2019年05月02日

瀬田の唐橋

 瀬田の唐橋は琵琶湖から流れ出る瀬田川の橋です。
 瀬田川は琵琶湖から流れ出る唯一の川で、水量も多く、戦術的に京都の東の防衛線としての役割がありました。そのため、ここに架けられた瀬田の唐橋は古来、数々の戦乱の舞台となりました。

 壬申の乱 (東)大海人皇子○ vs ×大友皇子(西)
 藤原仲麻呂の乱 (東)吉備真備○ vs ×藤原仲麻呂(西)
 治承・寿永の乱 (東)源範頼○ vs ×木曽義仲(西)
 承久の乱 (東)武家方○ vs ×宮方(西)

 南北朝以降は数が多くてよくわかりません。
 だいたい西側に陣をおいた側が負けるのですが、これは瀬田まで進軍された時点で、戦略的な大勢が決していたことも大きいでしょう。
# 藤原仲麻呂の乱は橋の東にある近江国府を狙った仲麻呂軍を、朝廷側の吉備真備が瀬田橋を焼いて防戦した形。

 古くは現在の橋の90mほど下流で、古代の橋の遺構が発掘されています。大津市歴史博物館に復元模型が展示されていますが、おそらくは壬申の乱の当時に遡るものであろうとのこと。
 その後は流出や焼亡と再建を繰り返し、およそ現在の形に固まったのは織田信長の時代とされています。

 現在の橋は1979年に架け替えられたもので、鉄筋コンクリート造。欄干や擬宝珠が設けられ、古来の橋に似た意匠です。
 今でも南北1kmの範囲に、北から東海道本線、国道1号線、旧東海道(瀬田の唐橋)、東海道新幹線、名神高速道路と東西の大動脈が集中しています(地図写真は現地の案内板より)。
 通過する時はJRか新幹線か高速道路が多いので、唐橋をわたるのは先日MIHO MUSEUMによって以来ですが、その前となると学生時代にまでさかのぼってしまいます。

 ここより南は瀬田川の両岸は山ばかりの地形となり、再び開けた地形となるのは宇治橋のあたりとなります。こちらはこちらで多くの戦いの舞台となりますが、それはまた別のお話。
posted by ふくだ at 23:47| Comment(0) | 地図と地理と遠出
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