2020年08月01日

劇場版『銀河鉄道999』

20200801_999.jpg SF漫画・アニメの金字塔とも言える『銀河鉄道999』、実は通しで見たことはありません。

 TVアニメ版の再放送は幾度も繰り返されていたのですが、友だちと外で遊んでいる夕方の時間帯で、とても全話は見ていません。各エピソードは基本的に一話完結なので単発で見ても面白かったですし、再放送だからいつ始まっていつ終わるのかの告知もなく、気がついたら別の番組になっていました。

 劇場版も何度かTVで放映されているのですが、鉄郎の顔がTVアニメ版と違うのがどうにも違和感があり、これも最後まで見たことのないまま。
 ただ知識として「タダでもらえる機械の体というのはネジ」ということは知っていました。子どもの頃のアニメなんてそんなものです。

 新作映画の公開が遅れる中でリバイバル上映が行われたので、見てきました。
 客層がとても高く、たぶん私が一番若いくらい(汗)。そりゃそうなりますね。

 停車駅ごとに心をえぐりに来るようなエピソードが展開されるTVアニメ版とずいぶん違う構成で、正直なところ覚えている内容がほとんどなかったこともあり、初見のごとく楽しみました。

 それにしてもメーテルが鉄郎に999のパスを渡すくだり、どう見ても甘い言葉で若者をたぶらかしているだけです。ああいうお姉さんにホイホイ付いて行ってはいけません。もっとも付いて行かないと良くて監獄送りでそうでなければ死んでそうですけど。

 ハーロックやエメラルダスがわんさか出てきますが、アルカディア号とエメラルダス号と999号が同じ画面を動き回ってワクワクしないはずがありません。ハーロック格好いいよハーロック。
 あとアンタレスの渋さがいいと思ってしまうのは、この歳になって見たせいなんでしょうねえ。

 すべての決着が付いた後の別れのラストがいいんだこれが。
 TVアニメ版の主題歌がとても好きなのですが、この映画を見たら改めてゴダイゴの999もいい。

 ……これだけきれいにカッコよく終わっておいて、どうやって続編を作ったのだろう。
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2020年07月19日

NHK大河ドラマ『風と雲と虹と』総集編

 コズミックフロント見たさにNHKオンデマンドの見放題パックに加入したので、合わせて視聴できる番組を片っ端から見ています。
 ということで1976年の大河ドラマ『風と雲と虹と』総集編を見ました。平将門を主人公にした作品で、私の郷里が舞台になっています。といっても物心付く前の放映で、知っていたのはタイトルだけ。
 将門の出身の豊田郷は現在は常総市となった石下町。そして将門が後半生に拠点を置いた石井(いわい)の館というのが私の郷里の岩井市(現:坂東市)です。源護は真壁町(桜川市)、平国香・貞盛父子が明野町(筑西市)で、劇中に描かれる坂東は高校通学圏に収まる範囲。これほど知っている場所しか出てこない物語を一年通して大河ドラマでやっていたなんて、リアルタイムで見ていたら狂喜乱舞していたことでしょう。

 そんなところなので、小学校の遠足は将門関連の史跡が定番なのですけれども、どこへいっても石碑があるばかりで、遺構らしい遺構は全く残っていません。今となっては分かるのですが、大河ドラマの放映に合わせて、あるいは放映後に伝承地をまとめて整備したのだと思います。
 とはいえ現地の説明板にも引率の先生のお話にも大河ドラマの話は出てこなかったので、だいぶ後になるまで『風と雲と虹と』の存在は知らないままでした。

 平将門の乱、いわゆる天慶の乱の前半は、言ってしまえば一族間の土地争い。納得いかねば実力行使という、まことに野蛮な出来事です。
 ただ200年後に成立した鎌倉幕府の役割が土地争いの調停だったことを考えると、この問題に関して公家政権は全く無能で、武士が自ら裁判権を持って初めて一定の解決をみたわけです。将門はそこに至る過程の最初の痛みを味わったのかもしれません。

