2025年12月10日

兵庫県立考古博物館(11月29日)

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 久しぶりに兵庫県立考古博物館。バックヤードを見学できる(上からですが)の知らなかった。分類しているのか、くっつくものは接合しようとしているのか、見るからに大変そう。神戸市の埋蔵文化財センターを見学したときは「やりたい」と思いましたが、この量を見ると「うへぇ」と思ってしまいます。

20251129kokohaku003.jpg 地層の剥ぎ取り標本の解説。姶良カルデラの噴火、飛んできた火山灰(姶良Tn火山灰)は兵庫県の辺りでも10cmくらい積もってるのか。噴火の時期はここの解説では2万5千年前ですが、近年では3万年前とされています。既に日本列島に人類が来ていた時代で、姶良Tn火山灰の下からも石器が出ています。

 その上に喜界カルデラ(約7,300年前)の火山灰層があるはずですが、ここでは展示されていません。もしかしたら耕作されちゃったかも(推測)。


20251129kokohaku004.jpg 縄文人のみなさん、ドングリは湿地帯の穴に水漬けして保存したそうです。発芽しないのか心配になりますが、水浸しで空気を遮断してるから芽は出ないですね。水を吸っているから、すぐ煮炊きに使えて悪くないかもしれません。

20251129kokohaku014.jpg タコ壷を展示しがちな瀬戸内沿岸の考古系展示。神戸市立博物館にも神戸市埋蔵文化財センターにも明石市立文化博物館にも尼崎市歴史博物館にもタコ壺が展示されています。揃いも揃ってイイダコばかり。

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 火おこし体験をやっていたので参加。木の棒をぐりぐり回して摩擦熱で発火させます。
 よく見ると、あえて固さの違う木を擦って、柔らかい方の木が削れて出たおがくずが、まず赤熱して燃え出します。この段階では炎は出ていないのですが、赤熱したおがくずに麻の繊維をほぐしたものを付けて炎を上げたら一段落。

 両手で木の棒をぐりぐり回しても熱くなるだけですが、紐を使って木の棒をぐるぐる回すと意外に簡単に煙が立ちます。そこから火が付くまでが大変で、4〜5回挑戦したのですが、ちゃんと着火したのは1回だけでした。これはまだ火打ち石の方が楽です。
 やってる間は気が張っていたのですが、終わった途端に全身に疲れが……

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 石斧で削り出した丸木舟がゴロリと展示されていたり、体験教室でつくった弥生土器が展示されていたり。縄文でも弥生でもいいので、土器は一度作ってみたいなあ。
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2025年12月09日

明石市立文化博物館 企画展「船上城から明石城へ」(11月29日)

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 2025年度の明石市立文化博物館の予定のでいちばん楽しみにしていた企画展「船上城から明石城へ」。「発掘された明石の歴史展」というシリーズものの企画展で、今年は城郭にスポットを当てたのでした。

 船上城は現在の明石城が築かれる前の明石の中心だったお城です。
 明石川の西側、船上町の一帯にあった城で、1585(天正13)年に明石に移った高山右近によって築かれました。現在の明石城は大坂の陣の後の1619(元和5)年に築かれたものなので、それまでの明石の中心は船上城にあったことになります。
# 当時の資料では船上城の名は使われていなくて、後世の名称。

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 船上城の縄張りはよく分かっていないままで、文博が展示をやるならさぞかしと思って期待して行ったのですが、未だよく分かっていないことが分かりました。
 城跡の一帯からは城郭にまつわる建物があったことをうかがわせる瓦も出ていますし、織田→羽柴と長く摂津で活躍してきた高山右近の築城ですから、年代からしても織豊系城郭だったと思うのですけど、今の明石城を作るときに資材はだいぶ転用してしまったのか。

20251129bunpaku002.jpg でも船上城の本丸跡と言われている場所は標高の低いところで、おそらく城の中心でなく、もう少し標高の高いところに主郭があり、「本丸跡」は二の丸か三の丸ではという解説は説得力あります。

