2013年07月23日

高校野球:池田-取手二(1983)

 1980年代の前半、高校野球は池田高校の全盛期でした。
 荒木大輔の早実を打ち砕いて全国制覇を成し遂げた1982年夏。そして水野雄仁を擁した1983年春も優勝。蔦文也監督の作り上げた「やまびこ打線」は向かうところ敵なしの破壊力でした。

 実は当時の池田高校の試合を観たことがあります。公式戦ではありませんけど。
 1983年6月、私の郷里の茨城県岩井市に新しい野球場が完成。そのこけら落としの記念試合に池田高校が招待されたのです。
 試合はダブルヘッダーで、第一試合の相手は地元の岩井高校。5回までと設定された試合は0-1で池田高校の勝ち。最終回にホームラン一発で片が付きました。当時の岩井高校も地域ではまずまず力のある学校でしたが(県大会ベスト16くらい)、力の差は歴然だったはずで、(池田は)流して試合してたんでねぇかというのが私の周囲の評。
# とはいえ実力差がそのまま点差にならないのも野球なので、今から思えば失礼な邪推をしてしまったのかも。

 メインイベントは第二試合。
 池田高校の対戦相手は取手二高。この年のセンバツ出場校で、監督はのちに名将として名を馳せる木内幸男。投手は二年生の石田文樹。茨城の代表が優勝校にどこまで食い下がることができるのかが焦点でした。
 この試合、8-2のスコアで、勝ったのは取手二高。
 水野は精彩を欠いてポロポロと点を失い、いつの間にやら終わってしまったという感じ。とはいえ野球を覚えたてのことなので、試合展開はぜんぜん記憶に残っていません。
 当時の池田高校は選抜優勝の祝賀行事や相次ぐ招待試合で選手の疲れが抜けきれず、調子を落としていたのだそうです。これはあとで聞いた話。
この試合の経過をブログに上げている方がいらっしゃいます。
取手二、池田を倒す高校野球記事ブログ
 私の記憶では序盤から取手二が点を取っていたのですが、水野が崩れたのは終盤でした。こんな練習試合の記録までネットに載っているとは、恐るべし21世紀。

 この試合で印象に残っているのは、池田よりも取手二高の木内監督。
 ショートだったかセカンドだったか、エラーした選手をその場でスパっと替えてしまったのです。練習試合とはいえ、一度のミスで交代とは、厳しいというよりおっかないなぁと思ったのでした。
# その後、木内監督がベンチでいくらニコニコしていても、ダマされるものかと思ってます。

 池田高校はその年の夏も甲子園に出場、順調に勝ち上がりますが、準決勝で桑田・清原のPL学園に敗退。KKコンビの黄金時代が始まります。
 一方の取手二高は、翌1984年に春夏連続で甲子園の土を踏みます。夏は初戦で箕島高校を逆転で下して勢いに乗り、決勝でPL学園と対戦。延長10回の末に茨城県に初の深紅の大優勝旗をもたらしたのでした。

 池田の蔦監督は1992年に監督引退、2001年に77歳で逝去。甲子園に一時代を築いた人でした。
 取手二の木内監督は全国制覇の翌年に常総学院に移籍。ここでも春夏合わせて全国優勝2回・準優勝2回を成し遂げ、2009年に引退。甲子園を沸かせた名将の一人です。

 池田の水野投手はのちに巨人に入団し、プロでの通算成績は実働11年で39勝29敗17セーブ。人気球団で露出も多く、押さえや中継ぎの登板も多かったせいで、数字以上に活躍した印象があります。
 取手二の石田投手は早大に進学、中退。のちに大洋に入団して3年間で1勝0敗。引退後は打撃投手として球団に残りますが、2008年に41才の若さで早逝しました。
 1984年の優勝メンバーでは、主将でトップバッターの遊撃手、吉田剛がプロ入りして近鉄と阪神で16年間活躍。野球のセンスは抜群だったのでしょう。
 また三塁手の小菅勲は現在、下妻二高の野球部監督。春夏1回づつの甲子園出場を果たし、茨城県内では常総学院に次ぐ強豪校になっています。

