2021年07月24日

いだてん 総集編

 NHKで再放送していたので録画して見ました。
 2019年の大河ドラマでしたが、当時は金栗四三たちがストックホルムに着いたあたりで脱落。その後も録画はしていたので、あとでまとめてみようと思っていたのですが、録画したHDDが壊れてデータごと消えてしまいました。
 「ドラマとしては面白いけど、時代劇を期待する大河の枠でやらんでもいいのに」というのが当時の感想。

 総集編第一部の前半は録画失敗していたのですが、ちょうど本編で見た範囲だったので、第一部後半からでも何とか記憶がつながったというところ。

 改めて見て、とても面白かった。総集編はどうしてもダイジェスト版にならざるを得ないのですが、要所に歴史的な出来事が織り込まれるので置いてけぼりにならずにすみ、エピソードを絞ったぶん未見の人にはテンポよく見ることが出来る内容だったと思います。
# 本放送時に45分のドラマを飽きさせずに見せるってほんと大変なんだな。

 後半はほんと胸に刺さるような話ばかりで、田畑政治は勢いと無神経さを同時に持ち合わせている人なんだけど、人を傷つけたときは自分も一緒に傷ついてしまう人で、この人を主人公に据えたからこそ大きなイベントの光と影をくっきり浮かび上がらせる筋書きになったのだろうなと。

 私の祖母は関東大震災の経験者だし、父は1964年を東京で迎えているので、他人事ではない時代なのです。

 これは本編を改めてNHKオンデマンドで見るかと思ったら、現在は配信していないのでした。
 今このタイミングで配信しないでどうするNHK!
 いやその前に、このタイミングで総集編流してくれてありがとう、だな。
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2021年06月04日

学習研究社『物語日本史』 その2

 先日紹介した学研の『物語日本史』で思い出したこと。
 第8巻の稲垣史生「赤穂浪士」の冒頭が日食で始まるのです。

 時に元禄14年の元旦、年始の挨拶で将軍に拝謁するための大名行列が行き交う江戸市中。正月早々に日輪が欠ける日食が起こり、「なんと不吉な」と大混乱に陥ります。その中でも平然と列を乱さず進んでいく浅野内匠頭の行列……というような書き出し。

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 西暦に直すと1701年2月8日の朝で、江戸市中では日の出の時点で日食が始まっている日出帯食です。
 江戸では現在の時制で6時35分に日の出、その直後の6時47分に食の最大。食分0.79ですからほぼ三日月状。
 当時、市中に日食の情報がどれほど事前に知れていたかは調べていませんが、初日の出を拝もうと早起きした人たちは肝を冷やすことになったと思います。

 子どもの頃にこれを読んだ時は、元日に日食とは珍しいこともあるものだという程度にしか思わなかったのですが、当時の暦は月の満ち欠けを元にした太陽太陰暦。一日は必ず新月なので、日食も必ず一日に起こるのです。だから元日の日食は珍しくはあるのですけど、現代の暦の感覚ほど稀というものではなかったはずです。

 この年の旧暦3月14日に江戸城中での刃傷沙汰が起こり、浅野内匠頭家は断絶。翌年の元禄15年12月14日に大石内蔵助率いる赤穂浪士の一党が吉良上野介の邸宅に押し入るのです。
 旧暦の14日ですから月はほぼ満月。一般的に夜討ちは月のない時を狙うものですが、この場合は吉良上野介が在宅しているかどうかが最大のポイントなので、月齢を考慮する余地はなかったといえます。月が煌々と照らし出す雪景色の中での立ち回りで、時代劇的には絵面が映える場面になりました。

 元禄15年は一般的に1702年とされるのですが、旧暦12月だと西暦換算で年を越してしまい、1703年1月30日となります。暦の上でも話の種の尽きない事件でした。
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2021年06月03日

