2024年02月28日

唐古・鍵・纏向散歩(2月17日)

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 「唐古・鍵遺跡」は、もともと唐古地区で見つかった遺跡を、調査を進めていたら隣の鍵地区まで広がっていることが分かったので、両方の地名を並べてつけた名前。

20240217karakokagi189.jpg 唐古・鍵史跡公園のはす向かいの道の駅の展望台から見た奈良盆地。遠くに見えるは二上山。もとは「ふたがみやま」と読んでいたそうですが、いつの頃か「にじょうさん」と音読みに。本居宣長が味気ないと嘆いていたそうですから、江戸時代には音読みになっていたようです。

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 この日は近鉄田原本町駅前からレンタサイクル。纏向まで行くつもりと言ったら電動を強く強くおすすめされました。一日借りても200円ほどしか差がないので、ママチャリと電動自転車なら、後者の方が圧倒的に楽です。せめてクロスバイクなら考えなくもない。

 さて大和川の堤防を走っていて見つけたヤドリギに宿られまくった木。奴ら常緑なので冬になるとやたら目立つのです。自前でも光合成するのに、なんでこんな寄生の道を選んだかなぁ。

 そして大和川。この辺りだと初瀬川とも呼ばれるそうです。堺と大阪の間を流れる蕩々と水を湛えた姿ばかり見ていたので、この小川っぷりは意外というかなんというか。場所を選べばそのまま渡れそうです。

20240217hashimaki070.jpg 纏向小学校の南、東田大塚古墳の辺りから見た箸墓古墳。いやあ目立つ。
 出来た当初は間違いなく日本最大の人工建造物なので、「えらいもんをつくってしまった」と驚きながら見上げたに違いありません。出来た当時は墳丘の木はなく、盛山全体に石が葺かれて、さぞかし威容を誇っていたことでしょう。

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箸墓古墳・巻向古墳群・纏向遺跡(2月17日)

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 箸墓古墳。全長全長約280m、築造時期は3世紀中頃から後半。日本最初の巨大前方後円墳です。JR桜井線がすぐ脇を走っていて、車窓からも端正な墳丘の姿を見ることが出来ます。たぶん私が生まれて初めて古墳と認識して見た古墳が箸墓古墳かもしれません。学生時代の話でしたが、実際に足を運ぶまで幾年月。

 北側から見た写真ですが、左が後円部、右が前方部になります。横から見ていても前方後円墳の姿が目に浮かびます。浮かびますよね。浮かぶんじゃないかなあ。

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 桜井市立埋蔵文化財センターの前、国道169号線から古代の上ツ道の流れを汲む道路が分岐します。道の奥に見える小高い緑の丘が箸墓古墳。
 墳丘の東側を巻くように上ツ道が通っていて、そのまま登っていけそうな気がしますが、宮内庁の陵墓になっているので立入禁止の柵が巡っています。

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 左写真は墳丘北側、前方部から後円部を望む。こちらは溜め池になっています。右写真が墳丘南側で、やはり前方部から後円部を望む。南側は墳丘に沿って道路が巡っています。これだけの巨大古墳なのに墳丘のそばまで寄れるのがどことなく親しみを感じます。

 宮内庁は第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこ)の墓としています。中には邪馬台国の卑弥呼の墓とする説もありますが、おそらくはヤマト王権の最初の大王墓というのが一般的な見方。

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 ホケノ山古墳。国指定史跡となっている纏向古墳群の一つで、箸墓古墳の東にある全長80mの前方後円墳。後円部の直径を2とすると前方部の長さが1になり、前方部が後円部より低いのも特徴の纒向型前方後円墳とも呼ばれる形。右写真は現地の看板に私がCGで彩色加筆。前方部は道路が横切っていますが比較的墳丘の形を留めていて、一部には葺き石も残っています。築造年代は3世紀半ばで箸墓古墳より少し前。

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 茅原大墓古墳。墳丘全長は約86mとホケノ山古墳と似た規模ですが、作られたのは100年以上後の4世紀末。後円部に比べて前方部が寸詰まりで小さい帆立貝式古墳です。右写真は現地の看板に私がCGで彩色加筆。纏向古墳群には含まれていませんが、単独で国指定史跡。

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2024年02月26日

桜井市立埋蔵文化財センター(2月17日)

 奈良県桜井市は奈良盆地の南東にあり、日本最古の神社と言われる三輪明神(大神神社)があり、日本最古の道と言われる山の辺の道の起点でもあります。名物は三輪そうめんですが、兵庫県にいると揖保乃糸(メーカー名ではなく産地ブランド)ばかり食べているので、なかなか縁がありません。

