2020年08月01日

神戸市立博物館「地図を作る人 長久保赤水」

20200801sekisui.jpg 神戸市立博物館のギャラリートーク「地図を作る人 長久保赤水」に参加。
 長久保赤水(1717-1801)は現在の茨城県高萩市の出身。農民出身ながら学者として身を立て、水戸藩の郷士(士分)となり、やがては藩主の講師役までになったのですから優秀な人でした。

 名を残しているのは日本地図の製作者として。
 伊能忠敬(1745-1818)に先立って、『日本輿地路程全図』を編纂しました。伊能図は全国を測量して作ったものですが、長久保赤水の『日本輿地路程全図』は赤水が集めた地理情報を元に編集したもので実測は行っていません。それでも日本列島の形はほぼ正確に掴んでいるのが驚きです。

 伊能図は幕府に献納されて機密扱いになるのですが、赤水の地図は出版されたため、広く世間に出回ります。死後も改定が続けられ、最終的に明治に至るまで発行されたほか、海賊版や独自に情報を加えて出版されたものもあるなど、江戸後期の日本地図のベストセラーでした。

 赤水の地図には経緯度を示す格子が描かれていますが、緯度には数値が振られているものの、経度の記載がありません。この当時、緯度は既に渋川春海以来の天文方による測定が行われていましたが、経度を測る技術はありませんでした。ただ経緯度で位置を示す概念は入っていたのです。

 赤水の手紙に改訂版発行時の価格が記されていて、フルカラー版とも言うべき極彩色版は1枚25両。当時の地図は木版に手彩色でとても手間のかかるものでしたが、25両を現在に換算すると約90万円とのことで、とても気軽に買えるものではありません。色数を減らした版もあったそうですが、何れにせよ高価なものでした。
 後にシーボルトが「本屋に行けば並んでいる」と書き残したり、全国を旅した吉田松陰が使っていたという話もあるのですが、おそらく後年にはずいぶん値が下がったのだと思います。

 新幹線や高速道路が新規開通するわけでもない江戸時代に何度も改訂する必要があるのかと思うのですが、例えば初期の地図は九州や四国の掲載地名が少なく、情報を得るたびに追加していきました。
 赤水の自宅は陸前浜街道(現在の国道6号線)のそばにあったのですが、通行人をつかまえては土地の話を聞くなどの情報収集をしていたそうです。

 赤水はこの他にも世界地図や中国地図を残しています。世界地図はマテオ・リッチの世界地図の日本語版、中国地図は中国の歴史的地名をふんだんに盛り込んだもので、史記や三国志に出てくるような有名な地名はたいてい収録されていますから、眺めていて楽しくなります。

 出展された地図には赤水がつくったものでは「ない」地図もあるのですが、前書きに赤水に見てもらった旨が記されています。今で言えば「監修」みたいなものでしょうか。つまりは長久保赤水の名が権威として通用するものになっていたということです。

 伊能忠敬より一世代前に活躍した長久保赤水ですが、郷里の高萩に戻って1801年8月31日に亡くなります。
 実は伊能忠敬は第二次測量の折り、1801年9月10日に高萩の測量を行っていて、本当に惜しいタイミングで会えなかったことになります。忠敬のことだから何れにせよ淡々と測量をこなしたに違いないのですが、稀代の地図作成者の2人、会わせてあげたかったなあと思わずにはいられません。
# 日付はいずれも新暦換算。
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2020年07月31日

京都文化博物館「明智光秀と戦国京都」展

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 京都文化博物館の「明智光秀と戦国京都」展。
 文書中心の渋めで質実な内容ですが、信長・光秀登場以前に遡って戦国京都の様相――複雑で混乱しまくりで人物の名前を追うだけでも大変――を紹介しています。

20200731kyotobunpaku012.jpg 入館料だけで展示の文書部分の解説がまるまる載っているパンフレットを頂けるのは嬉しい。キャプションは丁寧ですし、読み下し文のプリントも置いてあるので、古文書読めなくても楽しめる親切展示。

 文書は地味ではあるのですが、当時の社会の仕組みや人々の普段の仕事の様子を窺い知るために不可欠なもの。戦国時代といえども毎日、合戦ばかりしていたわけではなく、時代の背景を丁寧に押さえてこそ、なぜその時そのような判断や行動をとったのかが浮かび上がってくるわけです。

