2019年10月17日

京都鉄道博物館 その1

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 京都鉄道博物館へ行ってきました。
 もともとこの地にあった梅小路蒸気機関車館に、大阪弁天町にあった交通科学博物館を統合する形で、2016年にオープンした鉄道専門の博物館です。

 日本最大の扇形機関庫は今も昔もシンボル的存在。前身の梅小路機関区は、エース級の機関車が集められていました。今の機関車では考えにくいのですが、蒸気機関車は車両ごとの個性が強いらしく、日本の大動脈、東海道本線と山陽本線を担う梅小路の機関区には、特に調子の良い車両を集めて配置したそうです。
 とはいえ私、蒸気機関車の現役時代は全く知りません。カッコいいとは思うのですけど、形式などはさっぱり。

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 いちおう知っているのは最大製造数を誇るデゴイチことD51、旅客用に作られた最大の機関車にて銀河鉄道999の牽引機でもあるC62。C62は2台あって、動態保存されているものにはツバメのマークが入っています(が、写真を撮ってない)。つばめは国鉄のシンボルで、超特急「燕」の名称にも使われ、プロ野球球団のスワローズの語源でもあります。それにしてもなんで国鉄がプロ野球球団を持っていたんだろう!?

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 展示車両から、屋内展示の500系新幹線。
 東海道・山陽新幹線の車両はJR東海が中心になって開発しているのですが、これはJR西日本の独自開発。関西-福岡の飛行機をシェアを奪うべく、300km/h運転を実現するために投入された車両です。円形の断面に尖った先頭部。翼のないジェット機のようなフォルムは、未来の車両そのものでした。
 現在は「のぞみ」を撤退し、山陽区間で「こだま」として走行中。個性の強い車両なので、ヱヴァンゲリヲンやハローキティとのコラボ企画にも投入されています。
 断面はほんとに真ん丸で、それ故に車内が狭く、ビジネスマンには不人気だったとか。製造本数も少なく、私が乗ったのは「のぞみ」2回と「こだま」1回のみ。後継のN700系は速度と車内空間のバランスが取れた車両になっています。

 500系の隣にいるのが581系寝台特急電車。昼は座席車、夜は寝台車として24時間働く車輌でした。晩年に急行「きたぐに」で運用されていた頃に一度だけ乗っています。現在は全車引退。

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 489系特急型電車。交直両用で北海道から九州まで走っていた485系特急型電車の信越本線横軽間協調運転対応型。どこでも走れるという意味では日本最強の特急電車でした。長野新幹線の開通前に特急「白山」で乗ったことがあります。
 その「白山」仕様の塗装が再現されていたのですが、表から見える部分だけで、裏側は赤とクリームの元の色なのでした。489系も既に全車引退。原型の485系もさすがに定期運用は無くなったはず。

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 元祖新幹線、0系。窓の大きな初期型の車輌です。
 グリーン車のドアが金属で縁取られていますが、これは初期型だけのもの。こんなん見たことないわ。まあ社会人になった頃には0系は既に一線を引き、山陽区間で普通車のみの短い編成で走っていたと思います。

20191017kyotorail002.jpg 80系電車。戦後の鉄道史を読んでいると必ず出てくる電車で、知られているのは先頭車両の窓が2枚のもの。ところがそれは一両も残っておらず、3枚窓の最初期型の車輌だけ残っているのだそうです。

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 103系通勤電車。最近まで大阪環状線を走っていましたが、兵庫県内では和田岬線と加古川線と播但線で現役なので、懐かしさの欠片もありません。

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 梅小路蒸気機関車館時代からの名物が、動態保存の蒸気機関車の運行。この日はD51型200号機が牽引機。
 隣の梅小路公園まで500mほどの線路を往復するのですが、山陰本線の高架の脇で、景色を期待できる場所ではありません。とりあえずSLの引く列車に乗ったことはなかったので、初体験となりました。

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 石炭と燃え殻。石炭を燃やしてこんなに灰が出るとは知りませんでした。駅に止まると機関車から掻き出していたそうです(新米の駅員の役目だったとか)。
 蒸気機関車が点検などの後、他の機関車に引かれて改装する様子を写真で見たことがあります。自走すればいいのにと思っていたのですが、蒸気機関車が走るためには一定の距離ごとに給炭と給水の施設が必要で、そんなものはとうの昔に撤去されています。鉄道ってほんと、システムだと思います。

20191017kyotorail097.jpg 展示されていた蒸気機関車の前照灯。
 特に説明はありませんでしたが、色合いから見てウランガラスです。大きい。
posted by ふくだ at 23:45| Comment(4) | 博物館や美術館
この記事へのコメント
ここは、かつて弁天町で展示されたものも置いてありますね。80系は弁天町で保存してあったものです。
確か、80系、特に二枚窓の車両は、「湘南形」と呼ばれ、長距離列車も電車で運用できることを示した、信頼度の高い車両で、その後の151系、新幹線などに電車を採用するようになったわけで……と言う話を聞いたことがあります。

でも、80系は釣掛駆動。カルダン駆動の新性能車が出てくる少し前の、過渡期の車両だった。

最後に乗ったのは、高校に入った頃、山陽線の普通列車でした。

ところで、弁天町にあった、国鉄ハイウェイバスの初代車両、まだあるでしょうか。
あの車両の時代の「ドリーム号」も、何度か乗っています。
Posted by なかを at 2019年12月11日 21:31
弁天町は2回か3回ほど行ったのですが、80系電車はぜんぜん覚えていないのです。もともとジェットエンジンを見に行ったとか、KAGAYAさんの企画展を見に行ったとか、鉄道以外の目的で行ったということもあるのですが。

実際に私が乗ったことがあるのは、後継の113/115系以降で、こちらは私が関西に引っ越してきた当時、まだ東海道・山陽線の快速に残っていました。
(ていうか今も岡山あたりはバリバリ現役)

国鉄ハイウェイバスの初代車両は常設展示はないのですが、西日本JRバス京都営業所に引き取られ、イベントなどのときに展示されているようです。
https://blog.goo.ne.jp/zankenziro223/e/280a533d65302f636499359f252146df
Posted by ふくだ at 2019年12月12日 16:00
そう言えば、キハ80も……
弁天町では「くろしお」のヘッドマークをつけていましたか、東日本の人達にとっては、やはり、「はつかり」。
581は「月光」「明星」、583は「ゆうづる」「はくつる」というイメージです。「白山」は489の一択でしたね。
Posted by なかを at 2019年12月12日 21:53
はい、いかついボンネットは「くろしお」のヘッドマークでした。

私の世代だと「はつかり」は485系か583系なんですよね。すぐに東北新幹線が開通して盛岡以北に短縮されてしまいました。「ゆうづる」「はくつる」はかなり後まで走っていたように思います。常磐線経由の「ゆうづる」のほうが何となく親しみがありました。

一方で581系の山陽線の電車寝台特急は記憶がなくて……
高校生の頃に18きっぷで九州へ行ったとき、普通車に改造された715系に乗ったのが最初(?)でした。
九州鉄道博物館には715系から復元した581系が展示されていたはずです。
Posted by ふくだ at 2019年12月12日 23:12
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