 歴史的には初期ヤマト王権の中心地と目される纏向遺跡があり、日本最古の巨大前方後円墳とされる箸墓古墳があり、なんだか日本最古だらけの由縁に彩られています。

 その桜井市にある桜井市立埋蔵文化財センター。三輪明神の参道入口から100mほど北側にあります。

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 見ておきたいのは纏向遺跡の出土品。
 纏向遺跡は初期ヤマト王権の拠点集落と考えられている弥生時代後期から古墳時代にかけての大集落。東西2km・南北1.5kmという同時代の遺跡の中でも飛び抜けた面積に広がっています。
 ここの出土品の土器の15%は他地域から搬入されたもので、九州から関東までの広範囲にわたっています。

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 いろんな工房があったのだろうという出土品と、いろんな呪いごともしていたのだろうという出土品。
 桃の種ですが、昔から桃は邪気を払う力を持っていると考えられていて、日本神話の黄泉比良坂で桃を投げる話があったり、犬山城や岡山城の天守の瓦に桃が載っていたり、そもそも桃の節句があったり、いろんな所に痕跡が残っています。

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 纏向遺跡のもう一つの目玉は辻地区の建物跡。巨大な建物はそれまでの弥生時代にもありましたが、纏向では複数の建物が軸線上に配置され、柵に囲まれていることから高い計画性で建設されたものと推定されます。一番大きな建物は同時代の遺跡でも最大級で、中心的な人物がいたと考えられています。

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 ちょっと面白かったのは火鑽臼(ひきりうす)。火起こしで木の棒をぐりぐり押しつけられるあれです。私も体験したことがあるのですが、白煙までは出るのですけど発火させるのが大変。それはともかくこんな状態のよいものが出土するのですね。

 そしてあちこちから持ち込まれた土器に紛れ込んでいる蛸壺。海のない奈良県ですが、持ち込まれた蛸は食べていたのか。古代から人気者だな蛸。
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2024年02月17日

唐古・鍵遺跡

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 唐古・鍵遺跡は弥生時代を通じて人が住んでいた集落で、弥生時代中期後半から後期にかけて最盛期を迎えました。
 東西650m・南北700mの集落は何重もの環濠で囲まれ、多種多様な物作りが行われていたことを示す出土物が大量に出土。この時期の奈良盆地の中心的な集落だったと考えられています。

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 遺跡の中心部は「唐古・鍵遺跡史跡公園」として整備されています。
 シンボルとして建てられたのが三層の楼閣。遺跡で出土した土器に描かれていた楼閣を元に再現したものです。軒先のくるくる飾りは土器に描かれているものを立体化しています。
 実は楼閣は土器に描かれたものが見つかっただけで、柱穴など楼閣の遺構そのものは検出されていません。ずいぶん思い切って建てたものですが、再現楼閣は他の遺構に影響が及ばぬよう、公園内の溜め池の上に立っています。溜め池の場所は昭和初期に国道建設の土砂採取に伴う発掘調査が行われていて、既に遺構が残っていないところ。このあたり国指定史跡の敷地内なので抜かりはありません。

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 こちらは実際に柱穴が検出された大型建物。
 左写真は3世紀後半ごとの建物と推定されていて、公園内に立柱が復元されています。
 右写真は4世紀後半の棟持柱付きの建物。こちらは史跡公園の範囲外で検出されたもので、遺構を剥ぎ取って、公園内の遺構展示情報館の中に再現しています。

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 集落を取り囲む環濠。
 公園の北西側は2条分の環濠が復元されていて、外側の環濠は水を湛えた状態にしてあります。内側の環濠の一部はおそらく検出時の様子を型取りして再現。深さは1m強というところ。
 防御が主目的なら堀を開削したときの土で土塁を作りそうなものですが、もともと土地が低いこともあり、地面全体をかさ上げするのに使ってしまったのかもしれません(推測)。

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唐古・鍵考古学ミュージアム

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 唐古・鍵遺跡は奈良盆地のほぼ中央、田原本町にある弥生時代の環濠集落遺跡です。
 弥生時代中期の最盛期には集落を囲むように東西650m・南北700mの楕円形の環濠が幾重にも掘られていました。同時期の奈良盆地には地域の拠点となるような集落が10ヶ所ほど確認されていますが、唐古・鍵遺跡はその中でも最大のもので、奈良盆地ひいては当時の近畿地方の盟主的な集落だったと考えられています。