 個人的に明治時代の地籍図があれば景観復元できると思っていて、明石市立図書館に資料があるか探しに行ったことがあるのですが、開架の郷土資料にはなく、図書館業務が指定管理に移った後で詳しい司書さんもいらっしゃいませんでした。あるかどうかも分からない古い地籍図を見に法務局まで行くのも面倒だなぁと、そのまま放置。

20251129bunpaku004.jpg そしたら図録に、地籍図から船上城の景観復元を試みてる解説がありました。県立考古博物館の方だった。先を越された(対抗してどうする)。
 それによると現在の本丸跡の南側に曲輪が復元できるそうで、ただ船上の集落との境界ははっきりしないのは課題とのこと。これはもう掘ってみないと分からんね。

 ということで爆売れ!らしい図録をお迎え。いや1,000円でこの内容はお買い得ですよ。

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2025年12月06日

水月年縞2025 記念講演会(11月23日)

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 「水月年縞2025記念講演会」ということで、水月年縞プロジェクトのリーダー中川毅先生と年代学者の大森貴之先生の講演会。
 おそらく地元では何度もこうしたアウトリーチの機会を設けてこられてきたのか、聴衆も近隣の方が多いようで、アットホームでざっくばらんな雰囲気。

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 前半の中川先生は、水月湖の年縞掘削の歴史を振り返ります。
 2025年の掘削にまつわるエピソード。掘削やぐらも大きくなり、パイプの設置方法も工夫して作業もさらに効率化。水月湖の年縞自体が地元に浸透してきて、掘削を始める前に式を開いたり、掘削中は遊覧船がやぐらの周りを巡っていったり(この日の午前中に遊覧船で聞いた話だ)。
 科学者を料理人に例え、素材がよくないと美味しい料理が出来ないということで、料理人(コアを分析して論文を書く)よりも、よりよい素材の魚を捕ってくる漁師(コアを掘削する)の仕事ばかりしてきた、と。出発点の素材がよくないといかに後の分析を頑張ってもよい成果が得られない。素材を得るところに手間暇をかけない研究者が増えてきている最近の流れは残念。
 というようなところが印象に残っているのですが、ステージの手前に並んだ謎の機械は何なんだ!?

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 そんな中で漁師役を担う「期待の若手でライバル」と紹介されたのが大森貴之先生。
 「今の所属が東大なので言っても分かってもらえないんですけど、頭はそんなにいい方ではなくて、でも工作は子どもの頃から大好きで誰にも負けなかった」「手先が器用な人は自分が器用だって分かってるんです」って何の話が始まるんだ。

 研究、とくにコアの分析では、水月湖の年縞から回収した植物の年代測定の誤差を少なくする話。放射性炭素年代測定は5万年前までの年代を測れるのですが、測定限界に近付くほどC14の量が減るので、誤差の幅が大きくなります。「器用な私ならもっとうまく測れるのでは(意訳)」と挑んだら、最初は既に公表されているデータに全く及ばないひどい測定値で、奮起して研究室のメンバーと議論を重ねながら測定方法を改良して、驚きの精度を達成し、論文をまとめている最中だそう。ちらっと測定値のスライドを紹介されたのですが、パッと見でエラーバーが分からないくらい。
 水月湖の年縞が放射性炭素年代測定の基準に採用されてから10年以上経つのですが、まだ精度の向上に挑んでいるのも驚きですし、そしてそれを実現しつつあるのも驚きです。

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 ステージの前に置かれた長机には次々にいろいろなものが運び込まれ、休憩時間には2025年掘削で掘り出したコアから採取した5万年前の葉っぱが出てきました。
 「シャカシャカ振ったりしなければ手に取っていいですよ」とのことで間近に見ましたが、昨日うらの林で拾ってきたと言っても通じそうな新鮮さというか残存度のよさ。

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2025年11月22日

若狭三方縄文博物館

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 若狭三方縄文博物館訪問。実は2024年の1月にここに来たことがありますが、その時は空調機器の改修で長期の臨時休館。隣の年縞博物館だけ見てきたのでした。

20251122mikatajomon007.jpg 今や年縞博物館の方が取り上げられる機会が増えてきましたが、若狭三方縄文博物館も半地下のかっこいい建物。地下一階に縄文時代後期のスギの大木の株(埋没林だったもの)が展示されているのですが、建物が出来たあとでは搬入できないので、先に置いてから建物を作ったという曰く付きのもの。

