2020年03月12日

東大寺二月堂修二会

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 3月1日から14日まで行われる東大寺二月堂修二会。
 その中でも3月12日の晩は「お水取り」と呼ばれる行事が行われ、修二会の代名詞にもなっています。

 修二会の象徴ともなっているお松明は行に参加する練行衆をお堂に先導するためのもの。お水取りの12日は、長さ8m・重さ70kgというひときわ大きなものが用意され、また他の日より1本多い11本の松明が上がります。

 このため12日のお松明がニュースで取り上げられることが多く、参観の人出も特にこの日に集中します。
 私はどちらかというと人混みは苦手なのですが、2020年は平日だったこともあり、足を運んでみました。

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 二月堂への参道は大仏殿のずっと手前から分岐するのですが、この日は通行止めとなり、道幅に余裕のある鐘楼を経由しての案内となります。
 参道に竹矢来が組まれるのは修二会の時期だけの風景です。

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 3月になると日没もずいぶん遅くなり、暗くなるのは18時半を回る頃。

 二月堂の舞台の下には早めに行けば入ることが出来るのですが、12日に限っては東大寺の招待者のみの限定になります。
 お松明が見えるのは二月堂から三月堂・四月堂にかけての広場で、ここには3〜4千人が入れるそうです。二月堂の正面には大きな良弁杉があり、また広場に接して大きな石灯籠がいくつもあるので、舞台全体はなかなか見渡せません。とはいえ二月堂そのものが山の中腹にあるため、お松明自体は意外に遠くからも見ることができます。

 19時になると時の鐘の音がかすかに聞こえてきます。奈良太郎と呼ばれる大きな鐘ですが、この日ばかりは雑踏のざわめきにかき消されそう。修二会のお松明は19時から始まるのですが、12日は19時半から。

 冷たい空気の中で時がすぎるのを待つと、やがてお堂の北の階段を小さな松明を持った童子が行き来します。お堂の準備が整ったことを知らせるもので、携帯電話のある今でも、伝令役が直に伝えるならいです。観衆のざわめきも静まり、お堂の声のやり取りや堂内の鐘の音も聞こえてきます。

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 小さな松明が三度行き交うと、いよいよ練行衆の上堂。
 階段の屋根を焼き焦がさんばかりの大きな炎。やがて舞台の上に籠松明が上がると、さざなみのようにどよめきが広がります。松明の火の粉が舞い散ると、どよめきが歓声となって広場を駆け抜けます。

 他の日よりひときわ大きな松明ですが、遠目にはさほど大きさの差は感じません。ただ舞台を走る速さがゆっくりで、そんなところに籠松明の重さを感じます。

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posted by ふくだ at 23:47| Comment(0) | 星空観望

2020年03月05日

東大寺二月堂修二会

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 東大寺の二月堂で行われる修二会に出かけてきました。
 修二会は3月1日から14日まで行われる法要で、事前の準備期間を含めると一か月近くに渡る行事です。
 「お水取り」の通称で知られていますが、これは3月12日の深夜に観音様に供える水を汲む行事のことで、この日の晩にひときわ大きな籠松明が灯されることから、広まったものかと思います。

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 二月堂の舞台に掲げられるお松明は本来、行を務める練行衆の道案内として灯されるもの。元々は小さな松明でしたが、江戸時代に大きくなって今のような姿になったそうです。練行衆が寝起きする参篭宿所と二月堂は屋根付きの階段で結ばれているのですが、その屋根を焦がさんばかりの炎が立ち上ります。

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 階段を登りきると、練行衆は二月堂の北面で柏手を打ち、お堂へ入ります。
 お松明を掲げた童子――というのは役職名で務めるのは大人――はここで本来の役目が終わるはずですが、見せ場はここから。
 二月堂の舞台の北の角に姿を現し、欄干から天に突き出すようにお松明を掲げます。
 吹き出す炎、舞い散る火の粉、沸き上がる歓声。お松明の炎は数メートルも立ち上り、輻射熱でこちらの顔が火照ります。松明を回すと火の粉が華々しく空に飛び散り、ひときわ歓声が大きくなります。

