2024年01月20日

飛鳥散歩

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 今回、友人たちと連れだってキトラ古墳天文図の見学に出かけました。せっかくなので合わせて飛鳥水落遺跡(漏刻=水時計跡)と飛鳥資料館も回ろうという段取りです。
 ただキトラ古墳は飛鳥の外れにあるので、ちょっと歩く。おまけに当日の天気予報は雨。冬で本降りだと濡れたらつらいので、カーシェアの車を押さえておきました。

 幸いにも当日の天気は曇り。それじゃあ車はどうしましょうか? えっ、歩くんですか?。
 いや、キトラ古墳から水落遺跡まで4kmちょいありますよ。ちゃんと歩ける足元してますか?

 というわけでキトラ古墳を出発したのは11:50。壁画の見学は10:30からでしたよね。ショップで時間使いすぎたんだ……

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 キトラ古墳の周辺は国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区として公園化されています。その端っこにあるのが檜隈寺跡で、12:05通過。
 渡来系氏族の東漢氏(やまとのあやうじ)が建てたお寺。東漢氏は技術者集団だったのだろうと言われています。
 檜隈寺があった一帯は、現在は於美阿志(おみあし)神社が建っていて、脇の土壇に金堂の礎石と、塔跡に石像の十三重塔が残っています。7世紀後半から7世紀末に建てられたようですが、時期は斉明天皇から持統天皇の頃になります。
 伽藍があったのは比高15mくらいの尾根の上で、遠くからもよく目立ったはず。

20240120asuka003.jpg 檜隈寺跡の北斜面からは、高松塚古墳の墳丘を遠望できます。直線距離で630mほど。意外に大きく見えてびっくり。
 現在は公園化して斜面の木が刈り払われた状態ですが、往時も尾根が丸ごと段々畑になっていたら、こんな雰囲気だったのかなぁ。

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 文武天皇檜隈安古岡上陵(宮内庁比定)。高松塚古墳の南側にあります。12:24着。
 文武天皇は持統天皇の孫で、奈良の大仏を建てた聖武天皇の父。名前は覚えていたのですが、どの順番の天皇かまでは覚えていなくて、現地で検索しました。
 遠目にもこんもりした山で、いかにも古墳っぽい雰囲気ですが、古墳が木々で覆われるのは管理も行き届かなくなった後世のこと。建造当時は石で表面を覆われていたり、版築で固められた土饅頭だったりしました。

 現在、宮内庁が定めている天皇陵は江戸時代から明治初期の調査によるもので、主に記録に記された陵墓名と地名や伝承を照合して定めたものです。現在の考古学の知見からすれば合っているものの方が少なく、実際の文武天皇陵は高松塚古墳の北にある中尾山古墳が有力視されています。
# となるとここに葬られているのは誰なんだというか、そもそも古墳なのか。

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 日本の古墳の中でも屈指の知名度を誇る高松塚古墳。12:30着。
 二段式の円墳で、下段の直径23m、上段の直径18m、高さ5m。斜面に築かれているので下から見上げるとより大きく見えます。とはいえ百舌鳥・古市古墳群のような全長数百mに及ぶ巨大古墳とは比ぶべくもないのですが、高松塚古墳の名を知らしめたのは石室内で発見された壁画。どの日本史の教科書にも必ず載ってる有名文化財です。

 発見されたのは1972年の発掘調査ということで私が生まれる前ですが、当時の盛り上がりはすごかったと言います。ただ石室の幅/高さとも1m少々しかなく、とても一般公開するのは不可能で、石室前には壁画の環境を維持するためのコンクリート造りの空調施設が設けられ、近くに模写した壁画を展示する高松塚壁画館が作られました。
# 学生時代に見た時はこの状態で、墳丘にざっくりコンクリ塊が刺さって奇妙な眺めでした。

20240120asuka011.jpg その後、管理の不手際もあって壁画にカビを生やしてしまい、2006年から石室を解体して修理することに。文化財は現状維持が原則ですから、修理のためとはいえ石室ごとバラさないといけないのは、相当に危険な状態だったのだと思います。
# 同じくカビの被害が出たキトラ古墳は、石室はそのままに壁画だけ剥ぎ取りました。

 修復を終えた壁画は年に何度か一般公開が行われていますが、こうした不幸な出来事がなければ私たちが目にすることもなかったわけで、皮肉としか言いようがありません。

 この日はたまたま高松塚古墳の壁画の公開日なのを現地で知りましたが、基本的に事前予約が必要で、当日枠も人数分の余裕がなかったので断念。個人的には以前に天井の星宿図が公開された時に見学したことがあります。
 キトラ古墳は日本から見える全天の星図(天文図)が描かれているのですが、高松塚古墳は二十八星宿だけが模式的に描かれていて、今で言えば黄道十二星座だけ描いたような雰囲気です。

