2016年09月26日

全国プラ「レア」リウム33箇所巡り 岐阜編(9月24日)

 明石市立天文科学館が企画している「全国プラ『レア』リウム33箇所巡り」。
 ほそぼそと回ってきましたが、いよいよ手軽に行ける場所を行きつくしました。

 今回の目標は岐阜県の2館。岐阜市科学館と藤橋城・西美濃プラネタリウム。
 特に西美濃プラネタリウムが難関中の難関。最寄りのバス停までコミュニティバスが1日5本。公共交通機関はこれだけ。そしてバス停から徒歩9.5km(2時間半くらい)。しかも12月から3月末までは冬季閉鎖。
 あまりにあんまりなので、車を借りることにしました。往復20km歩く時間がもったいない。

 今回のルートは大垣までは電車、大垣→西美濃プラネタリウムの往復が自動車、大垣から西岐阜まで電車で岐阜市科学館、そのあと名古屋に出て高速バスで神戸帰還。

 18きっぷの時期なら往復とも電車で安く行けますが、次のシーズンは冬期で西美濃プラネタリウムが閉館中。バスも検討しましたが、神戸/大阪から大垣/岐阜への高速バスがないのです(名神ハイウェイバスは市街地から遠い場所に降ろされる)。
 帰路は寝て帰れるということで名古屋から高速バス。座席が確実に確保できて寝過ごしの心配がないのは気分的に楽です。
# 高速バスは渋滞の危険性があるので往路では使い難い。

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2016年09月25日

映画「オネアミスの翼 王立宇宙軍」

 塚口サンサン劇場で「オネアミスの翼 王立宇宙軍」を観てきました。
 1987年公開の劇場版アニメ。パラレルワールドの地球で人類初の有人宇宙飛行に挑む人々の物語……なのですが、事業主体の「宇宙軍」は、ロケットの打ち上げは失敗続き。周囲には穀潰し扱いされつづけ、メンバーのやる気もスイッチが切れっぱなしという体たらく。

 劇場公開から何年も経ってから、高校生の頃だったか、友人がビデオを貸してくれて観たのですが、ロケットの打ち上げの場面、燃料タンクの氷が粉々に砕け飛び散っていくのがひたすらきれいで、そこだけが印象に残っていました。ていうか、ストーリーはきれいサッパリ忘れていました。

 おかげでほぼまっさらな状態で観たのですが、映画館の椅子で何度かウトウトしかけました(ていうか寝た)。途中で何度も時計を確かめて「あと何分残ってるのかー」と思っちゃったくらい。悪くはないんですけど、そういう展開。

 それでも最後の打ち上げの場面は時を経てもやっぱり見事で、それだけでも満足感がありました。

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2016年09月22日

特別天文講座「はやぶさ2のお話」

 JAXAの吉川真准教授をお招きしての特別天文講座。
吉川先生は「はやぶさ2」のミッションマネージャを担当されています。先代「はやぶさ」ミッションにも深く携わっていらしたので、宇宙機ファンの間ではすっかり著名な存在です。

 立て板に水を流すようなお話ぶりで、ミッションの広報担当的な立場にいることも多いのか、講演慣れされてる感。はやぶさ2の概説やNASAのオリシス-レックス計画の紹介などかみくだいた分かりやすいお話でした。

 はやぶさ2は「きわめて順調に航海中」とのこと。
 でも「何もしてないわけじゃなくていろいろやってるんですよ」とご紹介頂いた近況報告。

未来の宇宙航行技術、Ka帯DDORの実証試験(2016.8.26)
時は金なり「アップリンク・トランスファー」(2016.6.24)
光学航法望遠カメラで火星を撮影しました(2016.5.31)
「はやぶさ2」 火星観測期間とトレードオフ(2016.6.7)
はやぶさ2 Ryuguへ向けてイオンエンジンによる動力航行開始!(2016.3.22)
イオンエンジン第1期連続運転と追加運転についての報告 (2016.6.7)

 帰宅してから確認したら、それぞれWebサイトにレポートが上がっているのですが、イオンエンジンの第一期連続運転の他はぜんぜん知りませんでした。
 目的地にたどり着くまでの道中とはいえ、いや道中だからこそ、試験やスキルアップの努力を積み重ねているんですね。

 まずは2年後の2018年、小惑星リュウグウ探査。
 私が先代「はやぶさ」のミッションでいちばんワクワクしたのが小惑星イトカワの近傍探査とタッチダウンへの挑戦でした。人類が初めて見る景色の興奮を、もう一度味わえるのが楽しみです。

 ところで吉川先生、子どもの頃から星好きで、初めての望遠鏡は日野(ミザール)の10cm反射だったとか。
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2016年09月20日

神大実隕石のこと(9月10日)

 日本に落下した隕石は2016年現在50例が知られています。
 私の故郷、茨城県岩井市(現:坂東市)に落下した「神大実隕石」もその一つ。

 この隕石のことを知ったのは中学生か高校生の頃。何かの図鑑の隕石一覧で見つけて、「えっ、神大実って市内の神大実のこと? 本当に?」と驚きました。
 ただ当時はインターネットもなく、市内に公立図書館も出来ていない時期で、それ以上の情報はつかめず、そのままになっていました。

 大人になってから国立科学博物館を訪ねた時、隕石のコーナーに展示されている「神大実隕石」にいきなり対面しました。ここにあったんかい!

