2025年11月04日

大阪市立美術館 特別展「イタリア館の至宝 天空のアトラス」(11月3日)

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 大阪市立美術館の特別展「イタリア館の至宝 天空のアトラス」を見学。大阪・関西万博のイタリア館は、「芸術はいのちを再生する」と本国から会期中も次々と美術品を運び込み、屈指の人気パビリオンとなりました。
 その中でもシンボル的存在だったファルネーゼのアトラスを初めとする4点の作品を再構成したのが今回の特別展です。万博会期中は連日5時間を越える行列ができ、あまりの混雑に見学をあきらめた人も多いイタリア館の「延長戦」的な展覧会です。

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 特別展のタイトルにもなっているファルネーゼのアトラスは1546年頃、ローマのカラカラ浴場跡で発見。
 後に名門貴族のファルネーゼ家が収集し、その宮殿に飾られていたため「ファルネーゼのアトラス」の名があります。

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 2世紀(紀元150年頃)の像ですが、発見時に残っていたのは天球と胴体・顔の一部。
 手足などは16世紀の後補で、お尻や腕の付け根に修復の跡があり、よく見ると違う大理石を使っているのが分かります。後で補った部分もルネッサンス期の彫刻なので、違和感を感じないほどに修復時の技術水準が高いのでしょう(推測)。

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 彫像の題材はギリシア神話。オリンポスの神々との戦いに敗れた巨人族のアトラスは、罰として天空を背負う役目を命じられました。
 天空は天球儀として表されています。天球儀は地球儀の星空版といったもので、天を球体に見立てて、星座を球の表面に描いています。地球は天球儀の中心にあり、内側から星空を見ている設定。天球儀は外側からの視点なので、描かれる星座は裏像になっています。

 ファルネーゼのアトラスは、古代ギリシアの彫刻を元にローマ時代に作られた模刻と考えられています。ローマの人たちはギリシアの文化を大切にしたので、ギリシア彫刻に範をとったローマン・レプリカといわれる彫刻がたくさん作られたとか。
 このファルネーゼのアトラスが担いでいる天球儀が、現存最古の天球儀とされています。

 現在、日本国内では300余りのプラネタリウムが設置されていますが、プラネタリウムは星空を表現する機能と惑星の動きを再現する機能の組み合わせから成り立っています。その星空を表現する機能の源流は天球儀にあり、ファルネーゼのアトラスはプラネタリウムの祖先の一つに位置づけられています。

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 当時使われていたトレミー(プトレマイオス)の48星座のうち、天球儀に刻まれて今も残る星座は42あります。残る6星座のうち、こぐま座とおおぐま座の2星座は欠損、や座・こうま座・さんかく座・みなみのうお座の4星座は刻まれていません。や座・こうま座・さんかく座は比較的小さな星座で、みなみのうお座はアトラスの肩のマントに接して隠れる部分にあります。

20251103osaka_atlus_122a.jpg 少し離れた場所から天球儀を見ると、球体が少し潰れているのが分かります。これは天球儀の頂部が欠落しているためで、こぐま座とおおぐま座はこの欠落部にあります。
 頂部の欠落部には天球儀を穿つように円筒状の穴が空いていると言いますが、万博イタリア館でも今回の大阪市立美術館でもその様子を見ることは出来ません。
 ファルネーゼのアトラスを上から撮影した写真は検索でもなかなか出てこなくて、唯一見たのが下記のTwitter投稿の写真です。
 https://x.com/aju_kukan/status/1913216050008924409

 全くの当て推量ですが、天球儀に穴を空けたのは重量軽減のためで、本来は穴を塞ぐような蓋のパーツがあり、そこにこぐま座とおおぐま座が刻まれていたのではないかと思います。