 やたらめったら国宝・重文の文書が多いのは、東寺百合文書が国宝、革嶋家文書が重文に一括指定されているからですね。
 明智光秀の書状は花押が書かれているものが3点。光秀の発給文書は数が少ないそうで、言われてみれば私もはじめて見たかもしれません。

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2020年07月10日

NTT技術史料館

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 東京都武蔵野市にあるNTT武蔵野研究開発センタ内にNTT技術史料館があります。

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 古い電話機とか展示してあるところかと思ったでしょ。私もそう思ってました。実際にそういう展示も十分にお腹いっぱいになるボリュームであるのですが、違うのです。とんでもない史料館です。

 今でこそNTT(日本電信電話株式会社)という民間企業ですが、通信は国家の根幹を支える社会基盤でもあり、かつては電電公社、更に遡ると逓信省と、国が事業を担っていました。
 つまりここには末端の利用者に見える部分だけではなく、裸電線から光ファイバーや衛星通信まで、電信からデジタル回線まで、日本の通信網をどのように築いてきたかの歴史が詰まっているのです。

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 なので、マンホールの仕組みとかシールドトンネルの掘り方とか、そんなところまで解説してあるのです。NTTの史料館でシールドトンネルのセグメントを見るとは思いませんでしたよ。

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 アンテナの展示だと思ったでしょ。
 でもこれはアンテナを乗せる鉄塔の展示なのです。写真は取り忘れていたのですが、電話局の建物の展示までありました。建物自体は模型ですが、全国津々浦々に電話局を建てねばならなかったので、ケーブルを守るための工夫をしながら、コストを抑えて災害に耐えうる丈夫な建物をつくってきた歴史が語られます。

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 こちらはケーブル。最初は裸電線だったものが最後は光ファイバーになるのですが、銅線の時代は高密度に配線を束ねることが通信回線の容量増加に直結するので、見た目からすごいことになっています。
# このケーブルの接続部の展示は見ていて気が遠くなるスパゲッティぶりです。

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 最強に理解が難しいのは交換機で、床から高天井に届くような歴代の交換機がずらりと並んでいるのですが、解説を読んでも正直、ついていけませんでした(汗)。
 ただ何十万何百万もの回線を安定して確実につなぐために、絶えず技術革新が行われてきたことは分かります。電話を繋ぐ、ネットを繋ぐという日常生活の何気ない行為の裏に、これだけの設備と技術と人が注ぎ込まれてきたことを、これまで意識したこともありませんでした。

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NHK放送博物館

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 港区の愛宕山にNHK放送博物館があります。愛宕山はNHKの初代局舎があったところで、初期の放送博物館はその局舎を利用したものだったとか。

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 館内はほとんどが撮影禁止。当時の映像を上映しているコーナーも多いので、著作権上の扱いが難しいところが多いのかもしれません。
 上の2枚はロビーにある歴代の放送用機材や受信用機材を展示しているコーナー(ここは撮影可)。

 面白いのは3階展示フロア「ヒストリーゾーン」。放送の歴史を真正面から振り返る展示で、これでもかというほどの実物資料のオンパレード。玉音放送の玉音版(複数作成されたもののうち一枚)なんてものも展示されています。
 変わったところでは日本天文学会の機関紙「天文月報」。どんな内容かと思えば、ラジオ時報の自動化についての論文が掲載されているのでした。今は情報通信研究機構が日本標準時を管理していますが、当時は地球の自転を元に標準時を決めていたので、国立天文台のお仕事だったわけです。

 意外に思えたのが、日本の放送開始、もちろんテレビではなくラジオ放送なのですが、これが始まったのは1925年。これだけ世の中に欠かせないものになっているのに、2020年だとまだ100年経っていないのです。

 図録とはいわずとも展示案内の冊子が欲しいところですが、残念ながら用意していないとのこと。放送文化を伝えるためなら受信料使って頂いて全然OKですので、ぜひつくって頂きたいところです。

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2020年07月09日

静嘉堂文庫美術館

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 世田谷区の静嘉堂文庫美術館へ行ってきました。
 お目当ては国宝の曜変天目です。
 曜変天目は中国で焼かれたものですが、完品は世界で3つしかなく、いずれも日本にあり、全てが国宝指定されています。大阪の藤田美術館所蔵のものと京都の大徳寺龍光院所蔵のものは2019年に見てきたのですが、最後の一碗は東京の静嘉堂文庫にあり、たまたま上京期間に公開されてたので足を運んだ次第。

