2017年12月13日

長崎金星観測碑(12月9日)

 太陽-金星-地球が一直線に並ぶと、地球からは金星が太陽面を横切っていく様子を観察できます。「金星の太陽面通過」「金星日面経過」と呼ばれる現象で、最近では2004年6月8日2012年6月6日に起こりました。

 更に前となると1874年12月9日と1882年12月7日。1874年は日本では昼間で1882年は夜間でした。
 8年間隔で2回セットで起こるのですが、そのセットを逃すと次は100年以上間が空くので、1874年の金星の太陽面通過の際には、フランス・アメリカ・メキシコの3ヶ国から日本に観測隊が派遣されました。

 明治維新と神戸開港が1868年。1874年は明治7年で、維新の三傑、西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允が存命の時代です。文明開化真っ只中の東洋の果てまでやってくるとは素晴らしい情熱です。当時は地球と太陽の距離が正確に分かっておらず、金星の太陽面通過の観測から導き出そうとしたのです。

 フランス隊は長崎に観測点を設定し、天候のリスクを避けるため、神戸に支隊を派遣しました。
 アメリカ隊は長崎。メキシコ隊は横浜市内で2ヶ所に分かれての観測を行いました。
 天候は、神戸と横浜が晴れ、長崎は曇り(雲越しに眼視で見えたそうですが写真撮影はならず)。

 後に長崎、神戸、横浜のそれぞれに、この時の金星観測の記念碑が建てられました。
 長崎ではフランス隊が観測点を設定した金比羅山の中腹、金毘羅神社の近くに記念碑があります。



 記念碑のある金比羅山へは、長崎東高を経由するバスを利用します。「東高下」のバス停で降りると近くに道標があります。住宅地の坂道を歩くこと15分、山道となってさらに5分。

 三角錐のピラミッド型の石碑が金星観測碑です。凝灰岩かと思いましたが砂岩とのことで、柔らかいため風化が激しく、表面に苔が生えているため判読が困難です。
 上部に円と点で太陽と金星を表わし、その下に大きな文字で「VENUS」、その下に「9 DEC…1874」と、これは観測日の1874年12月9日でしょう。その下も何か彫ってありますが「…SEN…」のみ判読。

 費の向かって右には横文字が、向かって左には漢数字、背面にはカタカナが彫ってありますが、深追いはしませんでした。先人が拓本を取って解読しているはずです。

 1993年に碑の存在を知って探しに行ったことがあるのですが、正確な場所を知らず、探しきれませんでした。今回は24年越しの訪問、しかもその間に実際の金星太陽面通過を挟んで念願を達成しました。

 金星観測碑の近くに1993年に発見されたレンガ積みの観測台が残っています。おそらく子午儀を据え付けるのに使用されたものではないかとのこと。こちらも合わせて県指定史跡になっています。
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Go West!(12月9日)

 九州新幹線直通の「さくら」。車両はN700系7000/8000番代。
 山陽・九州新幹線直通専用の車両で、8両編成。普通車指定席は4列シートで、「ひかりレースルター」用700系7000番代に似た仕様。一般的な新幹線の普通席は5列シートなので、4列だとずいぶんゆったりした雰囲気。

 山陽新幹線内では300km/hでかっ飛ばします。かつては編成数の限られた500系がしか出せない速度でしたが、今となってはN700系が何事もないように同じスピードで走っています。
# 国内の新幹線最速区間は東北新幹線宇都宮- 盛岡間の320 km/h(E5/E6系)。

 博多から先は初乗車となる九州新幹線区間。博多から先は在来線と大きくルートを違え、水城の隘路は通らずに背振山系をトンネルで貫いて、程なく新鳥栖。

 新鳥栖は長崎本線との乗換駅として新設された駅。お昼には少し早いのですが、朝も早かったので、駅弁の「焼麦弁当」を購入。字面から麦飯かと思ったのですが、焼麦は「しゃおまい」と呼び、つまりはシュウマイ弁当。
 「やきむぎ弁当ください」と言って「しゃおまい弁当ですね」と確認されたときに、中身を知りました。
 写真は撮りませんでしたが、シュウマイとほぐした鶏肉と卵を乗せたご飯で、割と好きなタイプの弁当。あとで知ったのですが鳥栖駅の定番弁当らしいです。

 新鳥栖から長崎までは「白いかもめ」885系特急電車。
 JR九州の車両らしく、凝った内装にワクワクします。



 振り子車両で高速でカーブに突っ込んでいくような運転なのかと思いきや、思ったほどにはスピードを出しません。長崎本線の線形がそんなによくないのでしょう。とはいえ非振り子の787系に比べると10分ほど所要時間が短いそうです。
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2017年12月02日