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2025年11月01日

山陽鉄道フェスティバル2025

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 山陽電車の東二見車両基地の一般公開イベントの「山陽鉄道フェスティバル」。14年ぶりくらいに足を運びました。
 実は15時終了なのを失念していて(16時くらいまでやってるのかと思い込んでいました)、会場に着いたのが14時45分。もう駅から東二見車庫まで帰りの人とすれ違いまくりで、門をくぐって5分もしないうちに「蛍の光」が流れ始める始末。一回りササッと回るだけでした。
 いちおう車両基地っぽい写真で、1枚目は線路に乗る車輪が付いた脚立。竹梯子の看板があったような気がするのだけど、この脚立ではなかったみたい。
 2枚目は工場で車両を1両ずつ横移動させるトラバーサ。

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 1枚目は最新の6000系車両のトップナンバー車。
 2枚目は大ベテランの3000系(リニューアル済)と、左の奥にこちらもベテランの域に入った5000系。5000系はトップナンバー車ですね。奥の方に阪神電車が紛れ込んでいます。

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 なにゆえ山電の車両基地のイベントに出かけたのかというと、なぜか明石市立天文科学館が出展しているのでした。車両工場の中で膨らませた移動式プラネタリウムのエアドームとかシュールな眺め。もちろんこの日の投影は終わっていました。

 テントにいらした科学館のみなさんに挨拶したら、井上館長に捕獲されて、対話しながら駄洒落をつくってきました。「対話と共創」がテーマなんですって。わけが分かりません。
 ということで、滞在15分の山陽鉄道フェスティバル2025、マジで駄洒落をつくりに行っただけでした。
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姫路科学館 科学講演会「色いろな光 〜生き物も食べ物も光る」

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 姫路科学館の科学講演会「色いろな光 〜生き物も食べ物も光る」ということで、本業の科学広報の傍らTwitterでも活躍中の宇津巻竜也さん。
 実はSNSでは15年来のやりとりがあって、いま調べたら最初のリプライがビタミンB2の蛍光の話題でした。知らなかった!(ぉぃ)

 なぜ人は色が見えるのか、どのような仕組みで生き物が光をだすのか、という基本的な部分からのお話。
 天文をやっていると、明るい光に反応して色を見る錐体細胞と、暗いところで光を拾えるけど色は見えない桿体細胞の話は知っているのですが、どちらかといえば暗いところで星を見るために桿体細胞を有効に活かす話ばかりで、明るいところで活躍する(というかふだんはこちらを使っている)錐体細胞のことは意外に知りませんでした。
 RGBに対応する3種類の錐体細胞があるのですが、赤と緑の波長に対応する細胞の感度のピークの波長が20nmしか違いがないとか、遺伝情報は隣り合った場所にあるとか、自分の目のことながら「へぇ!」の連続。
# 余談ながら補色の関係にある赤と緑を見分けることが難しいタイプの色覚が起こる理由も分かりました。

 光を出す仕組みではタンパク質の構造の話が面白くて、オワンクラゲの名前が出てきたときは「ノーベル賞の下村博士のアレだ!」と一人で盛り上がったり。
 身近なことながら知らないことばかりなのに加えて、発光の仕組みが意外に今も分かってないことが多いとか、身の回りにこんなにワクワクするものがたくさん潜んでいることが面白くて、かじりつくように聞いてました(ていうか最前列でかぶりついてました)。写真もほとんど撮ってないくらい聞いてました。

 365nmの可視光カットフィルター付きのブラックライトを持っているので、帰宅後は台所でブラックライトを当てまくっています。鉱物の蛍光を見るのにお迎えしたんだけどなあ。
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2025年10月26日

第77回正倉院展(2025年度)

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 奈良の秋の深まりを告げる正倉院展。2025年度で第77回を迎えています。

 今回の目玉はなんと言っても「瑠璃坏」。
 環形の飾りを周囲に施したグラスは、星のように気泡を含んだ澄んだ青ガラス。銀製の台座はやや黒ずんで落ち着いた姿ながら、目を凝らすと精細な龍の彫刻が刻まれています。いかにも日本離れした意匠は、「シルクロードの終着点」を象徴する、正倉院宝物を代表する逸品。