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 静嘉堂文庫は、三菱財閥2代の岩ア彌之助(創始者・岩ア彌太郎の弟)と彌之助の子・岩ア小彌太(三菱財閥4代)の父子二代のコレクションを元に設立されました。文庫の名の通り古典籍も多く所蔵し、美術品の方は敷地内のギャラリーで年数度の企画展の折に公開されています。
# この当時の財界人のコレクションは優秀なものが多くて驚きます。

 東急の二子玉川駅からバスで15分、バス停から門まではすぐですが、門をくぐって5分ほど木立の中を歩きます。東京23区内とは思えぬ閑静さ。

20200709seikado003.jpg こちらは文庫の建物。1924年に建てられた瀟洒な建物。一般には非公開ですが、大学生以上で学術研究目的の紹介状があれば利用可能とのこと。

 冒頭写真の美術館は文庫の左手にあります。

 今回は「美の競演−静嘉堂の名宝−」という企画展が行われていて、静嘉堂文庫の収蔵品の中からお題に沿って作品をビックアップして競演するという趣向。

 曜変天目は当初の出品予定にはなかったのですが、貸出を予定していた三菱の展覧会が延期になったため、静嘉堂文庫美術館で特別出品となりました。

 徳川家光から乳母の春日局に、そして春日局の子孫である淀領主の稲葉家に伝えられたことから「稲葉天目」の名があります。3つの曜変天目のうちもっとも艶やかで、写真に紹介されることも多いもの。
 漆黒の釉薬に青や緑の構造色がきらめく様子は、宇宙を茶碗に封じ込めたかのようです。岩ア小彌太は一度も使うことはなかったそうですが、常人の手に負えるようなものではないです。

 前田家から伝わった油滴天目(重文)も出品されていて、これもまたいぶし銀の星が全面に散らばるような見事なもの。視点が完全に宇宙グッズを眺めている感覚ですね私。

 刀剣では長曽祢虎徹の刀が目を引きました。時代小説読みにとっては新選組の近藤勇が好んだ刀匠として知られていますが、実際の作品を見るのは初めてかも。いかにも質実剛健な雰囲気でした。

 美術品そのものもそうですが、時代を超えて今に伝わるまで様々なエピソードがあり、そんなお話を知るのも面白かったりします。

 静嘉堂文庫のギャラリーは2022年に丸の内に移転するそうです。現在の立地も都心からは少し遠いですけど、行きにくいというほどでもなく、周辺環境を含めた雰囲気も素敵なので、ギャラリー部分だけとはいえこの場所を離れるのはもったいない気もします。
 もっとも丸の内も三菱ゆかりの地には違いないので、便利になるほうで期待したいです。
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2020年06月28日

筑前町立大刀洗平和記念館

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 日本では第二次大戦中の飛行機を展示している施設が少なく、また展示機も多くありません。
 戦後は軍事を扱うこと自体を避ける風潮がありましたが、当時の日本の技術開発や工業生産の水準を知り、同時代の他国と比較してどのような位置にあったかを知ることも、先の戦争を理解する上で必要なことだと思います。

 大刀洗平和記念館には第二次大戦当時の戦闘機が2機展示してあります。
 一つは旧陸軍の九七式戦闘機、もう一つは旧海軍の零式艦上戦闘機三二型です。いずれも現存機が世界中に一機しかない貴重な機体です。
 
20200628tachiarai02.jpg 今は田畑が広がっていますが、かつてはこの一帯には大刀洗陸軍飛行場があり、航空廠や飛行学校がある陸軍航空の一大拠点でした。
 海軍の飛行機は零戦が様々な媒体で描かれ、軍事に詳しくなくても多少のことは耳に入ってくるのですが、陸軍航空は余り知らないのが正直なところ。例えば特攻隊の出撃地として知られる知覧も、海軍ではなく陸軍の基地だったことは今回はじめて知りました。そして知覧は大刀洗の飛行学校の分校として作られたことも。

 大刀洗も戦争末期は特攻隊の出撃地となり、そして米軍の空襲によって壊滅しました。広大な敷地は田畑や工場となり、かつての軍都の面影はありません。

20200628tachiarai03.jpg 展示で唯一撮影が許可されているのが零戦三二型です。
 零戦は海軍の戦闘機ですが、この三二型は海外で発見され、日本に里帰りし、民間団体の所有を経て大刀洗の記念館へ落ち着いたという経緯があり、少々別枠扱い。知名度は高い機体なのでこの記念館の顔の一つになっています。

