2023年06月08日

メシエ天体の距離一覧

 つくってみました。元のデータの出典の違いやそもそもの測定誤差もあるので、厳密な順番に意味はありませんが、大づかみの距離感の把握ということで。

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posted by ふくだ at 23:45| Comment(0) | 雑記録

2023年06月07日

2023年05月23日

星見行(5月20-21日)

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M101銀河に出現した超新星SN2023ixf
2023年5月21日00:06〜(岡山県備前市八塔寺) NikonD5500(HKIR改造)+ミニボーグ60ED+1.08倍フラットナー(f=378mm,F6.3)
ISO1600 露出6分×8枚合成 ビクセンAP赤道儀にて追尾 ※銀河周辺を等倍トリミング

 2023年5月19日 17時27分15.000日(世界時)に板垣公一さんが発見した超新星。左は比較用の過去写真(2020年2月2日)、右が昨夜2023年5月21日未明、いずれも八塔寺望が丘にて撮影。
 透明度が良くなく、空の条件は今一つ──といっても天の川は見えてましたが──の条件でしたが、6cm屈折望遠鏡でもなんとか撮影できました。超新星を撮影したのははじめてです。
 M101は眼視では淡いのですが視直径が比較的大きな写真写りのよい銀河で、ちょうど見頃な時期ということもあって、多くの天文ファンが望遠鏡を向けています。とはいえ比べてみないと分からないもので、新天体の発見は地道で根気の要る作業だとつくづく思います。

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M57 環状星雲(こと座)
2023年5月21日01:48〜(岡山県備前市八塔寺)
NikonD5500(HKIR改造)+ミニボーグ60ED+1.08倍フラットナー(f=378mm,F6.3)
ISO1600 露出6分×14枚合成(露出時間84分) ビクセンAP赤道儀にて追尾。

 「環状星雲」「リング星雲」の愛称を持つ惑星状星雲。見かけの大きさは木星(衝の時期で40秒程度)より一回り大きい60秒ほど。このため眼視では高めの倍率をかけるとリングの穴が見えてきます。一方で単位面積あたりの輝度が高いため、望遠鏡を使えば街中で比較的見やすい天体です。
 写真では短い露出でよく写ってくれます。惑星状星雲の中では大きく見える天体とはいえ、この焦点距離ではいかんせん小さい。
# 以前に撮影したのですが薄雲下だったので再撮影。

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NGC5866 銀河(M102候補天体)(りゅう座)
2023年5月20日21:55〜(岡山県備前市八塔寺)
NikonD5500(HKIR改造)+ミニボーグ60ED+1.08倍フラットナー(f=378mm,F6.3)
ISO1600 露出6分×14枚合成(露出時間84分) ビクセンAP赤道儀にて追尾。

 メシエカタログには記載された位置に該当する天体がないものがいくつかあります。
 このうちM47(とも座の散開星団=NGC2422)、M48(うみへび座の散開星団=NGC2548)はカタログに記した座標の計算違いで、それぞれ該当する天体が確定されています。M91はNGC4548(かみのけ座の銀河)が有力候補ですが、存在不明とする本もあります。
 M102は現在も定説のないメシエ天体で、ここでは候補天体の一つNGC5866を撮影しました。M101の見誤りとされたり、他にNGC5907(写真左上)、NGC5879、NGC5908(写真左)などが候補とされていますが、候補の中ではNGC5866がもっとも明るい天体です。
# 参考:The Missing Messier Objects

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posted by ふくだ at 23:45| Comment(0) | 星空観望

2023年05月14日

神戸どうぶつ王国

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 友人と連れだってポートアイランドにある神戸どうぶつ王国へ行ってきました。
 ええとハシビロコウ(大きい)とアルマジロ(虫っぽい)とヌマルネコとリクガメ。

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 コツメカワウソ。なんだかネズミっぽいと思ったのですが、イタチの仲間。イタチは陸でしか見ないので結びつきませんでしたが、そういえばイタチの方が似てる。

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 ひょっこりレッサーパンダ。ジャイアントパンダ(一般的にイメージする白黒のパンダ)とは特に近縁でも何でもないのは大人になってから知りました。

20230514kenketsuoff018.jpg で、本物見せた後でこのぬいぐるみをショップで見せるのは商売上手としか言いようがない(笑)
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2023年05月07日

茨城→神戸

20230507iba-kobe014.jpg つくば駅からつくばエクスプレス。
 守谷以南はたまに利用するのですが、つくばから乗るのは片手で数えるほど。今回で2回、いや3回目くらい?
 帰省していると実家から車で行くことが多いのですが、今回は実家→守谷→つくば→秋葉原・品川経由羽田空港のルートでした。