 三方湖畔の縄文遺跡としては鳥浜貝塚が知られていて、湿地帯の遺構のため木製品をはじめとする有機物が良好な状態で残っており、縄文人の生活の様子が塗り替えられたそうです(私が生まれる前から発掘しているので本で読んだ知識)。鳥浜貝塚の出土品の多くは国指定重文となり、指定を受けたものは福井県立若狭歴史博物館に収蔵されています。
 水に浸かっていると腐りやすそうな気がするのですが、しっかり水没していれば空気を遮断した状態なので、有機物を分解する細菌がお仕事をしないのですね。

 また鳥浜貝塚と隣接するようにユリ遺跡があり、こちらは多くの丸木舟が出土しています。
 三方縄文博物館の展示室の冒頭がこの丸木舟で、9艘分も並んだ丸木舟は圧巻。鳥浜貝塚で見つかった2艘とあわせて11艘は同一地域の出土としては日本タイ記録。

 そんなこんなで、漆製品から繊維製品から食べ物の残りまでたくさん出てきたおかげで、縄文人の生活の様子が豊かに復元されたのです。

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2025年11月16日

徳川美術館 特別展「国宝源氏物語絵巻」

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 名古屋・徳川美術館の特別展「国宝 源氏物語絵巻」を見てきました。

 紫式部の記した『源氏物語』は日本古典の名作ですが、これを絵巻物に仕立てたのが『源氏物語絵巻』です。
『源氏物語』が書かれたのは11世紀前半の藤原道長が権勢を振るった時代ですが、『源氏物語絵巻』の成立はそれから一世紀を経た12世紀前半と考えられています。およそ白河院・鳥羽院の院政期です。

 かつて東京国立博物館で開かれた「日本国宝展」に『源氏物語絵巻』が出陳されていました。それでなくても教科書で見るような名品に圧倒されていたのですが、中でも『源氏物語絵巻』は千年を経てなお残る鮮やかな色彩が強く印象に残りました。古美術の絵画は写真で見る方が綺麗に見えたりするものですが、素人目にもびっくりするくらいに綺麗だったのです。

 あれから幾年月。
 徳川美術館の開館90周年記念展で『源氏物語絵巻』の全館一挙公開が行われるということで、名古屋まで出かけたのでした。
 前の週も豊田市博物館の「深宇宙展」と、とよた科学体験館での上坂浩光監督の講演会に行ったばかりで、どちらか一週ずらしてくれたら一度で済んだものを、二週続けて愛知まで出かけることに。

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 徳川美術館も前回の企画展「尾張徳川家 名品のすべて」を見に行ったばかりで2ヶ月連続。
 実は源氏物語絵巻の全巻公開は開館80周年時以来の10年ぶりで、徳川美術館の公式サイトには「過去の開催時には、展示室への入場まで最長で約3時間の待機列が発生」などと恐ろしいことが書いてあります。夕方に行って時間切れになってはいけないと、多少混むのは承知で朝一に出かけることにしました。

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 10時開館のところを9時に着いて、博物館の前には既に100人ほどの列。9時40分を過ぎた頃には入館が始まり、チケットを確認して展示室前のロビーまで移動します。館内で長時間待つことを想定してか、休憩場所(もちろん展示室外)では水分補給可という、博物館では異例のアナウンス。
 少し繰り上げて09:57に展示室オープン。

 徳川美術館は、新館の常設展示室→蓬左文庫展示室→本館展示室という流れになっていて、蓬左文庫展示室では企画展の「尾張家臣団」、本館展示室で特別展「国宝源氏物語絵巻」が開催されています。ふだんの徳川美術館なら一応の見学ルートはあるものの、行き来は自由ですし、再入場も可能。しかし今回は混雑を見越して一方通行で再入場も不可。

 常設展示室は先月見たのでスルーして(常設の第5展示室に源氏物語の関連資料が展示されていたのでサッと見学)、蓬左文庫の企画展も涙を飲んでサッと通り抜け(絵図は好きなのでササッと見た)。
 とにかく今回は「国宝源氏物語絵巻」に絞っての見学と定め、特別展の部屋にたどり着いたのは10:05でした。

