2019年11月10日

百舌鳥古墳群巡検 その1

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 よるうどんさん @nightudon と行く百舌鳥古墳群巡検。ふだんは天文関係でお世話になっていますが、堺の出身で中学の頃からの筋金入りの古墳ファンということで、歩きやすい季節に散歩しましょうと話をしていました。この日は総勢4人。あと2人はよるうどんさんの高校と大学の後輩ということで、「福田さんがいちばん一般人」だそうです。大丈夫かこの面子。

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 南海電車の堺東駅集合。
 まずは最初に堺市役所展望ロビーから、古墳群の全貌を見下ろします。この日は透明度がよく、明石海峡大橋の主塔まで見ることが出来ました。

 さて、百舌鳥古墳群を見下ろせるポイントはここだけです。大山古墳(伝仁徳陵)とミサンザイ古墳(伝反正陵)は墳丘の形も分かります。とはいえ鍵穴型の平面が見えるわけでなく、前方部と後円部のそれぞれのピークが分かるというくらい。市役所は古墳群の北側にあるため終日逆光で写真写りは悪いのですが、眼視なら意外に雰囲気はつかめます。

 大山古墳は日本最大の古墳で墳丘の全長486m、ミサンザイ古墳は第3位で全長365m。奥に見えている御廟山古墳は全長203m。兵庫県最大の五色塚古墳が全長194mで、御廟山古墳とほぼ同じクラスの大きさですが、遠近感を考慮してもスケールがおかしい。

20191110sakai016.jpg 市役所のロビーには世界遺産認定証書のレプリカが展示してありました。
 「Mozu-Furuichi Kofun Group:Mounted Tombs of Ancient Japan」だそうです。意外にストレートな英訳名称。

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 さて堺東の駅に戻り、ゆるやかな坂道を登ります。坂の上が上町台地の段丘面で、比高が10mほどあります。
 最初に訪問したのは田出井山古墳(伝反正天皇陵)。築造年代は5世紀中頃。百舌鳥古墳群の中で天皇陵に治定(じじょう)されている古墳は、伝仁徳陵・伝履中陵・伝反正陵の3つありますが、その中では最も小さい古墳(それでも148mある)。天皇陵の治定は考古学的が未発達な幕末から明治期にかけて行われたので、天皇の在位推定(これもはっきりしないのですが)と古墳の築造年代がずれているなど、学術的には未確定なものがほとんどです。

20191110sakai025.jpg 田出井山古墳のビューポイントとして訪問した方違神社。「方違」はほうちがいと読み、摂津・和泉・河内の三国の接点であることから方位のない場所ということでこの名があります。近くの「三国ヶ丘」も三国の接点が由来。
 もともとは方違神社には向泉寺という神宮寺があり、1kmほど南に向泉寺閼伽井跡があります。どれだけの大きな寺院だったのか。行基が掘ったことになっていますが、関西の古い土木事業は大体が行基、少し新しいと弘法大師が手掛けたことになっています。
 神社の写真を取っていなかったので、写真は境内から見た田出井山古墳の後円部。

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 田出井山古墳の陪冢、天王古墳と鈴山古墳。いずれも住宅地の中にある方墳。百舌鳥古墳群のなかで方墳は珍しいのだとか。木が狩り払われているので、形がよくわかります。 もっとも千数百年を経ているので、きれいな四角ではなく、大いにゆがんだ形になっています。

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 途中で上町台地の谷地形など観察しながら、そのあと大山古墳に向かう途中で通った竹内街道と西高野街道の分岐点。竹内街道は飛鳥と難波を結ぶ古代に整備された官道で、いまも生きた道であることに感動しました。

20191110sakai049.jpg 上下合わせて6車線の現代の大道、大阪中環状線を超えると大山古墳の北端です。
 道の向こうに見えるは永山古墳。この辺りのこんもりとした森はだいたい古墳とみて間違いなし。ただし規模の大きな永山古墳は大山古墳の陪冢ではないとする意見もあるとか。


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 茶山古墳と丸保山古墳。茶山古墳は円墳で、大山古墳の二重目と三重目の堀の間にあります。
 丸保山古墳は帆立貝形前方後円墳(前方部が小さくて平面形が帆立貝に似た古墳)。こちらも大山古墳の外周近くにあり、いずれも宮内庁が管理していて陪冢とされています。

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 大山古墳の三重の周濠のうち、最外周は明治期に掘られたものです。上町台地の傾斜を反映して土手で何段かに区切られています。 樋の谷古墳の脇に排水口があり、下流の堺環濠都市の水源となっていたとか。周濠は溜池でもありました。
 なお樋の谷古墳自体はただの微地形で古墳ではないとする見方もあるようです。

 大山古墳の外周は2,750mあり、市民の散歩道やランニングコースになっています。周濠が三重にもなっているため、中間の土手に生えた樹で視界が遮られて、墳丘が見えるポイントが限られてしまいます。今回はよるうどんさんの解説付きでしたが、そうでなければ半周するうちに飽きそうな規模。

20191110sakai063.jpg 大山古墳の南西隅にある銅亀山古墳は百舌鳥古墳群では珍しい方墳。珍しいとはいえ、この日3ヶ所目なので、レア感のかけらもありません。古墳群全体の数が多すぎるのです。
 表面の植生が刈られていて、二段になったテラスがよく分かります。

20191110sakai066.jpg この銅亀山古墳が大山古墳の南西端になります。振り返れば大山古墳の三重目の周濠が一直線に伸びています。
posted by ふくだ at 23:45| Comment(2) | 地図と地理と遠出
この記事へのコメント
すばらしい青空ですね。2008年3月23日の牛久城の日も良い天気でしたから、ふくださんは晴れ男なんでしょうね。
良さそうなコースですが、赤線は何Kmほどありますか?
大阪へ行ってもなかなか十分な時間歩けませんが、一部分だけでも行ってみたいです。
Posted by かすてん at 2019年11月15日 18:38
昼間晴れるのはありがたいですけど、夜間の星見のときにこそ晴れてほしいものです(切実)

今回歩いたルートはだいたい8kmくらい、大仙公園を回った分を抜けば7kmくらいでしょうか。
Posted by ふくだ at 2019年11月17日 00:00
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