2018年05月31日

プラネタリウム訪問リスト(〜2018年5月)

 過去に投影を見たことのあるプラネタリウムをまとめました。累計で83館(休止・閉館したものも含む)、うち「プラレアリウム巡り」で初訪問となったのは25館です。

 掲載館は「プラネタリウムデータブック2015年度版」(日本プラネタリウム協議会)を元にしています。
 初回訪問日は全ては書ききれていません。

 表記は下記の通りです。
・館名(ドーム径座席形式/光学式投影機,デジタルプラネ)初回訪問日

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posted by ふくだ at 23:45| Comment(4) | プラネ/天文台/科学館

2018年05月21日

国際宇宙ステーション上空通過

 2018年5月21日(神戸市垂水区)。NikonD5500+16-85mm→16mmF4,ISO400。4秒露出を比較明合成。
 大阪湾上空を行く国際宇宙ステーション。瀬戸内の船、空の飛行機、宇宙を行く人類の橋頭堡。様々な光が交錯する初夏の夕暮れ。
posted by ふくだ at 23:48| Comment(0) | 星空観望

姫路点描

 姫路科学館へ行くのにバスを使うつもりでしたが、旧バスターミナルの建物にレンタサイクルがあって、天気も良かったので思わず借りてしまいました。駅から科学館まで確か片道7km弱。30分はかからぬ距離……のつもりでした。

 用意されているのはクロスバイク系の自転車で、ロードに比べるとがっしり重め。でも不特定多数の人が街乗りで使うなら、華奢なロードよりこちらのほうが安心でしょう(だいたいドロップハンドルに慣れてない人多いし)。
 料金はなんと無料ですが、自転車は8台なので、休日はあっという間に捌けてしまいそうです。

 姫路市のマンホール。白鷺城だからサギソウなのかと思ったら、姫路市の花がサギソウなのだそうです。もっとも市の花に選んだ由緒が白鷺城なのですけれども。

 「讃岐」釜揚げうどん「伊予」製麺て、お主その名前でいいのか。
 姫路駅前交番、勘亭流の文字で記した木札と提灯がいい感じです。でも提灯は「御用」の方が時代劇っぽいかな。
posted by ふくだ at 23:47| Comment(0) | 地図と地理と遠出

姫路科学館特別展「科学実験の今むかし」その2

 宮本正太郎と火星観測のコーナー。
 火星気象学の研究でも業績を残した方ですが、とにかくスケッチが凄い。

 惑星観測は、探査機が行くまでは写真より熟練者のスケッチの方が情報量が多かった時代が続きました(地上で撮影した写真がスケッチを超えたのは2003年の火星大接近の頃)。大気の揺らぎが止まった瞬間に見えた像を描くのですが、ここまで見えるのは凄い。

 もう一つ、ノートに貼られたスケッチは印画紙で、なんでわざわざ写真を撮って焼き回すなんて手間をかけたのかと思ったら、当時はコピー機がなかったとのこと。そういえばゼロックスの普通紙複写機の開発が1959年ですし、コピー機で中間階調がきれいに表現できるようになるのは1990年代の半ばだったような。

 展示されている火星儀はスケッチを元に全球マッピングしたもの。
 木星や金星は全面が雲だし、水星は観測が難しいし、探査機以前に地面のある惑星で惑星儀を作れるのは火星だけだったのかも。

 宮本正太郎は広島の生まれで、旧制姫路高校に通った後に京都大学に進みました。
 私は恥ずかしながら名前を聞いたことがあるという程度なのですが、普及書も多く手がけられたのでベテランの天文ファンには馴染み深い存在のようです。

 1960年代のものと思われる月球儀。月の裏側の一部はまだ空白のまま。隣の惑星の火星はスケッチで全球マップが出来てるのに、たかだか60年前には月の裏側って誰も見たことなかったんだなあと改めて。
 私は煙草吸わないけど、この灰皿は欲しいと思った。花山天文台から借りてきたのか。

