2020年03月05日

東大寺二月堂修二会

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 東大寺の二月堂で行われる修二会に出かけてきました。
 修二会は3月1日から14日まで行われる法要で、事前の準備期間を含めると一か月近くに渡る行事です。
 「お水取り」の通称で知られていますが、これは3月12日の深夜に観音様に供える水を汲む行事のことで、この日の晩にひときわ大きな籠松明が灯されることから、広まったものかと思います。

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 二月堂の舞台に掲げられるお松明は本来、行を務める練行衆の道案内として灯されるもの。元々は小さな松明でしたが、江戸時代に大きくなって今のような姿になったそうです。練行衆が寝起きする参篭宿所と二月堂は屋根付きの階段で結ばれているのですが、その屋根を焦がさんばかりの炎が立ち上ります。

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 階段を登りきると、練行衆は二月堂の北面で柏手を打ち、お堂へ入ります。
 お松明を掲げた童子――というのは役職名で務めるのは大人――はここで本来の役目が終わるはずですが、見せ場はここから。
 二月堂の舞台の北の角に姿を現し、欄干から天に突き出すようにお松明を掲げます。
 吹き出す炎、舞い散る火の粉、沸き上がる歓声。お松明の炎は数メートルも立ち上り、輻射熱でこちらの顔が火照ります。松明を回すと火の粉が華々しく空に飛び散り、ひときわ歓声が大きくなります。

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 一呼吸おいて、舞台を駆け抜ける童子。
 槍を突くように一直線に抜ける人、松明を回して火の粉を振りまきながら駆ける人。

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 メリメリと杉の葉が燃える音が聞こえるほどの静粛と、沸き立つ歓声のコントラスト。
 やがて10本目のお松明が舞台を去ると、周囲の電灯が灯され、人の波が引いていきます。

 この夜は風の具合で火の粉がまともに観衆にかかりました。もちろんほとんどは空で燃え尽きるのですが、気が付けば衣のところどころに灰のあと。お松明の燃え残りはお守りになると言われていて、足元を探してみましたが、なかなか形を留めたものはありません。うっかり黒い塊に手を伸ばすとシカの忘れ物だったりするので、探索は適度に控えるのが吉というものです。

 お松明の片づけが終わると、立ち入りが規制されていた二月堂に参詣できるようになります。
 二月堂の舞台は普段から昼夜を問わず登ることが出来、奈良の夜景の名所としても知られています。きらびやかこそないのですが、境内の向こうに広がる街の灯は、古都ならではの風情があります。

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斑鳩散歩

20200305houryuji001.jpg 大和西大寺駅から橿原線に乗り換えたら、電車の吊り革が達磨さんでした。
 なにかと思ったら達磨寺の宣伝みたいです。松永久秀のお墓もここにあるのだとか。

20200305houryuji002.jpg 近鉄橿原線から法隆寺行きのバスが出ている筒井駅。近鉄の奈良・斑鳩1dayチケットで乗換駅として案内されていますが、日中は一時間に一本しかバスがないとは思わなんだ。
 奈良で筒井といえば筒井順慶の筒井氏。興福寺の衆徒から戦国大名に発展した氏族ですが、その本拠です。

 地理院地図でも駅の北東にかつての筒井城の郭や堀の跡が分かります(分かるんです)。筒井町の文字のすぐ北側が主郭みたい。法隆寺の帰りに寄ろうと思っていたのですが、全く時間がありませんでした。

20200305houryuji003.jpg 法隆寺の門前でお昼。柿の葉寿司でランチ。旅先で土地の名物などあまり食べないのですけど、たまにはこういうのも良いです。

20200305houryuji059.jpg 夢殿の基壇。お堂側は凝灰岩、外側は花崗岩です。凝灰岩は柔らかくて加工しやすいし、近くの二上山で採れるのですけど、花崗岩はどこから持ってきたのやら。西院伽藍の例からすれば、凝灰岩の部分は元からのもので、花崗岩は後から補ったのやもしれません。

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 斑鳩町のマンホールカードを入手。
 描かれている三重塔は法起寺の塔でしょうか。
 紅葉と川は竜田川。百人一首の「千早ぶる神代もきかず龍田川 からくれなゐに水くくるとは」の竜田川は生駒山地の裾野から法隆寺の西を通って大和川に合流します。
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法隆寺 その2

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 法隆寺の景色を形作るのは伽藍を区切る長い築地塀ではないかと思います。写真の右側の築地塀はしれっと重要文化財。奥の東大門は奈良時代のもので国宝。