 展示は源氏物語の順番通りに絵巻が配置されていますが、最初が第15帖の「蓬生」(末摘花が出てくるところ)、続いて第16帖の「関屋」(空蝉が出てくるところ)から一続きの巻物になっている第17帖「絵合」の詞書の次は、第36帖の「柏木」まで飛んでしまいます。
 国宝源氏物語絵巻は19面の絵が残っているのですが、光源氏の若い時代は2面、壮年期の柏木から御法までが8面、宇治十帖が9面と後半に偏っています。

20251116tokubigenji_023.jpg 「柏木」は悲劇的な場面が多いのですが、絵の状態もよく、光源氏が薫を抱き上げる場面は今回の特別展のキービジュアルにも使われています。
 「御法」からは小康状態になった紫の上が明石の中宮を挟んで光源氏と対面している場面が描かれているのですが、現存している絵で紫の上が出てくるのがこの一枚。
 「横笛」と「夕霧」には雲居の雁が出てくるのですが、拗ねてる場面だったり手紙を奪おうとする場面だったり、扱いが何というか、とても印象的。
 宇治十帖では「橋姫」で薫が八の宮の娘の姉妹を垣間見る場面で、いかにもここから物語が動き出す感がよいです。
 それだけに前半の華やかな部分が失われているのは惜しいことで、明石の御方や光源氏の六条院の場面はどのように描かれていたのだろう。もっとも顔で人物を判別するのは私には無理……

 とかく絵ばかりが注目されがちな国宝源氏物語絵巻ですが、絵と絵をつなぐ詞書きも絢爛で、金箔銀箔を散らした料紙に見事なかなの書で物語が書き綴られています。正直、一行で一文字も判別できるかどうかですが、綺麗なのは素人でも分かります。
 特に「鈴虫」から「御法」の辺りは散らし書きや細い筆致が入り交じって、読めないのですけど綺麗。あとで図録の解説を読んだら「鈴虫」を含む「柏木」から「御法」の部分は同じ人が書いたのだろうということです。
 国宝源氏物語絵巻の詞書は5種類の筆跡があるそうで、さすがに全部は分からないにせよ、くせが違う書が混じっているのは分かります。

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2025年11月03日

大阪市立美術館 特別展「イタリア館の至宝 天空のアトラス」

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 大阪市立美術館の特別展「イタリア館の至宝 天空のアトラス」を見学。大阪・関西万博のイタリア館は、「芸術はいのちを再生する」と本国から会期中も次々と美術品を運び込み、屈指の人気パビリオンとなりました。
 その中でもシンボル的存在だったファルネーゼのアトラスを初めとする4点の作品を再構成したのが今回の特別展です。万博会期中は連日5時間を越える行列ができ、あまりの混雑に見学をあきらめた人も多いイタリア館の「延長戦」的な展覧会です。

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 特別展のタイトルにもなっているファルネーゼのアトラスは1546年頃、ローマのカラカラ浴場跡で発見。
 後に名門貴族のファルネーゼ家が収集し、その宮殿に飾られていたため「ファルネーゼのアトラス」の名があります。

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 2世紀(紀元150年頃)の像ですが、発見時に残っていたのは天球と胴体・顔の一部。
 手足などは16世紀の後補で、お尻や腕の付け根に修復の跡があり、よく見ると違う大理石を使っているのが分かります。後で補った部分もルネッサンス期の彫刻なので、違和感を感じないほどに修復時の技術水準が高いのでしょう(推測)。

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 彫像の題材はギリシア神話。オリンポスの神々との戦いに敗れた巨人族のアトラスは、罰として天空を背負う役目を命じられました。
 天空は天球儀として表されています。天球儀は地球儀の星空版といったもので、天を球体に見立てて、星座を球の表面に描いています。地球は天球儀の中心にあり、内側から星空を見ている設定。天球儀は外側からの視点なので、描かれる星座は裏像になっています。