 天慶の乱は高校日本史で武士の成立過程の一コマとして扱われるのですが、実は藤原道長が生まれる前のこと。つまり『源氏物語』や『枕草子』が書かれる以前です。
 この当時の庶民の暮らしは文献からは全く分かりません。なにせ紫式部も清少納言も庶民のことは書き残していません。なので『風と雲と虹と』の時代考証はとても苦労したそうです。

 武士の装束は鎌倉風になっていますが、華やかな鎧は成立しているかどうか微妙な時期。もしかすると古墳時代の鎧と大差ないものを使っていたかもしれず、それはそれで見てみたかったかも。でもドラマとしては一般的な鎧武者のイメージに寄せて正解だったでしょう。

 総集編はいわばダイジェスト版なので、筋を追うのは苦労しました。
 私はもともと人の顔を覚えるのが苦手なところに、一族間の争いですから登場人物をあまり省略していません。40年以上前のドラマですから知らない役者が多く、知っていても若すぎて判別困難(苦笑)。
 もちろん天慶の乱の大筋は分かっていますが、ドラマだからこそ描かれる行間を楽しみたいわけで。

 加藤剛の演じる一本気で情に厚く快活な将門もいいのですけど、緒形拳の藤原純友がすこく格好いい。ダークヒーロー的に描かれるのですけど、むしろ今となっては一癖ある純友に魅力を感じてしまいます。総集編だと出番が少なくて本当にもったいない。本編だともっと活躍していますよね、ねっ。

 でも現在の将門のイメージは、この加藤剛の将門に引っ張られたところが大きいんだろうなと思います。
 民のために起った、なんてことは『将門記』に書いてあるわけではないのですけど、そういう思いを託せる存在であったのを見事に映像にしてしまった。
 「のうみんな、わしら平小次郎将門どのを頼もう!」かっこいいもんなぁ。
 千葉氏や相馬氏など将門の後裔を名乗る武士もいて、将門を祀った神田明神は江戸の守り神として崇敬を集めてきた。そんな素地がある英雄的な将門のイメージを定着させるのに、この大河が一役買ったことは想像に難くありません。

 それと草刈正雄のあまりのイケメンっぷりに驚きました。あのまま平成の仮面ライダーに出てきても全く違和感がない。それから吉永小百合をなんという浮かばれない役にあてたんだ(涙)。

 協力で「茨城県石下町」「茨城県豊里町」が出てくるのですが、合戦シーンのロケをしたのですね。
 ちらっと筑波山が見えたりするのですが、地元民は筑波山の稜線のシルエットで方角が分かるので、だいたいあのあたりかと。今でも田畑と雑木林が多いところですが、40年前なら合戦のロケ地には苦労しなかったでしょう。

 とにかく筑波山が映ると茨城で撮ってるのが分かるので、それだけで盛り上がります。
 地元の大河ドラマ、将門以外に主役を張れる人は他にいないので、二度とないでしょう。DVDだと全話見ることが出来るようなので(なんでNHKオンデマンドに載ってないんだ!)いずれ見たいと思います。
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2020年06月15日

映画『バック・トゥー・ザ・フューチャー』

 誰もが知っている超名作映画ですが、実は未見のままで、先日地上波放送していたのを録画して初めてみました。いやあ、面白かった。

 とにかく筋書きがいい。
 序盤のドタバタがみんな伏線になっていて、物語が進むごとに「そーこーかー!」と回収されていく気持ちよさ。起こる出来事は何となく想像つくのに、いちいち斜め上に展開していく爽快さ。
 父ちゃん全くいいところなしのまんまで、母ちゃんとどうやってくっつくんだよという、いちばんハラハラドキドキするポイントがそこかっ。

 ドクはまあ、ああいうマッドサイエンティストは死んでも死なないと思ってました。うん。
 主人公とずいぶん年が離れているのに、いろいろ知ってた上で友だち付き合いしてきたんだなあ、いい奴だ、としみじみ思わせといて、やっぱり根はマッドサイエンティスト。でも一回りしていい奴だ。うん。

 ちょこっとだけ動いた未来もアメリカ映画らしくていいんですけど……

 デロリアン!そこでっ!飛ぶかーっ!!

