2019年05月31日

お城訪問リスト(〜2019年5月末)

 これまで巡ったお城のリストをつくりました。子どもの頃からお城が好きで、今でも旅先にお城があると足を運んでいます。

 ひとまずの累計が159城。もう少しあるかと思っていました。茨城県など実際はもっと回っていますが、以前は記録など取っていなかったので、記憶が怪しいところは外しています。デジカメ以降は撮影データから訪問年月日が分かるので便利になったものです。

 いわゆる城郭だけでなく、江戸時代の陣屋、近代の要塞施設まで、防御施設全般を含めています。また総構えに入っただけのものは含めず、本城域内に入ったものは主郭に至らずとも数えています。

 日本100名城のスタンプラリーは参加していませんが、該当する城郭はカウントしてみました。100名城は有名どころが多いので半分回っていましたが、続100名城となると多少マニアックな選定もあり、意外に行っていません。

 全国に残る城郭は3万とも4万とも言われ、1日1城回っても80年から110年かかる計算です。城作り過ぎだよ。


総計:159
日本100名城:50/100
続日本100名城:16/100
現存12天守:7/12(うち国宝5城:4/5)

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2019年05月30日

今城塚古墳

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 今城塚古墳は大阪府高槻市の北郊にある前方後円墳で、墳丘の長さは190m。二重の堀に囲まれ、淀川流域では2番目に大きな前方後円墳です(1位は太田茶臼山古墳)。学術的にはこちらを実際の継体天皇陵とするのが定説になっています。

 継体天皇は6世紀初頭に即位した天皇(在位507-531年)で、実在と系譜が確実な最初の大王と言われています。それ以前の天皇は伝説上の存在だったり、実在しても系譜が曖昧だったり、分からないことが多いのです。
 継体天皇は応神天皇の5世の孫(ひ孫のさらに孫)で、それまでの天皇家の血筋が途絶えたために迎えられたとされています。5代も遡ると百年以上前に分家した筋で、ずいぶん「遠い親戚」です。このため王朝交代が起こったのではないかという説もあるほどです。それまで和泉平野の百舌鳥・古市古墳群に営まれてきた大王墓が、淀川流域に建設されるのも異例。
# 近い時代では徳川将軍家の8代吉宗が紀州家から宗家に入りましたが、これでも家康の3世の孫(ひ孫)です。

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 戦前には既に今城塚古墳こそ真の継体陵とする説が発表されていましたが、宮内庁は陵墓参考地にすることすらないまま、現在に至っています。もっともそのお陰で高槻市による発掘調査が継続的に行われ、2011年には史跡公園としての整備が終わって一般公開されました。墳丘にまで入れる大王墓は他に例がない貴重な存在です。

 二重の周濠のうち、内堀は水堀、外堀は空堀でした。現在は内堀の前方部だけ水が湛えられ、外堀と後円部の内堀は芝生が貼られて自由に散策できるようになっています。

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 今城塚古墳の特徴は、外堀と内堀を仕切る堤の上に大きな埴輪祭祀場が見つかったこと。現在はレプリカの埴輪で当時の様子を復元しています。
 精巧な形象埴輪の群れは大王の葬列を再現したものとも言われています。

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 誰でも登れる大王墓を楽しみにしていたのですが、なんと墳丘は立入禁止。2018年の台風と地震で被害を受け、まだ復旧が終わっていないのだそうです。残念ですが仕方ありません。ここまで来て何というオチだ。

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 今城塚古墳は名前の通り、中世には城郭として利用されたと伝えられています。
 1596年の慶長伏見地震で墳丘のあちこちが地すべりを起こして崩壊する大きな被害を受け、江戸時代は畑作地になっていました。見ての通り、前方後円墳の平面こそ残っていますが、墳丘は原型を留めないほど崩れています。
 近隣の太田茶臼山古墳は原型を留めて残ったので、後世そちらが継体天皇陵と目されたのも、当時としてはやむを得ない判断だったかもしれません。

