2018年06月03日

佐和山城(滋賀県彦根市)

 石田三成の居城として知られる佐和山城。
 彦根城に機能を移し、廃城となりますが、佐和山城の破却は徹底したものだったようで、最高所の本丸の石垣はほぼ残っていません。

 ふつうは夏に山城へいくことはないのです。草が茂って遺構がわかりにくいですし、虫も出ますし、だいたい暑い。
 ただ彦根城からみた佐和山城がすぐ近くに見えたのと、市の教育委員会の方が「30分もあれば登れますよ、道は急ですけど」と親切に登山道への行き方まで教えてくださったので、ついついその気になってしまいました。

 佐和山城の大手は現在の彦根市街の反対側に開かれていました。
 現在の登山道は井伊家の菩提寺である龍潭寺の境内から始まっていますが、これは城の裏手からの道となります。ハイキングコースと称していますが、距離は短いものの、道は狭く険しく、ちょっとした登山です。

 最初にたどり着くのが西の丸の郭。三段に削平された郭が残っています。下段の郭には塩硝櫓の伝承があり、上段の郭の上には空堀様の遺構が残っています。
 しかし尾根沿いに土の郭が連なる雰囲気はほとんど中世山城です。

 西の丸をすぎると本丸跡までガシガシ登ります。下から頂上までの比高は200m程ですし、龍潭寺から本丸まで30分ほどですが、体が山道に慣れる前に着くので、ちょっとしんどい。

 本丸からの景色はまずまず良好で、西側は彦根市街を見下ろせます。
 彦根城も丸見えで、幕末なら佐和山山上に砲台を作れば城内打ち放題なロケーション。もっとも彦根築城の江戸初期は火器といえば火縄銃までの想定だったはず。

 本丸は平らにならされてはいますが、石垣はみごとに撤去され、ここに三重とも五重とも言われる天守があったとは思えません。
 郭の下には角ばった石を2つ積み上げた石垣の残欠のようなものもありますが、これ以外の石をみな撤去してしまったとすると、相当な作業量です。お城の破却は象徴的に石垣の角を崩したりする程度のことが多いのですが、ここは本気で解体撤去されたようです。

 佐和山城は三成の居城でしたが、奉行衆の彼はほぼ伏見や大坂に出ずっぱりで、城には父の石田正継が詰めていたようです。関ヶ原の戦いの後に落城し、その後は井伊直政が入り、やがて井伊家が彦根に城を移したのは前に書いたとおり。
 夏草生い茂る兵どもの夢の跡となったのでした。
posted by ふくだ at 23:46| Comment(2) | お城
この記事へのコメント
数日前に大学の研究室の37年ぶりの同窓会のため大阪へ行ってきました。行き帰りに新幹線の車窓から佐和山城跡が見えましたが、登られた直後だったようですね。ふくださんの気のようなものが漂ってきたので気付いたのかも。
Posted by かすてん at 2018年06月06日 14:11
新幹線は下りで乗ることが多いのですが、近江を過ぎるときはたいてい夜になってしまうので、新幹線からの佐和山城は見た記憶がありません。

新幹線の通る東側が大手なので、そちらからの山容も眺めてみたいです。

佐和山では「遺構がないかー」とばかり考えていましたので、お城好きの方には何かしら伝わるものが出ていたやもしれませぬ(^_^;
Posted by ふくだ at 2018年06月06日 19:54
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