 空飛ぶ自動車って、みんなこれを知ってる前提で言ってるのか、そういうことかっ!

 どれくらい予備知識ゼロだったかというと、音楽も「え、これ、この映画の曲だったの」というレベル。どうやって今まで情報を避けて生きてきたのか不思議なくらいですが、初見ならではの面白さを味わえてよかったということにしておきましょう。

 たまにデロリアンの模型を見ることがあるのですが、なるほどねえ。映画見たら作りたくなるの分かる。
 活躍してる姿を見ると途端にカッコよく見えてしまうってやつですよ。

 来週・再来週のPartU・Vも見るしかないな。
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2020年06月14日

NHK 戦国大河ドラマ名場面スペシャル「独眼竜政宗」

 『麒麟がくる』放送中断の余波で放送された過去大河ドラマの名場面集。
 今回は1987年放送の『独眼竜政宗』でした。言わずとしれた渡辺謙の出世作。

 私が生まれて初めてみた大河で、どこか中間の1回を見逃した以外は最終回まで欠かさず見ました。当時は家庭用ビデオデッキの普及率が50%に届いていなかった頃。うちにビデオデッキがきたのは翌年のことで、考えてみれば丸一年間、日曜日の夜20時に家族も巻き添えにしてオンタイムでテレビの前に座り続けたわけです。恐るべし昭和。

 最強に強烈だったのは勝新太郎の豊臣秀吉。
 学研の学習まんがでつちかった、信長の草履取りから成り上がるどこかひょうげた秀吉のイメージが根底から崩れ去る圧倒的な迫力。天下人として対面する、今風に言えば「ラスボス」としての豊臣秀吉は、あれほどおっかない存在であったかと。
 小田原で政宗が斬られないのは知って見ていたわけですけど、いつ歴史が変わって首が飛んでもおかしくない緊張感。あれはすごかった。勝新太郎を見たのもあれが初めてでした。

 他に印象に残っているのは、いかりや長介の鬼庭左月と津川雅彦の徳川家康です。

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 伊達政宗は知名度の割には中央の歴史に絡んでいない人で、それもそのはず。戦国大名としては最末期の人物です。生まれが1567年ですから、織田信長が美濃を獲った年で、大河ドラマの華になる桶狭間も川中島も終わっています。

 信長・秀吉・家康と比べると、いちばん若い家康とでも24歳の差。野球選手に例えると、桑田真澄・清原和彦と菊池雄星・大谷翔平くらいの世代差があります。
 伊達政宗がようやく会津を獲った段階で、豊臣秀吉の小田原攻めが始まります。
 やっとこ県大会を勝ち抜いた初出場校の前に、いきなり全国制覇目前の桑田・清原時代のPL学園が立ちはだかる状況で、まあもうどうしようもない。

 伊達政宗の人生、この時点でまだ1/4。同年代の真田信繁(幸村)は最後に大坂の陣で華々しく散れるのですが、政宗はそれなりに危ない橋は渡りながらも、大きな見せ場はなくなってしまいます。実際、後半はあまり印象に残っていないのですが、飽きずに毎週見ていましたから、よく話を持たせたものです。

 平均視聴率39.7%という化け物のような作品でしたが、独眼竜政宗は現代劇が3年続いた後に時代劇に回帰した経緯もあり、時の運にも恵まれた面もあるかもしれません。

 政宗の父・輝宗を演じた北大路欣也も、母・お東の方を演じた岩下志麻も若い。今と比べて若く見えるというのではなく、当時は2人とも40台半ばですから役者としても脂が乗ってる時期。ただ、なにせ子どもの頃に見たもので、みんな大きな大人に見えていた。
 お東の方はただ強い女性の印象しかなかったのですけど、毒を盛る場面が母子ともども苦しさと悲しさと優しさが目いっぱいの繊細な描き方をしていてびっくり。当時はそこまで見えてなかったんだなあ。他にもいま見たら違うように見える場面や人物はたくさんいるのでしょう。