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 大宝蔵院への道。大宝蔵院は法隆寺の展示室を兼ねています。
 本尊は百済観音ですが、訪問時は東京国立博物館に貸し出し中。それでも夢違観音や玉虫厨子など著名な文化財がたくさん展示されています。玉虫厨子や百万塔も日本史の教科書や資料集にたいてい載っていますから、いきなり目の前に出てきたらびっくりです。
 北斗七星を刀身に刻んだ「七星剣」があるのも興味深いところ。元は金堂の持国天像が持っていたとされ、明治期に皇室に献上されたのち、戦後、寺に戻されたものです。

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 収蔵庫
 1952年に建てられ、火災で焼けた金堂の壁画や部材が納められています。現在は非公開。将来的にはこれらも見学できるよう、耐震性を確認する調査が行われるなど、準備が進められているそうです。

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 築地塀の道を進むと、東院伽藍があります。
 八角形の夢殿を中心とした一角で、元は聖徳太子の斑鳩宮があった場所とされています。
 夢殿は先々代の一万円札の透かしに入っていたので、一定以上の年代の方には知られた建物です。私は裏面に印刷されていたように覚えていたのですが、なにせ子どものころのこと。万札に接する機会はほとんどなかったので、全くの記憶違いでした。

 天平時代に聖徳太子を偲んで建立されたもので、中の救世観音は長い間布にくるまれた秘仏でした。明治時になって岡倉天心とフェノロサによって開かれた逸話はよく知られています。現在は春と秋の年二回、開帳されているとのこと。

 ちなみに法隆寺の著名な観音像は下記の通り。自分でも間違えるので記しておきます。
  百済観音像(国宝)大宝蔵院。江戸時代より先の記録がなく、他寺から移されたと想定。
  夢違観音像(国宝)大宝蔵院。悪い夢を良い夢に変えてくれるという信仰からの通称。
  救世観音像(国宝)夢殿。秘仏で年二回公開。聖徳太子を写したものとする伝承があります。

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法隆寺 その1

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 世界最古の木造建築で、日本で初めて世界文化遺産に登録された法隆寺。修学旅行の定番ですが、私のときは工程に入っておらず、学生時代になって初めて訪問しました。もっとも当時はさほど興味があったわけでもなく、歴史に名高いお寺を見ておこうというくらいの気持ちでした。
 中門前から西院伽藍を望む。西院伽藍は金堂や五重塔のある法隆寺の中核部です。

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 金堂の中央には釈迦如来三尊、向かって右に薬師如来、左に阿弥陀如来が祀られています。釈迦如来三尊像は日本史の教科書や資料集に必ず掲載されているので、あまりに見たままのお姿です。左の阿弥陀如来は鎌倉時代のもので、像の雰囲気は飛鳥時代に合わせてありますが、お顔は鎌倉風。
 仏像は時代ごとの特徴があって、飛鳥時代はエキゾチック、天平時代は写実的で凛とした雰囲気、平安時代は大人しく穏やか、鎌倉時代は再び写実的で躍動感に溢れてきます。私が見ても雰囲気の違いが分かるくらいなのでそのつもりで見ると楽しいです。

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 金堂は戦後に火災に遭って、壁画が焼損しました。それほどの火災でなぜ国宝指定が維持されているのか不思議でしたが、解体修理中の失火で、仏像は運び出されており、初層の裳階部分と二層目も解体されていたので、部材の多くは被災を免れました。

 とはいえ、初層の柱28本は新規に制作。外陣の扉は焦げていない面を貼り合わせて再使用するなど、多くの労苦が費やされています。大規模な修理は部材の確保から段取りを組むのが普通で、突如として大量の木材を調達することになった苦労はいかばかりかと思います。部材の表面の仕上げに使う古代の道具・槍鉋(やりがんな)は、この再建工事で復活したものです。
 お寺の方にお話しを聞いたら、やたらと話が弾んでしまいました。

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 五重塔は上層ほど小さくなっていて、5層目は初層の半分の大きさしかありません。
 遠近法を意識したかのような作りで、大きな塔なのに天を衝くような軽快さを感じさせます。
 ついつい建物ばかりに目を奪われますが、初層の四面には釈迦の生涯を描いた塑像群があり、これも白鳳時代の傑作とされています。

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2019年12月31日

乗りつぶしオンライン2019

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 これまでに乗った鉄道を表示してくれる乗りつぶしオンラインというサイトがあります。
 2008年頃から記録をつけているのですが、2019年末までの乗車分を更新しました。
 2019年は津山の旅行で姫新線に乗ったのと、高知の帰路で土讃線に乗ったので、ちょこっと記録が伸びました。2008年では12113.0km、61.039%だったのが12813.0km、65.288%となり、地道に積み上げています。
 とはいえ、乗りつぶしのためだけに旅行に出る気力はもはやありませんし、最近は飛行機を使うのに抵抗がなくなってしまったので、もうダメです。社会人になると限られた休みをいかに有効活用するかで日程を組むので、場合によってはレンタカーを借りることも辞さない構え。18きっぷばかり使っていた学生時代が懐かしい。

