2020年08月05日

補陀洛山寺

20200805nachi086.jpg
 那智の滝の下流、那智川が海に至るまでの僅かな平地に補陀洛山寺があります。

 補陀洛は観音浄土を意味する言葉で、阿弥陀浄土が西方にあるとされたのに対し、観音浄土は南方にあるとされました。
 補陀洛を目指して船出することを「補陀洛渡海」と呼び、補陀洛山寺はその拠点でした。

20200805nachi100.jpg20200805nachi098.jpg
 境内の一角に不思議な形の小舟が展示されています。
 これは再現された渡海船で、中央に人が乗り込む屋形があり、その四方に朱塗りの鳥居が付いています。
 屋形に扉はなく、行者が乗り込むと30日分の食料を積み込んだ上で、外から釘を打ち付けて封鎖しました。
 補陀落渡海は北風の吹く旧暦11月に行われ、南に流された船はやがて黒潮に乗って日本沿岸から離れていくことになります。そうでなくても海が荒れる時期。つまりは帰ることのない片道の捨身行でした。

 記録では那智の浜から25人の行者が補陀落渡海に出たと伝えられています。記録に残らぬ船出もあったことでしょう。周囲の協力がないと出来ないことですから、死出の旅と知った上で多くの人が手を貸すことになります。以下に信仰心篤い時代と土地柄といえども、想像するだに辛いものがあります。

続きを読む
posted by ふくだ at 23:48| Comment(0) | 地図と地理と遠出

那智の滝

20200805nachi074.jpg
 那智の滝は那智川の中流にかかる滝で、落差133m。一段の滝としては落差日本1位を誇ります。
 滝の上側が浸食に強い熊野酸性火成岩類の流紋岩、谷側が比較的やわらかい堆積岩の地層で、その境界が滝となったものです。

20200805nachi067.jpg20200805nachi066.jpg
 熊野那智大社から石段をずっと降りたところに、那智大社の別宮の飛瀧神社があります。本殿も拝殿もなく、ご神体の那智の滝を拝む形式で、もっともシンプルな神社の形かもしれません。

 「日本三名瀑」は那智の滝・華厳の滝(栃木県)・袋田の滝(茨城県)で、後者2つは北関東にあるので子どもの頃に家族で見ていましたが、那智の滝はようやく今になって見ることが叶いました。

 ちなみに日本三名瀑、那智の滝と華厳の滝は不動ですが、よくある話で3つめは諸説あります。元茨城県民としては袋田の滝を強く推したいところですが、譲るとしても称名滝以外は納得し難い(個人の感想です)。
 それはともかく、那智の滝と華厳の滝は滝そのものが豪快な上に、山岳信仰との結びつきもあって、人文的にも歴史が深いのです。

続きを読む
posted by ふくだ at 23:47| Comment(0) | 地図と地理と遠出

熊野那智大社・青岸渡寺

20200805nachi042.jpg
 大門坂を登りきるとすぐに社殿があるのかと思いきや、そこからさらに門前町の石段を抜け、鳥居をくぐって止めを刺されるような石段を登ると、ようやく熊野那智大社の境内にたどり着きます。
 大門坂の比高が150m、大門坂上から境内までの比高が80mあるので、大門坂だとまだ2/3しか登っていなかったわけです。境内までの写真が一枚もないのが、疲労困憊ぶりを物語っています。

20200805nachi036.jpg20200805nachi034.jpg
 冒頭の写真は重要文化財の本殿。これは脇の扉の格子越しでないと拝むことが出来なくて、実際の参拝は拝殿(左写真)からとなります。正面で護摩木を焚いているのは神仏習合時代の名残。
 行者の修行の場であった那智の滝そのものをご神体としてお祀りしたのが起源と考えられています。

 拝殿の左に八咫烏を祀るお社があります。三本足のカラスで熊野の神の使いとしてシンボル的な存在です。日本の神話では天照大神の使いとして神武天皇の道案内を務めています。サッカー日本代表のエンブレムに使われているのをご存じの方も多いはず。

続きを読む
posted by ふくだ at 23:46| Comment(0) | 地図と地理と遠出

熊野古道・大門坂

20200805nachi021.jpg
 熊野三山を参詣するために紀伊半島に張り巡らされた道路のネットワークを総称して「熊野古道」と呼んでいます。紀伊半島は降水量が多いので、道がぬかるんだり、あるいは侵食されるのを防ぐため、石畳による舗装が行われました。