 今となっては、主要登場人物の役者の歳に概ね追いついたり、時には追い抜いたりしているのですけど、醸し出す貫禄はとてもかなわない。子どもの頃に見た作品ってそういうものなのかもしれません。
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2020年01月26日

麒麟がくる・第2話

 一話まるまる使っての合戦回。予算大丈夫かNHK。

 稲葉山城はなかなかの雰囲気。
 のっけから城門が破られてびっくりしましたが、城下に総構えがある設定とは気付きませんでした。織田勢が破ったのは総構えの門で、城下で市街戦が展開されます。

 大手門の脇の空堀にちゃんと畝があるのがよい。以前は後北条氏のものと思われていた畝堀や障子堀、近年の調査で各地で普通に使われていたことが分かっています。でも大手門の門扉に斎藤家の二頭波紋の彫刻を付けてるのは装飾過多(苦笑)

 道三や重臣たちが指揮を取っていた櫓、7〜8人くらいが机を囲んでなお余裕がある大きな建物なのに、屋根も壁もない吹きさらし。あれだと弓や投石を防げないのですが、屋根壁つけると中が暗くなってしまうし、外との一体感もないので大人の都合(演出)と理解。

 弓でどんどん人が倒れるのは最近の大河ドラマの合戦では標準になってきました。
 織田勢が城に迫るのに城方はなぜ弓を撃たないのだろうと思っていたら落とし穴。なるほどそう来たか(やられた)。

 城方が投石機を使っていましたが、これは応仁の乱で使用した記録があったはず。後世の大砲に匹敵する武器で、絶大な威力がありますが、日本国内で一般化した印象はありません。当時は、というより日本は近代に至るまで道路が未整備で遠征側が使うには無理があるのと、守城側が使うにしても運用に人手がかかり、また高温多湿の気候下ではメンテナンスが大変だったのかもしれません。京から流れてきた斎藤氏なら運用のノウハウを知っていてもおかしくなさそうです。
 人頭大の石が飛んできたら、盾は割られるでしょうし、人間も「痛てっ」で済むはずもないのですが、ドラマの撮影で危ないことは出来ないので致し方のないところ。

 織田勢、斎藤勢とも、兵たちの進退の際は掛け声を掛けながら動く描写が新鮮。ああでもして威勢付けないと怖くて逃げ出したくなるだろうと納得です。特に斎藤勢が城内に兵を引く場面は殿軍の駆け引きの難しさも上手く表現していたなと。

 陣太鼓はあれほど大人数で打つ必要はないのですけど(ほとんど和太鼓の演奏会)、やたらとカッコよかった。陣太鼓は軍勢の進退を知らせるものなので、指揮官の所在とともに移動できないといけません。城にこもっての戦いなので大人数でも「可」ですが、今年は忠実に時代背景を再現するのでなく、場面場面が見栄えのする画作りをする方向性なのでしょう。

 斎藤道三はもう少し老けていないかと思うのですが、この時期50代のはずで、本木雅弘の実年齢と比べると妥当なところ。折々に国衆から嫌われている描写が挟み込まれているのはいかにもで、親子二代とはいえ成り上がりのよそ者に上に立たれたら、いい気はしませんて。
 美濃守護の土岐頼純との対面は如何にも蝮の道三で、この茶は飲みたくないなと思いながら見ていたら案の定毒入りでした。こういう事する人は長生きできませんよ。
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2020年01月24日

麒麟がくる・第1話

 「麒麟がくる」 第一話録画視聴。
 吉田鋼太郎の松永久秀がよい。奸雄のイメージが強い人物ですが、迫力も貫禄も十分な現実主義者でちょっとコミカル風味。この久秀が実力主義の道三を評価して、美濃を好きだというのがいい。堺での別れ際も爽やかで好きになっちゃいそうです。