 もう一機の実機展示の九七式戦闘機は陸軍の戦闘機で博多湾から引き上げられたもの。
 零戦より一世代前の飛行機ですが、太平洋戦争の初期まで主力として活躍し、末期は特攻機に転用されました。大刀洗の機体も特攻機として出撃しながら、故障で不時着、水没したものと推定されています。
 正式採用は零戦と3年しか差がないのですが、ジュラルミンの外板の加工や増槽の成形など、それ以上に年代の開きがあるように感じます。飛行機の技術革新がいかに目まぐるしい時代だったかを伺えます。

 搭載しているエンジンも、九七戦は600馬力級、零戦は1100馬力級でほとんど倍。これが大戦末期になると2000馬力級が普通になります。その時期まで九七戦や零戦を使わざるを得ないのが当時の日本でした。

 資料館の展示は太刀洗が空の軍都として発展する歴史、震電を作った九州飛行機のコーナーから、太刀洗空襲、そして太刀洗の航空学校から巣立った特攻兵へと続きます。収集された遺品や展示されている遺書を読むのは正直つらい。先の九七戦の搭乗員も、別の機体で再度出撃し、帰らぬ人となっています。

 大刀洗平和記念館は郷土資料館的な位置づけもあり、1945年3月の大刀洗空襲にも大きなボリュームを割いています。飛行場や軍需工場が標的でしたが、民間にも大きな被害を出しています。

 2020年は第二次大戦終戦から75年。戦争を伝え、知ることも、戦争を起こさぬための不断の努力です。
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2020年06月26日

福岡市博物館

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 日本の文化財の中でも有名なものは多々ありますが、誰でも知っているものの一つが金印「漢委奴国王」でしょう。中学校の歴史で必ず扱うはずで、もしかすると小学校の社会科でも登場するかもしれません。
 これを所蔵しているのが福岡市博物館。しかも常設展示でいつでも見ることが出来るのです。見たくありませんか、金印。私は見たいです。10年か20年ほど前に知ったのですが、ついぞ足を運ぶ機会がないままでした。

 というわけで、福岡市博物館です。
 しかし、なんだこの大きさは。政令市とはいえ、市で持つ規模の博物館としては破格の大きさです。

 お目当ての金印は、常設展示室に入ってすぐ、一部屋まるまる使って置いてあります。暗い部屋の中央に四方が透明なケースがあり、中央の台座に金印が一つ。下に鏡が置いてあり、印面を見ることも出来ます。
 金印の大きさは2.3cm角。小さいのは知っていましたが、想像以上に小さく感じます。存在感が軽いわけではないのですが、物理的に小さい。細かく観察するのであれば、単眼鏡か近距離向け双眼鏡の持参を推奨。

 子どもの頃から知っていたものがまんま目の前にあるので、感慨もひとしお。二千年前に海を渡り、どういう事情か志賀島に眠っていた金印が、輝きを失うことなく今ここにある。
 地元の人はいつでも見られるからか、さらっと通り過ぎる人ばかりで、しばらく一人貸切状態で見てました。

 隣の展示室ではこちらも一部屋まるまる使う勢いで金印の解説をしています。
 中国の歴史書『後漢書』東夷傳にある「光武、印綬を以て賜う」の印に比定されているのですが、日本史上で初めて年代が特定できる出来事です。アジアの中の日本が国際舞台に躍り出た瞬間です。



 福岡は長いこと日本の玄関口の役目を果たした街。

 市内の板付遺跡では縄文時代から弥生時代にかけての最初期の水田跡が確認されています。田んぼの跡からは足跡も出土していて、福岡県警が鑑定して、足を滑らせたようだとか分析しているのがちょっと面白い。
 のち博多湾一帯には「奴国」が成立。金印はここに授けられたものと考えられています。
 その後は筑紫国の中心となり、白村江の戦い以後は大宰府に政庁が移りますが、迎賓館としての鴻臚館が置かれ、やがて商館的な役割を果たします。