 宮本正太郎にちなんだ火星のクレーター”Miyamoto”は子午線地方にあるそうです(東経135度じゃなくて、火星の経度0度付近)。子午線の湾の近くだから場所は分かりやすい。 直径160kmだからそこそこ大きいけど、アマチュアの望遠鏡で見るのはちょっと無理そうです。

 火星大接近の年に合わせたタイムリーな特別展でした。
posted by ふくだ at 23:46| Comment(5) | プラネ/天文台/科学館

姫路科学館特別展「科学実験の今むかし」その1

 姫路科学館の特別展「科学実験の今むかし」。
 旧制姫路高等学校(神戸大の前身の一つ)で使用されていた実験機器の展示と、同校出身の天文学者・宮本正太郎の業績の紹介という概要説明だと地味っぽいのですが、期間が一ヶ月なのがもったいないくらい濃くて面白い特別展でした。

 旧制高校は「おおざっぱに」言うと現在の大学の教養課程相当の教育機関です(現在の高校に相当するのは5年制だった旧制中学の後半課程)。
 旧制姫路高等学校は1923(大正12)年の設立。国内に24あった旧制高校の中でも最期の設立です。現在の国立大学は80校余りですから、希少な存在だったといえるでしょう。戦後の学制改革で神戸高等商業学校などと合併して新生の神戸大学となりますが、キャンパスは姫路から六甲台に移転することになります。

 今回の特別展では旧制姫路高等学校で使用されていた実験機器が展示されています。
 新しい機器が入ったら古いものは破棄されるのが普通。まとまった数が保管されていたのは旧制姫路高校の卒業生でもある神戸大学名誉教授の橋本萬平氏の尽力によるものだそうです。

 展示を見るのに夢中であまり写真を撮っていないのですが、冒頭でまず旧制姫路高等学校の概要の紹介。

 次に当時使われていた教科書や試験問題の展示。科学館ということで教科書は主に理科系の物理系が中心。試験問題は当時の筆書き(!)のものと、現在の神戸大学のものが並んで展示されていました。現代のものは書き込みがあるなと思ってみていたら、図録を見たら学芸員の方の所蔵品。すごいなあ。私も物持ちはよい方ですが、学生時代の試験問題など一枚も残してません。

 実験器具は古びてはいるのですが、手入れはされているのか、ガラスはピカピカで目立つような痛みもありません。
 私自身が中高時代の理科の実験で見たことがある種類のものも多く、時代は変わっても物理の基礎は変わらないんだなあと思ったり。

 そんな中で面白かったのは起電機。静電気でビリビリする装置かと思って見てたのですが、コンセントに電気が供給されていない当時、高電圧が必要なX線を使う実験はこれで発電していたのだそうです。
 クルックス管なども展示してありましたが、こうしたガラス管の実験機器類は現在も真空が保たれているそうです。別のケースで管に封入された蛍光剤が展示されていましたが、現在も紫外線を当てるとちゃんと蛍光を出すのが驚き。
# ブラックライトを当てたのはギャラリートークの学芸員の方です。

 第一次大戦を経てドイツからの輸入が難しくなり、国産化されていく実験機器。顕微鏡が出展されていたのですが、これをつくった会社の後身が現在のオリンパスだとか。写真撮ってなかった―。

 メートル原器の模型を備えてるとか、気合いが入ってます。度量衡の基礎を間近に感じてほしかったのでしょう。おそらく同じ趣旨なのかと思いますが、メートル尺も展示されていました。

 ピトー氏管(ピトー管)は気体や液体の流速を測る装置で、航空機の速度を測るのに使われます。1/72の零戦の模型が脇に置いてありましたが、これは分かる人だけ分かってくれという展示。向かって右の翼から突き出ているのがピトー管。

 さて我らが天体望遠鏡。五藤光学の口径98mm屈折望遠鏡。
 今回の出展物はいずれも当時の値段がキャプションに書かれているのですが、この天体望遠鏡は950円。全出展物中2位(トップはヒルガー社製写真分光計の1274円)。1935年の大卒初任給が73円ですから、年収でも足りない。今だと軽く200万円を超えるような感覚。


