2016年02月02日

真田丸 その4

 真田昌幸と徳川家康の化かし合い勃発。

 「武藤喜兵衛」は昌幸が真田家を継ぐ前の名乗りで、三男坊だった昌幸は武田家臣の武藤家の養子に入っていました。長兄・次兄が長篠で戦死したために真田家に戻っています。
 家康にとっての武田家は長年の宿敵でしたから、家臣団の動向も調べがついていたでしょう。

 昌幸の上杉への密書を偽りのものと見ぬいた家康ですが、直江兼続が控えているのは家康の嘘だと昌幸も見抜いています。「このような場で偽りなどあってはならぬこと」は昌幸から家康への牽制。
 にらみ合いは自ら引いた形の家康ですが、「さすがは武藤喜兵衛」。お主のことは全てお見通しと笑いかけます。

 これまですっとぼけた雰囲気で描かれてきた家康が、器量の片鱗を見せ始めます。描写を積み上げてスケールアップさせていく手並みはさすが。
 昌幸としても小童同然に見ていた家康が手強い存在になったと認識を改めた対面だったでしょう。実年齢は家康のほうが少し上なんですけどね。

 信長の台詞は「真田安房守か」「良き面構えじゃ」の二言だけなのに、恐るべき存在感。

 滝川一益に沼田城と岩櫃城の召し上げを通告される昌幸。
 この2つの城を含む上野領は真田勢が武田の麾下で攻め取ったもので、武田の城を真田が預かっている状態。真田の本領はあくまで信州小県郡の一角なのです。その本領は安堵される一方、預かり城の沼田と岩櫃は織田家臣の滝川一益に城主交代。
 沼田城主の矢沢頼綱が切ないのですが、この人あとで大活躍しますから。

 滝川一益は昌幸に小県郡の国衆のとりまとめを依頼します。さらっと流されましたが、織田家としては真田家を小県郡の代表勢力と認めたわけで、これは小さからぬ成果です。

 織田家への人質に差し出される松。信之が助け舟を出すのは、松と信繁が小山田茂誠をこの機に連れだそうとしているのを察したのでしょう。物分りのいい兄貴さすが、なのですが、信繁が同行すると分かるとちょっと羨ましそうな表情。なんだろうこの憎めなさ。

 そして1582年6月2日未明。信長、本能寺に死す。
 ナレーションだけで死んじゃいましたが、真田家視点で見ていると、そんな感じだったのでしょう。
# 雲隠れする月を出したのはNHKにしては珍しいミス。旧暦2日なので月は夕方すぐに沈んでいます。「雲隠れ」の暗喩でしょうけど。

 ところでこのドラマ、織田勢が武田領に侵攻する1582年2月から始まって、まだ同年6月初頭。劇中時間はまだ4ヶ月しか経っていません。年末までに1615年の大阪夏の陣までたどり着くことができるのでしょうか。
posted by ふくだ at 23:45| Comment(0) | 読書録・映画録
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