 つくばエクスプレスは守谷駅とみらい平駅の間に直流・交流の切替区間があり、このために架線に電気が流れていない場所があります。デッドセクション(死電区間)と呼んでいて、常磐線では取手駅と藤代駅の間にあります。いわば停電状態になるので電車は惰性で走り抜け、かつての常磐線では車内灯が消えて、夜間は非常灯に照らされて薄暗くなるのが恒例でした。

 つくばエキスプレスでは開業時の電車からこの対応がなされていて、デッドセクションもバッテリーで車内灯が付くようになっています。ただ停車駅と現在地表示のLEDは消えてしまうのですが、知っていなければ気付かないほど地味。

20230507iba-kobe019.jpg 羽田空港第1・第2ターミナルの発車表示。この高砂が、姫路と加古川にある高砂なら電車一本で帰れるのに。

20230503ukb_ibaraki030.jpg 帰路の飛行機もスカイマーク。離陸前に延々と空港内を走り回ったと思ったら、D滑走路からの離陸でした。初めての滑走路でワクワクしたのですが、雨の降る夜間なので景色はほとんど見えませんでした。
# ということで写真は往路で着陸時に撮影したD滑走路。半分はデッキのようになっています。

 低気圧に向かって進むような飛行経路でなかなか揺れましたが、無事に神戸空港着陸。
posted by ふくだ at 23:48| Comment(1) | 地図と地理と遠出

地質標本館

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 地質標本館。
 地図といえば国土交通省国土地理院ですが、地質は経済産業省工業技術庁地質調査所の後進である独立行政法人産業技術総合研究所の地質調査総合センターが担当しています。

 段階的に展示のリニューアルが行われていて、巨大な日本地図のプロジェクションマッピングから1980年代の雰囲気を感じる展示が同居しています(調べたら1980年の開館でした)。
 
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 展示物の中から、サクッとケースに並んでいる日本最大の自然金の塊と 、御神体の如く座布団に鎮座している福徳岡ノ場の軽石。

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 シームレス地質図、お世話になっております。なにげにオンラインで気軽に閲覧しているのですが、時代も調査担当者も違う地質図を繋ぎ合わせて繋ぎ目なしで見るように出来るのは大変なことだったのをはじめて知りました。
 あと理科年表とコラボするまでに至った「恋する小惑星」のコーナーもありました。

20230507chishitsu012.jpg NHK「ブラタモリ」に登場した岩が受付のカウンターの脇にボコッと置いてあります。触るのは不可。岩石回だと思っていたけど北海道回の登場だったか。実はブラタモリに出てくる地質の先生、産総研に所属されてる方の登場率が高いんですよね。

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 産総研の敷地の入り口に地質標本館の石標が立っているのですが、キャプションが付いてて岩脈入りの稲田石だった。さすがです。
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つくばエキスポセンター

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 つくばエキスポセンターの元は1985年に開催された科学万博の第二会場。万博のパビリオンは会期後に取り壊すのが原則ですが、エキスポセンターは恒久施設として活用することを前提に建設されました。科学万博の終了とともに閉館しますが、翌1986年から科学館的な役割を担う施設として再オープンしました。

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 科学万博当時から使われていたプラネタリウム。ミノルタ・インフィニウムの第一号機です。展示されているのは恒星投影球部分で、本来は別に惑星投影機が設置されていました。
 隣に展示されているのは、闇堕ちする前の映画泥棒って誰かが言ってたけど、科学万博でエレクトーンを演奏していたロボット「WASUBOT」。楽譜をカメラで読み込んで演奏していました。

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 科学万博会場模型。緑の多いDブロックは現在の科学万博記念公園。万博会場は工業団地として造成されたので、当初から調整池としてつくられたものです。観覧車とミニモノレールは大阪のエキスポランドに移設されて稼働していました(エキスポランドの閉鎖に伴って解体済み)。

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 つくばエキスポセンタープラネタリウム。本日5月7日まで上映の「銀河鉄道999 赤い星ベテルギウス いのちの輝き」。
 ロケット打ち上げのような999の発車シーン、地球周回軌道を回るように進む999、ベテルギウスの輻射熱に焼かれそうな迫力。久しぶりに見たけど、アニメ原作の全天周映画の中では出色の作品だと思います。

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posted by ふくだ at 23:45| Comment(0) | プラネ/天文台/科学館

2023年05月06日

真岡鐵道 SLもおか号

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 真岡鐵道は茨城県の下館駅と栃木県の茂木駅を結ぶ41.9kmの路線です。旧国鉄真岡線を第三セクターに転換して運営しているもの。
 「SLもおか」は1994年の運行開始。蒸気機関車の運転は各地で行われていますが、関東で通年運行しているのは真岡鐵道と東武鉄道のみとなります。
 実家から比較的近い(地方基準)エリアで、走っている姿は何度か見たことがあるのですが、これまで乗車機会はなく、思い切って乗ってきました。

 SLもおかを牽引するのはC12形蒸気機関車。小型の機関車で主に地方の路線で使われてきました。
 各地の公園などに保存されているのは生産数の多かったD51形が多いのですが、C12形は全長が客車の半分くらいしかなく、パッと見で小さくかわいらしい感じ。

