2022年05月03日

土浦城(茨城県土浦市)

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 茨城県南の中心都市はつくばですが、以前は長らく土浦がその座にありました。
 江戸時代は土屋氏9万5千石の城下町で、常陸国では水戸徳川家に次ぐ石高でした。土屋氏は武田氏の旧臣で武田氏滅亡後に徳川家臣となった家です。
 土屋氏の前には近江の朽木谷に古くから居付いていた朽木氏の分家が土浦に入っていて、この朽木氏は土浦から福知山に転じて明治維新を迎えます。

 土浦城が築かれたのは室町時代で、戦国末期は小田氏の家臣・菅谷氏の城でした。小田城を失陥した小田氏治は度々土浦城に身を寄せています。
 小田氏時代の小田城は防御施設の貧弱な平地の居館でしたから、湿地帯の中の土浦城のほうがよほど守りやすかったと思います。それでも小田氏治は懲りずに小田城を奪い返しに行くんですよねぇ。

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 さて改めて土浦城。霞ヶ浦のほとりの低湿地帯に築かれ、何重もの水濠に囲まれた平城でした。
 現在は本丸と二の丸の部分が亀城公園として整備されています。亀城の名は水に浮かぶ亀からの連想でしょうが、言い得て妙。

 冒頭の写真の櫓門は江戸時代以来のもので、茨城県指定文化財。
 上の2枚の写真は本丸の西櫓(左)・東櫓(右)で、西櫓は1990年、東櫓は1998年の復元。東櫓の奥には江戸時代からの現存建造物の霞門も写っています。東西の櫓が揃った姿を見るのは実は初めて。

 地理院地図に見る土浦城。北から城北町−中央−大手町−大町と続くのが水戸街道に沿った城下町で、微高地の上に街を形成したことが分かります。
 学生時代の歴史地理学の講義で、古絵図から土浦の城下町を現在の地形図(都市計画図)上に復元するレポートを書いたことがありますが、これだけ簡単に色別標高図を作れたら、もっといろいろ情報を盛り込めたのに。
posted by ふくだ at 23:46| Comment(0) | お城
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