 後に博多には宋の商人たちが"チャイナタウン"を形成し、日宋貿易の拠点となります。元寇では一帯が戦場となりますが、元から明に至るまで、大陸との貿易の玄関口でした。
 それゆえ戦国時代は近隣の大名が争奪して荒廃しますが、九州を平定した豊臣秀吉によって再興。秀吉の行った「太閤町割」は今の続く博多市街の基盤になっています。

 関ヶ原の後に入府した黒田長政が博多の西に福岡城を築き、武家の町・福岡と商人の町・博多が並び立つ都市となりました。海外交易は長崎へ集約されますが、黒田家は長崎の警備を預かる立場となり何かと海外との縁は続きます。
 明治以降はかなり高速観覧しましたが、常設展を見るだけで一時間半。歩き疲れました(苦笑)

 そして企画展示室の見学にさらに30分追加。
 こちらには福岡市博物館が所蔵している黒田家名宝展示があります。黒田如水以来の鎧兜や名刀や古文書その他諸々大変なことものですが、期間ごとに入れ替えながら展示しています。
 今回は織田信長の文書と黒田節で知られる大身鎗「日本号」が出てました。
 信長の文書は当たり前のように天下布武の印が押されていて、それだけで何となく納得。
 日本号はそれはそれは見事な槍なのですが、文化財指定は受けてないのかしらん。柄も螺鈿が散りばめられていてこちらも豪華です。どうやら実戦で使用した形跡があるというのですが、福島正則ならさもありなん。

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2020年02月20日

UCCコーヒー博物館

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 ポートアイランドの一角にUCCコーヒー博物館があります。
 私は煎茶で育った人間で、家ではいつもお茶ばかり飲んでいるのですが、阪神間の今の職場はコーヒーが標準。職員もコーヒーばかり飲むし、来客にもコーヒーを出すし、もちろんコーヒーメーカーも置いてあります(2台も)。同じ豆でも煎れる人で味が違ったりするので、いろいろ奥が深いんだろうなと思ったら、どうやらとんでもない沼なのでした。

20200220uccmueum019.jpg 興味がないことにはとことん無知で、原産地のエチオピアからアラビア半島、言い換えればムスリム経由でヨーロッパに広がったとか知りませんでした。「モカ」ってアラビア半島のイエメンの地名なんですよ。
 ついでに「ブルーマウンテン」ってジャマイカなんですって。オーストラリアにもブルーマウンテンズ国立公園があって、皆既日食のついでに寄ったことがあるので、てっきりそちらが有名なコーヒーの産地だと思っていましたよ。物知らずにもほどがある。
 なおコーヒーは麻袋詰めで出荷されるのですが、ブルーマウンテンに限っては木の樽に詰められるそうです。玉露か。

 トルココーヒーというのは豆ごと水から煮立てちゃうコーヒーの淹れ方で、コーヒーの発展史では古い淹れ方なのですが、アラビアからヨーロッパに伝わる途中にトルコがあるわけです。そんでもってウインナーコーヒーのウィーンもオスマン・トルコの大群とキリスト教徒が大攻城戦を展開した街なのです。世界史だ。

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 コーヒーを煎れる器具たち。豆を煮出しただけでは満足しなかった人類の歴史です。

20200220uccmueum025.jpg サイフォンは実家にあったのですが、私が子どもの頃に割ってしまって、どう動くのか見たことないままでした。博物館の動画コーナーで見たのですが、蒸気圧で沸かしたお湯を押し上げるとか、面白がって作ったに違いありません。いわゆるサイフォンの原理を使ったものではないので、名前に引っ張られたら仕組みが分からなかったわけです。

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 冒頭の写真は焙煎のコーナーで、壁一面に焙煎の色合いを表示しています。英文字が入っているところは実際の豆が展示されているのですが、ライトローストの豆は小麦のような色で豆もしわしわ。最も濃いイタリアンローストはほぼ真っ黒で豆も丸々。煎り具合が浅いと酸味のある味に、深入りだと苦味のある味になるそうです。単に焦げ具合の違いではないのか。

 初期のコーヒーは実ごと煮ていたそうで、焙煎するようになったのはアラビアに伝わってから。いわゆるコーヒーの香りは焙煎しないと出てこないもので、葉も花も実も生のままではコーヒーの香りはないのだとか。最初にコーヒー豆を煎って飲もうと思った人は人類史に名前が残るべきです。