 唐古・鍵の出土品を展示しているのが唐古・鍵考古学ミュージアム。単体の建物ではなく、図書館や町民ホールと一体の複合文化施設の一角にあります。

20240217karakokagi005a.jpg ミュージアムの最初の部屋にある唐古・鍵遺跡の再現ジオラマ。
 周囲の環濠は低地にある集落の排水と、物資の運搬のための運河、集落の防御や洪水対策も兼ねていたようです。同心円状ではあるのですが、網の目のようでもあります。
 模型の写真では手前が上流側、奥が下流側。右を流れているのが現在の大和川で、支流が幾重にも分岐しています。

 水田で食料生産も行っているのですが、青銅製品から木製品や石器、糸や布まで多種多様な生産も行われていました。米づくりとものづくりの両方を担っていた集落です。

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 この鞘入りのサヌカイト製石剣を見に行ったと言って過言ではありません。打製石器なのです、これ。石をガツガツコツコツ割りながら、ここまで形を整えました。美しい。

 単体では短剣か槍の穂先か分からなかったのですが、鞘と一緒に出土したことで、腰に下げて使った短剣だと推定。石剣の真ん中に巻いてあるのはサクラの樹皮だそうです。弥生時代の石剣の中でも屈指の逸品ではないでしょうか。石好きもこじらすと石器まで見に行ってしまうのですから、困ったものです。

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 唐古・鍵遺跡といえば楼閣を描いた土器と翡翠の勾玉が入っていた褐鉄鉱の容器……ですが、本物は松山市考古館に出張中。レプリカ展示でした。
 いいもん。サヌカイトの石剣は見たもん。
# 松山市民のみなさんうらやましい……

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 唐古・鍵遺跡の土器は絵を描いたものが多いのも特徴。建物を描いた土器は他にもあります。屋根の端に付いているぐるぐるはなんだったのだろう。おかげで遺跡公園に再現された楼閣の屋根もぐるぐるがついています。

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2024年02月12日

香芝市二上山博物館

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 二上山は大阪府と奈良県の境にあります。
 奈良盆地からは日没の方角にあるので特別な山とされ、万葉集にも二上山を詠み込んだ歌が収められています。

20240212nijosan_museum009.jpg 二上山は約1400万年前に活動を終えた古い火山です。ここから取れる火山性の岩石は、人々のくらしを支え、文化にも影響を与えてきました。
 ということで、二上山博物館は、サヌカイト(安山岩の一種)と凝灰岩と金剛砂(ざくろ石)に焦点をあてています。歴史系の博物館ですが、むっちゃ石寄り。いや、ほぼ石の展示です。

20240212nijosan_museum004.jpg まずはサヌカイト。地質学的では古銅輝石安山岩の一種で、約1300〜1400万年前の瀬戸内一帯の火山活動で流れた溶岩が固まったもの。サヌカイトが産出する場所は限られていて、命名の元になった香川県(讃岐国)の五色台地域周辺やこの二上山、広島県の冠山くらい。

 割ると薄く鋭利な破片になるので、石器として利用されてきました。二上山産のサヌカイトは近畿一円の遺跡から出土しています。古くは姶良Tn火山灰層の前後あたり。これまでは姶良カルデラの噴火は2万数千年とされていましたが、福井県の水月湖の年縞から30,078±48年前と確定しています。日本列島に人類がやってきて程ない時期から利用されていたことになります。

 ちなみにサヌカイト、露頭から直接採掘するのかと思ったら、地面を掘って埋もれていた転石を掘り出すそうです。考えてみれば鉄器のない時代、ハンマーもなしに岩盤を砕くのは無理。

20240212nijosan_museum006.jpg 旧石器時代の石器は、地域毎に製法の特徴があり、いくつかのグループに分類されています。
 石器の材料としてはガラス質の黒曜石が知られていますが(写真は屋外展示より)、これも分布が限られた石材で交易で広く流通していました。ただ近畿から瀬戸内にかけては近くに産地がなく、一方でサヌカイトの産地があったことから、黒曜石の石器はあまり出てこず、サヌカイトばかりになります。

 面白かったのは南から北へ行くほど石器の大きさも大きいこと。北海道へ行くと握りこぶし3つ分もあるような巨大な石器もあります。一般的に動物は北へ行くほど体格が大きくなるので、それに連動しているのかとも思ったり。