 展示の大トリ、西新館の最後の部屋を一つまるまる使って瑠璃坏を展示していました。
 360度全方位から見ることが出来る四角いガラスケースを部屋の中央に配し、細く絞ったLEDの照明で直上から瑠璃坏を照らし出します。グラスを透過した青い光がケースの底に複雑に模様を描き、息をのむような光景でした。日曜の午後で、人出は少なくないのですが、のんびり構えていれば人も入れ替わり、割と近くでじっくり見ることが出来ました。目線を水平に合わせたときが、写真でよく見る色合いに一番近い印象。見上げるような角度で見ると、透過光の青が素晴らしく美しい。

 瑠璃坏の出展は2012年以来13年ぶり。前回は西新館の最初の部屋をやはりまるまる一つ使っての展示で、列に並んでゆっくり進みながら眺める形でした。今回の方がずっとじっくり見ることが出来たのですが、一つは照明の技術がよくなっていることと、もう一つは日時指定入場が定着し、混み具合もある程度は抑制した状況での見学になったことが大きいと思います。
 定員が出来たようなものなので入館料が上がるのは止む無しですが、土日祝の券は早めに売り切れるのでフラっと行けなくなりました。

 面白かったものをいくつか挙げると、「天平宝物筆」と「縹縷」。天平宝物筆は大仏開眼の儀式で用いられた特大の筆で、天平創建時は菩提僊那僧正が手にしたはず。源平合戦の兵火で大仏殿が焼けたのち、鎌倉再建時には後白河法皇が開眼の筆を執り、その旨が筆の軸に記されています。大仏の頭の高さまで櫓を組んで登ったのかと思うと大変な話です。
 縹縷は「はなだのる」と呼ぶ藍染めの絹の紐で、推定で全長198m。紐の一端を筆に結んで、参列した大勢の人が垂らされた紐を手にし、共に開眼の儀に参加したというものです。やや退色はあるものの藍の色が鮮明に残っています。今で言えばテープカットの紐を保存しているようなもので(こちらは切りはしませんけど)、よく残しておいたものです。

 「平螺鈿背円鏡」は背面を螺鈿や琥珀やタイマイで豪奢に装飾した鏡。聖武天皇ゆかりの鏡は正倉院に18面あるそうで、意匠違いのものがたびたび出展されます。前に見たような気がしても同じものかどうか記憶だけでは分からないのですが、今回は2013年に出展されたもので、2度目の見学でした。

 「蘭奢待」は実は3回目。私は2011年に初めて見たのですが、2019年も東京国立博物館で展示され、そして今回。
 足利義政と織田信長そして明治天皇が切り取った場所には付箋が貼られていて、みんなそれを見たがるので、ガラスケースの一方だけ人だかりが出来ます。この夏の「正倉院 THE SHOW」展で蘭奢待の香りを再現したものをかいだのですが、ほぼシナモンケーキのような、シナモンの香りに甘さを加えたような香りでした。

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大阪市立美術館「NEGORO 根来 ー 赤と黒のうるし」展

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 大阪市立美術館「NEGORO 根来 ー 赤と黒のうるし」展。
 私が根来塗を知ったのは司馬遼太郎『街道をゆく』の「阿波紀行、紀ノ川流域」。
 真言宗の一派の根来寺は戦国期に大名と並びたつ勢力を誇り、紀ノ川の河口一帯の雑賀と共に強力無比な鉄砲衆を抱えたで知られています。
 その根来寺で生産されていたという漆器が根来塗。堅牢な造りで黒漆の上に赤い漆を塗って仕上げます。長年使っている間に下地の黒漆が見えてきて風情が出るというのですが、私自身は実物を見たことはありませんでした。

 根来寺は豊臣秀吉の紀州攻めで焼き払われ、今も残った堂塔が寺院として続いています。
 そして境内の発掘調査も継続的に行われてきたのですが、根来寺内で漆器を作っていた考古学的痕跡がないというのです。どういうこと!?
 そういえば『街道をゆく』でも、根来寺に残っている根来塗はただの一点だけという話がありました。