 科博の隕石コーナーの解説はあっさりしたものです。以下は国立科学博物館常設展示データベースに掲載されている紹介文。
# 英名が"Kaminomi"と書かれていますが、"Kamiomi"が正しい読み方。
 神大実隕石は大正時代の初め(おそらく1913年から1916年の間)の春の彼岸の頃、茨城県猿島郡神大実村(現在の坂東市)に落下したと伝えられる隕石で、1970年に当館に同定を依頼されて知られるようになった。農作業をしていた午後3時頃、晴天の中、南の空から帯のような黒い煙を引いて飛来し、大音響と共に水田に落下した。地中60cm程度から掘り出され、硫黄のような臭いがしたとのことである。Hグループに属する球粒隕石である。(国立科学博物館常設展示データベースより

 Meteoritical Bulletin Database の神大実隕石の項 にも記載があります。以下、紹介文のみ抄訳。
神大実隕石の落下、日本、石質隕石
名前:神大実
落下地点:日本国茨城県猿島郡神大実村(東京の約40km北東、神大実村は近年岩井市(現:坂東市)に編入された)。36°02.5'N、139°57.4'E。
落下日:1913年から1916年の間の3月下旬から4月上旬、午後3時頃。
クラスおよびタイプ:石質隕石。かんらん石-古銅輝石コンドライト(H4)。
個々の標本の数:1
総重量:448グラム
落下状況:隕石は幾度の爆発音ののち、嶋村家の近くの水田に落下した。当時、多くの人々が石を見に来たと言われているが、科学界への報告はなされなかった。この話は1973年に嶋村よしお氏から村山定男博士に伝えられた。試料の小片は村山博士が分析のために取得したが、大半の試料は嶋村家に残されている。
出典:日本国東京都上野公園、国立科学博物館、村山定男博士。(Meteoritical Bulletin Database :KAMIOMI
 微妙な表記の違いはありますが、大正年間に神大実村に落下して嶋村家に保管されていた隕石が、1970年代に村山定男博士による鑑定が行われて世に知られるようになったという筋書きは共通しています。落下年に幅があるのは、調査が行われた時点で落下から60年近くが経過していて、文書の記録が地元に残っておらず、口伝はで正確な年代が伝わらなかったのでしょう。
 60年前の出来事のヒアリングというと、祖父母の代の話を聞くようなものですから、正確な落下年の特定が難しいのもやむ無しというところです。
 神大実隕石はその後、国立科学博物館に寄託されて、常設展示されています。

 村山先生の調査からも40年が経っているので、その後の文献がないか坂東市立岩井図書館の郷土資料コーナーを確認しましたが、岩井市史に神大実隕石の記載はなく、資料編にも神大実隕石に触れた史料は見つかりませんでした。もっとも資料編は細かく見たわけではないので、見落としている可能性もあります。
 合併前の神大実村の史料がないかと思ったのですが、これも検索にはかからず。

 当時の記録で可能性があるのは新聞記事ですが、どこを探したものやら。神大実隕石の落下した1913〜1916年というと、まだ日本国内でラジオ放送が始まる前(ラジオ放送開始は1925年)。情報伝達手段が今より遥かに限られた時代だったので、片田舎の小さな出来事として埋もれてしまったのかもしれません。
# 人口密集地に落ちると、記録が多く残るという点は有利です。

 さて隕石の落下地点として示されている経緯度は旧日本測地系によるものです。現在の地図で参照するには世界測地系への変換作業が必要です。これが現在の坂東市と常総市の境界が入り組んでいる付近で、変換した座標が市界の川の上だったりします。落下地点も口伝ですから、多少の幅は見ておかねばなりません。

 ということで、推定した落下地点がこの辺り。記念碑などもなく、ごくごく普通の田んぼの風景です。

 神大実隕石が落下した茨城県坂東市には、1994年に茨城県自然博物館が開館しました。隕石、鉱石の展示も充実していて、神大実隕石のレプリカも展示してあります。
 科博と違って切削面を手前に向けた展示で、コンドリュールの様子が分かるように工夫されています。