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 一呼吸おいて、舞台を駆け抜ける童子。
 槍を突くように一直線に抜ける人、松明を回して火の粉を振りまきながら駆ける人。

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 メリメリと杉の葉が燃える音が聞こえるほどの静粛と、沸き立つ歓声のコントラスト。
 やがて10本目のお松明が舞台を去ると、周囲の電灯が灯され、人の波が引いていきます。

 この夜は風の具合で火の粉がまともに観衆にかかりました。もちろんほとんどは空で燃え尽きるのですが、気が付けば衣のところどころに灰のあと。お松明の燃え残りはお守りになると言われていて、足元を探してみましたが、なかなか形を留めたものはありません。うっかり黒い塊に手を伸ばすとシカの忘れ物だったりするので、探索は適度に控えるのが吉というものです。

 お松明の片づけが終わると、立ち入りが規制されていた二月堂に参詣できるようになります。
 二月堂の舞台は普段から昼夜を問わず登ることが出来、奈良の夜景の名所としても知られています。きらびやかこそないのですが、境内の向こうに広がる街の灯は、古都ならではの風情があります。

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posted by ふくだ at 23:48| Comment(0) | 地図と地理と遠出

斑鳩散歩

20200305houryuji001.jpg 大和西大寺駅から橿原線に乗り換えたら、電車の吊り革が達磨さんでした。
 なにかと思ったら達磨寺の宣伝みたいです。松永久秀のお墓もここにあるのだとか。

20200305houryuji002.jpg 近鉄橿原線から法隆寺行きのバスが出ている筒井駅。近鉄の奈良・斑鳩1dayチケットで乗換駅として案内されていますが、日中は一時間に一本しかバスがないとは思わなんだ。
 奈良で筒井といえば筒井順慶の筒井氏。興福寺の衆徒から戦国大名に発展した氏族ですが、その本拠です。

 地理院地図でも駅の北東にかつての筒井城の郭や堀の跡が分かります(分かるんです)。筒井町の文字のすぐ北側が主郭みたい。法隆寺の帰りに寄ろうと思っていたのですが、全く時間がありませんでした。

20200305houryuji003.jpg 法隆寺の門前でお昼。柿の葉寿司でランチ。旅先で土地の名物などあまり食べないのですけど、たまにはこういうのも良いです。

20200305houryuji059.jpg 夢殿の基壇。お堂側は凝灰岩、外側は花崗岩です。凝灰岩は柔らかくて加工しやすいし、近くの二上山で採れるのですけど、花崗岩はどこから持ってきたのやら。西院伽藍の例からすれば、凝灰岩の部分は元からのもので、花崗岩は後から補ったのやもしれません。

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 斑鳩町のマンホールカードを入手。
 描かれている三重塔は法起寺の塔でしょうか。
 紅葉と川は竜田川。百人一首の「千早ぶる神代もきかず龍田川 からくれなゐに水くくるとは」の竜田川は生駒山地の裾野から法隆寺の西を通って大和川に合流します。
posted by ふくだ at 23:47| Comment(0) | 地図と地理と遠出

法隆寺 その2

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 法隆寺の景色を形作るのは伽藍を区切る長い築地塀ではないかと思います。写真の右側の築地塀はしれっと重要文化財。奥の東大門は奈良時代のもので国宝。

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 大宝蔵院への道。大宝蔵院は法隆寺の展示室を兼ねています。
 本尊は百済観音ですが、訪問時は東京国立博物館に貸し出し中。それでも夢違観音や玉虫厨子など著名な文化財がたくさん展示されています。玉虫厨子や百万塔も日本史の教科書や資料集にたいてい載っていますから、いきなり目の前に出てきたらびっくりです。
 北斗七星を刀身に刻んだ「七星剣」があるのも興味深いところ。元は金堂の持国天像が持っていたとされ、明治期に皇室に献上されたのち、戦後、寺に戻されたものです。

