2020年07月31日

京都文化博物館「明智光秀と戦国京都」展

20200731kyotobunpaku005.jpg
 京都文化博物館の「明智光秀と戦国京都」展。
 文書中心の渋めで質実な内容ですが、信長・光秀登場以前に遡って戦国京都の様相――複雑で混乱しまくりで人物の名前を追うだけでも大変――を紹介しています。

20200731kyotobunpaku012.jpg 入館料だけで展示の文書部分の解説がまるまる載っているパンフレットを頂けるのは嬉しい。キャプションは丁寧ですし、読み下し文のプリントも置いてあるので、古文書読めなくても楽しめる親切展示。

 文書は地味ではあるのですが、当時の社会の仕組みや人々の普段の仕事の様子を窺い知るために不可欠なもの。戦国時代といえども毎日、合戦ばかりしていたわけではなく、時代の背景を丁寧に押さえてこそ、なぜその時そのような判断や行動をとったのかが浮かび上がってくるわけです。

 やたらめったら国宝・重文の文書が多いのは、東寺百合文書が国宝、革嶋家文書が重文に一括指定されているからですね。
 明智光秀の書状は花押が書かれているものが3点。光秀の発給文書は数が少ないそうで、言われてみれば私もはじめて見たかもしれません。

20200731kyotobunpaku007.jpg 京都文化博物館の建物は元日本銀行京都支店。設計者はおなじみ辰野金吾と弟子の長野宇平治。
 現在は背後に鉄筋コンクリート造りの新館が建てられていて、博物館の機能はそちらに移されています。レンガ造りの建物は別館という扱いで、この日はホールでコンサートが行われていました。

20200731kyotobunpaku013.jpg20200731kyotobunpaku011.jpg
 カウンターやお客さんを見張ることもできる吹き抜けの通路があるのは辰野金吾が設計した銀行建築の旧唐津銀行と共通の造り。もちろん日銀京都支店の方がずっと大きいのですけど、なんとなく共通の知人と再会したような雰囲気を感じます。

20200731kyotobunpaku015.jpg20200731kyotobunpaku017.jpg
 ちなみに日銀京都支店の金庫は別棟で建設され、現在はカフェとして使われています。さすがに壁の厚さが大変なことになっています。
 元の金庫のドアでは開け閉めが大変すぎるので、さすがにドアは付け替えたはず。

20200731kyotobunpaku020.jpg20200731kyotobunpaku021.jpg

20200731kyotobunpaku023.jpg 京都は近代洋風建築も多く残っている街です。京都文化博物館から四条烏丸まで歩いだだけで、中京郵便局(上左・外壁保存)、みずほ銀行京都中央支店(上右・外観復元)、旧北國銀行京都支店(右)という具合。

 神戸も近代洋風建築の多い街ではあるのですが、太平洋戦争の空襲と阪神・淡路大震災を受けているので、残念ながら今に伝わらなかった建物も少なくありません。
 京都に寺社仏閣が多いのはともかく、近代建築までたくさん抱えているのにはちょっと妬けます。
posted by ふくだ at 23:47| Comment(0) | 博物館や美術館
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。