 周濠部まではきれいに整備したのに墳丘を復元しないのはどうしてなのかと思っていたのですが、古墳は外形だけでなく、土の盛り方まで含めて文化財。手を加えすぎてしまうと地震でダメージを受けた状態といえどもオジリナルの構造を失うことになります。
 諸事情を勘案して、墳丘部については現状を保存するという選択をされたのでしょう。
# 掲載した地図はカシミール3Dスーパー地形セット/国土地理院標高データより作成

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太田茶臼山古墳(伝継体天皇陵)

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 太田茶臼山古墳は大阪府茨木市にある前方後円墳で、墳丘の長さは226m、全国で21番目の規模の古墳です。
 墳丘長200m前後の古墳は数も増えてきて、例えば194mの神戸の五色塚古墳は全国でも40位前後となり、数mの違いで大きく順位が変わってきます。

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 宮内庁は継体天皇陵としていますが、古墳の築造年代は、墳丘の形状や周辺で出土した埴輪などから5世紀半ば(450年頃)と推定され、531年とされる継体天皇の没年とは80年もの差が開いています。近くにある今城塚古墳は築造年代が6世紀前半とされていて、こちらが本当の継体天皇陵というのが現在の定説になっています。

 現在指定されている天皇陵は江戸時代後半から明治にかけて比定されたもので、考古学の未発達な時期に文献と実地調査で調べたものです。当時の限界からやむをえぬこととはいえ、現在の学術的水準からは疑問符がつくものが多いのが現状です。

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 古墳の南側の前方部正面に天皇陵としての拝所があります。ただここからは堀の向こうにこんもりした丘が見えるだけで、前方後円墳の全貌は伺えません。古墳の南東側に周濠の外周に接した道路があり、ここから古墳の形を観察できます。原型をよく保っている古墳で、端正な姿を(想像力を働かせて)見ることが出来ます。

20190530takatsuki045.jpg 太田茶臼山古墳は淀川中流域に初めて出現した巨大古墳で、古市古墳群のいくつかの古墳と同じ形を持つことから、当時の王権と関わりの深い人物が埋葬されていると考えられています。

 太田茶臼山古墳の周囲には陪塚が複数あり、そのうちの一つが古墳の直ぐ側の公園にあります。こうした陪塚も大王墓に特徴的なもので、江戸や明治の人々が天皇陵に比定した気持ちも分からなくはありません。
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史跡新池埴輪製作遺跡

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 高槻市の北郊に史跡新池埴輪製作遺跡があります。「ハニワ工場公園」の名で公園として整備されています。斜面を利用した登り窯が18基発見されていて、近隣の今城塚古墳や太田茶臼山古墳の埴輪を製造していました。

 18基のうち2基の窯が復元されています。また発掘後に埋め戻された窯は植え込みでその位置を示しています。

 年代的には、復元された2基を含む3基の窯が450年頃につくられ、太田茶臼山古墳の埴輪を製造。
 のち5世紀のうちに5基の窯がつくられ、付近につくられた古墳の埴輪を断続的に製造。
 530年頃に10基の窯が作られ、今城塚古墳の埴輪を製造。その後、同古墳築造の終了とともに埴輪造り終了。

 ということで、およそ100年近くに渡って埴輪を製造し続けた、今で言えば工業団地的な村でした。
 
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 いちばん北端にある18号窯は発掘した現場を覆屋で保護して、そのまま見学できるようになってます。断面がミルフィーユのように色の違う土が重なっているのが見えたので、版築で土台を作ったのかと思ったら、焼けた土の層が何層も積み重なっているのだそうです。使っているうちに底が埋まって、何度も改築が繰り返されたのでしょう。

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 遺跡の上部には工房跡とされる3棟の大きな建物跡が見つかり、うち2棟が復元されています。これらは初期の太田茶臼山古墳の時代に使われたもので、今城塚古墳の頃には村人の住居で作業していたことが分かっています。
 右写真は復元された登り窯を上部から見たもので、煙出の穴が見えています。

