2020年07月31日

桂離宮

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 桂離宮は江戸時代の初期に、八条宮智仁親王と二代智忠親王によって造営された宮家の別荘で、現在も宮内庁の管轄下にあります。
 智仁親王は子のなかった豊臣秀吉の猶子になるのですが、鶴松の誕生によって縁組を解消され、八条宮家を創設します。文芸や造園に秀でた人物で、豊臣家に近いことから皇位継承の目はなくなるのですが、徳川の天下が定まった1620年より桂離宮を造営しました。
 二代目の智忠親王は加賀前田家から正室を迎えたこともあり、前田家の援助を得て桂離宮は現在の形に整えます。宮家の収入だけでこの規模の別宅を建てるのは難しそうですが、前田家の後ろ盾があるなら納得です。

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 桂離宮の庭園。
 池の周りをぐるりと園路が取り巻く回遊式庭園で、歩く度にこれが同じ庭かと思うくらい目に映る景色が変わっていきます。変化に飛んでなおかつ破綻がなく、造園の造詣のない素人目にもすばらしさがわかります。

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 池の周囲には何軒かの茶屋が配されていて、それぞれが趣向を凝らした作りになっています。青一色の襖とか市松模様の床の間とかどういうセンスでこうなるんだ……すごい。
 建物に上がることは出来ないのですが、縁側に腰掛けるくらいは大丈夫(その時々の状況によるかも)。ちょっとだけ雅な気分を味わえます。

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 建物には様々な木材が使われています。この一枚の中に何種類の木を使っているのやら。一見質素に見えてひたすらに細やかな造り。
 茅葺きの屋根裏も見せることを意識して仕上げています。

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 砂利敷きのように見えて、実は上面が平らな小石を組み合わせて敷き詰めてある園路。石の組み合わせはほとんどパズルを組むようだとか。
 ピシッと角の決まった雨落敷も素敵。

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 様々な石を敷き詰めた延段。石は漆喰で固めてあります。直線が決まっているのが格好いいのと、突き当りの石灯籠が心憎い。
 花崗岩の一枚岩の石橋。自然を模している中に意図的にストレートな意匠を突っ込んできます。

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 桂離宮を代表する書院は外観の見学のみ。床が高いのは桂川の洪水に備えたものだとか。全体が南東を向いていて、これは昇る月を愛でるための仕掛けだそう。

 桂離宮の見学は予約が必要で、ネットもしくは往復はがきでの事前申込み・抽選となります。
 一回の見学時間は一時間。一時間ごとに一組ずつとなっているのは、景色の向こう側に他の組が入らず、回遊式庭園をしっかり味わうための配慮でしょう。
 宮内庁職員がガイドに付き、見事に過不足無く一時間で一周りしてきます。これほどの文化財の見学なので、最後尾に皇宮警察官がガード役で付いてきますが、皇宮警察の方とこれだけ間近に接したのも初めて。グループから離れての行動ができないので写真は撮りにくく、いっそ写真はスマホでスナップと割り切って、貴重な機会を目に焼き付けるほうが楽しめそうです。

20200731katsurarikyu13.jpg 桂離宮の周囲には帯状に水田が残されています。実はこれは宮内庁の土地。
 もともと桂離宮の周囲は農村地帯だったのですが、都市化が進むにつれてすっかり住宅街になってしまいました。このため離宮の景観を維持するために緩衝地帯的にこうした水田を保持しているのです。

 水田は近くの農家に貸して耕作していて、収穫も農家のものになるのだとか。住宅が近いところには水田の縁に樹木が植えてあって、離宮の中からは直接、現代の景色が見えないようになっています。
 文化財を守るというのはここまでやってこそなのだと思います。
posted by ふくだ at 23:45| Comment(0) | 地図と地理と遠出
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