 実験コーナーもあって、ハンドスピナー(ジャイロ効果を体験できる)や地球ゴマ(すいません回しそこねて糸を切っちゃいました)、タイガー式手回し計算機(実際に掛け算してみた)などなど体験してきました。
 展示ケースの中には昔懐かしの学研電子ブロックがあって、これ一度は触ってみたかったんですよねと懐かしい思いに浸ったり。
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2018年05月17日

木本正次「黒部の太陽」

 2017年11月に黒部を訪問して以来、何かと黒部に縁があります。
 今回は木本正次の小説「黒部の太陽」。石原裕次郎と三船敏郎が主演した映画が知られていますが、原作があるのは最近知りました。

 黒部第四発電所と黒部ダムの建設に挑んだ人々の群像劇で、中でも多くページが割かれているのは大町トンネルの掘削工事。黒部渓谷は急峻で谷沿いに道路がないため、長野県側から北アルプスを抜いてダム工事の現場まで資材搬入用のトンネルを掘ったのです。ところがこれが大変な難工事。
 定期的にTVでも取り上げられ、最近では2017年の「ブラタモリ」、その前は「プロジェクトX」の題材になりました。

 もとは新聞連載小説だったということもあり、テンポよくさくさく読めます。
 読後に気付いたのですが、出てくる人物はみな実名。小説の体は取っているものの、記録の意味合いも込められています。主に施行側からの視点なので、最前線の労働者の苦闘ぶりは若干薄めの描写ですが、それはそれで。

 黒部第四発電所の大工事は私が子どもの頃の百科事典には「誰もが知ってる」前提で書かれていましたが、それも伝承しないと分からない時代になりつつあります。

 本四架橋や青函トンネル、関空の埋め立てあたりはいずれも昭和の着工で平成初期の完成。今の日本では国家的な大工事が行われなくなったように思います。時代が変わったということなのかもしれませんけれども。
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2018年05月12日

全国プラ「レア」リウム33箇所巡り

 全国プラ「レア」リウム33箇所巡り。

 2015年5月5日に川崎市青少年科学館を皮切りにはじめたプラネタリウム巡り、2018年5月5日に愛媛県の久万高原天体観測館の訪問にて33箇所達成。5月12日に明石市立天文科学館に報告してまいりました。

 達成の記念として缶バッジを頂き、足掛け3年と7日に渡った旅もようやく終着です。バッジの裏に貼ってある番号が達成順。11箇所達成は11番目でしたが、33箇所は20番目の達成者となりました。

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posted by ふくだ at 23:46| Comment(0) | プラネ/天文台/科学館

軌道星隊シゴセンジャー皐月場所・写真部例会・星の友の会例会

 軌道星隊シゴセンジャー皐月場所。
 ブルーの中の人マネージャーが変わって初めてのシゴセンジャー。のっけから絶好調でした。
 しごまるもしばらく活躍しそうだな。ワンワンワンワン!

 午後はほしとも天体写真部例会。
 写真家の安藤宏さんをお招きして、開催中の天体写真部写真展の講評。

 晩は明石市立天文科学館星の友の会例会。2018年度の第一回目。
 プラネタリウムのドームでの開催で、集まった会員も多め。
 33箇所巡りの報告、間に合えばしたかったなあ。
posted by ふくだ at 23:45| Comment(0) | 明石市立天文科学館

2018年05月06日

松山城(愛媛県松山市)

 松山城と名の付く城は全国に数あれど、一般的に松山城といえば伊予松山城を指します。冒頭写真は搦手から見上げた本壇。切込み接ぎの本壇、打込み接ぎの本丸、さらに野面積みの石垣が腰巻きのように取り巻き、三種三容の石垣を眺めることが出来ます。

 関ヶ原の戦い直後の1601年に加藤嘉明によって築城、江戸時代は久松松平家15万石の居城となりました。
 比高100mの山上に本丸があり、山麓に二の丸と三の丸があります。本丸には三重の天守がそびえ、現存十二天守の一つです。ただし江戸後期に火災で焼け、再建されたのは1854年と幕末の只中の「新しい」天守です。