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 コーヒーのテイスティングもできます。
 職場のおかげでコーヒーにもいろいろな味の差があることは分かっていたので、今回出ていた2種類ももちろん味の差がわかりました。実際に喫茶店などで飲むのはほぼアラビカ種で、カネフォラ種はブレンド用やインスタントコーヒーなどの加工用に使われるそうです。実際カネフォラ種のほうが苦味が強いのですが、個人的には酸味より苦味のほうが好きなので、これもまた乙なものだと思ったのでした。

 しかし品種に産地に焙煎に煎れ方と、コーヒーの味は可変要素がありすぎて沼の深さが半端ないです。
 知人にもコーヒーに凝りだした人が何人もいるのですが、私は淹れてもらうものを楽しむにとどめたほうが無難そうです。

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 UCCといえば缶コーヒーやインスタントコーヒーでも知られていて、缶コーヒーは世界初なのだとか。昔から見る缶ですが、元茨城県民としてはマックスコーヒーのほうが馴染み深いのです。練乳入りコーヒーなんてブラック無糖派の人が聞いたら卒倒されそうですが。

 缶になる前は瓶詰めコーヒーで、濃縮したものを薄めて飲むタイプのものもあったそうです。カルピスみたいですね。

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 コーヒー博物館の出口にクイズコーナーがあって、全問正解すると年間パスポートとして使える大博士認定証がもらえます(もらった)。今度ポーアイの青少年科学館に来る機会があったらまた寄ってみましょう。
 なお博物館前の御影石のベンチもコーヒー豆。

20200220uccmueum033.jpg なおコーヒー博物館の隣の会社の敷地の自販機が容赦なくアサヒ飲料で、このへん全く気遣わない姿勢がネタ的に面白くて好きです。
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2020年01月26日

明石市立文化博物館特別展「138億光年 宇宙の旅」

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 明石市立文化博物館の特別展『138億光年 宇宙の旅』見学。
  「NASAの写真ならネットで公開されているものを見てるし、今更」と舐めてかかっていたのですが、観賞用に大伸ばしされた作品群の迫力にうたれました。90分かけて2周してまだ見たりないくらいでしたが、脳のメモリがあふれました。市政100周年記念かつ天文科学館とのコラボ企画にふさわしい重厚さです。
 ふだんプラネタリウムに来られる方とはまた違う雰囲気のお客さんが多くて、それもよかったかなあと思います(^ ^)

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 床面展示に宇宙飛行士の足跡付き月面写真があるお茶目なところも。

20200126akashi006.jpg 明石市立天文科学館と文化博物館を両方まわるスタンプラリーもあり、クリアするとクリアファイルがもらえます。天文科学館では同じタイトルのプラネタリウム番組を上映中。

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2020年01月23日

神戸市立博物館 企画展「建築と社会の年代記 竹中工務店400年のあゆみ」

20200123kobecitymuseum01.jpg 神戸市立博物館の企画展「建築と社会の年代記 竹中工務店400年のあゆみ」を見てきました。
 神戸市内には「竹中大工道具館」があり、それなりに縁が深い会社なのだろうとは思っていたのですが、同社の創業地は名古屋。織田家の普請奉行を勤めていた祖先が武士を離れ、宮大工となったのが事始めとか。明治維新後に神戸に進出して、洋風技術を取り入れながら発展したそうです。現在の本社は大阪ですが、神戸は会社の転機の地だったわけです。

 展示の中では神戸にある竹中工務店が施工した建物が紹介されます。建築物は設計者の名前は残りますが、施工者の名まで記されることは少なく、旧居留地の名だたる建物の数々を竹中工務店が施工していたことは初めて知りました。

 展示の中盤では建築模型も沢山出ていて、模型好きとしてはそれだけでお腹いっぱい楽しめます。この辺りは建築に詳しい人に案内いただきながらもう一度見てみたいところ。

 展示されている建物の写真を見て重ね重ね残念なのが、多くの建物が阪神・淡路大震災で失われてしまったこと。当時は登録文化財の制度がなく、重要文化財の指定では近代の建物が十分にカバーできていなかったため、もしかしたら補修に耐えたかもしれない建物も、多くが文化財保護の網から漏れたまま、解体されてしまったのです。

 展示の終盤に街の記憶と再生を扱うコーナーがあって、震災25年に合わせてこの展示を企画したのはさすが神戸市博。一企業の歴史を縦軸にしながら、社会の変容も浮かび上がらせる企画展でした。
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