 神大実隕石の落下年の下限は1916年、つまり2016年が「落下から100年」の最後の年に当たります。

 日本でわずか50例の隕石落下地の一つなのに、地元でもほとんど知られていないのはもったいないことです。また隕石の調査が行われた当時は科博で展示することが多くの人の目に触れる最良の機会だったと思うのですが、今や地元に県立自然博物館が出来ています。ぜひぜひ里帰り展示を期待したいところ。
 宇宙と身近な街をつなぐ隕石の実物を、地元で見ることが出来るのはすばらしいことだと思うのです。
posted by ふくだ at 23:55| Comment(0) | 雑記録

2016年09月10日

足利織姫神社

 足利には「織姫神社」があるんだよ、という話を聞いて、これは足を運ばすにいられません。
 現地で知るあたり、下調べ全くなしの行き当たりばったり全開です。

 足利織姫神社は機織りの盛んな足利の産業の神様として1705(宝永2)年に創建。比較的新しい神社といえます。趣味柄、織姫といえば七夕の織女星を思い浮かべてしまいますが、本業の織姫として地域の崇敬をあつめています。

 産業だけでなく、縁結びもご利益に数えられているのは時代を反映してのことでしょう。
 織姫が相方と未来永劫仲睦まじいのは折り紙つきです。
# むしろ仲が良すぎて問題になるくらいな七夕伝説。

 朱塗りの社殿が鮮やかで、華やかな雰囲気。山の中腹にあって、眺望も抜群です。よい神社でした。
posted by ふくだ at 23:50| Comment(0) | 地図と地理と遠出

足利氏館

 足利氏館は室町幕府を開く足利氏の居館で、一辺200mほどの不等辺四角形を土塁と水濠で囲った方形館です。鎌倉期の武士の居館の面影を残すことから全域が国指定史跡となっています。

 現在は一帯が鑁阿寺(ばんなじ)という寺院になっています。本堂は1299(正安元)年の建立で国宝。
 本堂が建っているのは、もともと邸宅があったであろう居館の敷地の真ん真ん中。建立の時期は鎌倉時代後期なので、邸宅を撤去して寺院を作ったことになります。いったい足利氏はどこに住んでいたのかと思うのですが、北条氏に次ぐ家格の有力御家人でもあり、鎌倉在住の期間が長かったかもしれません。

 四囲の土塁と水濠はよく整備されています。往時の土塁はもっと高く、頂部に塀が設けられていたのだと思います。とはいえ鑁阿寺建立の事情を鑑みるに、かなり早い時期に防衛施設としての役割を終えていたのかもしれません。
 足利学校の周囲の土塁と水濠は足利氏館の外郭というより、一族もしくは有力家臣の別宅だったようにも思えます。
 方形館が今に残る例として、武田氏の躑躅ヶ崎館や茨城県つくば市の小田城がありますが、いずれにせよ戦国末期の改修が入っているので、技巧を凝らしたプランになっています。足利氏館の構成は極めてシンプルです。

 瓦の丸に二つ引は足利家の紋。
 楼門の上には丸に二つ引紋と菊紋と五七桐紋が並んでいます。菊紋と五七桐紋は天皇家から足利家に下賜されたもの。

 足利氏は足利尊氏の代に室町幕府を開いて武家の棟梁の地位に立ちますが、室町幕府の前期は南北朝時代、後半は戦国時代と騒乱の絶えない時代でもありました。
 足利将軍家は15代義昭で絶えますが、関東公方の末裔が石高5000石ながら諸侯格の喜連川氏として下野国喜連川で存続して血脈を伝えました。
posted by ふくだ at 23:49| Comment(0) | お城

足利学校

 「日本最古の学校」とも称される足利学校。創建年代については古くは律令時代から新しくは鎌倉・室町まで諸説ありますが、室町時代に関東管領・上杉憲実が再興したことが記録に残っています。
 教育機関としての学校として、古代には律令に定められた大学寮もありますし、私学では空海の綜芸種智院もあるのですが、組織または建物が何らかの形で途切れずに残っているものとしては国内最古級でしょう。
# 北条一門の金沢氏が開いた横浜の金沢文庫といい、武家の色合いが濃い地に教育機関が続いているのが面白いです。

 現存する建物では敷地の西側にある孔子廟や学校門が江戸時代前期の建物です。
 足利学校では儒学中心の教育が行われていましたが、戦国時代には易学も教えられていたようです。戦の吉凶を占う役目は当時は欠かせぬ実用的学問で、最盛期には3000人もの学生がいたそうです。一方で江戸時代には易学は時代遅れとなり、学問の場としてより図書館としての意味合いが強くなります。

 足利学校は明治維新後に廃校となりますが、その蔵書を引き継いで足利学校遺蹟図書館が建設されます。栃木県初の公共図書館です。
 学校の敷地の東半分は足利学校の閉校と入れ替わるように尋常小学校が開設。形を変えながらも足利の文教地区として続いていきます。
 やがて昭和末期に史跡の保存整備事業が始まり、1990年に江戸時代中期の様子が復元が完成します。