 今城塚古墳だけで6000基以上の円筒形埴輪が使われたと推定されています。重量物の埴輪を1km以上運ぶのも大変なら、そもそもそれだけの埴輪を作る粘土も燃料の薪も、相当な量が消費されたはずです。
 巨大古墳の築造が一大プロジェクトである一端を垣間見ることが出来ます。
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高槻城(大阪府高槻市)

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 高山右近の居城として知られる高槻城。江戸時代に入ってからも存続し、摂津国内の3つの城郭の一つとして機能しました。ちなみに他の2つは大坂城と尼崎城。西国街道の要としての高槻の重要性が伺いしれます。

 明治以降は陸軍が駐屯し、石垣は東海道線の建設資材に転用されました。今昔マップを見ると1960年台前半までは三の丸を囲む土塁が確認できるのですが、その後に失われたようです。
 現在は三の丸跡が城跡公園になっていますが、遺構はなく、天守台風の石垣構造物がつくられています。西隣にある府立槻の木高校の校舎付近が本丸に相当します。


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 目に見える遺構はないのですが、城跡を偲ばせる町名が残っています。「大手町」に「城内町」。地図を見ると「出丸町」もあるようです。

20190530takatsuki013.jpg あとは町割りに当時の城の縄張りが残っている部分があり、この写真のジグザグ道は三の丸堀の外側のラインを踏襲しています。三の丸と出丸を囲む外郭線はほぼ道路として辿れるようです。

20190530takatsuki009.jpg 城址公園に立つ高山右近像。
 キリシタン大名として著名な高山右近は、荒木村重から織田信長、豊臣秀吉と仕え、1570年代半ばから10年強ほど高槻城主でした。1585年に明石に転封されますが、この間の高槻には教会やキリスト教学校も設置されていました。
 明石とも縁のある人物ですが、右近がいたのは現在の明石城でなく、林崎漁港の近くにあった船上城です。後に豊臣秀吉のバテレン追放令で大名の座を捨てて加賀前田家の客将となり、徳川家康のキリシタン国外追放令でマニラに渡って客死します。数奇な運命ですが信仰に生きた生涯でした。



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2019年05月26日

KAGAYAスタジオフェス(ソフィア堺)

20190526sakai001.jpg 2019年5月25・26日の2日間、大阪・堺市のソフィア堺プラネタリウムで「KAGAYAスタジオフェス」が開催されました。
 「銀河鉄道の夜」を始めとするKAGAYAさんの全天周映像作品を、これまでに制作された7本全て、朝から夕方まで上映しようという企画です。

 プラネタリウム1日7本というのは割と無茶で、入れ替え込みで1投影1時間としても7時間拘束。今回は11時スタートの19時前の終了。ほとんど耐久レースです。
# 以前、明石で1日6投影というのを経験しましたが、あれはプラ寝たリウムで寝に行く企画でしたから。

 ところが初日の土曜日、なんと100人もの方が7本通しで見たというのです。正気ですか、みなさん。
 そんなわけで、私は2日目に参加してきました。ちなみにこの企画以前にKAGAYAスタジオの全天周映像は全て見てます。何しに堺に行ったんだろう私。

20190526sakai006.jpg 券売機には「7回見る人はこちら」というボタンがあります。ソフィア堺プラネタリウムって実はおかしいプラネタリウムだったのか。

 ええ、もちろん押しましたとも。

20190526sakai004.jpg ところで初日にKAGAYAさんいらしてたという話は聞いていたのですが、2日目も会場にお見えになってました。プライベートでのご来訪とのことですが、ロビーではプラネタリウムの列とは別にKAGAYAさんの待機列ができ、KAGAYAさんもにこやかにサインなどのファンサービスに応じています。これまでも何度もこんな場面に遭遇していますが、ほんとファンの方々を大切にされる方です。
# 写真は2回目の「宇宙一直線」上映前に、急遽、舞台挨拶されたKAGAYAさん。


