2021年06月25日

将門蕎麦

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 茨城県坂東市の蕎麦屋さんです。
 昔なつかし街のお蕎麦屋さんというお店ですが、メニューの中に「将門そば」があります。1500円で蕎麦お代りし放題。ふふふ、これは挑戦するしかありません。

 小ぶりの蒸籠が三段重ねの蕎麦。右脇の三段重ねの器は上段が天ぷら、中段はとろろ(山芋)、下段は山菜が入っています。それぞれ違う味付けで楽しんでねということでしょう。

 最初の三枚はツルッといけます。お店の人も慣れたもので、三枚目がもう少しで終わりそうな絶妙なタイミングでお代わりを聞いてくれます。引き続いてもう三枚追加。

20210625masakadosoba002.jpg しかし小ぶりの蒸籠に騙されてはいけないのです。実は見た目よりボリュームがある。
 最初にぱっと見て「八枚はいける」と思ったのですが、六枚でほぼお腹いっぱい。七枚まで行きましたが、それ以上食べると実家まで歩くのがしんどいので、美味しく味わえる範囲で終了。

 やっぱり地元の蕎麦はうまい。関西にいるとうどんを頼みますけど、東国は蕎麦ですね。おつゆは関東風の醤油の効いたしょっぱいやつ。これが蕎麦に合うんですよ。

 しかしネットで検索すると十枚以上食べた猛者がたくさんいるのですが、お腹のどこに入るんだろう。
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愛宕駅

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 東武野田線の愛宕駅。実家の最寄り駅(バス30分)で昔から利用していました。
 長らく高架化の工事をしていたのが2021年3月28日より供用が開始されました。すっかり忘れて乗っていたので、気が付けば途中から景色が変わってびっくり。

 俺の知っている愛宕駅ではない……

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 生まれたころからずっとあった踏切がなくなってしまったのは感慨深いものがあります。踏切のすぐ近くに信号があるので、車の列が滞るのは変わらないのですが、警報機の音が聞こえなくなっただけでも雰囲気がずいぶん違います。今の踏切跡は高架工事の仮線で、元の線路は高架の下にあったはずです。

 右写真はピンぼけになってしまいましたが、地上駅時代の愛宕駅の改札があった場所。旧改札は踏切のあった県道に向いていたのですが、新駅舎の改札は奥まった場所にあり、バスに乗るには少し不便になってしまいました……といっても徒歩30秒が3分になったくらいので、大した話ではありません。

 ちなみに解体された地上駅舎の奥にパチンコ店「宇宙センター」がありました。今や跡形もありませんが、なんで「宇宙センター」だったのかは今もって謎です。
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将門塚

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 2020年秋から改修工事が入って、すっかりきれいになった東京・大手町の将門塚。
 「将門の首塚」とも呼ばれ、京に晒された平将門の首が、関東に残された胴体と一つになるために飛んできて、力尽きて落ちたのがここだという伝説が知られています。

 もともと古墳があり、それがいつしか将門公を祀るものになったというところのようで、江戸時代は大名屋敷の庭になっていました。「塚」でなくなったのは関東大震災のあとのこと。
 大手町の一等地だけに、工事の手が幾度となく入るのですが、そのたびに死人や怪我人が出て取りやめになるという怪談話めいた逸話も知られていますが、こちらは割と近年流布されたもののようです。

 将門公を祭神とする神田明神が江戸の守り神である通り、もともと江戸の民の崇敬を集めていて、現在でも大手町の勤め人がひっきりなしにお詣りに足を運びます。人がいない状態で写真を取るのに苦労するくらいです。

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 整備前後の将門塚。
 以前は木が生い茂って鬱蒼とした雰囲気でしたが、改修後はほんとにきれいさっぱり。以前の雰囲気もありとは思うのですが、管理上は大変だったという話を聞きました。信仰の場が続くのであれば、21世紀の時代に合わせての新しい姿もよいと思います。

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 将門塚の位置ですが、地下鉄大手町駅のC5出口から直結。周囲のビルは三井物産と三井不動産の再開発で"Otemachi One"という名前に変わっています。
 ちなみにこの案内板に広告を出しているのが神田明神なのが行き届いてます。
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2021年06月24日

神戸→羽田

20210624ukbhnd003.jpg 駅名が「京コンピュータ前」から「計算科学センター」に変更されたポートアイランド2期地区の駅。スーパーコンピューターは数年で入れ替わるのでどうなるのかと思っていたら、10年で改称となりました。
# ちなみに開業当初は「ポートアイランド南」駅でした。