 展示室内の最初に控えるのが大神神社に奉納された高さ158cmもある盾で、これが古錆びた赤でかっこいい。
 もともと赤は特別な色で、赤い漆器は神仏に捧げるものとして作られ、使われてきた歴史があります。ということで、さまざまな寺社に収められた赤塗りの漆器がずらり。やや朱寄りの赤ですが、剥げて黒漆の下地が見えると複雑な表情を見せてきます。
 黒漆で仕上げて赤を施したものもあり、とにかく赤と黒の世界。
 中には根来寺から出土した漆器の破片もあるのですが、恐らくは寺内でなく周辺地域でつくられたものであろうとのこと。

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2025年10月19日

X線天文衛星XRISM 第1回国際会議 一般講演会

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 X線天文衛星XRISM第1回国際会議の一般講演会「XRISMの挑戦」に参加しました。
 
 冒頭の概要と最後の京都と今の科学のお話は一般向けで、研究の紹介は一般向けの天文雑誌や科学雑誌を読んでる人くらいが対象なお話。
 「XRISM」は運用事故で喪失したX線天文衛星「ひとみ(ASTRO-H)」の代替として打ち上げられた衛星で、2016年の「ひとみ」喪失から2023年の「XRISM」打ち上げまで7年半の月日を要しました。間にCOVID-19のパンデミックを挟む苦しい期間でした。

 「XRISM」の顔と言えるのはResolveと名付けられたX線分光装置で、いわばX線のスペクトルを取る観測装置。カギを握るのはマイクロカロリーメータという装置で「宇宙一の低温」という273.1℃(0.05K)まで検出器を冷やします。飛び込んできたX線の光子が発するわずかなエネルギー量を正確に検出し、高分解のスペクトルを描き出します。とにかくこれがこれまでのX線天文衛星のスペクトルと桁違いの分解能を誇り、壇上でお話しされる先生方がデータのグラフを紹介しながら微笑みがあふれているのが印象的。

 実はセンサーを保護するベベリウムの膜が外れていなくて、一部の波長が観測できないトラブルが起きているのですが(X線は多くの物体を透過してしまうので観測そのものは可能)、それでも素晴らしいデータが取れているそうです。
 設計寿命は3年想定ですが、これは十分にクリアできる見通しで、2030年頃までの運用を計画しているそう。マイクロカロリーメータを冷やす冷凍機に液体ヘリウムを使っているので、次第に蒸発していくはずのヘリウムの残量が気になるところですが、「液体ヘリウムなしでも十分に冷やせる性能を持っている」「液体ヘリウムはある間は余裕を持って運転」「液体ヘリウムが尽きたら全力を出す(意訳)」ということで、こちらは心配ないようです。

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 可視光や赤外線望遠鏡は賑やかな写真が出ますが、XRISMは観測結果として出てくるのがスペクトルのグラフなので、一般向けの広報では少し不利な面はあるかもしれません。
 でも銀河団やらブラックホールやら、この日の話だけでもワクワクする観測成果がたくさん出てきているので、これからの成果も楽しみです。面白い講演会でした。

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洛東散歩

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 京都テルサで行われるX線天文衛星XRISMの国際会議(の一般講演会)に参加するため、京都へ向かいました。
 講演会は午後からのスタートなので、少し早めに出て洛東、つまり鴨川の東岸を散歩しました。鴨川の東というだけではとても長いエリアですが、今回は阪急京都河原町駅から南へ向かってスタートです。

 鴨川を渡り、祇園の花見小路を抜けます。花見小路で交通整理している警備員がJRAロゴの入ったユニフォームを着ているのが不思議だったのですが、花見小路の南端、建仁寺の手前に場外馬券売場があるのでした。禅寺と花街の境界に公営ギャンブルがあるという混沌とした空間です。

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八坂庚申堂。お堂にぶら下がっているカラフルな玉は「くくり猿」と呼ばれるお守り。願いを書いてぶら下げる習わし。ご覧の通りのカラフルさで、写真を撮る人たちでさほど広くない境内が大賑わい。

20251019rakutou009.jpg 八坂の塔。京都の五重塔といえば、新幹線の京都駅からも見える東寺の五重塔か、洛東のこの八坂の塔がまず紹介されます。臨済宗建仁寺派の法観寺というお寺ですが、何度も火災に遭ってこの塔以外の主要な堂宇は失われてしまいました。