20190526sakai024.jpg 初回の「銀河鉄道の夜」は開演ギリギリに滑り込んだので、端の方の席しかなく、前から2列目で見ることになりました。全天周映像はドーム中央で見るのを前提に作られるので、たいてい真ん中から後ろの席で見るのですが、ここまで前方で頭上を覆うような体験は初めてです。

 ソフィア堺プラネタリウムではこの企画に合わせてプロジェクターのランプを交換。プロジェクターのランプは定格の期間内といえども次第に輝度が下がってくるので、交換直後がもっとも明るく鮮明な映像を見ることができるのです。
 「銀河鉄道の夜」はそれこそ十回以上見ていますが、なるほど鮮やかさと鮮明さはこれまで見た中でもトップクラス。またスピーカーの近くだったこともあり音響も大迫力でした。
 番組の前の星空案内は、宮沢賢治の時代の岩手の空を紹介。毎回の解説員が時には番組内容に合わせてドームスクリーンの星空を紹介するのも、なかなかの気合の入れようです。

 2作品目は「宇宙一直線」。
 KAGAYAさんの自伝的な番組で、今から見るとスターリーテイルズの予告編的な内容も含んでいたりするのが面白かったりします。ご本人も一緒に見てらしたのですが、隣の人はドキドキだったろうなあ。

 3作品目は「スターリーテイルズ」。ギリシャ神話に題材をとった、映像美と姫神の音楽に酔いしれろと言わんばかりの作品ですが、お昼ご飯の直後で少し記憶が飛んだ……ファランクスが槍をざっと突き出す場面を見てない……(既に3回目くらいなので、どの場面を寝てたか覚えてる)。

20190526sakai028.jpg ソフィア堺のプラネタリウムはドーム径18mの傾斜型。座席は166席とそれほど多くはありません。2日目は通し券を買った人が70人いたとかで、最初から半分の席が埋まるのが確定しています。
 見やすい席を取ろうとすると、退出後にすぐに次の待機列に並ばないといけないわけで、15〜20分ほどの幕間はひたすらロビーに行列するという耐久レース状態。

 4作品目「アースシンフォニー」。これがいちばん危険なのは事前に分かっていました。
 この作品の音楽は清田愛未さん。ゲーム音楽でも活躍されてらっしゃる方ですが、山梨県立科学館のプラネタリウムの番組の音楽も担当されていて、そのサントラが心地よいので自宅で寝る前によく掛けていたのです。
 案の定、条件反射的に眠りに落ちました。記憶が……ない……

 5作品目「富士の星暦」。
 この作品はお気に入りで、頑張って投影機のすぐ後ろの席を取り、ほぼベストポジションで堪能。
 星空案内で山にちなんだ星座として「テーブルさん座」(ケープタウンのテーブルマウンテン)を紹介されてたのは、大真面目なのかギャグだったのか。

 6作品目「オーロラの調べ」。今度はドーム後ろから2列目のほぼ中央。
 傾斜館でここまで後ろの席に座ったことはないのですが、展望台から見下ろしているようで新鮮な雰囲気でした。
 基本はドーム中央付近がベストポジションではあるのですが、前の方の席だと映像に包み込まれるような感覚になり、後ろの席だと映像を俯瞰するような感覚になります。これはこれで見比べても面白いもの。
 
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 1階ロビーではKAGAYAさんの作品展を開催。実は2019年夏の明石市立天文科学館の特別展が「KAGAYA写真展」です。 今から楽しみ。

20190526sakai015.jpg 7連続投影も最後の一回、7作品目「星の旅 -世界編-」。
 2018年に公開された最新作で、北極圏から南半球ニュージランドまで、世界各地の絶景と星空の映像を堪能。
 こちらも今まで見た中で一番きれいな映像で楽しめました。ウユニ塩湖の星空は何度見ても圧巻。

 最終回は全天周映像の後に星空案内があり、この日の晩に予報が出ていたスターリンク衛星の見え方が紹介されました。帰宅されたKAGAYAさんも撮影を試みるということで、同じ空を見上げましょうという粋な計らい。とても満ち足りた気分でドームをあとにしました。