須磨アルプス

 天気もよかったのでちょっとアルプスに行ってきました。
 ヨーロッパアルプスでもなく日本アルプスでもなく、神戸の背山・須磨アルプスです。

 月見山駅から須磨離宮の脇を抜けて、沢を詰めていきます。横尾山の下に出るつもりが、堰堤を巻くときに尾根上に出る階段道に入ってしまい、栂尾山に登ってしまいました。激坂で体力を消耗して、いきなりヘロヘロに。ペース配分もありますが、基本的に登りで使う筋力落ちすぎ。

 須磨アルプスは相変わらず、ここが市街地から一時間もかからぬ場所かという岩だらけの風景。
 以前は平気で歩いたものですが、今では馬の背の鞍部を抜けるときはビクビクもの。

 この辺りは7千万年前に地下深くでマグマが固まった花崗岩が、100万年前から隆起して、そのときに両側から強い力を加えられたので摂理という規則的な割れ目が入っています。ここから風化が進んで、ボロボロの岩肌になっているわけです。
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2017年11月12日

富山→大阪

 北陸新幹線初乗車。正確には長野新幹線時代に上野から長野まで乗ってますが(東京からだったかな?)、金沢延伸区間は初めて。富山-金沢間が23分。速い!
 この車両はE7だったかW7だったか。

 これは、スーパーメカ・サンダーバードで、北陸の人々が大阪へ向かう、国際救助隊の物語である。
 元は特急「雷鳥」でしたが、新型車両の導入に伴って「サンダーバード」になりました。ライチョウの英名は"Rock ptarmigan"なのに、何で直訳(?)しちゃったのでしょう。
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富山の食べ物

 夜行バスを降りた富山駅にて。朝食は駅そばの立山そば。

 お昼は富山駅で調達した「ますのすし」を富山地鉄の車内で。駅弁フェアなどでおなじみの商品。

 ルマンドアイス。当時はまだ近畿地方では発売されていませんでした。味はまあ、想像の通り。

 翌日のお昼。宇奈月駅で調達した「炙りますのすし」。香ばしくて美味しい。

 午後。黒部市吉田科学館の自販機に入っていた「黒部の氷筍水」。長野・大町側から黒部ダムへ向かうトンネルの破砕帯で出る水を詰めたものだそうです。

 夕食。富山駅前で「富山ブラックラーメン」。醤油の量間違えたんじゃないかというくらい強烈に塩辛い。ご飯を別途頼んで、ラーメンをおかずにして食べるのがスタンダードだとか(本当か!?)。炭水化物+炭水化物+塩分過多。
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黒部峡谷電源開発の記

 山彦橋(1923年完成)と奥の新山彦橋(1986年)に完成。黒部峡谷鉄道の橋として山彦橋がかけられ、砂防ダムに伴うルート変更で新山彦橋に架け替えられました。旧橋は遊歩道になっています。
 
 宇奈月ダム(2000年完成)。重力式コンクリートダムで堤高97.0m。宇奈月温泉のすぐ上流にある国土交通省管轄の多目的ダム。宇奈月発電所(最大出力20,000kW)併設。
 黒部峡谷鉄道からはダム本体はトンネルの間から少しだけ見えます。写真は上流側からダム湖越しに撮影したもの。

 新柳河原発電所(1993年完成・最大出力41,200kW)。
 新柳河原発電所の位置には1926年に完成した柳河原発電所がありましたが、宇奈月ダムのダム湖に水没するための除去され、新たに新柳河原発電所が作られました。景観に配慮して欧州中世古城のような外観にしてあります。上流の出し平ダムで取水した水を落としています。

 宇奈月ダムと出し平ダムの中間にある黒薙駅から、関西電力黒部専用鉄道の黒薙支線が分岐しています。黒部川支流の黒薙川にある二見取水堰堤・黒薙発電所・黒薙第二発電所へ向かうルートで、旅客営業はしていません。トンネルの壁、素掘りですよねえ。
 右写真は後曳橋。黒薙川を跨ぐ水路橋で、旧柳河原発電所と共に建設したコンクリートアーチ橋。現在も出し平ダムで取水した水を新柳河原発電所へ送っています。

 出し平ダム(1985年完成)。重力式コンクリートダムで堤高76.7m。関西電力の発電用ダム。関電のダムでは最も新しいもの。黒部峡谷鉄道から全景が見える数少ないダム。