『天文台日記』の頃

 『天文台日記』は岡山天体物理観測所に長年勤務した石田五郎さんのエッセイです。
 現在は中央公論新社から文庫版と電子版が出ていますが、元は1972年に筑摩書房から「ちくま少年図書館」の一冊として刊行されたもの。描かれているのは今から50年前の天文台の暮らしになります。

 当時の主な観測手法はガラス乾板を利用した銀塩写真。イメージインテンシファイアを利用した増光撮影や光電測光の様子も描かれています。銀塩写真自体は1990年代まで使われていたので、懐かしくはありますが、それほど昔という話でもありません。
 望遠鏡は電動ですが、コンピュータ制御の時代ではないので、天体の導入には赤経・赤緯の目盛を利用しています。利用している座標が1950年分点というのがさすが50年前。撮影中の望遠鏡の操作も天文学者自身が行っていますが、海外の天文台では最少人数のオペレーターだけを山上に残す省力化が進んでいる様子も語られています。

 そうしたかつての観測の様子も面白いのですが、今回は周辺の様子から。

六月十七日 曇
 (略)テスト観測は井水さんにひきつぎ、上京。岡山発十八時一〇分の夜行列車に乗り、姫路で寝台がつくられるのをまちかねて、横になり昏睡する。
 三鷹の天文台での会議のためにたびたび上京する場面があるのですが、その多くは夜行列車を利用しています。この夜行列車の東京着は6時30分で、延々12時間以上も乗車していたことになります。
 山陽新幹線の岡山開業は1972年ですから、本の中の新幹線はまだ新大阪止まりの時代。在来線特急と新幹線を乗り継いでも7〜8時間はかかったはずで、夜行列車のほうがまだまだ便利だったのでしょう。

六月二一日 薄曇
 夜行寝台、東京では毎晩よく寝足りたので、早朝ベッドの中でめざめる。県境をこえるあたり、カーテン越しにのぞくときれいに田植えが終わっている。
 吉備平野ではまだ田植えは始まっていない。

六月二五日 小雨
 今日から三日間、小学校は農事休暇で休みとなり、町じゅうでいっせいに田植えがはじまる。夜遅くまで耕耘機の音がひびく。
 私の郷里の北関東では田植えはゴールデンウィークのあたりに行うことが多いのですが、6月下旬というのはずいぶん遅い。素人考えでは温暖な南のほうが早そうな気がするのですが、苗を植えてから生育するまでの日照時間が必要なので、北の方ほど早くなるのだそうです。現在では岡山でも6月上旬には田植えするようですけれども。

 また1970年前後だと「農事休暇」が残っているのですね。私の郷里も田んぼと畑ばかりですが、1980年代にはさすがに農事休暇はありませんでした。クラスの中でも農家は一割ほど(それもほとんど兼業)、農業従事者の割合が大きく減ったことと、機械化が進展したのと、両方あるのだろうかと思います。
 梅雨のさなかに子どもの手を借りて田植えをしているのがたかだか50年前の景色というのが不思議な気がします。

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2021年05月29日

学習研究社『物語日本史』

 学研こと学習研究社が子ども向けに発刊した歴史読み物集『物語日本史』。
 1967〜68年にかけて神話時代から太平洋戦争までを全10巻に収めたものが刊行され、のち1979〜82年にかけて戦後復興と人物伝まで盛り込んだ増補改訂版が全14巻で刊行されています。

 うちは学研の「学習」ついで「科学」を取っていたのですが、中学校に上がるタイミングで終了。そこで「学研のおばさん」のお勧めだったと思うのですが、我が家にでんとやってきたのが『物語日本史』でした。
 それまでも歴史ものの学習まんがは読んでいましたが、挿絵はあるにせよ活字だらけの厚さ3cmはあろうかという本が突然本棚にどっさり入ったのです。
 こんな量を読めるのかと恐れ慄きましたが、だいたい読んでしまいました。

 最近、ネットオークションに出ているのを見て知ったのですが、執筆陣が豪華なのです。
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2021年04月29日