会社 営業キロ 乗車キロ 未乗キロ 乗車率
JR北海道 2448.1 747.0 1701.1 30.513%
JR東日本 7191.1 4712.0 2479.1 65.525%
JR東海 1970.8 1833.1 137.7 93.013%
JR西日本 4887.3 3265.9 1621.4 66.824%
JR四国 855.2 477.0 378.2 55.776%
JR九州 2273.0 1778.0 495.0 78.223%
6社合計 19625.5 12813.0 6812.5 65.288%
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経県値2019

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 2019年の経県値
 2019年は、日帰りや夜行利用の0泊1日の旅の多い年でした。
 黄色の「訪問」がやたらめったら多いのはそのため。岡山・広島・徳島・和歌山は早朝発、高知は夜行バス。訪問先が狭い範囲ならそれでもそれなりに楽しめますが、さすがに九州や東北までは足を伸ばせませんでした。

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2019年12月15日

広島平和記念公園・原爆ドーム

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 旧広島県産業奨励館、建物中央にある円蓋の骨組みから、原爆ドームと呼ばれるようになりました。

20191215hiroshima164.jpg すぐ北側は市電の走る大通りで、通りの向こうは旧広島市民球場。ほんとに街のまん真ん中にある建物です。
 崩壊した建物をそのままでは風化が進んで朽ちてしまうため、建物の内側には補強の鉄骨が組まれています。あの日のその時を伝えるために。
 当時の状態、つまり崩れた状態を保ったまま遺産として残す難しさを、新聞連載をまとめた本で読んだことがあります。

20191215hiroshima178.jpg 旧大正屋呉服店の平和記念公園レストハウス。爆心地から170mの距離にありながら熱線と爆風を耐え抜いて今なお現役で使われています。耐震補強工事でシートに覆われていて見ることは出来ませんでしたが、これも未来へ残すためには必要なこと。
 アニメ映画『この世界の片隅に』の冒頭で、子ども時代の主人公が道に迷い、この建物の下で佇んでいる場面があります。

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 平和記念公園は、ずっと前から広い公園だと思い込んでいたのですが、こうの史代さんの『平凡倶楽部』に収録されているエッセイで、原爆投下のその時まで、ここにも街があり、人々の暮らしがあったことを知りました。

 外国からのお客さんに、カメラのシャッターを頼まれました。慰霊碑のことは理解されているようでした。
 この地に込められた願いが、祈りが、広まっていきますよう。
# 英語ろくにしゃべれないのに何で私を選んでくるんだ……
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広島電鉄千田車庫

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 広島電鉄本社に隣接して千田車庫があります。
 お目当ては神戸出身の路面電車。かつて神戸市電で走っていた車両が広島電鉄に譲渡され、現在も走っているのです。
 といってもラッシュ時だけ助っ人で登場するような使い方で、常時出ているわけではないそうです。神戸市電は1971年に全廃されたので、私が神戸に引っ越す前どころか生まれる前に無くなっていますから、動く状態で在籍しているだけでも大したものです。

 この千田車庫、以前は車庫内に入って見学できたのですが、現在は立ち入り不可で、金網の外からご見学くださいとのこと。イベント時以外に一般人が車庫に入れるほうが元々例外的なので、やむを得ないところです。

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 左写真の真ん中後方が元神戸市電の1150形1156号。神戸市電は薄緑と濃い緑のツートンカラーでしたが、ハノーヴァー市電を模したという賑やかな車両になっていて、塗装の面影はありません。
 車番の数字のフォントが角張った独特のゴシック体で、このフォントは現在の神戸市営地下鉄にも引き継がれています。広電の移籍車両には元の所属を示すプレートが付けられていますが、右写真を拡大するとドアの脇に神戸市電のプレートが確認できます。

20191215hiroshima083.jpg 1913号の後ろ、赤い三角で示した車両が元神戸市電の570形582号です。こちらは緑のツートンカラーのまま健在。元は戦前の1924年製とのことで、まもなく100歳に届こうかというご長寿車両。さすがに営業運転にはほとんど就いていないようです。

 1156号にしても582号にしても、乗る機会はまずないでしょうが、博物館ならともかく営利企業が稼働状態で車籍を置いているだけでもありがたい話です。保守整備を考えれば、多種多様な車両があるよりも、一定の車種で統一してしまったほうが楽なはずですから。