 赤い橋の場所に旧柳河原発電所に送水していた猫又ダムがありました。
 隣接するように黒部川第二発電所があります。1936年完成、最大出力72,000kW。戦前に完成した発電所としては大規模なものです。上流の小屋平ダムより取水。
 この一帯は1995年の豪雨で土砂に埋まり、現在も絶えず上流から土砂が運ばれてくるため、河道を確保するための工事が行われています。

 新黒部川第二発電所。1966年完成、最大出力74,200kW。上流の新黒部第三発電所で利用した水を再利用して発電しています。景観に配慮して発電設備は全て地中にあり、排水口だけ見ることが出来ます。

 黒部峡谷鉄道の線路に沿って、上端の丸まったコンクリート擁壁のような構造物が伸びています。これは「冬季歩道」。豪雪地帯に建設された黒部峡谷鉄道は雪崩の被害を避けるために、12月から4月中旬まで冬季運休しますが、この間も発電施設やダムの点検は必要で、そのための人道を確保しているものです。よく見ると四角い通気口がところどころに開けられています(雪で塞がらないのでしょうか)。
 特に雪崩のひどい場所では、沢に掛かる橋を撤去して前後のトンネルに格納して冬越しする箇所すらあります。トンネルの入口はシェルターの扉がついている徹底ぶり。

 小屋平ダム。1936年完成。関西電力の発電用ダムで堤高54.5mの重力式コンクリートダム。ここから黒部川第二発電所に送水しています。黒部峡谷鉄道からは手前の空き地に視界を遮られ、堤体の上半分だけ見ることが出来ます。
 ダム脇に半円形の不思議な建物が2対あります(写真は片方のみ)。これはダムからの送水管の水門だとか。

 黒部峡谷鉄道の終点、欅平駅の直下にある黒部川第三発電所。1940年完成、最大出力86,000kW。上流の仙人谷ダムより取水。太平洋戦争を控えた日中戦争の最中、軍需のための電飾需要を賄うために建設。

 ここから高さ200mのエレベータでトロッコを運び上げ、さらに奥の関西電力黒部専用鉄道につながっています。仙人谷ダム建設の資材運搬のために建設され、途中に岩盤が160度にも達する高熱地帯があったため、ダイナマイトが暴発する事故が多発する難工事となりました。
 吉村昭の「高熱隧道」はこの出来事を元に書かれています。

 この更に上流に黒部川第四発電所、通称「くろよん」と、くろよんに水を供給する黒部ダムがありますが、そちらを訪問するのはいずれまた先の話となりましょう。
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黒部峡谷鉄道

 黒部峡谷鉄道は黒部川中流の宇奈月温泉を起点に、発電所建設のための資材運搬用の鉄道として開設されました。
 1923年に工事が始まり、1926年に宇奈月-猫又間が開通。のち1937年に現在の終点、欅平まで全通します。
 レールの幅は762mm。日本の在来線は1,067mmで新幹線は1,435mmですから、ずっと小ぶり。レールの幅が狭ければ橋もトンネルも小さくて済み、黒部峡谷の厳しい地形に鉄道を通すにはそれしか選択肢がなかったのかもしれません。もちろん建設費も安くなります。
 もともと工事用の鉄道で、要望に応じて「命の保証はしない」旨の誓約書を取った上で本来扱わない旅客を乗せたとか。

 1953年に正式な鉄道路線として開業し、現在に至ります。設立の経緯から、関西電力の100%子会社です。

 この黒部峡谷鉄道、機関車が吹きさらしの客車を牽いて走ります。通称「トロッコ電車」。
 もちろんちゃんと窓の付いた普通の客車もあるのですが、こちらは「特別客車」「リラックス客車」として特別料金がかかります。
 せっかく吹きさらしの車両があるなら、風に吹かれた方が気持ちいいに決まってます。誰だってそう思うに違いありません。予約時は迷うことなくトロッコ車両を選びました。

 私は勘が良いので、予約した後すぐに気づいたのです。
 「11月半ばの黒部峡谷って、もしかして寒いんじゃない?」

 寒いどころか雨が降ったら悲劇です。星見用の防寒具と百均商品ながらレインコートを持っていきました。

 始発の宇奈月駅の朝。旅客列車の出発まで間があるのに、改札に大勢の人が並んでいます。
 これは時刻表に乗っていない「工事列車」。この鉄道の本来の目的を思い起こさせます。

 さて私の乗る旅客列車の始発。
 トロッコ1号車を指定されますが、他に誰も乗ってきません。ええと、もしかして1両貸し切り!?
 になりました。賢明なみなさんはちゃんと窓の着いた車両にご乗車です。そりゃそうですよね。
 防寒着を着込んで使い捨てカイロを仕込んで乗車。何の覚悟でここまでして乗るんだ。