 三淵藤英は知らない人物ですが、幕府の奉公衆ですし、谷原章介をあてるからにはそれなりの重要人物になるはず。むしろ知らない人物にスポットが当たるのは面白い。

 光秀との関わりが深くなる斎藤道三(利正)。一代で美濃を乗っ取ったと人物とされてきましたが、近年の研究では美濃乗っ取りは父子二代に渡っての事業とされていて、それも劇中の台詞に反映されています。初回はがめついだけの人のように描かれていますが、元は京の油売りの家ですから、それもまたあり。戦国武将としての本領は次回以降じっくり描いていくのでしょう。

 斎藤義龍は織田信長視点からは悪役になりがちな人物ですが、伊藤英明を持ってきたからには小悪党には終わらないはず。実際、生前は美濃侵攻を企む信長の前に幾度となく立ちふさがって苦汁を飲ませ続けた実績があり、道三との確執をどう描くかも期待が持てそうです。

 織田信長は染谷将太。チラ見だと優男ぽいのですが、どうなるんだろう。光秀よりはずいぶん年下なので、化けていく過程を楽しむことになるのでしょうか。

 明智光秀は前半生が分からない人ですが、第一話はつかみとしては及第点。
 斎藤道三と織田信長のいわば「国盗り物語」に寄り添う話になるはずなので、安心感を持って見ていられそうです。

 一方、画面の派手さには目を疑いました。空の色も草の色も彩度を最大限に振り切ったような色の濃さ。そして登場人物の衣装の派手なこと。主要人物より民衆の衣装のほうが鮮やかなくらいで、あの時代の庶民の麻の服ってあれほど鮮やかに染まるのか。洗濯だってままならない時代に鮮やかさが保てるのか。もしや『平清盛』で「画面が汚い」といわれた反動なのでしょうか。
 大河ドラマも「劇」ですから、演出の意図でああしているなら、止めはしません。話が面白ければいいのです。でも彩度はもう少し調整してほしいなあ(ぼそ)
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2019年12月22日

映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』

20191222katasumi001.jpg 『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』見てきました。泣いたりはしませんでしたが、見終えた直後より、あとになってからのほうがジワジワと感情が湧き上がってくる、そういう映画。嘘です。途中で2回ほど泣きました。

 2016年の『この世界の片隅に』で描かれたのは戦時下を生きる人々のくらし。今作は尺が伸びた分、よりコミックの原作に切り込んだ解釈で、個々の登場人物をより深みを持って描いています。主にカバーされたのは遊郭の女性にまつわるエピソードですが、それ以外も細かい場面が随所に足されています。なんで分かるかって? 前作は8回も映画館で観たからだよ!

 映画『この世界の片隅に』では、コミックで描かれていながらも映画では外されたエピソードを「なかったことにしない」ために織り込まれていた場面がいくつもあるのですが、その前後が描かれたことで、いくつもの場面がいきなり深い意味を持つものとなり、人間模様すら違った風景に見えてきます。原作読んでいない人はびっくりするんじゃないかな。

 原作を知っている人にはびっくり感の代わりに、増えた尺の使い方と解釈の深まりに舌を巻くと思います。
 前作の評価が高かっただけに、観客が求めるもののハードルは上がりまくっているはずですが、難なくクリアしてきた感。たぶんもう一度は観に行きます。

 ちなみに映画の長さは168分、つまり2時間48分。予告編を入れるとほぼ3時間。中身の長さは感じず、18:35開始回の終演時に時計を見たら21時半近くで、いつの間にそんな時間が経ったのかとびっくりしました。一方で生理的に膀胱が限界を迎えかねない長さで(水分控えていったけど最後は少し我慢した)、上映前のトイレは必須、ぜったい。

 『さらにいくつもの片隅に』はクラウドファンディングに参加したのですが、エンドロールにあるはずの名前、探すのは早々に諦めました。エンドロールに添えられた絵で物語が展開するので、そちらに目が行ってしまうのです。まあ名前はパンフレットに載ってるので、それで充分。

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2019年03月11日

NHK「あの日の星空」

 3月11日夜にNHK総合で放送された「あの日の星空」。
 仙台市天文台のプラネタリウム作品のメイキング的な番組かと思っていたのですが、NHKで新たに被災者の手記を募集して番組を制作したのですね。仙台市天文台が取り組んだテーマにNHK仙台が改めて取り組んだという印象を受けました。

