2019年08月16日

500系新幹線(8月1日)

20190801kochi297.jpg20190801kochi291.jpg
 帰路は岡山-西明石間を山陽新幹線で。やってきたのは8両編成の500系こだまでした。

 500系新幹線は1997年にデビュー。山陽新幹線区間を300km/hで駆け抜ける、当時世界最速の車両でした。
 翼をつければ飛んでいきそうなスタイルは地上を走る航空機、丸い断面はの未来を駆けるチューブ式鉄道の車両のようで、とにかく登場時は、未来から電車がやってきたような衝撃を受けたものです。

 当然ながら「のぞみ」限定の運用が組まれたのですが、当時の東海道・山陽新幹線は「ひかり」主体だったので、500系に乗る機会はあまりなく、山陽区間で1回と東海道区間で1回乗っただけです。割引きっぷは「ひかり」「こだま」限定のものが多かったのも大きいです。
 そのうち東海道区間から撤退し、16両から8両に短縮されて山陽区間で「こだま」専用車として運用されています。

 車内設備はさすがに後から登場した700系やN700系のほうが洗練されていますが、スタイルに関しては500系を越える車両はなかなか出てきません。今でも好きな新幹線車両を選べと言われたら500系です。
# 乗せてくれるならここは一つ、E5系のグランクラスでお願いします。

20190801kochi295.jpg20190801kochi296.jpg
 500系の特徴の一つプラグドア。空気抵抗を減らすために車両外壁とドアを同一平面にしています。最近の新幹線では全面的に採用する例はなくなっています。
posted by ふくだ at 23:54| Comment(0) | 地図と地理と遠出

高知点描(8月1日)

20190801kochi278.jpg20190801kochi279.jpg
 高知名物、謝りながら走る路面電車。
 行き先は「後免駅」ですが、ひらがなで「ごめん」のヘッドマークを掲げるのでこうなります。

20190801kochi274.jpg20190801kochi277.jpg
 坂本龍馬生誕地。
 生家跡は今は病院が建っています。病院のマークが二引の海援隊旗なのが「分かってる」感。

20190801kochi276.jpg 龍馬の生まれたまち記念館。
 龍馬その人よりも、本町界隈に焦点を当てた展示施設。内容はライトな雰囲気。

20190801kochi001.jpg20190801kochi284.jpg
 駅前の巨大な像。武市半平太と坂本龍馬と中岡慎太郎。幕末土佐の人気者3人選ぶとこうなるのでしょう。
 ちなみに夜明け前と日没後。夜行バスで到着して、神戸にたどり着く最終便で帰ります。
 時間があったのでひろめ市場で夕食を取りましたが、相席になった方々と盛り上がって、楽しいひと時でした。

20190801kochi286.jpg 帰りの電車はJR四国2000系気動車。振り子式気動車の先駆けとなった存在で、四国・北海道の非電化区間の高速化に嚆矢をつけました。
 四国内は高速道路の建設が進み、高知-神戸間だと高速バスが所要4時間13分の片道5,350円、JRは特急と新幹線の乗り継ぎで3時間33分の片道9,440円。鉄道にはなかなか厳しい勝負となっています。今回は思いつきで旅立ったので通常料金でしたが、企画きっぷなど使えばもう少し安く行けるのかな。
posted by ふくだ at 23:53| Comment(0) | 地図と地理と遠出

高知城(高知県高知市)(8月1日)

20190801kochi256.jpg
 高知城は関ヶ原の戦いの戦功で土佐一国を与えられた山内一豊が、領国経営の拠点として築きました。
 元々は長宗我部元親が岡豊城に代わる拠点として、当地に大高坂山城を築き始めたのですが、治水に難ありで浦戸城に移ったとされています(近年は大高坂山城の整備も続けていたとの説も出ています)。
 土佐に入った山内一豊は初め浦戸に入りますが、1601年より改めて大高坂山の築城に着手し、1603年に完成。
 大高坂山城の城名は、河中山城に改められ、さらに高智山城と→高知城となります。

