大阪市立美術館「NEGORO 根来 ー 赤と黒のうるし」展。
私が根来塗を知ったのは司馬遼太郎『街道をゆく』の「阿波紀行、紀ノ川流域」。
真言宗の一派の根来寺は戦国期に大名と並びたつ勢力を誇り、紀ノ川の河口一帯の雑賀と共に強力無比な鉄砲衆を抱えたで知られています。
その根来寺で生産されていたという漆器が根来塗。堅牢な造りで黒漆の上に赤い漆を塗って仕上げます。長年使っている間に下地の黒漆が見えてきて風情が出るというのですが、私自身は実物を見たことはありませんでした。
根来寺は豊臣秀吉の紀州攻めで焼き払われ、今も残った堂塔が寺院として続いています。
そして境内の発掘調査も継続的に行われてきたのですが、根来寺内で漆器を作っていた考古学的痕跡がないというのです。どういうこと!?
そういえば『街道をゆく』でも、根来寺に残っている根来塗はただの一点だけという話がありました。
展示室内の最初に控えるのが大神神社に奉納された高さ158cmもある盾で、これが古錆びた赤でかっこいい。
もともと赤は特別な色で、赤い漆器は神仏に捧げるものとして作られ、使われてきた歴史があります。ということで、さまざまな寺社に収められた赤塗りの漆器がずらり。やや朱寄りの赤ですが、剥げて黒漆の下地が見えると複雑な表情を見せてきます。
黒漆で仕上げて赤を施したものもあり、とにかく赤と黒の世界。
中には根来寺から出土した漆器の破片もあるのですが、恐らくは寺内でなく周辺地域でつくられたものであろうとのこと。
漆そのものは縄文弥生の頃から使われている素材ですが、今回出展されている作品で年代が明らかなのは鎌倉時代から南北朝時代を経て、室町時代までのものがほとんど。鎌倉時代は根来以前、室町時代はちょうど根来寺が栄えていた時期のものになります。
奈良の寺社のものが多いのですが、「お膝元」と言える紀州のものもあり、中には尾張や土佐、常陸のものまで。同時期に各地で同様の漆器が作られていたのではないか、と美術館の解説から。
面白かったのは東大寺二月堂の練行衆の盤(大きなお盆)で、新調された時にそれまで使っていた古いものがあちこちに散らばったのか(はたまた売り立てられたのか)、各地から練行衆の盤が出陳されていました。
入江泰吉が撮影した修二会の写真も展示されていたのですが、今も全く同じ形の盤が使われています。大切に使われているのと、実用品である以上はある程度の時期が過ぎたら作り替えられるのと、その両方が垣間見えます。今回は東大寺からの出陳も多く、奈良好きとしてちょっと嬉しい。
漆器といえば蒔絵を施した絢爛豪華な印象があるのですが、「根来」と称されるのは実際に使われてきた実用品が多い。そうしたものに美を見いだす感性はいつ頃から生まれたのやら。
実は「根来塗」の名称が初めて文献に登場するのは江戸時代の『紀伊国名所図会』で、それ以前の文献に根来塗は出てこないそうです。根来寺内で作られたのはおそらく伝説に近い話だけど、それが受容されて「根来塗」とされる作風が今の世にあるのが面白いなあと。
個人的に好きなのは根来塗平棗でこれは現代の黒田辰秋の作。丸っこくて可愛くてお家に飾りたい。帰宅してから調べたら人間国宝の方でした。とても手の出る品物では無かった。
チラシから展示会場の雰囲気まで赤と黒で締められていて、落ち着いた中にも鋭さがあり、また鑑賞品として生まれたのでなく、神であれ人であれ実使用のために使われてきたものを中心に並んでいるのがとても好みでした。
実は春先の「日本国宝展」の折りに今回の「NEGORO 根来」展のチラシが配架されていて、これは行かねばなるまいと思いながらも気後れしていたのですが、行ってよかった。
2025年10月26日
大阪市立美術館「NEGORO 根来 ー 赤と黒のうるし」展
posted by ふくだ at 23:45| Comment(0)
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