青天を衝け

 2021年のNHK大河ドラマ。一時は5話分も録画を溜めてしまってこのまま脱落かと思ったのですが、何とか追いつきました。もともと幕末ものより戦国ものの方が好きなのですが、今回は今のところ面白いです。

 幕末の「志士」はまず美化して描かれるものですが、今作は徹頭徹尾テロリスト扱いなのが新鮮。
 主人公の家が地に足のついた百姓だからこその描き方で、家族や村人の「なに浮ついたことやってんだ連中は」という雰囲気がいい。

 この辺は侍目線ではなかなか描きにくいところで、劇中でも百姓を見下す攘夷志士がいましたけど、志士の多くは世の中を変えると言ってもどう変えるかの見通しを持たずに騒いでいるだけ。
 百姓の目線がドラマを面白くしていると思います。

 それと「実家が太い」のは本当に有利。栄一が江戸に遊学できるのは働き手を一人減らしてなおかつ仕送りできる余裕がある家だから。そうでなければ江戸に出られないし、出ても食い詰めて雇われテロリストになるか、単独テロで暴発するしかない(素直に実家に帰ればいいのですけど)。

 水戸烈公こと徳川斉昭。
 領国経営を立て直し、弘道館を開き、偕楽園を設け、最後の将軍・徳川慶喜の父となった人ですから、茨城県内ではまずまず人気のある人です。ただ強硬に攘夷を振りかざしたことで、幕末の政局が混乱する一因になったのは否めません。
 言わば「濃い」「アクの強い」人ですが、竹中直人がほんと烈公こんな雰囲気なんだろうなという感じ。そして井伊直弼が討たれた一報に接した時の「しまった」が良かった。先が見えない人ではなかったのですよ。
 烈公死後の水戸家中は凄惨な内部抗争に陥り、人材が絶えてしまいました。武田耕雲斎と藤田小四郎を見るのが辛い。でも下妻を焼いたのは許さん。

 井伊直弼も面白かった。
 忠義心はあるけど大局は見ていない、小心者だけどそれだけに蛮勇を奮ってしまう。もともと大老どころか井伊家を継ぐ予定もなかった人だけに根っからの悪人でないのが悲しい。安政の大獄は後世から見ても明らかにやりすぎなのですが、なんというか徳川家定に悪いところを全部おっかぶせる脚本でした。
 今回は水戸よりの脚本なので割を食った形ですが、彦根に行くと直弼の像が立ってたり、育った埋木舎が大切に保存されていたりで、開国の決断を下した幕末史の雄なのですよね。
# 幕末のドラマをやる度に必ず殺される人なので、ほんとにその点は気の毒というかなんというか。

 最近では『おんな城主直虎』が歴史の主流で「ない」視点から戦国時代を描いて面白かったのですが、今回も武士から政治家という王道ルートで「ない」ストーリーで、この視点を貫いてくれると面白くなりそうです。
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2021年03月25日

映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』

 NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀 庵野秀明』を見たので、これは観ておくかと出かけてきました。
 …感想の呟きようがないわこれ。

 エヴァンゲリオンはTV版も旧劇場版もほぼ観ていません。TV版の放映当時に友人が熱心に勧めてくれて、途中の一話だけ観て、それなりに面白いとは思ったのですけど、今さらロボットが怪獣と戦うアニメでもないよなあと、それっきりになってしまいました。
 生命の進化論を完全に書き換えるような設定についていけないというのも大きかったかも。
 あと何で見たのか覚えていないのですが、ヤシマ作戦だけは古いバージョンから知っていました(あれは盛り上がる)。

 新劇場版はTVで何度も放送されたので一通り観ました。それも三作目の「Q」で頭が痛くなった。エヴァのファンの人、よく付いていくなあ。

 ということで、今回の『シン・エヴァンゲリオン』もTV放送を待つつもりでいたところに、NHKの『プロフェッショナル』です。あれだけのものを注いだ作品なら観ておく他ありません。
 しかし、けっこうメンタル削られました。帰宅してしばらく頭が重いままでした。劇中で描かれる惨事とその目的が、ひたすらしんどい。エヴァのファンの人、よく付いてきたなあ(二度目)。