国宝高松塚古墳壁画修理作業室の公開(2015.11.3)

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 中尾山古墳。12:46到着でキトラ古墳を出てから1時間。
 中尾山古墳は高松塚古墳の北の尾根にある八角墳。
 八角形の墳丘を凝灰岩の切石で覆った形で、飛鳥では天皇および近親者のみに使われる形です。というのは知識で知っているのですが、墳丘は既に大きく崩れ、素人がどう見ても平面八角形には見えません。

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 墳丘とその周囲に、五角形の石が置いてあるのに友人が気付き「これなんだろう?」と見ているうちに思い至りました。発掘調査では墳丘を覆っていた石が出ていて、そのコーナーから八角形が確認されたのですが、その角の部分を地表に表示しているのです。

 ちなみに文武天皇陵と推定する決め手になったのは、八角墳である上に石室が極めて丁寧に加工されているのに規模が小さく、火葬した骨壺を納める前提のつくりになっていたこと。この時代の天皇陵は、斉明天皇が娘と合葬、天武天皇と持統天皇が夫婦の合葬で、火葬になるのは持統天皇以降。単独で火葬された天皇陵に当てはまるのは文武天皇に絞られるそうです。

 文武天皇の次の元明天皇の時代に平城遷都が行われ、文武天皇は飛鳥に葬られた最後の天皇になります。飛鳥時代の終焉でもあり、長く築かれてきた大王家の最後の古墳がここ。というのは帰宅してから調べました。そうだったのか。もう少し感慨に浸っておくのでした。

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 天武天皇・持統天皇陵、13:21到着。
 宮内庁が比定している中でも数少ない、埋葬者と一致している天皇陵で、夫婦で一緒に葬られています。
 乙巳の変で権力を握った中大兄皇子(漏刻を作って時を知らせた後の天智天皇)の弟が、大海人皇子の天武天皇。中大兄皇子の娘で天武天皇に嫁いだのが鸕野讃良(うののさらら)皇女で後の持統天皇です。この時代、同母の兄弟姉妹でなければ結婚できたので、わりと近しい親類でも婚姻していて、系図がごっちゃごっちゃしています。
 ここは鎌倉時代の盗掘の記録(検非違使による取り調べ調書)が残っていて、それに記された内容と古記録の埋葬の様子と現状が一致したのが確定の決め手。
# 「阿不幾乃山陵記」という史料で、検索したら出てきますが墓荒らしとはひどいものです。

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 飛鳥のアイドル「亀石」。13:37着。
 民家の軒先とは言いませんが、小道の脇にいきなり置いてあります。
 大きな花崗岩に亀の顔を彫ったもので、用途などは不明。飛鳥は自然に花崗岩が転がっている場所ではないので、どこからか運んできたには違いないのですが、はて。

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 亀石の脇に農産物の無人販売所があり、日本一辛いと豪語する唐辛子があったので買ってきました。まだ食べてはいません。

20240120asuka033.jpg 明日香村の中心部は石舞台古墳の手前辺りで、そこを外れるとご飯を食べる場所が(ほとんど)ありません。今から石舞台方面へ歩いてもランチタイムは完全に過ぎてしまいますし、さてどうしたものかと思っていたら、亀石前の交差点にセブンイレブンが出来ていました。

 ここはコンビニ飯で済ませることにします。イートインがあったので座って食べようかと思ったら、友人一同、歩きながら食べると言います。マジですか。私も旅先のご飯は全くこだわりがなく、歩きながらコンビニおにぎりも珍しくないのですが、相手から歩きながらでいいといわれたのはさすがに初めてです。

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 飛鳥水落遺跡到着。14:13。
 日本で最初の水時計、漏刻が置かれた場所。礎石の間に石を並べてひたすら頑強に築かれた基礎。出土した銅管や漆塗りの木箱の痕跡。発掘調査に当たった方々を悩ませたそうですが、結論は日本書紀に記された、中大兄皇子が作った漏刻の跡でした。

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 飛鳥資料館へ行くと、発掘調査当時の水落遺跡の復元模型と、出土した銅管の実物を見学することが出来ます。

 『日本書紀』には660(斉明天皇6)年5月と671(天智天皇10)年4月25日の2回、漏刻の記事が出てきます。いずれも作ったのは中大兄皇子(天智天皇)。水落遺跡は660年の最初の漏刻ですが日付までは記されておらず、時の記念日の元になったのは671年の方です。671年の漏刻は近江大津宮に作られたもので、こちらの遺構は出ていません。