 再現したサヌカイトのナイフも体験で使ってみたのですが、上手く角を使うと紙がサクサク真っ直ぐ切れます。ちょっとびっくり。

 旧石器時代から使われ続けたサヌカイトですが、弥生時代になると矢尻や剣など用途も細分化。細工も次第に細かくなります。奈良の唐古鍵遺跡ではサヌカイト製の鞘入り打製石剣が出土していて、細工の細かさに驚くばかりですが、やがて金属器に代わられることになります。

 ちなみにサヌカイトの鉄琴、いや石琴もありましたが、音だけは讃岐産のサヌカイトのほうが良いそうです。古代の人は楽器として使ったんだろうか……生活に直結する物資だからそんな贅沢はしなかっただろうなあ。鳴らす用のサヌカイトが出土したとしても石器の未製品にしか見えないだろうし。

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大阪府立弥生文化博物館

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 大阪府立弥生文化博物館は大阪府和泉市にあります。
 弥生時代というと米作りの始まった時代ということで小学校の歴史でも習います。でも著名な弥生時代の遺跡がある街でなければ、歴史系の博物館でも冒頭に縄文土器に続いて弥生土器と石器やたまに木製品が並んでいるのをささっと通り過ぎてしまうことが多いかもしれません。

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 ということで、弥生時代に絞った博物館。第一展示室は弥生時代の通史。
 エントランスを抜けると竪穴住居のジオラマ。なるほど、と思ったのが、弥生の人々の足。靴を履いていない生活だったので、足の指を開いて踏ん張るような立ち方歩き方をしていたらしい。というのは発掘調査で見つかった足跡からの復元想定で、ジオラマの中の弥生人たちも足の指が開いた形に復元されています。

20240212osakayayoi019.jpg 弥生時代を特徴付ける食料生産……というのは日本のほとんどの地域で水田による稲作。ということで稲作の紹介に大きなスペースが割かれています。縄文時代も弥生時代も土器のイメージが強いのですが(残りやすいというのは大きい)、多種多様な米作りの道具の展示。そして鉄器の普及。
 そこからいきなり「倭国大乱」になっちゃうのですが、何があったんだ倭国。

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 第一展示室後半の真ん中で女王・卑弥呼が鏡を掲げてました。大阪は邪馬台国と直接のつながりは濃くない場所ですが、弥生時代の一大スターですから。
 卑弥呼が魏に使いを送ったのは238年。魏は「三国志」の魏ですが、諸葛孔明の最後の戦いとなった五丈原の戦いは234年なので『三国志演義』の英雄たちの活躍とちょうど入れ違いのタイミング。
 卑弥呼の館のジオラマは1990年代前半の開館当初からあるもの。古くから九州説と畿内説のある邪馬台国の所在地ですが、近年は魏志倭人伝に描かれた3世紀半ばに迫る年代の大きな遺跡が奈良盆地で発掘されています。
 女王さまのご飯は科博に出張中。ふだんの食事ではなくて祭礼用の食事かなあ。

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2024年02月11日

明石市立天文科学館 特別展「太陽系のお天気展」

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 明石市立天文科学館、2月からの特別展は「太陽系のお天気展」。

 太陽系の探査も進んで、あちこちの惑星の空模様が明らかになってきました。
 金星・地球・火星は言うに及ばず、水星もごく希薄な大気がありますし、木星から外側の惑星も厚いガスで覆われています。

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 話題の中心は地球の兄弟星ともいわれる金星と火星。
 金星は地球とよく似た大きさの惑星でありながら、ほんの少し内側の軌道になったばかりに、高温高圧の灼熱の星になりました。ということはよく知られていますが、金星の気象現象が詳しく解き明かされてきたのは最近のこと。日本の金星探査機「あかつき」も一役買っています。なんでも京都産業大学に詳しい先生が何人もいらっしゃるらしい。
 例えば金星では高度55kmから上の大気は安定していて、気温も27℃と快適。金星では高度50kmで一気圧なので、55kmだとちょっと低めですが、この辺なら何とか住めそう……硫酸の雲さえなければ(^_^;
# 以前に作ったあかつきのペーパークラフト(陶山博史さん作の型紙)、えらい資料と一緒のケースで展示されてました。

