2018年08月03日

両国界隈

 「両国」の名は、かつては隅田川が武蔵国と下総国の国境だったことから名付けられたといいます。
 JR両国駅。かつては総武本線の始発駅で、行き止まりのターミナル駅でした。クラシカルな雰囲気の駅舎や、やたら広いコンコースはその名残。コンコースは現在飲食店街として整備されていて、その一角に原寸大の土俵が再現されています。

 両国の名を冠するもので一番知られているのは両国国技館でしょう。1985年から使用されている国技館は2代目で、戦前に建設された先代の両国国技館は回向院の境内にありました。昭和後期は少し離れた蔵前に国技館があったのを覚えています(テレビで見ただけですけど)。

 国技館内部は見学できないのですが、敷地内に入ることは出来ます。人気力士の等身大パネルが置いてあるのはちょっとしたファンサービス。

 建物の一角に相撲博物館があり、こちらは見学可能。とはいえ土日祝は原則休みなので、なかなかチャンスがありません。スペースはさほど広くなく、ほぼすべてのエリアを企画展示に当てています。このときは「七夕と相撲」という天文好きにも面白いテーマ。せっかくなので、もっと展示場を広げて、相撲の歴史を紹介する常設展を充実させてくれたら、さらに素晴らしいと思います。
 相撲博物館の向かいに日本相撲協会の事務所。土俵以外の不祥事の話題も多いこの数年。「国技」の伝統にあぐらをかくことなく、正すべき点は正し、時代に合わせた改善を行い、誰もが楽しめる相撲であってほしいです。



 ということで、街を歩けば相撲部屋があります。通りかかったところだけでも、春日野部屋、井筒部屋、出羽海部屋、時津風部屋。

 料亭「井筒」の案内板。池波正太郎の代表作「鬼平犯科帳」に出てくる料亭ですが、説明文を読む限り、本当にあったのか、あったとしたらこの辺りということなのか、判然としません。現実と空想の狭間を楽しむのも時代小説の味わい。

 回向院の近くに花火博物館がありました。展示室一部屋の小さなものですが、現在は名前を変えて隅田川花火大会となった両国花火大会の歴史や現在の花火の技術を知ることが出来ます。

 両国の本所松坂町といえば忠臣蔵で有名な吉良上野介義央の屋敷があったところです。現在はその一部が公園となっています。
 吉良家はもともと足利氏の一族で三河国(愛知県)に勢力を張っていました。足利一門の中でも家格が高い家で、後に徳川家からも重用され、儀礼を司る高家として江戸時代を迎えます。
 吉良上野介義央は忠臣蔵の物語では悪役として描かれますが、三河の領地では善政を敷いた名君とされています。隠居後に本所松坂に屋敷を移しますが、当時のこの一帯はいわば開発途上の郊外のニュータウンで、赤穂浪士からすれば討ち入りしやすい条件でした。

 芥川龍之介も両国の生まれ。これは街角で偶然見かけた看板を見て知りました。下町っ子だったんですね。
posted by ふくだ at 23:45| Comment(2) | 地図と地理と遠出
この記事へのコメント
この界隈での私のチェックポイントは、横網町公園と復興記念館。

公園内や近所には、被災樹木もあり、8月15日が近くなると、ふと訪れて震災や戦災の記憶を確かめに行きたくなります。
Posted by なかを at 2018年12月20日 21:54
「横網町」はついつい雰囲気につられて「横綱町」と誤読してしまいます(網と綱もかなり似ている)。

横網町公園は陸軍被服廠の跡地なのですね。関東大震災の火災旋風で多くの方が亡くなった場所というのは知っていましたが、今の地名とは頭の中でつながっていませんでした(近くの江戸東京博物館にも関東大震災の展示があるのに)。

今度機会があったら足を運んでみます。
Posted by ふくだ at 2018年12月23日 23:22
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