 この年代でプロに進んだ選手も、すでに全員が現役を……いや、中日の山本昌が水野と同級生でした。
 2013年はプロ生活27年目で、これはすごいとしか言いようがありません。
posted by ふくだ at 21:47| Comment(6) | 雑記録
この記事へのコメント
この招待試合の岩井高校の監督は、水戸商業高校と水城高校を甲子園に導いた、橋本實監督です。
Posted by at 2016年05月24日 23:40
いらっしゃいませ。

なんと、橋本實さんがこの時の岩高の監督だったのですか!
それは存じ上げませんでした。ありがとうございます。
当時の岩高は県下では上位に勝ち残る学校だった印象があるのですが、監督の指導の成果もあったのでしょうね。

1999年の選抜で水戸商が準優勝した試合、甲子園で見ていました。
岩井球場で相見えたそれぞれの監督が3人とも甲子園でご活躍されたとは、今更ながらに感慨深いです。
Posted by ふくだ at 2016年05月25日 01:13
木内監督が逝去されましたね。寂しい限りです。
小学生の頃、取手二高と池田高校の試合を岩井で見たはず…その記憶を頼りに検索し、このページにたどり着きました。8-2で取手二高の勝ちだったんですね。勝敗は覚えていませんでしたが、確かにその試合は行われ、9歳の自分が球場にいた、それが分かっただけでも非常にうれしく思います。ありがとうございました。
Posted by 茨城県南民 at 2020年12月13日 23:21
茨城県南民さん、いらっしゃいませ。

この話は途中で引用している「高校野球記事ブログ」の記事を見つけて思い出して書いたものです。昭和の昔の茨城の片隅の招待試合のことをよくネットに上げてくださったとしか言いようがありません。

木内監督はしばらく前に一線を退かれていましたが、逝去の報に接して一つの時代が過ぎ去った感があります。

池田高校の蔦監督、岩高から水戸商・水城で活躍した橋本監督、そして木内監督と、あのとき岩井球場を沸かせた3人の指導者がみな鬼籍に入られてしまいました。

荒木大輔から池田高校そしてPLのKKコンビという1980年代前半は高校野球が盛り上がった一つの黄金期ですが、その一端を岩井で見ることが出来たのは懐かしい思い出です。
Posted by ふくだ at 2020年12月14日 00:49
なんとなく 木内監督という人を調べたくなり、そういえば大昔 岩井の野球場ができたとき 見に行って水野選手とかの写真 とりまくってたなああ。 取手二校が なんか知らんけど池田高校い勝って、あれええ? 何かおかしいなああ?と思った記憶が残ってます。 そこで このブログにいきあたったしだいです。”私の郷里の茨城県岩井市”ですか。 私は 実家が あの岩井の野球場近所ですわ。 なつかしい情報ありがとうございました!  後藤
Posted by 後藤としお at 2024年04月07日 22:23
後藤としおさま、いらっしゃいませ。

すっかりお返事遅くなりました。
岩井球場も高校野球の茨城県大会で使われていたことがありましたが、最近はすっかり縁遠くなってしまった感があります。

蔦監督も木内監督も他界され、あの試合に出ていた選手たちも50代後半になっているはずで、昭和も遠くになりにけりです。

木内監督が指揮を執っていた常総学院の試合は何度も見に行っていて、優勝した2003年の夏の決勝はスタンドで見ていました。印象に残っているのは相手の東北高校のダルビッシュの方ですが(苦笑)

池田高校は2014年の選抜にひさびさに出場して、その時も懐かしい校名にひかれて観戦しに行きました。

コロナ後はすっかり甲子園もご無沙汰ですが、野球を覚えたての頃に、高校野球が盛り上がっていた時期だったのが、よく観戦に行っていた原体験なのかもしれません。
Posted by ふくだ at 2024年04月24日 00:18
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