 番組で時間を割いて扱われていた今野さん。プラネタリウムでも手記が紹介されるのですが、冒頭で身内を亡くした方なのを察してしまって、ドームで見たときはそこから泣きっぱなしになったのでした。

 番組の中で読み上げられた手記で印象に残ったのは、「星空は見ていない。燃え上がる仙台港のコンビナートの炎と煙がただ怖かった」というもの。
 震災後の神戸の星空もきれいで、街の中でも天の川が見えた話を聞いたことがあるのですが、一方で、星なんか全然見た記憶がなくて、ただ街から立ち上る火災の煙だけを覚えているという話も何人かから聞いたことがあります。
 みんながみんな星空を見上げていたんじゃないんだよ(あの日の星空を見上げてない人はいてもいいんだよ)というフォローをそっといれてくるあたり、NHK仙台、さすが地元局だと思いました。

 星空は見上げる人々の心を映す鏡のようなものだと思うのです。
 星空はきれいで、美しくて、対峙する中で心の奥底がふとあらわになる。
 そして見上げる人々の心を動かす。

 ただ動く方向は見上げる人によってみな違う。
 悲しみが深まることもあり、諦めを受け止めることもある。
 ささやかな願いや、希望を託す人もいる。

 星空はそこにあるだけで何も語らない。決して手は届かないけど、見上げればそこにある。

 内容は違うけど、同じ題材で小説版と映画版があるような形で、仙台市天文台のプラネタリウム版とNHK仙台のTV版と両方ともよい作品でした。
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2018年12月06日

映画「ボヘミアン・ラプソディ」

 「ボヘミアン・ラプソディ」見てきました。
 もともと洋楽は守備範囲外、「Queen」も男性だけなのに“女王”とは面白いバンド名だなというくらいの認識。

 メンバーで唯一知っていたのが、ブライアン・メイ。「バンドやりながら天文学で博士号取った人」として話題になったから。
 フレディ・マーキュリーは、朝ドラ「あまちゃん」の小ネタに出たので知っていましたが、Queenのボーカルだったのは映画の公開後に知りました。
 つまりは何も知らないといって過言ではない。映画館へ足を運んだものの、正直、ついていけるか不安でした。

 杞憂でした。

 「We Will Rock You」と「We Are the Champions」てQueenの作品なのを知りませんでした。これまで誰の歌とも知らずに口ずさんでました。Queenの楽曲って、まぎれもなく強烈。

 家族、家族同然のQueenのメンバー、そしてパートナー。フレディは、己の目指す自分になろうと突き進みながら、繋がり支え合うべき人々との関係に苦しみ、孤独にさいなまれます。

 でもそこからの人生を駆け抜ける彼。
 ライブエイドのステージに至るまでは涙腺何度も刺激されました。
 もう一回みたいなぁ。

 いやもう、家に帰る途中からずっと脳内ヘビーローテーションでQueenの歌が鳴り響いています。

 どんどんぱっ!どんどんぱっ!
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2018年11月30日

北尾浩一「日本の星名事典」

 現在広く使われている星の名前は、欧米を経由して「世界標準」になったものがほとんどです。
 昭和後期生まれの私の世代だと、天文の知識は家庭や地域で伝えられるものではなくなっており、日本の星の名前として知られる「すばる」も書物を通じて知ったものです。

 星の名前を伝承として伝えられたのは、昭和初期生まれの方あたりが最後期になりそうで、そして直接ヒアリングして記録に留められるのは、今がギリギリの時代ということになるかもしれません。

 著者の北尾浩一さんは星の和名の採集をフィールドワークを重ねながら行われてきて、活動歴は40年になるとのこと。1980年台後半の「SKY WATCHER」誌に連載を持たれていて、毎号読んでいたのを覚えています。
 この「日本の星名事典」は長年の調査の集大成というべき大著で(ご本人曰くまだ書き足りないとのことですが)、菊判464ページ、質量は850gに及び、電車の中で開くには腕の筋肉を強化せねばなりません。
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