 大門坂は熊野那智大社へ向かう参道で、杉木立の中をゆく石畳がよく残っています。
 坂の上下にバスが通じているので、この区間だけ歩くことも可能。長さ850mほど(石畳部分で600m)で、比高は150mと、割と手頃に熊野古道の雰囲気を楽しめる区間です。もちろん歩ける格好でないといけませんよ。

20200805nachi004.jpg20200805nachi005.jpg
 自動車道から分岐する大門坂の入口。最初の200mほどは開けた道を登っていきます。

20200805nachi010.jpg20200805nachi012.jpg
 本格的な山道になるのが夫婦杉をくぐってから。ここが杉林の入口です。石畳は凸凹ですが、階段の段は高すぎる部分がなく、気持ちよく歩けます。

続きを読む
posted by ふくだ at 23:45| Comment(0) | 地図と地理と遠出

2020年08月04日

橋杭岩

20200804kushimoto075.jpg
 橋杭岩は海へ向かって高さ十数mの岩が一列にそそり立つ名勝です。
 地下から上昇したマグマが泥岩に貫入して流紋岩の岩脈ができ、後に海食で柔らかい砂岩が侵食され、比較的硬い流紋岩が削り残されたもの。

 写真では何度も見たことがあったのですが、想像以上の大きさに驚きました。
 岩の高さは10〜20m近く。大きいものは5階建てのビルくらいの高さがあり、串本市街から車を運転していて、道路の向こうにボコッと岩塊が2つ3つ見えてきたときには、遠近感がおかしくなったかと思いました。

20200804kushimoto070.jpg20200804kushimoto069.jpg
 橋杭岩の西側には大きな岩がゴロゴロ転がっています。本体から崩落したものですが、普通の波で運ばれる大きさではなく、過去の南海・東南海地震の津波で運ばれたものと推定されています。表面に付着した生物痕の放射線年代測定から、どの時期の地震津波で崩壊したのかの推定もできるそうです。
 大きな岩塊は橋杭岩の近くに、小さな岩塊ほど遠くへ運ばれています。

続きを読む
posted by ふくだ at 23:49| Comment(0) | 地図と地理と遠出

樫野崎灯台・トルコ記念館(紀伊大島)

20200804kushimoto097.jpg
 潮岬の東隣に紀伊大島があります。
 もともとは単に「大島」と呼ばれてきましたが、全国各地の「大島」と区別するため、旧国名を関した呼称にしているもの。潮岬とは1kmほどしか離れていないのですが、長らく架橋が行われず、串本節に歌われた巡航船が1999年まで残っていました。現在は潮岬東岸と紀伊大島を結ぶくしもと大橋で本州と結ばれています。

 島の東端に樫野崎灯台があります。潮岬灯台と同じく江戸条約に基づいて整備された灯台で、こちらは最初から石造で建造されたため、日本最初の石造灯台となりました。

20200804kushimoto095.jpg20200804kushimoto099.jpg
 設計は潮岬灯台と同じくリチャード・ヘンリー・ブラントン。潮岬灯台に先立って1870年に初点灯しています。

 灯台の内部は非公開ですが、外付けの階段で高欄に昇ることが出来ます。また官舎が資料館として公開されています。

続きを読む
posted by ふくだ at 23:48| Comment(0) | 地図と地理と遠出

潮岬

20200804kushimoto050.jpg
 本州最南端・潮岬。
 もともと島だった台地に、陸から砂州が伸びて陸続きになった地形で、陸繋島と呼びます。
 有名なのは神奈川県の江ノ島ですが、北海道の函館山や博多湾の志賀島もこの地形。
 潮岬では砂州の部分に串本の市街地が広がっていて、その脇に漁港が開けています。

20200804kushimoto056.jpg20200804kushimoto054.jpg
 厳密な最南端は、南へのびる「クレ崎」という岩礁の突端ですが(右写真)、観光客が気軽に行けるのは海岸段丘上の展望台まで。このあたりの経緯度は、
 北緯33度26分10秒、東経135度45分44秒。
となります。

続きを読む
posted by ふくだ at 23:47| Comment(0) | 地図と地理と遠出

潮岬灯台

20200804kushimoto047.jpg
 潮岬灯台。
 日本最古級の洋式灯台の一つで、幕末の西欧列強との条約に基づいて建てられた「条約灯台」の一つです。江戸条約が太平洋航路、大阪条約が瀬戸内航路の安全を確保するためのもの。条約を結んだのは江戸幕府ですが、明治政府が引き継いで灯台の整備を行いました。
○江戸条約(1866):観音埼('69),野島埼,樫野埼('70),神子元島,剱埼,伊王島,佐多岬('71),潮岬('73)
○大阪条約(1867):江埼('71),六連島,部埼,友ヶ島,和田岬('72)
 潮岬灯台は当初は木造で作られましたが、1878年に石造に改められます。潮岬は台風の通り道でもあり、気象条件の厳しい場所での木造灯台は厳しかったのかもしれません。一方、正式点灯に先立って1870年に仮の設備で点灯されていますが、それだけこの海域の安全確保が重視されていた現れです。