 ファルネーゼのアトラスは、古代ギリシアの彫刻を元にローマ時代に作られた模刻と考えられています。ローマの人たちはギリシアの文化を大切にしたので、ギリシア彫刻に範をとったローマン・レプリカといわれる彫刻がたくさん作られたとか。
 このファルネーゼのアトラスが担いでいる天球儀が、現存最古の天球儀とされています。

 現在、日本国内では300余りのプラネタリウムが設置されていますが、プラネタリウムは星空を表現する機能と惑星の動きを再現する機能の組み合わせから成り立っています。その星空を表現する機能の源流は天球儀にあり、ファルネーゼのアトラスはプラネタリウムの祖先の一つに位置づけられています。

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 当時使われていたトレミー(プトレマイオス)の48星座のうち、天球儀に刻まれて今も残る星座は42あります。残る6星座のうち、こぐま座とおおぐま座の2星座は欠損、や座・こうま座・さんかく座・みなみのうお座の4星座は刻まれていません。や座・こうま座・さんかく座は比較的小さな星座で、みなみのうお座はアトラスの肩のマントに接して隠れる部分にあります。

20251103osaka_atlus_122a.jpg 少し離れた場所から天球儀を見ると、球体が少し潰れているのが分かります。これは天球儀の頂部が欠落しているためで、こぐま座とおおぐま座はこの欠落部にあります。
 頂部の欠落部には天球儀を穿つように円筒状の穴が空いていると言いますが、万博イタリア館でも今回の大阪市立美術館でもその様子を見ることは出来ません。
 ファルネーゼのアトラスを上から撮影した写真は検索でもなかなか出てこなくて、唯一見たのが下記のTwitter投稿の写真です。
 https://x.com/aju_kukan/status/1913216050008924409

 全くの当て推量ですが、天球儀に穴を空けたのは重量軽減のためで、本来は穴を塞ぐような蓋のパーツがあり、そこにこぐま座とおおぐま座が刻まれていたのではないかと思います。

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2025年11月02日

奈良文化財研究所平城宮跡資料館

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 せっかく奈良まで来たのでもう一ヶ所くらいと奈文研(奈良文化財研究所)の平城宮跡資料館へ。
 宮殿のくらしを復元したコーナーがあり、今年2025年の正倉院展に出ている鳥毛篆書屏風と木画紫檀双六局の復元品が展示されています。あの屏風こんな色だったのか……と思っていたら奈文研からの訂正投稿がありました。奈文研でも間違えるんだ。

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 企画展は「ナラから平城へ」。怪獣映画みたいなビジュアルのポスターですが、平城京が出来る前の奈良にスポットを当てた展示。

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 後に都が出来るような場所ですから、基本的には住みやすい土地だったはずで、平城京の発掘でもそれ以前の石器時代や縄文・弥生の遺跡が下層から出てきます。
 この辺りだと二上山のサヌカイトが石器の材料としては手近だと思うのですが、いろいろな石材を使っていたみたい。ポスターのビジュアルに使っている石器の接合資料はなんなんだろう。サヌカイトだともう少し黒っぽい気がするけど、割れ方はサヌカイトっぽい気がする(素人の推測)。

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 教科書に載ってる土器。山川出版社の日本史なら採用している学校が多いはずなので、見たことある人も多そうです。古墳時代の土師器は全国各地から膨大な量が出土していそうだけど、何が教科書に採用する決め手だったのでしょう。
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2025年10月26日

第77回正倉院展(2025年度)

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 奈良の秋の深まりを告げる正倉院展。2025年度で第77回を迎えています。

 今回の目玉はなんと言っても「瑠璃坏」。
 環形の飾りを周囲に施したグラスは、星のように気泡を含んだ澄んだ青ガラス。銀製の台座はやや黒ずんで落ち着いた姿ながら、目を凝らすと精細な龍の彫刻が刻まれています。いかにも日本離れした意匠は、「シルクロードの終着点」を象徴する、正倉院宝物を代表する逸品。

