2016年01月30日

明月記を世界に紹介した謎のアマチュア天文家「射場保昭」展 その2

 巡り巡って昭和の初め、東京天文台(現:国立天文台)の神田茂が日本の天文古記録を調べて、『日本天文史料』を刊行し(1935年)、この中に『明月記』の客星の記録も取り上げられています。
 途方も無いと思うのは、デジタル化されたデータベースのない時代に、『明月記』に限らず、日本の史書の類を片っ端から調べあげる作業を行ったこと。活字に翻刻されていたとはいえ、紙の史料に目を通しながら天文記録を拾いあげるのは尋常な作業量ではなかったと思います。

 これを欧米に紹介したのが射場保昭。
 神田の了解のもと、「ポピュラー・アストロノミー」という雑誌に、『日本天文史料』から抜粋した『明月記』の客星の記録を投稿します。
# この論文は実物が展示されています。

 ちょうどその頃、おうし座の「かに星雲」が膨張していることが観測結果から見出され、900年前には一点に集まることが逆算されていました。射場の紹介した『明月記』に着目した天文学者の一人がオランダ出身のヤン・オールトで、後日かに星雲が1054年の超新星爆発の残骸と示す論文を著しています。
 後にオールトは1987年の京都賞を受賞して来日しますが、その際に冷泉家を訪問して『明月記』の実物を見学しています。
 この時の冷泉家での写真も大伸ばしにして特別展で展示していますが、冷泉家も外国人天文学者の訪問、しかも日本人でも難解な『明月記』の閲覧を希望しているということでびっくりだったそうです。
# ヤン・オールトは太陽系最外縁の彗星の故郷「オールトの雲」の提唱者です。

 さてこの射場保昭。
 神戸在住の肥料を扱う貿易商で、日本のアマチュア天文家の草分け的な人物の一人でした。1930年代の個人としてはありえないような本格的な機材を多々所有しており、18cm屈折赤道儀とか30cm反射赤道儀(モータードライブ付き)とかその他諸々。現在でもハイアマチュアというか、公共天文台クラスの機材といってよいラインナップ。これで天体写真、しかも北アメリカ星雲の写真なども撮っていたのだから、当時の写真乾板の感度を考えると驚きを禁じません。
# 特別展ではこれらの観測機材を大判の写真で紹介しているほか、撮影した写真が掲載されている本も展示しています。

 海外の天文学者との交流も活発で、特別展ではハーロー・シャプレーとやり取りした書簡も展示されています。シャプレーは宇宙論でアンドロメダ星雲が銀河系の中か外かで大論争を繰り広げた人です。
 当時は海外からの天文電報が届くと、東京天文台と花山天文台と射場観測所に届いたそうで、なんと言ったらよいのか、すごい話です。

 一方でアマチュア向けの天体望遠鏡の選び方についての著作もあるそうで、どことなく親近感を感じるところも。

 射場保昭が活躍したのは戦前の10年ほどで、太平洋戦争が始まると観測も続けられなくなり、終戦後には本業の会社も清算することになります。機材はすべて、東京天文台に寄贈され、天文活動からも身を引かれました。
 
 最近になってご子息と連絡が取れ、それまで知られていなかった射場保昭の人物像が明らかになりました。2014年に京都大学総合博物館の企画展「明月記と最新宇宙像」で業績が紹介され、そして今回の明石の特別展に繋がるというわけです。

 いろんなところに繋がるネタが満載の特別展です。
posted by ふくだ at 23:46| Comment(0) | 明石市立天文科学館
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