 歴史的・文化的に貴重な灯台として、全国23ヶ所のAランクの保存灯台に指定されており、「日本の灯台50選」に選ばれ、日本で16ヶ所しかない上まで登れる参観灯台でもあります。

20200804kushimoto030.jpg20200804kushimoto031.jpg
 もともと観光用の施設ではないので、灯台の中は狭いです。特に高欄のある階へ昇る階段は、階段というより梯子。昇るより降りるほうが怖いやつです。

20200804kushimoto036.jpg20200804kushimoto035.jpg
 流石に灯台だけあって、見晴らしは抜群。左写真は潮岬の最南端クレ岬方向、右写真は灯台のある突端の岩礁です。

続きを読む
posted by ふくだ at 23:46| Comment(0) | 地図と地理と遠出

本州最南端のまち・串本へ

20200804kushimoto106.jpg
 思い立って紀伊半島を一周りしてきました。
 紀伊半島は公共交通機関で行くのがなかなか大変なところです。特に青春18きっぷで巡ろうと思うと、紀勢本線は長いし普通列車の本数は少ないし、生半可な覚悟で足を踏み入れる場所ではありません。

塩屋 0459 <東海道・山陽線普通> 0553 大阪 0606 <紀州路快速> 0738 和歌山 0806 <紀勢線普通> 0951 紀伊田辺 1041 <紀勢線普通> 1208 串本

 という具合で、塩屋を始発で出ても、半島突端の串本に着くのがお昼過ぎ。
 ちなみに塩屋始発で東へ行けば1208に焼津(静岡県)、西へ行けば1213に岩国(山口県)ですから、紀伊半島の手強さが知れようというものです。

20200804kushimoto007.jpg 和歌山から乗り換えた電車は227系。パッと見は新快速みたいですが、中はロングシートで、大阪環状線の新車みたいな雰囲気。JR西日本は古い車両をリニューアルしながら使えるところまで使うイメージありますので、意外に新しい電車が入っていてビックリです。ていうか使えるところまで使い尽くしたから新車を入れたのかも。

 和歌山といえば高野山や熊野のような大森林のイメージが強いのですが、紀伊田辺や白浜の辺りまでは平地も目立ちます。考えてみれば紀州徳川家は55万石の大大名で、それなりに水田がなければその石高に届かないわけです。

続きを読む
posted by ふくだ at 23:45| Comment(0) | 地図と地理と遠出

2020年07月31日

嵯峨野観光鉄道

20200731saganokanko001.jpg
 嵯峨野観光鉄道は山陰本線に沿って、トロッコ嵯峨駅から亀岡市のトロッコ亀岡駅の7.3kmを結ぶ鉄道です。
 かつての山陰本線は保津峡に沿った非電化単線でしたが、これを複線電化するにあたってトンネルを掘り抜いた新線を建設しました。旧線は廃線になったのですが、保津峡沿いで眺望が良かったことから、これを観光用に復活させたのが嵯峨野観光鉄道です。

20200731saganokanko002.jpg20200731saganokanko003.jpg
 ディーゼル機関車1両に客車5両。機関車は常に嵯峨側に付いていて、亀岡方面へ向かう時は最後尾から後押し運転する形になります。このため先頭になる客車には運転台が付いていて、機関車を遠隔操作しています。

20200731saganokanko004.jpg20200731saganokanko005.jpg
 客車は貨車を改造したもので、窓を開けっ放しに出来る構造。トロッコ列車の雰囲気を味わうため、座席は木製のボックスシート。サスペンションは板バネで、あえて振動を楽しめる乗り心地にしてあります。乗車時間は片道30分弱なので全く余裕。

20200731saganokanko006.jpg20200731saganokanko007.jpg
 「ザ・リッチ号」と名付けられた5号車は、窓なし、屋根は2/3ほどアクリルガラス、腰板も金柵の開放的な作りになっています。冬や悪天候時は苦行になりそうですが、晴れていれば快適そのもので、指定席もこの車両から売れていきます。
 今回は往復で乗車したのですが、行きではこの車両が取れず、帰りで何とか押さえることが出来ました。

続きを読む
posted by ふくだ at 23:46| Comment(0) | 地図と地理と遠出