2025年10月19日

洛東散歩

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 京都テルサで行われるX線天文衛星XRISMの国際会議(の一般講演会)に参加するため、京都へ向かいました。
 講演会は午後からのスタートなので、少し早めに出て洛東、つまり鴨川の東岸を散歩しました。鴨川の東というだけではとても長いエリアですが、今回は阪急京都河原町駅から南へ向かってスタートです。

 鴨川を渡り、祇園の花見小路を抜けます。花見小路で交通整理している警備員がJRAロゴの入ったユニフォームを着ているのが不思議だったのですが、花見小路の南端、建仁寺の手前に場外馬券売場があるのでした。禅寺と花街の境界に公営ギャンブルがあるという混沌とした空間です。

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八坂庚申堂。お堂にぶら下がっているカラフルな玉は「くくり猿」と呼ばれるお守り。願いを書いてぶら下げる習わし。ご覧の通りのカラフルさで、写真を撮る人たちでさほど広くない境内が大賑わい。

20251019rakutou009.jpg 八坂の塔。京都の五重塔といえば、新幹線の京都駅からも見える東寺の五重塔か、洛東のこの八坂の塔がまず紹介されます。臨済宗建仁寺派の法観寺というお寺ですが、何度も火災に遭ってこの塔以外の主要な堂宇は失われてしまいました。

 実は塔の内部を拝観することができ、二層目まで上がることが出来ます。一層目の内陣を見ることが出来る塔は他にもありますが、上層階へ上がれるのはちょっと珍しい。

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 塔の心礎は大きな石で、飛鳥時代のものと伝えられています。塔そのものは火災で3回焼失し、現在の塔は1440(永享8)年に室町6代将軍の足利義教の援助で再建されたもの。内部からは塔を貫く大心柱も見ることが出来ます。

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 八坂の塔の二層目から見た京都市街。ここから景色を見ることが出来るとは思っていなかったので、ちょっと面白い。京都市内も高い建物が増えたとはいえ、八坂の塔じたいが坂の上にあるから、京都タワーまで見渡せるのですね。

20251019rakutou050.jpg 八坂の塔の境内に木曽義仲の首塚があります。義仲のお墓は大津の義仲寺にあるのですが(そして松尾芭蕉のお寺も同じ場所にある)、八坂の塔のこちらは首塚で、京でさらされた首を葬った所と伝わっています。

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 六道珍皇寺。風変わりな名前ですが、もとは「ちんこうじ」と読まれていたそうです。昔の人、割と読み方は大らかになりがち。
 寺の前が六道の辻で、現世とあの世の境とされた場所です。かつてはここより東が鳥辺野で、平安京に暮らす人々の葬送の場でした。
 小野篁が冥界に通ったと伝わる井戸が境内にありますが、格子から遠目に眺める形での見学。NHKの歴史番組で見た記憶があるのですが、なんで閻魔大王に仕えることになったんだっけこの人。

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 この記事の冒頭の写真は六波羅蜜寺。「六波羅」の名は仏教の波羅蜜から取ったお寺の名前が地名になったとも、もともと「六原」という地名があったとも言われますが、六波羅蜜寺の名から広まったと説明されることが多いようです。
 空也上人の開山で、951(天暦5)年と言いますから、平将門の天慶の乱が終わって間もない時期です。空也上人は市井で南無阿弥陀仏を唱えて、市の聖と呼ばれた人。念仏といえば鎌倉仏教の法然や親鸞、一遍を思い浮かべますが、その300年ほど前に生きた人です。

20251019rakutou077.jpg 六波羅は武家との関わりも深いところで、平清盛の一門はこの近辺に館を置いて拠点としていました。また高校日本史でおなじみ、鎌倉幕府の六波羅探題も清盛の館の跡に置かれていました。
 必然的に兵火に何度も襲われ、平家の都落ちの際に炎上し、足利尊氏の六波羅攻めにも巻き込まれます。現在の本堂は南北朝時代の1362年の再建。昭和に解体修理が行われているので、鮮やかな姿になっています。

20251019rakutou082.jpg 令和館と名付けられた宝物館には、空也上人像や平清盛像があります。空也上人像は口から発した南無阿弥陀仏の言葉がそのまま仏になる姿を現した像で、念仏を唱えながら鐘を打ち、草鞋履きで市井を歩む様子が素人目にも胸を打つ姿に描かれています。
 平清盛像は入道姿の清盛公を現したもので、僧形ではありながらも世俗に生きる人間らしい、しかも清盛公と知って接するせいかこちらの佇まいも改めねばならぬような雰囲気。
 平安鎌倉の傑作といっていい彫刻群が収められている中でも、この2つは素人目にも響いてくる像でちょっと立ち尽くしてしまいました。


20251019rakutou094.jpg 方広寺の石垣。石垣というより身の丈を越える巨石が並んでいるというか。
 方広寺は豊臣秀吉が建てた寺で、当時は奈良の大仏が松永久秀の兵火で焼け落ちていた時期でもあり、京都に新たな大仏を作らんと築いた寺でした。京都国立博物館の敷地も丸ごとかつての方広寺の境内で、さらに南にある三十三間堂まで取り込んで方広寺の境内としていました。

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 方広寺の鐘。大坂の陣の引き金になったと伝えられる「国家安康 君臣豊楽」の銘文で有名。
 秀吉が作り始めた方広寺は慶長伏見地震で大破し、家康のすすめもあって秀頼が後を継いで工事を進めて完成に至りますが、大坂の陣で豊臣家は滅亡。大仏殿も寛政年間に落雷炎上し、元の規模での再建は成されませんでした。

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 方広寺の大仏殿跡。現在の方広寺の境内の東側にあり、発掘調査が行われたあとで公園に整備されています。
 135度の角度がついたベンチのような石が、かつての大仏の台座(八角形平面)の大きさを示しています。遺構は地下に埋め戻して保存されているので、遺構を示す位置に置いてある形。奈良の大仏より大きかったというので、かなりとんでもない建造物だったことが伺えます。

 このあと三十三間堂から京都駅を経由して京都テルサまで歩こうと思っていたのですが、方広寺でタイムアップ。バスに乗ってXRISM講演会の会場へ向かったのでした。

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 そういえば京都駅。鉄道に乗るあるいは乗換で使うことはあっても、駅ビルの建物をマジマジと見たのは実は初めて。そして駅ビルの大階段も今さら初めて見ました。改札のコンコースからずいぶん登ったところとは知りませんでした。
posted by ふくだ at 23:45| Comment(0) | 地図と地理と遠出
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