2019年05月30日

太田茶臼山古墳(伝継体天皇陵)

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 太田茶臼山古墳は大阪府茨木市にある前方後円墳で、墳丘の長さは226m、全国で21番目の規模の古墳です。
 墳丘長200m前後の古墳は数も増えてきて、例えば194mの神戸の五色塚古墳は全国でも40位前後となり、数mの違いで大きく順位が変わってきます。

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 宮内庁は継体天皇陵としていますが、古墳の築造年代は、墳丘の形状や周辺で出土した埴輪などから5世紀半ば(450年頃)と推定され、531年とされる継体天皇の没年とは80年もの差が開いています。近くにある今城塚古墳は築造年代が6世紀前半とされていて、こちらが本当の継体天皇陵というのが現在の定説になっています。

 現在指定されている天皇陵は江戸時代後半から明治にかけて比定されたもので、考古学の未発達な時期に文献と実地調査で調べたものです。当時の限界からやむをえぬこととはいえ、現在の学術的水準からは疑問符がつくものが多いのが現状です。

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 古墳の南側の前方部正面に天皇陵としての拝所があります。ただここからは堀の向こうにこんもりした丘が見えるだけで、前方後円墳の全貌は伺えません。古墳の南東側に周濠の外周に接した道路があり、ここから古墳の形を観察できます。原型をよく保っている古墳で、端正な姿を(想像力を働かせて)見ることが出来ます。

20190530takatsuki045.jpg 太田茶臼山古墳は淀川中流域に初めて出現した巨大古墳で、古市古墳群のいくつかの古墳と同じ形を持つことから、当時の王権と関わりの深い人物が埋葬されていると考えられています。

 太田茶臼山古墳の周囲には陪塚が複数あり、そのうちの一つが古墳の直ぐ側の公園にあります。こうした陪塚も大王墓に特徴的なもので、江戸や明治の人々が天皇陵に比定した気持ちも分からなくはありません。
posted by ふくだ at 23:47| Comment(0) | 地図と地理と遠出
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