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 ポートライナーの車内表示。
 中国語だとシンプルに「計算科学中心」ですが、英語だと副駅名まで表示してえらく長いことになっています。読みにくいというか読みきれないのでは。

20210624ukbhnd004.jpg 神戸から羽田へのフライトはA320。以前はB777が投入されていた便ですが、昨今の情勢下で比較的小型の機材に変わっています。アナウンスによると機材の変更が2回あったらしい。

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 梅雨時で雲が多く、景色はあまり楽しめませんでした。
 三保の松原と富士山。

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 主翼の脇の席だったのでフラップを眺めていました。
 上2枚が神戸空港の離陸時。
 下2枚が巡航時と羽田空港の着陸時。着陸時のほうが全開に開くのですね。なお着陸時に上に開いているのはエアブレーキのスポイラーです。
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2021年04月13日

三条大橋と池田屋と本能寺

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 東海道の終点、三条大橋。
 現在の橋は鉄筋コンクリート造りですが、高欄は昔ながらの木製です。
 橋の西側には『東海道中膝栗毛』でお馴染み、弥次さん喜多さんの銅像。タイトルだけは有名な本ですが読んだこと無いなそういえば。

 ちなみに現在の国道1号線は大阪の梅田新道交差点(大阪駅の近く)、東海道本線は神戸のJR神戸駅が終点になっています。関西の中心地が京都から大阪へ移ったこと、鉄道は重要港湾の神戸まで結ぶ必要があったことなど、東西の大動脈も時代によって範囲が変わります。
 徳川家康の江戸開府以前は、京都と太宰府を結ぶ西国街道こそが日本第一の幹線だったわけですし。

20210413kyoto090.jpg 新選組の斬り込みで知られる池田屋の跡も三条大橋の西側すぐのところです。
 以前はパチンコ屋になっていたのですが、そののち居酒屋になりました。全く記憶が飛んでいるのですが、居酒屋になったあとで私、一度寄っているのです。加齢というのはこういうことか……

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 日本史が続く限り名前が刻まれるお寺のランキングがあれば、必ずトップ5に入るであろう本能寺。
 現在は京都市役所から御池通を挟んだ南側にありますが、元は四条烏丸と二条城の中間にありました。本能寺の変で焼けたのち、豊臣秀吉の命で現在地へ移転してきたものです。
 写真は河原町通に面する裏手の門ですが、境内に入ると塔頭がたくさん並んだ大寺院でびっくりします。

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 境内の自動販売機もオリジナルデザイン。「能」の字の右側が少し違う字体なのは、5度も火災に遭ったので「ヒ(火)」を避けたのだとか。
 お寺のサイトを見ると、天文法華の乱に本能寺の変に蛤御門の変……うわぁ。よくぞこれだけ大事件に巻き込まれたものです。
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方広寺と豊国神社

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 豊臣秀吉が奈良の大仏にならって建造をはじめたのが京の大仏。当時は三好・松永の兵火で東大寺は焼け落ちた状態で、それに代わってという意図もあったやもしれません。

 慶長伏見地震やら大仏鋳造時に出火するやらで完成は秀頼の代になるのですが、豊臣家が滅亡した後も大仏は被災と再建が繰り返され、1798年の落雷による焼失後は当初の規模の形での再興はなりませんでした。
 江戸初期に描かれた洛中洛外図屏風には、この方広寺の大仏殿を描いたものもあります。250年の江戸時代のうち200年近くは大仏があったわけですから、京の名所としての認知も大きかったのでしょう。

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 京都国立博物館の敷地西側と平成知新館の前に大きな石を積み上げた石垣があり、これが方広寺大仏殿の回廊の土台になります。

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 かつての方広寺大仏殿の跡地に築かれているのが豊臣秀吉を祀る豊国神社。秀吉は死後に「豊国大明神」の神号を与えられ、神社が作られるのですが、豊臣家が滅亡した後に廃止されてしまいます。現在の豊国神社は明治になってから復興したもの。
 見るからに桃山様式の唐門があるので時代はどうなってるのかと思いきや、元は伏見城の唐門が二条城→南禅寺と移築されていたものを、再建時に持ってきたものだそうです。

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養源院

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 養源院は蓮華王院の東向い、法住寺の北隣にあります。
 「血天井」と大書された何やら物騒な立て看板があり、これだけなら通り過ぎるところでしたが、案内板を読んだら浅井長政公の菩提寺ということで、ならばとお参りしていくことにしました。

