八幡神は武家の崇敬篤い神様で、鎌倉の鶴岡八幡宮は源頼義がここから勧請したもの。源義家の別名、八幡太郎も、彼が石清水八幡宮で元服したことから付けられたものです。
そういえば屋島の戦いで那須与一が扇の的を射る際の祈りが「南無八幡大菩薩、日光権現宇都宮」与一は今で言う栃木の人なので日光権現宇都宮(二荒山神社)が出てきますが、それでも最初に出てくるのが八幡大菩薩なのですね。
八幡宮は応神天皇を祀っているのですが、総本社は大分の宇佐神宮。おそらく大和朝廷と結びつく際に応神天皇を祀ることになったのではないかと思います。神仏習合時代は八幡大菩薩として仏教と不可分でしたが、明治の廃仏毀釈の際に神宮寺的な建造物はことごとく撤去されました。
現在の社殿は織田信長・豊臣秀吉・秀頼・徳川家光と天下人の系譜に連なる綺羅星の如き人々が建造修復を手掛けています。
社殿は国宝に指定されていますが、回廊と拝殿しか見えません。とはいえこの回廊部分までが国宝です。
北東の石垣は鬼門除けの切り欠きがあります。京都の北東の鬼門に比叡山延暦寺があり、南西の裏鬼門にあるのが石清水八幡宮です。なので石清水八幡宮の鬼門には京都市街があるのですが……細かいことはいいのです、たぶん。
一日2回、11時と14時に内部で参拝する事ができるのですが(要料金)、着いたときには既に11時を少しだけ回っていました。すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。
社殿の周囲の土塀は織田信長の寄進。そういえば名古屋の熱田神宮にも信長塀があります。
「信長は塀が好きなんだって」「へぇ〜」
トーマス・エジソンが白熱電球を実用化した際、フィラメントに日本の竹を使ったことが知られています。京都の竹までは紹介されることがありますが、実は石清水八幡宮の境内の竹だというのはここに来て初めて知りました。その縁で境内にはエジソン記念碑があります。
世界の照明を変えた白熱電球ですが、蛍光灯そしてLED電球に代わられ、一般用途としては社会的使命を終えつつあります。栄枯盛衰は世の必定。
ケーブル山上駅のそばにある展望台。京都市街を一望に見下ろす眺望で、市街の向こうには比叡山の稜線まで見えます。
京都盆地の南西の切れ目にあり、淀川を挟んだ対岸の山は、羽柴秀吉と明智光秀が雌雄を決した山崎の戦いで有名な天王山です(左写真)。
ボランティアの方が眺望の説明をされていたのですが、それを聞いていた若い女性が「もしかしてサッカーで優勝がかかったような試合を『天王山』ていうのは、ここから来ているんですか!?」と驚いていました。はい、その通りです。
山崎の戦いまでなら高校日本史で出てきますが、戦いの帰趨を握ったとされる天王山の名前までは教科書に載ってませんものね。
石清水八幡宮にある松花堂跡地。現代で松花堂といえば松花堂弁当を思い浮かべますが、もとは石清水八幡宮の社僧の昭乗が境内に結んだ庵の名です。
お弁当は昭乗と直接のつながりはないのですが、昭和の初めに松花堂の名を取った茶室で出された弁当が好評を得たことから、松花堂弁当の名が広がったとのこと。

「徒然草」の一節に、仁和寺のお坊さんが念願の石清水八幡宮の参拝にでかけて、山麓のお宮だけ拝んで帰ってきた話が綴られています。「みんな山へ登っていくけど、山上に何かあったのかな。私はお参りが目的だったので登らず帰ってきちゃいました」という、ちょっとそそっかしいお話。
徒然草は枕草子と並ぶ古典エッセイの名作。この章は古文の教科書でよく取り上げられるので、600年近くたった今なお語り継がれることになってしまいました。
頓宮の奥に巨大な五輪の塔があります。国指定重文。高さ6mという巨大なもので、航海記念塔と呼ばれ、海の安全を祈って建てられたものと伝わっています。もっとも築造年などは不明で詳しいことは分かっていません。
一の鳥居の扁額。八幡宮の「八」は鳩が向き合った姿をかたどっています。 鎌倉の鳩サブレーも鶴岡八幡宮のこれから取ったのでしょう。