2019年11月05日

飛鳥サイクリング(10月20日)

 近鉄飛鳥駅で降り立ち、キトラ古墳へはバスで行くつもりでしたが、なにせ秋晴れの好天。
 駅前のレンタサイクル屋さんでうっかり自転車を借りてしまいました。ママチャリは覚悟していたのですが、予想していなかったことにまさかのギアなし車両。飛鳥は意外に坂だらけのに大丈夫なのか!? お店の人に確認したら「坂道を登れるようにギア比は低めに設定してある」とのこと。

 実は飛鳥駅は飛鳥一帯でも標高の低い場所にあり、どこへ行くにも最初は上り坂です。
 キトラ古墳は飛鳥の中でも外れの位置にあり、ゆるいながらも延々と上り勾配が続きます。私は漕ぎきりましたが、途中で高齢の方一人と若者一人が自転車を降りて押していました。

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 キトラ古墳の見学後、何気に飛鳥の中心部へ向かって走っていると、遠くに抹茶プリンのような古墳が見えました。高松塚古墳です。飛鳥で整備された古墳はキトラと高松塚だけなのですぐ判別できます。
 目に入ったからには仕方がないので寄っていきます。
 高松塚古墳の石室天井には二十八星宿が描かれていて、古墳の周囲はそれにちなんだ「星宿のひろば」になっています。本物の壁画は修復作業施設に保管されていて、キトラ古墳同様に年に何度か公開されていますが、今回は期間を外れています。複製模写した壁画を展示する壁画館もあります(以前に見学したので今回はパス)。

20191020asuka024.jpg 高松塚古墳を後にして、あれに見えるは天武・持統統合陵。
 飛鳥に限らず天皇陵の多くは正確な埋葬者が分かっていないのですが、天武・持統陵は数少ない例外の一つ。実は鎌倉時代に盗掘を受けた際の記録が残っていて、それを元に特定されているのです。なんともはや因果なお話。

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 川原寺。天智天皇が斉明天皇の川原宮の跡に創建したと言われています。寺は後に焼けてしまうのですが、発掘調査に基づいて広大な伽藍の礎石や基壇が再現されています。ボランティアガイドの方に教えて頂いたのですが、いま見えている礎石はFRP製で本物は遺構保護のために土の下。言われるまで気づかないほどよく出来ています。

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 金堂の跡には現在、弘福寺という寺院が建っています。境内に旧金堂の礎石が残っていて、これは当時のもの。大理石を礎石にした珍しい例。めのう石とも言われているそうですが、結晶の粗い部分がめのうのように見えたのかもしれません。

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 飛鳥板蓋宮。かつては伝飛鳥板蓋宮と言われていましたが、発掘調査の結果、舒明天皇の岡本宮、皇極天皇の板蓋宮、斉明天皇の後岡本宮と天武・持統帝の浄御原宮の3期4つの宮殿遺構が重なっていることが分かりました。
 蘇我入鹿が暗殺された乙巳の変は板蓋宮時代の出来事で、ボランティアガイドの方曰く「向こうに見える赤いトタン屋根のあたりですね、入鹿が殺されたのは」という感じ。村の中の事件のお話を聞いているような感覚になります。

 お話をしていてなるほどと気付かされたのは、板蓋宮のこと。板葺きの建物というと粗末とは言わないまでも簡素な建物を想像してしまうのですが、大鋸が登場する室町時代以前は板を作るのがとても手間のかかる作業で、板をふんだんに使った建物自体が珍しかったのです。大鋸と板のことは神戸の竹中大工道具館でさんざん聞いた話なのに、なぜ思い至らなかったと自分の頭の硬さに呆れる次第。そう、板蓋宮は輝かしい名前だったのです。
 こんな調子でボランティアガイドの方とお話をするたびに順調に予定時間を過ぎていきます。

20191020asuka081.jpg 明石市立天文科学館にお世話になっている身として、水落遺跡は外すわけに参りませぬ。ほとんど表敬訪問ですが、脇を通りかかったのでサクッと見学。

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 甘樫丘。飛鳥寺を見下ろす場所にあり、かつては蘇我蝦夷・蘇我入鹿親子の邸宅があったと伝えられています。
 木々さえなければ板蓋宮が丸見えになるところで、飛鳥寺と甘樫丘に塀を入れれば板蓋宮を封鎖できる立地です。蘇我さんこれはさすがにやりすぎましたね、というところですが、現在残る史書は蘇我氏を倒した立場から書かれたもの。蘇我氏視点では板蓋宮の防壁になるように屋敷を構えたという解釈もでき、その辺りの想像を自由に楽しむのは門外漢ならでは。

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 藤原京。ここは明日香村を出て橿原市の領域。
 藤原京は日本で初めて本格的な条坊制のもとに築かれた都市で、中央部に藤原宮があります。かつては水田の中にポツリと木々の茂った大極殿跡の土壇があったように記憶していたのですが、現在はすっかり周囲の整備が進んで、門の跡には柱を示すモニュメントが建てられています。

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 コスモスの大きな畑があって、大勢の人で賑わっていたのもびっくり。多少の持ち土をすれば遺構を傷めるものでもないし、多くの人が足を運ぶことになるので、うまいこと考えたなと思いました。

 レンタサイクルは橿原神宮駅で乗り捨て返却。走行距離は17.2km。ロードバイクならなんてことない距離ですが、ママチャリだとさすがに疲れを感じました。
posted by ふくだ at 23:47| Comment(0) | 地図と地理と遠出
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