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 収蔵庫
 1952年に建てられ、火災で焼けた金堂の壁画や部材が納められています。現在は非公開。将来的にはこれらも見学できるよう、耐震性を確認する調査が行われるなど、準備が進められているそうです。

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 築地塀の道を進むと、東院伽藍があります。
 八角形の夢殿を中心とした一角で、元は聖徳太子の斑鳩宮があった場所とされています。
 夢殿は先々代の一万円札の透かしに入っていたので、一定以上の年代の方には知られた建物です。私は裏面に印刷されていたように覚えていたのですが、なにせ子どものころのこと。万札に接する機会はほとんどなかったので、全くの記憶違いでした。

 天平時代に聖徳太子を偲んで建立されたもので、中の救世観音は長い間布にくるまれた秘仏でした。明治時になって岡倉天心とフェノロサによって開かれた逸話はよく知られています。現在は春と秋の年二回、開帳されているとのこと。

 ちなみに法隆寺の著名な観音像は下記の通り。自分でも間違えるので記しておきます。
  百済観音像(国宝)大宝蔵院。江戸時代より先の記録がなく、他寺から移されたと想定。
  夢違観音像(国宝)大宝蔵院。悪い夢を良い夢に変えてくれるという信仰からの通称。
  救世観音像(国宝)夢殿。秘仏で年二回公開。聖徳太子を写したものとする伝承があります。

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posted by ふくだ at 23:46| Comment(1) | 地図と地理と遠出

法隆寺 その1

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 世界最古の木造建築で、日本で初めて世界文化遺産に登録された法隆寺。修学旅行の定番ですが、私のときは工程に入っておらず、学生時代になって初めて訪問しました。もっとも当時はさほど興味があったわけでもなく、歴史に名高いお寺を見ておこうというくらいの気持ちでした。
 中門前から西院伽藍を望む。西院伽藍は金堂や五重塔のある法隆寺の中核部です。

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 金堂の中央には釈迦如来三尊、向かって右に薬師如来、左に阿弥陀如来が祀られています。釈迦如来三尊像は日本史の教科書や資料集に必ず掲載されているので、あまりに見たままのお姿です。左の阿弥陀如来は鎌倉時代のもので、像の雰囲気は飛鳥時代に合わせてありますが、お顔は鎌倉風。
 仏像は時代ごとの特徴があって、飛鳥時代はエキゾチック、天平時代は写実的で凛とした雰囲気、平安時代は大人しく穏やか、鎌倉時代は再び写実的で躍動感に溢れてきます。私が見ても雰囲気の違いが分かるくらいなのでそのつもりで見ると楽しいです。

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 金堂は戦後に火災に遭って、壁画が焼損しました。それほどの火災でなぜ国宝指定が維持されているのか不思議でしたが、解体修理中の失火で、仏像は運び出されており、初層の裳階部分と二層目も解体されていたので、部材の多くは被災を免れました。

 とはいえ、初層の柱28本は新規に制作。外陣の扉は焦げていない面を貼り合わせて再使用するなど、多くの労苦が費やされています。大規模な修理は部材の確保から段取りを組むのが普通で、突如として大量の木材を調達することになった苦労はいかばかりかと思います。部材の表面の仕上げに使う古代の道具・槍鉋(やりがんな)は、この再建工事で復活したものです。
 お寺の方にお話しを聞いたら、やたらと話が弾んでしまいました。

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 五重塔は上層ほど小さくなっていて、5層目は初層の半分の大きさしかありません。
 遠近法を意識したかのような作りで、大きな塔なのに天を衝くような軽快さを感じさせます。
 ついつい建物ばかりに目を奪われますが、初層の四面には釈迦の生涯を描いた塑像群があり、これも白鳳時代の傑作とされています。

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posted by ふくだ at 23:45| Comment(0) | 地図と地理と遠出