 もともと工事用の軌道ということで、トンネルはほぼ素掘りのままの場所もあります。窓がないので腕を伸ばせば届いてしまいそうですが、これは客も分かって乗ってるということだと思います。

 黒部峡谷は紅葉真っ盛り。
 沿線の景色は素晴らしく、終点の欅平駅まであっという間の80分でした。
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2017年11月11日

生地の清水

 黒部市吉田科学館へ行く前に付近で面白そうな場所はないかと探して見つけたのが生地の清水。「清水」は「しょうず」と呼びます。

 時間があれば行ってみようと思っていたのですが、「剣の山」を見たら是が非でも行かねばと思いました。

 黒部市生地地区は黒部川扇状地の扇端にあります。扇状地は砂礫が積もってできた土地で、水はけがよく、流れてきた水の多くが地下に潜む伏流水となります。それが扇状地の末端(扇端)で再び地上に出てくるのが生地地区。
 20mほど掘ると、地下の伏流水に水圧がかかっているので、自噴井戸になるそうです。共用の洗い場として使われている湧水が約20ヶ所あるそうです。
 
 冒頭の写真は生地の集落の家々にある自噴井戸。扇状地の末端で水が湧くというのは知識としては知っていましたが、こうして目の当たりにすると感動です。

 生地の集落の中にある清水の一つ、「弘法の清水」。さすが弘法大師で同じ名前のものが複数あるのですが、ここは生地の中でも2番目の湧水量を誇るのだとか。
 少し飲ませて頂きましたが、美味しい。冷えてるというのもあるのですが、それを差し引いても美味しい。

 ペットボトルに少し分けていただいて、その日の晩にも味わいました。

 この水を普段の暮らしに使っているなんて、なんとうらやましいことよ。
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黒部川花崗岩

 黒部川の河口に最も近い下黒部橋のたもと。河原に下りて黒部川花崗岩を探してみました。
 前日からの雨のせいか水嵩が多く、石の転がる河原は少ししか見えていません。川原の石は黒部川花崗岩だらけなのかと思ったらそんなこともなく、様々な石が入り混じっています。花崗岩は判別できるのですが、ただの花崗岩と黒部川花崗岩の違いとなると、先ほど覚えたばかりの知識で流石に自信がありません。拾った石を後で科学館に展示してある黒部川花崗岩と比較して、やっとこ一安心。

 「パンダ石」とも呼ばれる黒部川花崗岩は、通常の白っぽい花崗岩にグレーの部分が混じっています。
 生成年代は80万年前。と聞くと古いようですが、神戸で身近な六甲山系の布引花崗閃緑岩は1億1000万〜6000万年前。黒部川花崗岩のほぼお隣の宇奈月花崗岩は2億5600万年前。
 お金に例えると、80円と11,000円と25,600円ですから、桁違いの新しさ。世界で一番新しい花崗岩とも言われています。

 花崗岩は地中深くでマグマがゆっくり冷えながらできるものですから、それが地上に出てくるまでには地殻変動やらで長い時間がかかります。80万年前に出来た花崗岩が地表というか山の上にあるのは(河原で拾いましたが、元は黒部川上流の山々にある岩石です)、それだけ短い時間に激しい隆起があったということ。
 所によってはまだ熱を帯びた部分もあるということで、それが発電所の建設や点検に使われている関電の黒部ルートの「高熱隧道」。

 地球の最も新鮮な部分の一つです。
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富山地方鉄道

 すごい名前の鉄道会社ですが、戦時中に富山県内の私鉄を統合して生まれた会社なのだとか。
 富山市内には市電が走っていて、従来の車両と最近流行りの低床車が入り乱れて運行されています。JR富山駅南の中心市街地の路線を環状線化したり、富山駅北に路線が伸びるLRTの富山ライトレールと富山駅の高架下を貫いて直通する計画が進められていたり、路面電車の元気な街です。
# ICカードがICOCAと互換性ないのには面食らいました。

 鉄道線はそれなりにひなびた雰囲気。富山地方鉄道オリジナルの車両もあるのですが、それなりに経年を経て、京阪や東急から移籍してきた車両が主力となっています。旧東急車以外は2扉転換クロスシートで、古いながらもゆったりしています。
 子どもの頃に見た図鑑で、白地にグレーとえんじ色の帯をまとったデザインが新鮮で、何となく覚えていたのでした。

 電鉄富山から新魚津まで富山地鉄本線で移動。車両のバネが効いてるのか路盤が弱いのか、たまに盛大な揺れを織り交ぜて(窓枠に物を置くと必ず転げ落ちる)進みます。
posted by ふくだ at 23:48| Comment(4) | 地図と地理と遠出