 SLもおか号に乗るには乗車整理券が必要。大型連休とあって満席の列車が多く、私が取れたのは6日の上り便でした。少し早めに家を出て、下館駅で下り便の出発を見送ることにします。

 小型の蒸気機関車とはいえ、目の前を走り抜けていくのは大迫力です。
 往年のアニメ「銀河鉄道999」の「いま万感の思いを込めて汽笛が鳴る、いま万感の思いを込めて汽車がゆく」を思い出してしまいますが、旅はむしろこれから。

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posted by ふくだ at 23:49| Comment(0) | 地図と地理と遠出

久下田城(茨城県筑西市)

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 久下田城は1545(天文14)年、下館城主水谷政村が、宇都宮氏に対する前線基地として築城。
20230506kugetajo_041.jpg 水谷政村は蟠龍斎と号し、茨城県西の戦国史を調べていると幾度となく遭遇する人。戦国末期の結城市の有力家臣として活躍しました。久下田駅前に「幡竜もなか」の和菓子屋さんがあるのにはびっくり(帰りがけに気付いたので夜時間がなかったのが残念)。
 水谷正村は1598年に没しますが、水谷氏は豊臣政権下で結城氏から独立した大名として扱われ、徳川政権下で備中に転封されます。久下田城はそれに先立ち元和の一国一城令で廃城になったと考えられています。

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 久下田城は台地の端を利用して築かれ、東に五行川、西も台地に谷戸田の低地が入り込み、細長い台地を空堀で区切っています。
 茨城県と栃木県の境目の茨城県側にあり、真岡鐵道の久下田駅(栃木側)から訪問すると県境を越えることになります。かつての常陸と下野の国境です。

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 城は北方の宇都宮氏への備えとして築かれたのですが、台地続きの南方がおそらく大手だったようです。
 現在も三方を空堀で囲まれた主郭が残るほか、二郭の空堀も一部が残っています。右写真がその二郭の空堀ですが、草木が生えまくって荒れた窪地にしか見えません。

20230506kugetajo_013.jpg 標高データを見る限り二郭の周囲も遺構が取り囲んでいるようですが、隙間なく耕作地になっていて近付けません。畑の向こうの森が空堀になっている辺り。地形データでは帯郭のような細長い郭もあるようです。

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 主郭は東が崖で、残る三方を空堀に囲まれています。南西隅から橋が架かっていますが、かつての虎口と同じ位置かどうかは分かりません。

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posted by ふくだ at 23:47| Comment(0) | お城

下館城(茨城県筑西市)

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 下館城は茨城県筑西市の中心市街地の北端にあります。平成の大合併までは下館市で、天慶の乱(平将門)の折りに藤原秀郷が上館・中館・下館の3つの拠点を築いたのが起こりという伝承があります。
# よく出てくるお話ですが典拠となる資料が紹介されているのを見たことがないような。

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 現在につながる下館城は、1478(文明10)年に結城氏家臣の水谷氏によって築かれました。京都では応仁の乱が終息して足利義尚が将軍位にあり、関東では古河公方と関東管領の享徳の乱が終結する、いわば戦国時代が幕を開けた時期です。
 結城氏も水谷氏も戦国時代を生き残り、秀吉の小田原攻め後に水谷氏は独立した大名として取り立てられました。関ヶ原の戦いの後、元主家の結城氏は越前に転封となりますが、水谷氏は下館3万1000石を領して徳川大名として存続。しかしながら1639(寛永16)年に備中に転封となります。
 ちなみに現存十二天守の一つ、備中松山城は転封後の水谷氏が修築した姿です。現地の案内板で下館水谷氏の名前を見て、こんなところに来ていたのかとおったまげました。

 水谷氏の次に下館に入ったのが松平頼重で、この人は水戸黄門こと徳川光圀の実兄。後に讃岐高松12万石に転封となります。以後は譜代が入れ替わり、石川数正の流れをくむ石川氏の元で明治維新を迎えて廃城となりました。

 南北に延びる台地を土塁と空堀で区切った台地の城で、下館小学校付近が二の丸、その北にある八幡神社が本丸跡とされ、神社に城跡の石碑が建っています。

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 城域は市街化したため遺構はないのですが、下館小学校東側の崖線が往時の面影を残しています(左写真)。
 下館小学校と八幡神社の道路(右写真)は明治初期に作成された迅速測図で空堀になっているので、この坂道は空堀を利用して作られたものかもしれません。

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 「本城町」という地名も城にちなんだものですし、あと下館二高駅へ向かう道の途中で見かけたこの崖線も本丸北にある郭の跡のよう。
 それにしても明治まで残った城郭がここまで消えてしまうのだなと改めて。

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posted by ふくだ at 23:46| Comment(0) | お城