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広島行

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 思い立って広島へ行ってきました。
 日程の都合で日帰りしかなく、滞在時間を長くとるには「夜行バスで現地入り→夕方発で当日中帰宅」がよいのですが、神戸-広島の距離では夜行バスがありません。正確にはツアーバスはあるのですが、4列シートの夜行は今さらしんどい……
 とはいえ昼行バスは始発でも現地着が11時半で、日の短い冬では行動時間が短かすぎます。結局「往路は新幹線、復路は高速バス」となりました。新幹線の「こだま」なら割引率の高いきっぷがあるかと思ったのですが、「ぷらっとこだま」のように単独行で使えるものがありません。JR西日本、意外に強気だ……

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 西明石0722発のこだま731号。
500系新幹線が来ました。やった(好きなのです)。
 山陽区間だけ運行されている新幹線車両の指定席は4列シートなのでゆったり座れます。500系は車両断面が円形なので、窓側に座ると小型飛行機みたいに壁がぐぐっと曲がっているのですが、これもまた未来っぽくて好き。もう20年以上前の車両ですけど。

 実はこの日、早朝に三ノ宮駅で火事があり、5時台から西明石-芦屋間で電車が止まっていました。困ったことに西明石駅はJRでしか辿り着くことが出来ず、山陽電車で姫路まで出ても間に合う時間に家を出たのですが、なんとか運転再開。ところが西明石駅でホームが埋まってなかなか入線できず、乗り換え時間を削られて冷や汗かきました。

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 姫路駅で後続の0745発、さくら545号に乗り換え。やってきたのはN700系の九州新幹線直通専用車。車体の色が青磁からとった淡いブルーで、これもかっこいい。白色塗装だとそれほどでもないのですけど。
 これも指定席は4列シートで、車体断面は四角に近いので内部空間は広々。ふつうに乗るなら正直、こちらのほうがいいです(ぉぃ)。座席もリクライニング時に座面もスライドする新式のもの。
 広島までの1時間、ゆったり過ごすことが出来ました。

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 広島駅で路面電車の1日乗車券を購入。
 やってきた連接車グリーンライナーに乗ります。最初は広島城へ行くつもりでしたが、途中で気が変わって、江波に行くことにしました。
 乗り換えにやってきたのが700形。単行の電車はこれと800形がたくさん走り回っていて、標準型とでもいうべき車両。路面電車は電停で止まるし信号で停まるしで、終点まで乗り通すとむちゃくちゃ時間がかかります。道路の真ん中から街を眺められるので、車窓は楽しいのですけれども。

 ……これだけ書いてまだ電車に乗ってるだけやん私。
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2019年11月28日

古市古墳群巡検 補習

 11月21日に古市古墳群を回ったのですが、帰宅してから訪問ルートを地図で確認していくつかのことに気づきました。
 「もしかして回ったつもりで行ってない陪冢があるのでは?」「夕方でじっくり回れなかった津堂城山古墳は再訪したい」「伝雄略天皇陵は拝所と古墳が別の場所なのに拝所しか行ってない」
 疑問が残ればすぐに行動です。

 11月28日、再び古市古墳群へ出発。9時ちょうど、土師ノ里駅でレンタサイクルを借りていざ出発。

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 最初の「回ったつもりで行ってないかも?」は、誉田御廟山古墳の焙焼の栗塚古墳(左写真)。近くの東馬塚古墳(右写真)とは、芝生の小山に石柱が一本という雰囲気が似ていて、撮った写真を見ていただけでは記憶がごっちゃになっていたのです。
 実際に足を運んで「あ、ここは来たわ」と瞬時に思い出しました。

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 津堂城山古墳(藤井寺市)は名前の通り中世城郭として使われた古墳です。
 前回は時間がなくてゆっくり散策できなかったので再訪問。墳丘の上に上がることができ、上部が平らになっていることが分かります。古墳の頃から平らになっていたので城郭転用には便利だったはず(上段左)。後円部の頂上は陵墓参考地で立ち入り禁止(上段右)。
 削られた前方部には虎口の跡と思われる加工があり(下段左)、後円部の基部には郭を区切る空堀があります(下段右)。

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 城山古墳ガイダンス棟まほらしろやまは小さな施設ですが、出土した埴輪の展示や大きな図面や航空写真を使ったパネルがあり、なにより屋外の石室の石材展示と復元石棺の展示が目を引きます。
 スタッフの方とは城跡の遺構や石材(高砂の凝灰岩・竜山石)の話をしてきました。何を見に行ったんだ。

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