 実は塔の内部を拝観することができ、二層目まで上がることが出来ます。一層目の内陣を見ることが出来る塔は他にもありますが、上層階へ上がれるのはちょっと珍しい。

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 塔の心礎は大きな石で、飛鳥時代のものと伝えられています。塔そのものは火災で3回焼失し、現在の塔は1440(永享8)年に室町6代将軍の足利義教の援助で再建されたもの。内部からは塔を貫く大心柱も見ることが出来ます。

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2025年10月13日

ヤマザキマザック工作機械博物館(岐阜県美濃加茂市)

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 ヤマザキマザック工作機械博物館を見学。プラミッドのような建造物がありますが、その地下に博物館と工場があります。

 ヤマザキマザックは工作機械のメーカーで、元の名前は山崎製作所。海外進出の際に"Yamazaki"は発音しにくいということで"Mazak"のブランド名をつくり、現在はヤマザキマザックが会社名になっています。というのは見学して知りました。
 そもそもこの博物館を私が知ったのも最近で、トヨタ産業技術博物館にここのポスターが貼ってあったのを見たか、SNSでどなたかが紹介していたのを見たのだったか。

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 工作機械とはなんぞやという所からですが、金属や木材などの材料を切ったり削ったり穴を空けたり磨いたりする機械。旋盤やフライス盤などが代表的なところで、いわば機械や部品をつくるための機械。
 ボール盤くらいはもしかすると置いてあるご家庭もあるやもしれませんが、旋盤やフライス盤は一般家庭にあるものではなく(ないよね?)、多くは工場で稼働しています。
 一般消費者が目にする機会のない機械ですが、これがなくては世の中が回らない類いの製品群です。

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 旋盤そのものは人力で動かすものが古代からあるそうで、これは世界中で使われていたそうです。
 へえ、と思ったのは産業革命の話。ワットの蒸気機関の肝になるのがシリンダーとピストンですが、シリンダーの内側を削る中ぐり盤の精度が今ひとつでピストンとシリンダーの間に数cmも隙間が出来てしまう代物。ウィルキンソンが精度よく加工できる中ぐり盤をつくり、ピストンとシリンダーの隙間は数mmまでになります。
 蒸気機関が実用のものとして広まるには工作機械の精度の向上があり、蒸気機関が広まることで工業化が一挙に加速し、工作機械の精度も上がっていくのですから面白いものです。

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 平削り盤は平らな面を削り出す機械で、刃は固定したまま、材料を載せた台を前後左右に動かして削ります。
 1枚目の写真は1860年頃のアメリカの平削り盤。日本は江戸時代の末期という頃に、アメリカはこれでモノを作っていたのですから、恐るべし。
 写真2枚目は国産の平削り盤。国産の工作機械としては最古の部類で、1895年製。1枚目のアメリカの機械と35年の時間差があります。メーカーの東京国友鉄工所は、鉄砲鍛冶で知られる滋賀県の国友村から東京に出た会社。新しい分野に挑戦していくのは国友一貫斎を生んだ土地柄かもしれません。

 ここで展示されている機械の多くは、後継機が入るまで目一杯働き続け、引退して廃棄されるところを引き取って再整備したものが多いそうです。基本的には動態保存状態まで整備するそうで、機械によってはスタッフが動作を実演してくださいます。
 履歴がはっきりしているものも多く、その意味でも貴重な資料ばかりだとか。

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 人力式の工作機械の時代のものから、脚踏み式旋盤と手回し式のボール盤。ペダルを漕ぎながら手元で精密な作業をして大丈夫なのかと思うのですが、足踏み式ミシンもあったことを考えたら大丈夫なのでしょう。
 ボール盤は見ていてホッとするような機械ですが(我が家で長いこと使っていたハンドドリルと機構が似ている)、実はドリルが自動的に降りてくる機構が組み込まれています。
 いずれも1870年代のアメリカの機械。

 ちなみに私、中学校の技術科の授業でボール盤は使ったことありますが、旋盤は触ったこともない工作初心者です。日曜大工レベルのDIYだと旋盤やフライス盤が登場する機会はなかなか無いですよねえ。