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 飛鳥資料館にある再現漏刻。大きい。
 当時はポンプなどありませんから、人力で水を補給していました。漏刻博士と呼ばれる担当者がいたのですが、従七位下といいますから貴族の枠にはならない下級官人。技術職は優遇しようぜ。

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 明日香村埋蔵文化財展示室。旧校舎を利用した村の民俗資料館みたいな雰囲気ですが、そこは明日香村。国宝重文級の出土品こそ飛鳥資料館や橿原考古学研究所附属博物館に行ってますが、ここに展示してあるものも、他所に行けば主役を張れそうなものがひょろっと並んでいます。だいたい入口の両脇に転がっている巨石が飛鳥寺の礎石という……
 
 上写真の左はこれまで何度も話に出た八角墳の模型。これは考古学的に斉明天皇の陵墓とされている牽牛子塚古墳。本物は近鉄飛鳥駅の西側の丘の上にあり、ここの石室を封鎖していた閉塞石がなぜか明日香村埋蔵文化財展示室にあります。

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 牽牛子塚古墳の出土品。七宝焼の金具など素人目に見てもきれいですが、特に文化財指定はされていないみたい。後で調べたら重文指定されたものは橿原考古学研究所にあるんだって。ちなみに牽牛子塚古墳は2023年10月に見学したことがあります。おかげで明日香村埋蔵文化財展示室の解説の方とはむっちゃ話が合って盛り上がりました。

牽牛子塚古墳(奈良県明日香村)(2023.10.14)

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 水落遺跡から飛鳥寺へ向かう途中。掘ってますよ。
 土曜日なので発掘はお休み。調査区域も全面雨よけのシートをかけてあるので、どんな様子かさっぱり分かりませんが、見ていてワクワクします。石神遺跡の東の辺りで、この辺は掘れば何かしら出てくる場所です。

20240120asuka051.jpg 入鹿首塚。
 乙巳の変で殺された蘇我入鹿の首塚との伝承があります。飛鳥寺の西門の外、甘樫丘を背にした場所。
 入鹿の暗殺は飛鳥板蓋宮で、ここから620m南。ずいぶん派手に首が飛んできたことになりますが、なに京から江戸まで飛んだ平将門に比べればたいしたことはありません。
# かつての教科書では蘇我入鹿の暗殺から大化の改新がはじまる扱いでしたが、現在は蘇我入鹿暗殺を「乙巳の変」という政変として扱っています。

 五輪塔が普及するのは鎌倉時代辺りで、これも後世の供養塔。飛鳥寺は蘇我氏の氏寺で、甘樫丘は蘇我氏の屋敷があったところですから、その間に入鹿を弔う塚があるのは、非業の死を遂げた入鹿へのせめてもの手向けなのかもしれません。

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 飛鳥寺。ちょうど15時着。
 飛鳥寺は蘇我氏が建てた日本最初の仏教寺院。本尊の飛鳥大仏は、幾多の火災に遭いながらも補修され、一部に当初の姿を残しています。が、ここで見学したら飛鳥資料館までたどり着けないので、お堂の外から手を合わせます。

 お寺の鐘が頻繁に鳴っているのが不思議だったのですが、参詣者が突いてよい梵鐘で、友人も鳴らしておりました。近所の人、賑やかすぎないのかな。夜に鳴らすわけじゃないから大丈夫か。

 飛鳥寺は後に平城京へ移され、元興寺と名前を変えて今に続いています。元の飛鳥寺も存続するのですが、次第に衰微し、一事は飛鳥大仏が野ざらしになっていたこともあるとか。現在のお堂は江戸時代の再建。

20240120asuka055.jpg 飛鳥寺の辺りは道が狭く、一方通行の交互通行の道もあります。飛鳥巡りにサイクリングが推奨されるのもこうした道路事情があるためでしょう。高松塚やキトラまで行かなければ、飛鳥の一帯はそれほどきつい坂はないので、季節がよければサイクリングも楽しいと思います。

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 奈良文化財研究所飛鳥資料館
 飛鳥の出土品を見たければまずはここ。特に水落遺跡の展示は実物とセットで見るのをお勧め。割と最近リニューアルされたようで、展示が分かりやすくきれいにリニューアルされているのにびっくりしました。
 高松塚古墳の出土品や山田寺遺跡の出土品はここでまとまって見学できるほか、飛鳥池遺跡の出土品も多く展示されています。到着したのは15:26でしたが、閉館は16時半で、とても1時間で見終わるものではありませんでした。

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 特集展示の高松塚古墳石室。原寸大の模型ですが、靴を脱げば中に入ることが出来ます。天井に星宿図があるので、それを見学するには寝るしかないのですが、寝たら埋葬状態。
 好きで埋まったわけじゃないですから。星宿図を見たかっただけですから。