20190526sakai022.jpg 光学式投影機インフィニウムβの勇姿。この投影機も25年目ですが、今なお素敵な星空を映してくれます。
 この日の星空案内の中では、星座絵や星座線を出さずに、光学式投影機だけを使って解説した回もありました。

 2日間合わせて170人もの方が通しで見られたそうです。番組を選んで来られた方も多く、ほとんどの回が満席もしくはそれに近い状態。
 全国一斉に封切られる映画と違って、プラネタリウムの全天周映像は見る場所と機会が極めて限られてしまいますから、この機会に未見の作品を見ておこうという方も多かったのではないでしょうか。

 同時開催のギャラリーでの作品展といい、毎回の趣向を凝らした星空案内といい、一見無茶なようでいて、しっかりソフィア堺のみなさんの思いと熱量を感じた企画でした。楽しい耐久レースでした。
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2019年05月23日

近つ飛鳥風土記の丘

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 近つ飛鳥博物館は近つ飛鳥風土記の丘の中にあります。
 ここは一須賀古墳群を史跡公園として整備したもので、園内には102基の古墳があり、うち40基が遊歩道のそばに公開されています。もともとは200基ほどの古墳があったのですが、住宅造成で失われ、中心部を大阪府が買い上げて整備したものです。よくぞ残してくれたものだと思います。

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 一須賀古墳群は6世紀中頃から7世紀前半にかけて築造された群集墳で、大半は直径10〜20メートル程度の円墳。10メートルと聞くと大きいようですが、浸食などで墳丘の大部分は失われ、山の斜面や稜線にあるので、分かりにくいものも多いです。石室が露出しているものも多く、それで古墳と分かるような状態。
 中にはこんもりとした盛り土の真ん中が凹んでいるだけで、もしかしてこれ石室の跡かとようやく分かるようなものも。

 それにしても墳丘は周りの土砂を利用して築けばよいとして、石室の石材は麓から運び上げるしかないわけで、どれだけの労力を注ぎ込んだものかと思います。

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 一須賀古墳群中最大級のD4号墳。直径25m、高さ2.3mの円墳で大きな横穴式石室が完存していて、中に入ることが出来ます。この日は5月にしては暑い日でしたが、石室の中はひんやり。石材はどうも花崗岩のようでしたが、どこから運んできたのやら。

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 近つ飛鳥風土記の丘には二箇所の展望台があります。第二展望台からは聖徳太子陵や推古天皇陵の方角が見えるのですが、枝葉が生い茂ってよくわからず。でも王陵の谷と呼ばれる、飛鳥時代初期の王墓が密集する里の雰囲気は伝わってきます。
 第一展望台からは遠く堺の大仙陵古墳まで見えるそうですが、こちらはモヤでよく分からず。あべのハルカスや大阪市街のビル群は見えているので、見晴らしがよいのは確かなのですけれども。
 眺めについては秋冬のほうが楽しめそうです。
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大阪府立近つ飛鳥博物館

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 飛鳥というと奈良の飛鳥(大和飛鳥)を思い浮かべますが、大阪にも河内飛鳥という地名があります。別称「近つ飛鳥」。当時の難波宮を起点に、手前の河内飛鳥を「近つ飛鳥」、奥の大和飛鳥を「遠つ飛鳥」と呼んだとされています。

 大阪府立近つ飛鳥博物館は一須賀古墳群を整備した近つ飛鳥風土記の丘にあり、近つ飛鳥から大阪府下の範囲の古墳時代を中心にカバーする考古系の博物館です。

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 地下フロアの中央に鎮座する大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)の1/150模型。
 これだけ見に来てもいいくらいの迫力です。1/150スケールは鉄道模型のNゲージと同じなので、人形も多く市販されています。おそらくそれを活用したものだと思うのですが、古墳の周囲には働き、生活する人々が豊富に配置されて、活きた模型になっています。
# 1/150だと身長170cmの人が11.3mmになります。ほぼ虫眼鏡クラス。