 成仏したというより大人になったという印象の終劇。おつかれさまでした。
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2021年02月10日

麒麟がくる 本能寺の変

 「麒麟がくる」本能寺の変、劇としては面白かったので、その周辺をあれこれ。

 本能寺の変の成立要件として最優先なのは、織田信長と嫡男の織田信忠を同時に討ち果たすこと。
 織田信忠は当時26歳で、形式上は織田家の家督を譲り受け、武田攻めの総大将も努めていました。信長を討っても信忠が生き残れば、織田家臣は信忠を中心にまとまって、容易く光秀を葬ることが出来たでしょう。
 信長・信忠親子がわずかな近親と共に同時に京に滞在し、光秀が中国攻めに備えて大兵力で京の周辺にいた1582年6月2日は「ここしかない」タイミングでした。

◯織田信長の足利義昭追討命令
 光秀の背中を押した一因として描かれていますが、これは劇中の創作。
 足利義昭が滞在していた鞆は現在の広島・岡山県境で、備中高松城(現:岡山市)の戦いの段階では陸路での攻略は無理。海路でも毛利方の村上水軍の勢力下で攻略が難しい。鞆を攻めたところで義昭を毛利の領国深くへ逃がしてしまえば、討つのは不可能です。
 また1582年の段階で織田氏と敵対関係にあるのは毛利氏・長宗我部氏・上杉氏くらい。もはや信長包囲網の再構築は不可能で、信長はあえて将軍殺しの汚名を背負って義昭を討つ必要はないのです。
 本能寺の変には足利義昭黒幕説がありますが、劇中の義昭は「釣りをしていれば殺されることはない」と黒幕役を完全放棄していました(苦笑)

◯朝廷黒幕説と正親町天皇の譲位
 劇中で信長が正親町天皇に譲位を強いたように描いていましたが、天皇の位は制約が多いことから譲位後に天皇の親権者の上皇として力を振るうのが通例でした。当時の朝廷にこれが出来ていなかったのは、正親町天皇も先代の後奈良天皇も即位の礼すらすぐに行えないほどお金がなかったから。
 信長は基本的に朝廷とは良好な関係にあり、朝廷に資金援助を行う一方で、対立した勢力と講和する際に正親町天皇の勅命を引き出して多用しています(勅命講和なら互いに面子が立ちやすい)。
 本能寺の変には朝廷黒幕説もありますが、劇中の正親町天皇が光秀に「信長が道を間違えぬようしかと見届けよ」と示唆しながら、近衛前久に織田と明智のどちらにつくか問われた際に「見守るだけぞ」と答えたのは、いかにも朝廷のやりそうなことで秀逸でした。ずいぶん朝廷の描写に時間を割きながら、明確な黒幕とせずに、遠因の一つに留めた匙加減は絶妙だったと思います。

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2021年02月07日

麒麟がくる 最終回

 納得の本能寺。
 怨恨や黒幕の存在を匂わせる展開ながら、そのいずれをも主な動機に持ってこなかった。踏み込んで書けば、織田信長という制御不能な存在を生み出してしまったのが光秀であるからには、自らの手で決着を付けるほかなかった。