 浅井長政は戦国時代後期の北近江の領主で、織田信長の妹、市の方を娶ったことで知られています。政略結婚ながら夫婦仲も睦まじかったと伝えられますが、後に長政は信長に反旗を翻し、居城の小谷城で自害。長政と市の間に生まれた三人の娘は、それぞれ数奇な運命をたどることになります。

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 浅井長政の菩提寺が何故ここにあるのか不思議でしたが、発願が淀の方と知って納得。長政と市の長女の茶々は豊臣秀吉の側室となり、後に淀の方と呼ばれるようになります。長政の二十一回忌に際して、方広寺の一角となるこの地に菩提寺を建てたのです。

 のち1617年に養源院は火災に遭い、既に大坂の陣で淀の方が亡くなった後でしたが、徳川秀忠の正室となっていた茶々の末妹の江によって再建。現在に伝わるのはこの再建時に伏見城の建物を移築したもので、国指定重文。

 門前の看板にある血天井は、関ヶ原の戦いの前哨戦となった伏見城の戦い由縁のもの。
 秀吉の死後の伏見城は徳川家康の管理下に置かれており、関ヶ原の戦いの前哨戦で西軍に攻め落とされました。この時の徳川方の将兵が自害した建物の床板を供養のために天井板として利用しています。

20210413kyoto065.jpg 本堂内の杉戸には俵屋宗達が描いた象や唐獅子・麒麟が残されており、観光的にはこれが目玉になっています。床は鶯張りで左甚五郎の作だとか。ふらっと寄ったにしては見るもの多すぎます。

 お寺の方が熱心に案内してくださり、帰りは閉門時刻を過ぎていて、潜り戸の方から退出したのでした。こんなん開けたの初めてだわ。
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法住寺と後白河天皇陵

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 蓮華王院の向かいの一角に法住寺があります。
 かつて後白河法皇の御所として名を馳せた法住寺殿は、木曽義仲に焼かれてしまいました。法皇が没すると陵墓がその一角に築かれて、法住寺はそこを守るお寺となりました。
 明治の廃仏毀釈で陵墓とは切り離されるのですが、敷地は今でも隣接していて、お寺は庶民的な佇まいで今も続いています。

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 この宮内庁の看板を見ると陵墓という気分になります。
 宮内庁によると方形のお堂が建っているそうです。配所からは窺い知れませんが、元は法住寺殿の法華堂のはず。

 後白河院も大変な人で、即位直後に保元の乱の当事者となり、平治の乱で幽閉され、その後の平氏政権では平清盛と協調したり対立したり幽閉されたり都を福原に移されたり戻されたり、やがては源平合戦のうねりの中で比叡山に逃れたり木曽義仲に幽閉されたり、源義経に頼朝を討てと言ったり頼朝に義経を討てと言ったり、最後には源頼朝と駆け引きを繰り広げて「日本一の大天狗」と言われたり。

 政治的には軸足の定まらないと評される人ですが、それだからこそ公家から武家へ政治の実権が移行する難しい時代を泳ぎ切ったといえるかもしれません。摂関家が力を失い、平家が没落し、源氏が東国を取りまとめつつある中で朝廷の権威を保ち続けたのは、後白河院の個性あってこそだったのだと思います。

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 廃仏毀釈までは寺院と陵墓が一体化していたので、現在も陵墓の参道に法住寺の名が入った手水鉢がありますし、お寺の門の一つは御陵の正門でした。そもそも後白河法皇は出家されて仏式で葬られているので、切り離すほうが不自然で、廃仏毀釈は本当に無茶をやったものだと思います。

 右写真の門の右側に丸い石碑がありますが、これには後白河院が今様を集めた『梁塵秘抄』の一節、「あそびをせんとやうまれけん」が刻まれています。
遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそゆるがるれ
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蓮華王院三十三間堂

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 京都の名所中の名所「三十三間堂」。実は私、今に至るまで行ったことがありませんでした。京都の地理は疎いので、今回、京都国立博物館に行こうとして、博物館の隣が三十三間堂と知ったのでした。さすがにこれは参詣する他ありません。

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 京博の南門から三十三間堂方面を望む。道の向こうにデンと建物がありますが、三十三間堂の南大門だそうです。ふつうに車が走ってるし、公道やんか。