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 墳丘と陪塚は現状からの推定復元ですが、周囲の住居や豪族の館、工房などは、当時の雰囲気を伝えるために模型の中に配置したもの。豪族の館はどこかで見覚えあるなと思ったら、群馬の三ツ寺遺跡を参考にしたそうです。

 古墳の築造の様子や工房で窯に火が入れられる様子、狩りや行列や何かの儀式やら、いろいろ詰め込まれていて、みていて飽きません。

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 もう一つは古墳の石を運ぶのに使われたと推定されている木製のソリ「修羅」。
 藤井寺市で発掘されたもので、復元品に石を載せて引く再現実験が行われたのをTVで見た記憶があります。
# 再現実験は1978年のことなので、リアルタイムではなくて、後日に歴史番組で見たのでしょう。

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 建物は安藤忠雄氏の設計ですが、公共交通機関で行くと裏口のような方向から着いてしまいます。結局、全貌はみていないまま。

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 館内のカフェで食べた「古墳パフェ」。スプーンが発掘する気満々。最近は考古系のグッズもバラエティーに富んでいるようで、古墳クッションとか古墳マスキングテープとかどういう需要があるのか。

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 ユルいものがある一方で漢委奴国王印の24金メッキ原寸大レプリカとか、現物から型を取った和同開珎のレプリカとか、個人の家に置いてどうするのでしょう。いや金印は欲しいかも。
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2019年05月19日

浅田英夫さん・谷川正夫さんによる特別展のギャラリートーク

 明石市立天文科学館にて特別展「平成の天文現象・天体写真展」のギャラリートークに参加。ゲストは天文研究家の浅田英夫さんと天文カメラマンの谷川正夫さん。天文雑誌でもよくお名前を拝見するお二方ですが、息もピッタリで楽しいひと時でした。

 平成の天文現象を振り返るということで、2階の天文ホールでスライドや動画を見ながらのトークでスタート。ところが話が盛り上がって、写真が展示されている特別展示室に移動しないまま予定時間を超過。どこがギャラリートークだったんだろう(笑)。
 浅田さんは気さくな雰囲気で楽しいお話ですし、谷川さんもボケとツッコミを織り交ぜて、ときおり漫才かというようなコンビ芸に入ります。お二人とも天体望遠鏡メーカーにお勤めされていた経歴があり、夜な夜な天体写真を撮りに出かけて「誰よりも多く夜を過ごした」仲だとか。なるほど納得。

 トークの中で2002年12月の豪州セドゥーナ皆既日食の動画が流れたのですが、西はりま・明石の合同観測ツアーの隣で撮影されていらしたそうで、ビデオの中にしっかり私たちの声が入ってました。声と言っても 「おおーっ」「うわぁ」「すげぇ」しか言っていないのですが、あの時の我を忘れんばかりの興奮がよみがえりました。

 最後に井上館長から、「ベスト3を選ぶとどれになりますか?」と質問。
 浅田さんは日食は予定の時刻に起きる場所に行けば見られるものだからと、2001年のしし座流星群と、1996年の百武彗星、1997年のヘール・ボップ彗星を挙げられました。井上さんもこれと同じ意見とのこと。

 私個人でいえば、2001年のしし群と、初めてコロナとダイヤモンドリングを見た2002年12月の豪州皆既日食、1994年のシューメーカー・レビー第9彗星の木星衝突でしょうか。
# 百武彗星は全く見ず、ヘール・ボップ彗星もほとんど見ていないんですよね実は。
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2019年05月18日

星の友の会例会(2019年度第1回)

 仕事を終えてから遅れての参加。
 会員の皆さんの発表は聞けませんでしたが、浅田英夫さん・谷川正夫さんの講演会には間に合いました。
 どれだけ盛り上がっていたのか、全部終わったのは8時半を回っていたような。
posted by ふくだ at 23:45| Comment(0) | 明石市立天文科学館