2019年09月22日

プラネタリウム「江戸時代の星空でござる」

 明石市立天文科学館9月のプラネタリウム「江戸時代の星空でござる」。
 明石築城400年にちなんで江戸時代の天文学の話題。

 「蛸壺やはかなき夢を夏の月」という芭蕉の句碑が天文科学館の北、人丸神社の前にあります。
 芭蕉は元禄時代の人で、同時代の人物に日本独自の暦を作った天文学者、渋川春海がいます。

 当時の日本は西洋の星座が入る前で、中国の星座の「星宿」を使っていました。解説の中でこの星宿を描いた星図を全天周映像で映すのですが、全天を隙間なく覆う星と漢字の情報量に酔いそうになりました。
 渋川春海は改暦事業の一方で、中国由来の星宿に定められていない星をつないで、日本独自の星宿を加えました。というのは知識としては知っていたのですが、この渋川春海が追加した星宿も紹介。なんとなく隙間を埋めるようなものばかりかと思っていたのですが、割と大きな星宿もあり、意外な思いで眺めていました。

 ときおり当時の江戸市中の再現映像が入るのですが、幕府天文方が拠点とした浅草天文台の様子も紹介。江戸時代の天文台は会津藩の日新館のものが現存していますが、高台をつくって観測機器を置いていました。天文「台」とはよく言ったものです。

 この浅草天文台の高橋至時に学んだのが伊能忠敬で、彼は幾度も測量で明石に足を運んでいます。
 伊能図には明石城と城下町が描かれていて、大蔵谷には天測をしたことを示す☆印が、そして現在の人丸神社・月照寺である人丸社にも測量の線が伸び、ここに足を伸ばしたことが示されています。
 伊能忠敬も後にここに天文科学館が建つとは思いもよらぬことだったでしょう。

 ということで人丸山に始まり天文科学館に戻る江戸時代の星空のお話。中身も濃くて楽しい投影でした。
posted by ふくだ at 23:45| Comment(0) | 明石市立天文科学館
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