 信長は平蜘蛛の一件以来、光秀が向いているのは自分ばかりでないことに気付いて、なにかに事付けて無理難題を押し付けてしまう。気を引きたくて意地悪をする小学生か。ただ心の底では光秀を信頼しているというか、信頼しようと思っている。
 覇道を進むに従って孤独を深める劇中の信長にとって、光秀は本音を語れる数少ない人間なのです。
 孤独で承認欲求は強い人なのに、家臣に背かれ帝に距離を置かれ、帰蝶ですら岐阜に帰ってしまう。最後の最後まで信長に向かい合ったのは光秀です。ただしお茶を飲むのではなく刃を交わすことによって。
 是非もなし――光秀なら万が一にも手抜かりがあろうはずもなく覚悟を決めた、というのがこれまでの時代劇ですが、今回は光秀に討たれるならむしろ本望と言わんばかり。いい本能寺でした。
 染谷将太の信長は、尾張のうつけの頃は面白い描き方ながらこの先は大丈夫かなと思ったのですが、回を追うごとに見事に化けていきました。振り切れてしまった孤独な信長の姿はしばらくスタンダードになりそうです。

 割とウェイトを置いて描かれた朝廷。黒幕っ「ぽい」ようにも見えるのですが、正親町天皇は「信長が道を間違えぬようしかと見届けよ」と伝えたものの、手をくだせとは言ってない。最終回でも「見てるだけ」のスタンス。これが朝廷の生きる道で、天皇家が武家のやることに積極介入すると大抵は大変な結果に終わるのです。

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2021年01月26日

『麒麟がくる』の信長

 大河ドラマ『麒麟がくる』、年越しの放送となりましたがようやく最終盤。
 途中離脱することなく最後まで見ることができそうで、まずまず面白いドラマだったと思います。

 面白かったのは信長の描き方。
 承認欲求のかたまりのような性格は脚本のアレンジですが、その部分を差し引くと最近見直されつつある信長像をけっこう反映して取り入れている印象です。

 身分や家柄にこだわらず実力で家臣を登用するのがこれまでの信長のイメージですが、近年の一次資料を基にした研究では従来勢力と協調し世間の評判を気にする真面目な信長像が導き出されています。
 この辺りを劇中でうまく表現していたのが、松永久秀の謀反のきっかけとなった大和国の差配。信長は実力で大和を抑えた松永久秀ではなく、古い家柄のほうがまとまりがよいと筒井順慶に大和国を任せます。秀吉が「松永・筒井で決めかねてるなら、いっそ私に」と差し出口を挟むのですが、「お前の出自では無理」と一蹴。一方の松永久秀は「信長は斎藤道三みたいな面白いやつだと思っていたけど、見込み外れだった」と。

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2021年01月09日

映画「機動戦士ガンダムNT」

 録画しておいたのを見ました。
 物語はガンダムUCの続編もしくは外伝的な位置づけ。

 ガンダム世界はいくつかの「嘘」を重ねて出来ていると行ったのはカトキハジメで、嘘と言ってしまうと元も子もないのですが、それをSFとしてありそうな設定に固めていくことで「リアル感」、砕けていえば「ありそうな世界」をつくっています。
 順番でいえばスペースコロニー→ミノフスキー粒子→ニュータイプ、となるのですが、下の階層の設定がしっかりしていないと上の階層の設定に乗れないし、それがうまく行っているのがガンダム世界です。

 ニュータイプがいちばん危なっかしい設定で、ファーストガンダムではエスパーではないと言っているのに、逆襲のシャアのアクシズ落下阻止では物理法則を超えた力を発揮してしまった。もっとも逆襲のシャアはアムロとシャアの物語の幕引きなので、最後の最後に奇跡の一つくらいあってもいいかとそっとしておけばよかったのですが。

 ガンダムUCではサイコフレームを媒介にした超常の力が随所にあふれ出て、最終盤ではネオジオングもユニコーンガンダムもこの世ならざる力を発揮します。ガンダム世界はそういうアニメではなかった気がするのに。UCは出てくるメカがファーストガンダム世代にも受け入れやすいかっこよさだからいいんですけど(いいのか)。

 NTのニュータイプは未来予測も出来て、肉体がなくても精神だけで存在できるものになってしまいました。UCの延長線としてはそうなるのでしょうが、もはやオカルトの域。
 そこさえ飲み込めれば、UCの続編もしくは外伝として、ありなお話だったのかなと。
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