2019年05月30日

史跡新池埴輪製作遺跡

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 高槻市の北郊に史跡新池埴輪製作遺跡があります。「ハニワ工場公園」の名で公園として整備されています。斜面を利用した登り窯が18基発見されていて、近隣の今城塚古墳や太田茶臼山古墳の埴輪を製造していました。

 18基のうち2基の窯が復元されています。また発掘後に埋め戻された窯は植え込みでその位置を示しています。

 年代的には、復元された2基を含む3基の窯が450年頃につくられ、太田茶臼山古墳の埴輪を製造。
 のち5世紀のうちに5基の窯がつくられ、付近につくられた古墳の埴輪を断続的に製造。
 530年頃に10基の窯が作られ、今城塚古墳の埴輪を製造。その後、同古墳築造の終了とともに埴輪造り終了。

 ということで、およそ100年近くに渡って埴輪を製造し続けた、今で言えば工業団地的な村でした。
 
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 いちばん北端にある18号窯は発掘した現場を覆屋で保護して、そのまま見学できるようになってます。断面がミルフィーユのように色の違う土が重なっているのが見えたので、版築で土台を作ったのかと思ったら、焼けた土の層が何層も積み重なっているのだそうです。使っているうちに底が埋まって、何度も改築が繰り返されたのでしょう。

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 遺跡の上部には工房跡とされる3棟の大きな建物跡が見つかり、うち2棟が復元されています。これらは初期の太田茶臼山古墳の時代に使われたもので、今城塚古墳の頃には村人の住居で作業していたことが分かっています。
 右写真は復元された登り窯を上部から見たもので、煙出の穴が見えています。

 今城塚古墳だけで6000基以上の円筒形埴輪が使われたと推定されています。重量物の埴輪を1km以上運ぶのも大変なら、そもそもそれだけの埴輪を作る粘土も燃料の薪も、相当な量が消費されたはずです。
 巨大古墳の築造が一大プロジェクトである一端を垣間見ることが出来ます。
posted by ふくだ at 23:46| Comment(0) | 地図と地理と遠出
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