2018年08月04日

小田城(茨城県つくば市)

 茨城県つくば市の小田城。鎌倉時代から続く名家、小田氏の本拠です。
 国指定史跡にもなっていますが、これは南北朝時代に北畠親房が常陸南朝の拠点として神皇正統記を執筆した故事を評価された面が強く、現在残る遺構は戦国時代末期のものです。

 常総地方の城郭は洪積台地の縁の高低差を利用したものが多いのですが、小田城はまっ平らな占地。小田氏が初期に館を置いた場所を、そのまま使い続けたのだと思います。
 戦国時代には落城に次ぐ落城を重ね、小田氏最後の当主である小田氏治はゲームなどを通じて「戦国最弱」として有名になります。2018年にはNHKの歴史秘話ヒストリアで小田氏治をテーマとした回が作られるほどになり、NHKの正気を疑いました(いいぞもっとやれ)。

 かつては低い土塁に囲まれた主郭と、周囲より一段低い細長い水田の堀跡が城跡を物語っていました。主郭の中央を筑波鉄道が両断し、その筑波鉄道も廃線となり、「兵どもが夢の跡」を体現する雰囲気だったのを覚えています。

 その後、2004年からつくば市が本格的な発掘調査を開始、2016年に調査結果を元に歴史公園「小田城跡歴史ひろば」を整備して公開しています。私が知っているのは1990年代前半の姿で、今回は面目を一新して以来の初訪問となります。

 冒頭の写真は再現された小田城主郭の模型。
 方形館を拡張したシンプルな形に見えますが、堀は障子堀、隅の櫓台は突出して虎口に横矢をかけ、意外な重防備です。実はこれは小田城の最終期に佐竹氏によって改修された姿。

 小田氏治が小田城を最後に失陥したのは1573年(1567年とも)。秀吉の小田原平定までの約20年間は佐竹氏の最前線にあり、その間は佐竹氏による改修が行われたことになります。ついつい小田氏のイメージで見てしまうのですが、後北条氏の関東制覇を阻んだ常陸の雄の手が入った城と見ると、また印象が違ってきます。

 小田原攻めの半年前、1590年1月に小田氏治は小田城に大攻勢をかけますが、今一歩及ばずに撤退。強化されたかつての居城の姿に歯噛みしたことでしょう。
 北条方に付いた小田氏は改易されますが、氏治は結城秀康の客分として越前で天寿を全うします。

 上記の模型があるのは旧筑波鉄道常陸小田駅跡に建てられた「小田城跡歴史ひろば案内所」。
 発掘調査を元に小田氏と小田城の歴史が展示されていて、小ぶりながら充実した内容。つくば市いい仕事してます。
 職員の方とお話したのですが、「ヒストリア」の放送以降、全国各地から小田氏の末裔の方がやってきて、青森と沖縄以外の都道府県に散らばっているのだとか。

 主郭と東・南西の馬出しが整備されていて、土塁は以前より高く積み増しされています。2mまで積んだそうですが、これでもまだ往時よりは低いはず。
 南西の馬出しへの虎口は石積みが発掘されました。これは整備以前では知られていなかったもの。

 主郭の内部は建物跡や庭園が整備されています。
 ほぼ100m四方の主郭の内部は3つほどに区画され、西側に主殿がありました。主殿の建物や庭園の配置は室町期の武家屋敷の標準に則ったつくりで、小田氏が歴史ある氏族であることを物語っています。

 土塁や堀は分かりやすくなりましたが、以前の状況を知っている身としてはきれいになりすぎた感もあります。とはいえそれは贅沢な感想で、土塁と空堀で作られたこの地域の中世城郭の姿を分かりやすく伝えるには、よい整備をされたと思います。

 整備されていない部分の堀跡。写真中央の低くなった部分がそれで、以前の小田城はこれをたどって縄張りを推定したのでした。

 唯一残念なのは、筑波鉄道跡に整備されたサイクリングロード。
 鉄道時代は主郭を真っ二つに分断していたのですが、自転車道は主郭を迂回するルートを採っています。これが主郭の南から西側にかけて、土塁の下を犬走りのように取り巻いて、雰囲気を損ねています。将来はもう少し外側の曲輪を通るよう再整備してもらえると良いなと思います。
posted by ふくだ at 23:47| Comment(5) | お城
この記事へのコメント
>ついつい小田氏のイメージで見てしまうのですが、後北条氏の関東制覇を阻んだ常陸の雄の手が入った城と見ると、また印象が違ってきます。
 さすが福田さん。私もそこは小田城を見るときの大きなポイントだと思っています。復元された姿もその時期ですしね。その割に、佐竹の城という意識は薄い様に感じます。年明けから3ヶ月間茨城新聞紙上で、茨城城郭研究会が順次茨城県の城郭を紹介しますが、小田城は私が担当しました。この部分も注目してねと書いておきました。ご実家は茨城新聞をとっていますか?いなければ後でメールで送りましょうか。
Posted by かすてん at 2018年12月25日 08:25
全然話は違いますが、福田さんはヤンマガに連載された小林じんこさんの『風呂上がりの夜空に』にはまった世代でしょうか?もしそうでしたら、28日までですが、土浦の街中(メイン会場は亀城公園近く)で小林じんこ展が開催されていますので、帰省の機会にお立ち寄りください。私の友人たちが実行委員をしています。
http://chiryudo.com/gaban/jinko/
Posted by かすてん at 2018年12月25日 08:31
小田城の起源を鎌倉時代まで遡るとして、500年の歴史のうち佐竹の時代は最後の30年だけなので、どうしても「小田氏の城」になってしまいますね。

もっとも大坂城は、300年の歴史のうち豊臣時代は最初の30年だけなのに「太閤さんの城」ですけれども。

新聞、よろしければメールお願いいたしますm(_ _)m


『風呂上がりの夜空に』は恥ずかしながら初めて知りました(連載当時はまだ少年誌しか読まない年頃でした)。マンガ図書館Zで公開されているそうなので、今度読んでみます。
Posted by ふくだ at 2018年12月29日 07:55
私にとっては、ヤンマガ創刊時の『P.S. 元気です、俊平』が同時代で、福田さんと反対に『風呂上がりの夜空に』の前にヤンマガを卒業してしまっていました。
新聞連載は1月末頃かららしいです。メールで送りますね。
城址整備では小田城の最後の姿を見せながら、あいかわらず小田小田というのも誤解のもとなので、今後はそこらに配慮した解説が必要かなと感じています。
Posted by かすてん at 2018年12月29日 10:59
料理で言えば最後に味を整えたのが佐竹ですものね。

小田城とセットで語られる関城と大宝城も、史跡説明では南北朝時代のことばかり語られるのに、現在残る遺構は戦国時代のもので、歴史的に重要視される年代と遺構の年代がずれています。

どちらを優先すべきという話ではないので、両方おさえて楽しみたいものです。
Posted by ふくだ at 2018年12月29日 11:42
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