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飛水峡(岐阜県七宗町)

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 飛水峡は飛騨川の上流部、岐阜県七宗町から白川町までの全長約12kmの峡谷。
 かつての「日本最古の石」を含む上麻生礫岩は飛水峡の南端に近いところにありますし、日本最古の石博物館も飛水峡のほとりにあります。その上流側に入るといっそう峡谷らしくなります。

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 上麻生橋の上流あたりから。チャートの岩肌がたまりません。写真を拡大すると分かりますが、岩肌が全面しましま。放散虫などの化石が堆積したものですが、サンゴのような石灰質ではなく、二酸化ケイ素(結晶になると石英)なのでむちゃくちゃ硬い。硬いのですけど、川の水は砂礫混じりで流れてきますから、長い年月で削られてこうなります。

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 実はこの下に天然記念物になっている甌穴群がありますが、道路が広くなっている駐車スペースからは、草木の生い茂った断崖絶壁の下でほとんど見えません。ただ渓谷の風景はよい場所です。

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 飛騨川の対岸(西岸)に飛水峡ロックガーデンという場所があります。すれ違い困難な細い道の奥で、対向車が来たらほんと大変な道。
 峡谷の岩の上を歩けるようになっていて、といっても道が整備されているわけではないので、歩きやすい岩の上を散歩(ときどきよじ登る)出来る場所という感じ。もう一面がこのしましまのチャートだらけで素晴らしい。放散虫の化石から三畳紀の中期から後期(2.5億年前から2億年前)に堆積したものと分かっているそうです。

20251013hichiso155.jpg 飛水峡ロックガーデンの対岸(東岸)の甌穴。数は多くないのですが、それと分かる距離で観察出来ます。
 ちょっとした窪みに石が入って、石が窪みにはまったまま水流でゴロゴロ転がりつつ窪みを掘り下げ、どんどん穴が大きくなるという、割と気の長い時間をかけて出来た穴です。
 硬い岩でないとすぐに穴が大きくなって崩れてしまいますし、水流が激しくないと石がゴロゴロ転がってくれないので穴が大きくなりません。飛水峡はちょうど条件が整った場所だったというわけです。

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 それにしても惚れ惚れするようなチャートです。

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日本最古の石博物館(岐阜県七宗町)

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 岐阜県七宗町にある日本最古の石博物館を見学してきました。

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 七宗町の飛騨川沿いに見られる上麻生礫岩。
 礫岩自体はジュラ紀(約2億年前から1億4500万年前)に堆積したものですが、これに含まれる礫の中にある花崗片麻岩が20.5億年前のものと測定され、確認当時は「日本最古の石」とされていました。
# 細かく言うとマグマから花崗岩になったのが20.5億年前で、変成作用で片麻岩になったのが17〜15億年前。

20251013hichiso068.jpg ジュラ紀の頃はまだ日本列島は大陸の一部で、上麻生礫岩は大陸の岩石が削られて礫となり、川から海へ運ばれて海溝付近でたまったもの。花崗片麻岩は朝鮮半島北部に同じような年代のものが分布していて、このあたりの岩体が起源ではないかと考えられています。
# 六甲山地あたりの花崗岩がざくっと1億年前くらいなので、一桁違う古さ。

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 実はその後、2019年になって広島大学の調査で島根県津和野町の花崗片麻岩が25億年前のものと判明。日本最古の石のタイトルは移ってしまいます。
 ただ津和野町と広島大学からこの25億年前の花崗片麻岩の標本が「日本最古の石博物館」に贈られて展示されていて、「日本最古の石」の名には昔も今も偽りありません。
# 標本を提供した津和野町も広島大学も粋な計らい。

 さてこの博物館、展示の半分以上が先カンブリア時代(「日本最古の石」の20億年前の年代)の地質に焦点を充てていて、しかも解説が丁寧。
 先カンブリア時代の地層は日本にほとんど残っていないこともあってか、地質の本でもサラッと流されがちな時代。ですから初めて知るところも多くて面白いのなんの。30分もあればひと通り見て回れると思っていたのですが、1時間半も見学していました。

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