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 山田寺跡。飛鳥資料館は17時まで見学するつもりでいたのですが、予定より30分早く放り出されてしまったので、近くの山田寺跡まで脚を延ばしました。
 山田寺は蘇我氏の一族、蘇我倉山田石川麻呂が発願した寺院。
 乙巳の変で蘇我氏の宗家は滅亡するのですが、一族の蘇我倉山田石川麻呂は中大兄皇子につき、右大臣に昇りました。そのうち蘇我倉山田石川麻呂も謀反の疑いをかけられて自害に追い込まれてしまいます。飛鳥時代の大王家と豪族は何人も謀反の疑いで死に追いやられていて、陰謀と謀殺の時代という一面もあります。

 蘇我倉山田石川麻呂の娘は中大兄皇子に嫁いでいて、この夫妻の子の一人が後の持統天皇になります。中断状態だった山田寺を完成させたのは蘇我倉山田石川麻呂の孫の持統天皇と考えられていて、後に官寺に準ずる扱いを受けました。

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 山田寺が有名になったのは1982年の発掘調査で、寺の東回廊の建物が地中からそのまま見つかったこと。土砂崩れで倒壊した状態でしたが、木組みもそのままで、法隆寺よりも古い建物として大きく報じられました。私が覚えている一番古い考古学のニュースがこれで、ギリギリ記憶にあります。

 出土した回廊は飛鳥資料館で組み立てた状態で展示されています。
 実は山田寺、藤原道長が参詣した記録があり、その荘厳さに驚いた感想を残しています。道長はこれが建っている時の姿を目にしたはずです。

20240120asuka102.jpg その山田寺は、道長の参詣後ほどなく土砂崩れに遭い東回廊が倒壊。金堂と塔は難を逃れますが、12世紀の末、鎌倉時代初期に焼亡します。

 治承・寿永の乱(源平合戦)の兵火で、奈良は東大寺も興福寺も焼けてしまうのですが、興福寺を再建する過程で、東金堂に収める仏像として、興福寺の僧が山田寺に押し入って本尊と両脇侍を強奪。発掘調査では12世紀末の焼土層が出ていて、このときに山田寺は焼き討ちにあった可能性が高いと考えられています。興福寺恐ろしすぎる。
# 摂政まで務めた藤原氏の九条兼実が日記に書いてるんですよ。この強奪事件。

 興福寺の国宝館に銅造仏頭(旧東金堂本尊)として展示されているのがこれで、実物はウェブサイトの100倍はいいお顔。私がいちばん好きな仏様の一つなのですけど、興福寺のサイトには押し入って奪ったとはさすがに書いてない。飛鳥資料館にあるのはレプリカです。

 そんなこんなで山田寺を後にしたのは17時。飛鳥資料館の西から橿原神宮前駅へ向かう最終バスに何とか間に合って、ひたすら歩き回った飛鳥散歩を終えたのでした。

 GPSのトラックは帰宅後に作成したので、時刻と経過時間は実際のものではないです。歩いたルートはほぼこの通り。

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posted by ふくだ at 23:46| Comment(2) | 地図と地理と遠出
この記事へのコメント
奈良は,こちらからは遠いので,行く頻度は低いのですが,直近では橿原神宮前駅の東側エリアを歩き回っています。

駅の東側,徒歩10分ほどのところにある石川池(剣池)。ここはかつて,万葉集の紀皇女の歌にある「軽ノ池」と呼ばれた場所(当時は今よりも大きな池だったらしい)。
この「軽ノ池」が,カルガモの名前の由来の1つとする説があります(他にも「軽い鴨」とする説や,渡りをせずに夏も留まることから「夏留鴨」とする説などがあります)。
池の西側には大軽町と言う町があり,その町内の池を「軽ノ池」とする説もありますが,いずれにせよ,ここが,「カルガモのふるさと」の1つであろう,と言うことで。

石川池(剣池)には孝元天皇陵があったり,池の畔から飛鳥の風景や多武峰も望めるという,なかなかの場所でした。

でも,訪問した時,カルガモは居なかった。
Posted by なかを at 2024年04月17日 08:22
そういえば孝徳天皇と文武天皇が即位する前の名前が「軽皇子」だったのですが、名前の由来がこの「軽ノ池」かもしれないという話を聞いたことがあります。

橿原神宮前駅の東側はちょうどエアポケットのように行ったことのない場所ですが、少し脚をのばせば五条野丸山古墳もありますし、次に飛鳥に行く機会があれば寄ってみようと思います。

カルガモが居てくれたら嬉しいのですけど(^_^)
Posted by ふくだ at 2024年04月24日 01:00
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