 加藤嘉明は賤ヶ岳の七本槍にも数えられた秀吉恩顧の大名で、秀吉没後は加藤清正や福島正則と共に徳川方に付きました。関ヶ原の戦いの後に20万国で伊予に入封し、松山城を築きます。のち松山城の完成を見ずに会津若松に転封されますが、四国の主邑と奥羽の要地を任されたことからも、有力大名として重んじられていたことが伺えます。
 築城の名手としては加藤清正のほうが名高いのですが、加藤嘉明の手がけた松山城と会津若松城のいずれも堅城です。

 松山城の本丸には山麓からロープウェーとリフトが通じています。比高100mなら、城好きなら歩くところですが、今回は荷物が多かったので、リフトに乗りました。

 山上駅から5分も歩くと本丸一帯の高石垣が広がります。本丸と通称されていますが、大手はいくつもの枡形が重ねられた厳重な作りで、本丸内にも天守曲輪に相当する本壇という区画があり、さらに連立式天守がある三段構えといえる構成になっています。

 本壇のみ有料区画となっています。加藤嘉明時代は五層の天守だったと言われていますが、幕府に遠慮してか地盤の弱さを考慮してか、のちに三層に改められました。五層天守の大きさの天守台に三層の建物ですから、小ぶりながらも幅広で重厚感のある雰囲気を醸し出しています。
 連立式天守はすべてが現存建物だと思っていたのですが、実際は三層の大天守のみが江戸期の建物で、小天守と隅櫓は火災で焼けた後の昭和の再建。

 本壇のみ切込み接ぎの石垣なのが気になって観光ボランティアガイドの方に質問したら、「石垣のことを尋ねてくれるとは嬉しい」とすっかり意気投合して、搦手から本壇を一周し、さらには本壇内の建物まで付きっきりでご案内頂きました。いやあ楽しかったです。

 石垣はほぼ花崗岩ですが、倉庫として使われた大天守の内側のみ凝灰岩。間隙が多く吸湿機能を期待されての採用とのこと。
 再建建物の小天守と南北隅櫓の中は博物館的に城と城主家の歴史をたどる展示室になっています。ただし久松松平家は幕末に朝敵となったことから、「めぼしいものはみんなもっていかれちゃった」のだとか。

 久松松平家は家康の異父弟の家系で、江戸期は松平姓を与えられていました。維新後は明治天皇の命で姓を久松に復しています。現存十二天守のうち、葵の紋の入った瓦が使われているのは松山城だけとのこと。一方で本壇の櫓の一つには久松家の祖先とされる菅原道真公を祀った天神社があり、久松家で使われてきた梅の紋が入っています。

 司馬遼太郎「坂の上の雲」の主人公である秋山兄弟と正岡子規はいずれも松山藩士の出身で、劇中の旧主家は久松の名字で登場します。最初に松平と聞いてピンとこなかったのはそのせいかもしれません。

 山を降りて二の丸を仰ぎます。ふだんは二の丸が城主の住まいとして使われていて、ここも比高10mの高石垣と複雑な虎口に囲まれた厳重な作り。正直、本丸よりも二の丸を見て「ここまでするか」と思いました。

 国内に名城と呼ばれる城は多々あれど、十指に入る一つといってよい城だと思います。

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posted by ふくだ at 23:49| Comment(0) | お城

秋山兄弟生誕地

 松山城のロープウェー乗り場からさほど遠くない場所に秋山兄弟生誕地があるというので足を運んでみました。
 石碑の一つか、もしかすると案内の看板があるくらいかと想像していたら、再建された秋山家がありました。空襲で焼けたものを2005年に再建したそうです。

 2009年からNHKで「坂の上の雲」がドラマ化された影響もあるのか、松山市内のあちこちに「坂の上の雲」のふるさとといった看板がありました。学生時代に松山を尋ねた際は「坊っちゃん」と「俳句」を推していた印象があるだけに、ずいぶんと様変わりです。「坂の上の雲」も前半の主人公の一人は正岡子規なので、俳句とのつながりはあるのですけれども。
posted by ふくだ at 23:48| Comment(0) | 地図と地理と遠出