 展示の大トリ、西新館の最後の部屋を一つまるまる使って瑠璃坏を展示していました。
 360度全方位から見ることが出来る四角いガラスケースを部屋の中央に配し、細く絞ったLEDの照明で直上から瑠璃坏を照らし出します。グラスを透過した青い光がケースの底に複雑に模様を描き、息をのむような光景でした。日曜の午後で、人出は少なくないのですが、のんびり構えていれば人も入れ替わり、割と近くでじっくり見ることが出来ました。目線を水平に合わせたときが、写真でよく見る色合いに一番近い印象。見上げるような角度で見ると、透過光の青が素晴らしく美しい。

 瑠璃坏の出展は2012年以来13年ぶり。前回は西新館の最初の部屋をやはりまるまる一つ使っての展示で、列に並んでゆっくり進みながら眺める形でした。今回の方がずっとじっくり見ることが出来たのですが、一つは照明の技術がよくなっていることと、もう一つは日時指定入場が定着し、混み具合もある程度は抑制した状況での見学になったことが大きいと思います。
 定員が出来たようなものなので入館料が上がるのは止む無しですが、土日祝の券は早めに売り切れるのでフラっと行けなくなりました。

 面白かったものをいくつか挙げると、「天平宝物筆」と「縹縷」。天平宝物筆は大仏開眼の儀式で用いられた特大の筆で、天平創建時は菩提僊那僧正が手にしたはず。源平合戦の兵火で大仏殿が焼けたのち、鎌倉再建時には後白河法皇が開眼の筆を執り、その旨が筆の軸に記されています。大仏の頭の高さまで櫓を組んで登ったのかと思うと大変な話です。
 縹縷は「はなだのる」と呼ぶ藍染めの絹の紐で、推定で全長198m。紐の一端を筆に結んで、参列した大勢の人が垂らされた紐を手にし、共に開眼の儀に参加したというものです。やや退色はあるものの藍の色が鮮明に残っています。今で言えばテープカットの紐を保存しているようなもので(こちらは切りはしませんけど)、よく残しておいたものです。

 「平螺鈿背円鏡」は背面を螺鈿や琥珀やタイマイで豪奢に装飾した鏡。聖武天皇ゆかりの鏡は正倉院に18面あるそうで、意匠違いのものがたびたび出展されます。前に見たような気がしても同じものかどうか記憶だけでは分からないのですが、今回は2013年に出展されたもので、2度目の見学でした。

 「蘭奢待」は実は3回目。私は2011年に初めて見たのですが、2019年も東京国立博物館で展示され、そして今回。
 足利義政と織田信長そして明治天皇が切り取った場所には付箋が貼られていて、みんなそれを見たがるので、ガラスケースの一方だけ人だかりが出来ます。この夏の「正倉院 THE SHOW」展で蘭奢待の香りを再現したものをかいだのですが、ほぼシナモンケーキのような、シナモンの香りに甘さを加えたような香りでした。

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大阪市立美術館「NEGORO 根来 ー 赤と黒のうるし」展

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 大阪市立美術館「NEGORO 根来 ー 赤と黒のうるし」展。
 私が根来塗を知ったのは司馬遼太郎『街道をゆく』の「阿波紀行、紀ノ川流域」。
 真言宗の一派の根来寺は戦国期に大名と並びたつ勢力を誇り、紀ノ川の河口一帯の雑賀と共に強力無比な鉄砲衆を抱えたで知られています。
 その根来寺で生産されていたという漆器が根来塗。堅牢な造りで黒漆の上に赤い漆を塗って仕上げます。長年使っている間に下地の黒漆が見えてきて風情が出るというのですが、私自身は実物を見たことはありませんでした。

 根来寺は豊臣秀吉の紀州攻めで焼き払われ、今も残った堂塔が寺院として続いています。
 そして境内の発掘調査も継続的に行われてきたのですが、根来寺内で漆器を作っていた考古学的痕跡がないというのです。どういうこと!?
 そういえば『街道をゆく』でも、根来寺に残っている根来塗はただの一点だけという話がありました。