 三十三間堂の敷地に入って気付いたのが「法住寺殿址」の石碑。ここ後白河法皇の法住寺殿だったのか。
 三十三間堂の正式名の蓮華王院、そういえば平清盛が建てたんだっけ。現地に来て初めていろいろ思い出しました。バラバラに散らかしたままの知識って役に立たないですね。そうと知っていればもっと早くに足を運んだものを。

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 それにしても三十三間堂というだけあって長いお堂です。三十三間だから1間≒1.8mで大体60mくらい……もっと長くない!? と思ったらそのとおりで、33は長さの間でなく仏像を祀ってある部分の柱間の数。建物の長さは118mあるそうです。長い。

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 裏に回ると玄関部分の出っ張りがないだけに更に長さが強調されます。正月に行われる弓道大会の元になった「通し矢」はこの裏手の軒下で行われました。この距離を射通すとは恐るべし。野球でいえばホームベースから弾丸ライナーでセンターフェンス直撃ですよ。
 こちら側の柱は半分だけ鉄板が巻いてあるのですが、外れた矢が柱に当たって損傷するのを防ぐためだそうです。ちなみに現在の正月の弓道大会は半分の距離、だいたい60mで行われているそうです。それでも十分に遠いと思います。

20210413kyoto033.jpg 創作物では吉川英治の『宮本武蔵』で、武蔵と吉岡伝七郎の決闘の舞台となったのが三十三間堂です。蓮華王院の決闘。
 優雅な和様の建物ですが、どこか武者とのつながりを思わせるのは、こうしたエピソードの故でしょうか。

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2021年04月04日

加賀往復と小松散歩

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塩屋0525<普通高槻行>0620大阪0621<快速米原行>0654京都0700<湖西線近江今津行>0806近江今津0814<湖西線福井行>0846敦賀

 京都からの湖西線は緑に塗られた117系電車。国鉄時代の生き残りで当初は看板列車の新快速に投入されていました。当初は2ドアの転換クロスシートで、現在はドア周辺がロングシートに改造されています。
 先般、関東で引退した185系とは車体断面と足回りが共通の兄弟車。西日本のことですから当分は現役でしょうが、さすがに内装は古さを感じました。

 右写真は近江今津で乗り換えた521系で、北陸の電車はこれが中心。現在の新快速車両の223/225系とだいたい似たような雰囲気の作りです。似たような電車ばかりだと写真映えはしないのですが、旅行者としては車内が快適ならそれでよし。

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敦賀0903<サンダーバード5号>1007小松1014<北陸線金沢行>1020能美根上

 敦賀駅のホームのベンチには恐竜が座っていました。
 雨で薄暗かったこともあり、遠目には「変な姿勢の人が座ってるなぁ」と思っていたので、ベンチに近づいてびっくりでした。コンコースならともかくホームの椅子でやるかこれ(笑)。

 敦賀から小松までは特急サンダーバードで「ワープ」します。根上学習センターの11時のプラネタリウムに間に合わせるには、18きっぷで始発で出ても間に合わず、1時間ほど時間を稼ぐ必要がありました。18きっぷと別にここだけで3,840円。でももう一度出直すことを考えれば割に合う出費です。

能美根上1233<北陸線小松行>1240小松

 このあたりの北陸本線は県都金沢の近郊とあってか、日中でも1時間に2本は普通列車が走っていて助かりました。多少は予定がずれても30分刻みなら後の調整をしやすいのです。

20210404neagarikomatsu209.jpg20210404neagarikomatsu415.jpg 小松行きの下調べをして初めて知ったのですが、歌舞伎の「勧進帳」の舞台の安宅の関、実は小松にあるのでした。

勧進帳 | 歌舞伎演目案内 – Kabuki Play Guide –
歌舞伎「勧進帳」|おはなしのくにクラシック(NHK for School)

 登場人物は実在ですが、勧進帳のくだりは軍記物の『義経記』が初出。義経記では富山の小矢部川の如意の渡しが舞台ですが、能や歌舞伎では小松の安宅関に移されています。
 子どもの頃に家にあった牛若丸の本にも勧進帳の件が載っていましたし、義経を主人公としたドラマでは終盤の見せ場ですから、歌舞伎を見たことがなくてもエピソード自体は割と知られたものだと思います。

 晴れていればレンタサイクル借りて行くつもりだったのですけど、なにせ本降りの雨でしたから、今回はさくっと諦めました。

20210404neagarikomatsu210.jpg 小松の名前を最初に知ったのは航空自衛隊の小松基地です。F-15の拠点ですが、私自身は飛んでいるイーグルは見たことがありません。晴れていれば(以下略)

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