20240211akashi019.jpg 火星は地表面の気圧がそもそも地球の1/160ほど。火星の北緯35度付近でも夏で-25℃、冬は-75℃。気圧を別にしても地球の南極の昭和基地(夏-1℃・冬-20℃)の方が遙かに過ごしやすい。
 仮に火星へ降り立っても、宇宙服(火星服?)無しでは外に出ることも敵わず、基本は建物の中で暮らすしかありません。観光ならともかく移民したいとは思わないなあ。
# 観光でも火星まで往復3年となるとちょっと……私は月でいいや。

20240211akashi020.jpg ところで水星から海王星まで登場する宇宙人くん、火星と金星で宇宙服も着ずに生きてるのですけど、身体の材料は何なのでしょう。宇宙最強かどうかは分かりませんが太陽系最強生物にはなれそうです。
# なお天文科学館の井上館長によると、「この宇宙人はテンちゃん」「太陽系の宇宙気象予報士をめざして」いるそうです。太陽系に興味を持ってくれるのは嬉しいけど、どこから来たんだ君は。

20240211akashi021.jpg そういえば海王星は眼視に合わせた色のパネルになっていました。
 海王星はボイジャー2号が撮影した深い青の写真が印象的なのですが、実は大気の構造が分かるように画像処理した写真が広く使われるようになったそうです。元のデータを眼視に合わせて補正すると、天王星同様の淡い青緑色になるのだとか。

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2024年02月03日

茨木市文化・子育て複合施設「おにクル」プラネタリウム

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 消防署の上にあることで知られていた茨木市のプラネタリウム、2023年11月より隣に新築された茨木市文化・子育て複合施設「おにクル」に移転して投影を始めています。名乗りはネーミングライツで「きたしんプラネタリウム」。

 13:30からの投影を見ようと30分ほど前に着いたのですが、ちょうど団体のお客さんが入って、目の前でチケットが売り切れました。定員56席の小さなドームなので、まあ、こういうこともあります。賑わっているならよいことです。

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 15:00からの投影は「世界のプラネタリウム/ウクライナ編」。
 ウクライナのハルキウプラネタリウムで解説員を勤め、現在は日本で避難生活を送っているオレナ・ゼムリヤチェンコさんの投影です。
 ハルキウはウクライナ東部にある同国第二の大都市(ソ連時代はハリコフと呼ばれていました)。国境に近く、2022年来の戦争ではロシア軍が市内まで侵攻してきました。

 投影前はウクライナの文化を紹介する話題が主。このときのお話と投影後の質疑応答ではボルシチの話題が何回も。ボルシチ食べたい。
 そうそう、旧ソ連の宇宙開発を主導したセルゲイ・コロリョフもウクライナの人なんです。

 プラネタリウムは通訳を介しながらの生解説。日没から冬の星座に北天の星座。ウクライナの星座の呼び方の紹介も。日本なら星の和名に近い感じでしょうか。
 投影終盤、流れ星に願いをかける話題が出た時には、ウクライナでも願いをかけるのは同じなのかと思いつつ、戦火が止むことを願わずにはいられませんでした。

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第32回国際高校生選抜書展

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 一般には「書の甲子園」の通称で知られている国際高校生選抜書展
 何日か前に仕事で原田の森ギャラリーの前を通りかかったとき、看板が上がっていたのを覚えていて脚を運んでみました。書道は門外漢というか敷地の外にいるほど縁がないのですけど、高校書道部を舞台にした『とめはねっ!』というマンガを読んでいて、「書の甲子園」を知っていました。身近でやっているならぜひと。
# 作中だと大阪が展示会場だったので、神戸でやっているとは知りませんでした。

 週末でしたが午前中ということもあってか、客足はまばら。たぶん会場内にいたのは両手で数えるほどだったのでは。立派な会場なのに、えらくのんびりした雰囲気。
 でも、じわりじわりと人が増えてきて、私が引き上げる頃には高校生の団体さんがゾロゾロと。そうか、遠方から来るのだと、朝一で出ても着くのは昼頃になっちゃうのか。

 見惚れてしまうような字あり、これはもはや絵画だろという作品あり、彫刻じゃないのですかこれという作品あり。書かれた字が読める作品は1割もないのですが(そもそも字を書いてない作品すらある)、読むための字ではなく美しさを表現する作品なんですね。ということで、面白いんですこれが。

 私がいちばん「おおっ」と思ったのは準大賞の北原莉里子さんの刻字の作品。これありなのかという驚きとともに、かつての大河ドラマ「独眼竜政宗」のタイトルを思い出しました。そうかあれはこの系統の作品だったのか。
 写真では半分も伝わらないのが惜しい。とにかくカッコよかった。
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