 復元した書院の床の間に「淳祐天文図」の拓本が飾られていました。1247(淳祐7)年に中国で作られたもので、明石市立天文科学館にも拓本が展示されています。
 職員の方に尋ねたら「復元工事が完成したときに贈られたもの」で、足利学校にこの天文図があったわけではないとのこと。でも天文にまつわるものとしては「渾天儀はある」と。易学をやっていたのですから、天体の運行も重要な関心事だったのでしょう。
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唐沢山城(栃木県佐野市)

 「唐沢山城ですか、そんなに遠くないですよ。車で上まで上がれます」という話を犬伏の薬師堂のボランティアの方にお聞きして、ならばと行ってみました。相変わらずの行き当たりばったりです。
 唐沢山城は関東屈指の山城で、標高274mの唐沢山の頂上付近を要塞化したもの。藤原秀郷による築城の伝説がありますが、15世紀後半より遡る遺構は確認されていないとのこと。

 下野国南部の要衝で後北条氏と上杉氏の境目に位置したため、たびたび両者の合戦の舞台となりました。上杉謙信には10度も攻められ、その都度守りぬいたり降伏したりしているのですが、「あの謙信」をさんざん手こずらせたことで名城として名を挙げます。

 関東には珍しい石垣を多用した縄張りで、これは豊臣政権期に整備されたものとされているようです。城の東半分は昔ながらの土塁と空堀が残り、中世と近世が混在したような城郭です。

 唐沢山城は江戸時代に廃城となり、城主は山麓に気付かれた佐野城に移ります。江戸市街を遠望できるゆえに廃城を迫られたという伝承もありますが、破却されたわけではないので、日常の便を優先しての移転だったのでしょう。
 今でも城内の展望台からは、天気が良ければスカイツリーや新宿新都心の高層ビル群が見えるそうです。この日はちょっと霞がかかっていましたが、眺望の良さが伺える眺めでした。
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犬伏・新町薬師堂(栃木県佐野市)

 関ヶ原の戦いに際して、真田昌幸と次男の信繁(幸村)は西軍に、長男の信幸(信之)は東軍に別れて戦いました。
 親子が袂を分かったのが、現在の栃木県佐野市犬伏です。一族の別離は「犬伏の別れ」として真田氏を扱う歴史ものの大きな山場になっています。

 犬伏は日光例幣使街道の宿場町です。例幣使街道は江戸時代以降の名称ですが、以前より信濃・上野から下野へ向かう街道だったのでしょう。上田と沼田から徳川勢の集合地点へ向かう途中で、石田三成挙兵の報が届き、この犬伏で一族の命運を決める話し合いが行われました。

 その舞台とされているのが新町薬師堂です。果たして戦国末期まで遡る建物かどうかはさておき、舞台と伝承されて地元の人に語り継がれています。訪問日の前の日曜日がNHK大河ドラマ「真田丸」の「犬伏」の回ということもあって、ひっきりなしに客が訪れ、ボランティアの方がずっと案内されていました。

 大きな戦の際に武家の一族が別れて戦うことはさほど珍しいことではありません。ただ真田氏の場合は関ヶ原以後の活躍があまりに鮮やかだったため、強い印象を残したのでしょう。
 真田信幸は徳川家臣本多忠勝の娘を徳川家康の養女として妻に迎え入れ、真田信繁は大谷吉継の娘を妻に迎え入れています。縁戚関係からも東西に分かれるのは必然だったともいえます。
 後に勝者側となった信幸は、昌幸・信繁の助命嘆願を行い、2人の処分は高野山への遠流に留められます。信幸は沼田に加えて上田の領地を引き継ぎ、真田家はこの後、幕末まで家名を保つことになります。
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2016年09月09日

国立科学博物館・日本の隕石

 上野の国立科学博物館の日本館3階に「日本の隕石」の展示コーナーがあります。
 日本にこれまで落下した隕石は50例が知られていますが、そのうち24例をここで見ることが出来ます。
# 国分寺隕石やつくば隕石のように隕石雨として多数の隕石が落下した事例もあるので、件数=個数ではありません。

 かつて国立科学博物館に勤めていらした村山定男先生が隕石の研究をされていた経緯もあって、国内の多くの隕石がここに集まっています。
 一ヶ所でまとめて見ることが出来るのは効率的ですが、個々の隕石にはそれぞれ落下した土地や土地の人々にまつわるエピソードがあり、展示ケースの中では紹介しきれていないのはもったいないところ。手前の液晶パネルを手繰るといろいろな情報を見ることが出来るようです。

明石の隕石展でレプリカ展示だった「日本三大隕石」や「広島隕石」「白萩隕鉄」の実物を見てまいりました。
posted by ふくだ at 23:48| Comment(0) | プラネ/天文台/科学館