 展示室内の最初に控えるのが大神神社に奉納された高さ158cmもある盾で、これが古錆びた赤でかっこいい。
 もともと赤は特別な色で、赤い漆器は神仏に捧げるものとして作られ、使われてきた歴史があります。ということで、さまざまな寺社に収められた赤塗りの漆器がずらり。やや朱寄りの赤ですが、剥げて黒漆の下地が見えると複雑な表情を見せてきます。
 黒漆で仕上げて赤を施したものもあり、とにかく赤と黒の世界。
 中には根来寺から出土した漆器の破片もあるのですが、恐らくは寺内でなく周辺地域でつくられたものであろうとのこと。

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2025年10月13日

ヤマザキマザック工作機械博物館(岐阜県美濃加茂市)

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 ヤマザキマザック工作機械博物館を見学。プラミッドのような建造物がありますが、その地下に博物館と工場があります。

 ヤマザキマザックは工作機械のメーカーで、元の名前は山崎製作所。海外進出の際に"Yamazaki"は発音しにくいということで"Mazak"のブランド名をつくり、現在はヤマザキマザックが会社名になっています。というのは見学して知りました。
 そもそもこの博物館を私が知ったのも最近で、トヨタ産業技術博物館にここのポスターが貼ってあったのを見たか、SNSでどなたかが紹介していたのを見たのだったか。

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 工作機械とはなんぞやという所からですが、金属や木材などの材料を切ったり削ったり穴を空けたり磨いたりする機械。旋盤やフライス盤などが代表的なところで、いわば機械や部品をつくるための機械。
 ボール盤くらいはもしかすると置いてあるご家庭もあるやもしれませんが、旋盤やフライス盤は一般家庭にあるものではなく(ないよね?)、多くは工場で稼働しています。
 一般消費者が目にする機会のない機械ですが、これがなくては世の中が回らない類いの製品群です。

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 旋盤そのものは人力で動かすものが古代からあるそうで、これは世界中で使われていたそうです。
 へえ、と思ったのは産業革命の話。ワットの蒸気機関の肝になるのがシリンダーとピストンですが、シリンダーの内側を削る中ぐり盤の精度が今ひとつでピストンとシリンダーの間に数cmも隙間が出来てしまう代物。ウィルキンソンが精度よく加工できる中ぐり盤をつくり、ピストンとシリンダーの隙間は数mmまでになります。
 蒸気機関が実用のものとして広まるには工作機械の精度の向上があり、蒸気機関が広まることで工業化が一挙に加速し、工作機械の精度も上がっていくのですから面白いものです。

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 平削り盤は平らな面を削り出す機械で、刃は固定したまま、材料を載せた台を前後左右に動かして削ります。
 1枚目の写真は1860年頃のアメリカの平削り盤。日本は江戸時代の末期という頃に、アメリカはこれでモノを作っていたのですから、恐るべし。
 写真2枚目は国産の平削り盤。国産の工作機械としては最古の部類で、1895年製。1枚目のアメリカの機械と35年の時間差があります。メーカーの東京国友鉄工所は、鉄砲鍛冶で知られる滋賀県の国友村から東京に出た会社。新しい分野に挑戦していくのは国友一貫斎を生んだ土地柄かもしれません。

 ここで展示されている機械の多くは、後継機が入るまで目一杯働き続け、引退して廃棄されるところを引き取って再整備したものが多いそうです。基本的には動態保存状態まで整備するそうで、機械によってはスタッフが動作を実演してくださいます。
 履歴がはっきりしているものも多く、その意味でも貴重な資料ばかりだとか。

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 人力式の工作機械の時代のものから、脚踏み式旋盤と手回し式のボール盤。ペダルを漕ぎながら手元で精密な作業をして大丈夫なのかと思うのですが、足踏み式ミシンもあったことを考えたら大丈夫なのでしょう。
 ボール盤は見ていてホッとするような機械ですが(我が家で長いこと使っていたハンドドリルと機構が似ている)、実はドリルが自動的に降りてくる機構が組み込まれています。
 いずれも1870年代のアメリカの機械。

 ちなみに私、中学校の技術科の授業でボール盤は使ったことありますが、旋盤は触ったこともない工作初心者です。日曜大工レベルのDIYだと旋盤やフライス盤が登場する機会はなかなか無いですよねえ。

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posted by ふくだ at 23:47| Comment(0) | 博物館や美術館