郭の雰囲気をよく伝えています。
 東京都八王子市にも後北条氏の分国拠点として築かれた滝山城があり、一般的にはそちらの方が知られているので、神戸の滝山城は旧国名を重ねて「摂津滝山城」としておきます。

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 新神戸駅の高架を北へ抜けて100mほど進んだ場所に滝山城跡への分岐があります。大抵の人は生田川の谷沿いにまっすぐ布引の滝を目指すのですが、今日の目的地はあくまで滝山城。
 登山道を進むと脇に案内板があり、滝山城の縄張図も掲載されています。尾根に沿って段々に曲輪が並ぶ比較的シンプルな構成。

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 滝山城の遺構で最も目立つのが曲輪のあと。城兵が駐屯するために、尾根や斜面を削ったり土を盛ったりして平らにした場所です。

 南北朝時代の城は険しい山地そのものが防御で人工の施設は最小限なことが多いのですが、戦国時代になると地形にも積極的に手を加えるようになります。
 登山道を歩くと不自然に平らな場所が出てきて、これが曲輪。曲輪の端はこれまた不自然な急崖になっていて、これも敵の侵攻を食い止めるために人工的に急斜面を整えた切岸と呼ばれるもの。

 滝山城にはこれがたくさん残っています。石垣みたいなパッと見の分かりやすさではないので、そうと知らずに通り過ぎてしまう人が多そうです。縄張図の案内板は数ヶ所にあるのですけど、ここが曲輪とか空堀とかその場その場の具体的な案内表示はないのが惜しいところ。

20210207takiyamajo026.jpg この他の遺構では空堀があります。冒頭の写真は主郭部の東の尾根を断ち切る堀切で、滝山城で最大級の遺構。またこの写真は主郭の西側にある堀切で二重になっています。
 滝山城は高低差があるので堀は少なく曲輪を重ねて防衛線を深く備えています。

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 山上の主郭はひときわ大きな曲輪で、登山客用の東屋が建てられています。何も知らなければ公園として整備したように見えるかもしれません。
 この西側に一段高く築かれた区画があり、ここが最高所。当時はおそらく櫓台として使われたのでしょう。現在は滝山城跡の石碑が建てられています。

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2021年01月23日

芦屋市立美術博物館「迷路絵本 香川元太郎の世界展」

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 芦屋市立美術博物館で開催されている「迷路絵本 香川元太郎の世界展」。
 香川元太郎さんは歴史考証イラスト、特に中世城郭の復元イラストの第一人者で、今回の企画展にも50点もの歴史考証作品が出展されています。一方で迷路を題材とした絵本の作家としても著名で、既に17冊刊行されている「迷路絵本」シリーズは累計300万部超えのベストセラーとのこと。単純計算でも一冊あたり18万部近くで、単価が高くて購入年代も限られる絵本ではすごい数字であろうことは素人でも想像できます。
 とはいえ迷路の作品は絵本と縁が少ないこともあって、今回の企画展まで全く存じ上げませんでした。

 香川さんの歴史考証イラストを知ったのは80年代末か90年代初頭です。
 当時は歴史ものの本といえば文章か歴史マンガしかなかったところに、学研が豊富なビジュアル資料を掲載した『歴史群像シリーズ』というムック誌の刊行をはじめたのです。空中写真を利用した古戦場の配陣図や模型を利用した城郭の再現など、子ども向けのマンガは卒業したけど大人向けの本を読むには背伸びが必要な中高生を直撃するような分かりやすさで、友人が学校に持ってきたものを回し読みしてました。
 『歴史群像』は今でこそ隔月刊の歴史雑誌になっていますが、当初は『ムー』の別冊からスタートしていて、ムック誌のシリーズ初期は巻末に場違いなオカルトネタのページが織り込まれていたのも懐かしい話です。本文はたまに奇説も混じっていたりするのはご愛嬌。

 『歴史群像シリーズ』の売りの一つは城郭や古戦場を再現した歴史考証イラストで、特に天守や石垣の近世城郭の印象しか持てなかったお城に対して、自然地形に土塁や空堀を巧みに組み合わせた中世城郭のイメージをビジュアルとして広めたのは大きな功績でしょう。
 ムック誌時代は一冊に複数のイラストレーターの城郭イラストが掲載されていたのですが、表現にはずいぶん違いがあって、そのうち「この人の土の城はきれいで分かりやすい絵だな」と作者に注目するようになったのが香川元太郎さんなのでした。

 中世城郭は日本全体で2万とも3万とも言われるほどにあって、私もその辺の裏山にあるようなお城を歩くのが好きなのですが、こうした城好きの原点に近いところに香川さんの歴史考証イラストがあります。

 そんなわけで芦屋で作品展があると知った時には首を長くして楽しみにしていましたし、最初に行った時には会場を最初の1周は小躍りしてスキップする勢いで、あとはじっくり2周も3周も回りました。

 土塁や空堀など土の城郭のイラストが素晴らしくて好きなのですが、改めて感じたのはそのベースとなる地形表現の的確さ。城郭は土地の高低差を防御に取り入れているので、これを作品を見る側が把握できるから縄張りと言われる城の構造が理解しやすい。この部分が群を抜いているのが香川さんの作品。
 その上で緻密なイラストですから、絵の中の城を攻めてみたり、鳥瞰図視点で眺め渡したり、見ていてとにかく楽しい。

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