20190801kochi255.jpg20190801kochi204.jpg
 山内一豊の建てた天守は1724年に火災で焼失し、1747年に再建。この際に以前の天守を忠実に再現したとされ、当時としては古風な望楼型天守となっています。現存十二天守の一つで国指定重要文化財。
 高知城天守は天守台がなく、本丸と同一平面に、北側を石垣に接する形で建てられています。天守北面には武者返しが残っています。
 なお一豊の高知城天守は以前の居城の掛川城の天守を模したと言われており、1994年の掛川城天守の再建の際には高知城天守をモデルにしています。

20190801kochi246.jpg20190801kochi234.jpg
 天守の最上階は全周に回縁と呼ばれるベランダが付いています。この構造の天守は意外に少なく、現存天守では高知城と犬山城だけ。見晴らしはよいのですが、高所の木材を風雨に晒すのでメンテナンスが大変です。
 高知の城下町を一望のもとに出来るのですが、意外にも海は見えません。まるで盆地の底のようです。

20190801kochi212.jpg20190801kochi218.jpg
 天守に隣接するように本丸御殿が残っています。こちらも天守と同時に火災で焼失し、同時期の再建です。
 御殿は政庁と城主の生活の場であり、平時の城の中心的な存在でしたが、天守よりも残っている建物が少なく、全国に4例しかありません。本丸御殿は高知城と川越城、二の丸御殿は二条城と掛川城に残っています。天守と御殿がセットで残っているのは高知城のみ。
 本丸はさほど広くない敷地に天守と御殿と多聞櫓が建っているので、天守曲輪と言ったほうが似つかわしい気もします。
 なお一豊以降は二の丸がメインで使われるようになり、本丸は城の象徴的空間として藩主が立ち入る機会も少なくなったとか。
 ゆっくり見学していたので、帰りに抜けようとした搦手側が閉門されてしまいました。

20190801kochi192.jpg 高知城の大手門前には藩祖の山内一豊の銅像があります。一度は戦時の金属供出で失われ、近年再建されたもの。山内一豊は早い時期から羽柴秀吉に仕え、掛川5万石の領主となります。
 関ヶ原の役の際に東海道に配された大名の中でいち早く徳川家康に従った功を評されて土佐一国を与えらますが、地味といえば地味。また幕末の山内家は下士層から多くの脱藩者を出したことから幕末物のドラマでも損な役回りを与えられがちです。
 とはいえ秀吉股肱の家臣から徳川時代に至るまで無事に家名を残した家は少なく、土佐一国の国持大名となった手腕はもう少し評価されてもよいのかもしれません。

20190801kochi195.jpg 大手門をくぐっって三の丸へ向かう坂の脇に自由民権運動で知られる板垣退助の銅像。土佐藩の出身で、戊辰戦争では乾退助の名で新政府軍を率います。会津戦争では母成峠を抜いて一挙に会津若松城下まで進撃し、序盤で新政府軍の優位を確立する活躍を見せました。陸軍に進めば優れた指揮官になったはずの人ですが、政治の道に入って、下野した後にかえって名を成したことになります。

20190801kochi196.jpg 三の丸には山内一豊の妻、見性院の銅像があります。馬と一緒なのは、信長の前での馬揃えの際に、へそくりから名馬を買い求めて、一豊が注目されるきっかけをつくった「内需の功」の逸話から。しかし藩祖が大手門の外で奥さんが城内なのか。
posted by ふくだ at 23:52| Comment(0) | お城

2019年08月14日

高知城歴史博物館・特別展「星を見る人」(8月1日)

20190801kochi187.jpg 高知城歴史博物館の特別展「星を見る人」。
 今回の高知行きを決めたのはこの特別展があったからです。大阪市立科学館に貼ってあったポスターがかっこよかったのです。

 土佐藩の天文学者、谷泰山と渋川春海の交流(という名の通信制教育)を軸に江戸時代の天文学史を概観。往復書簡から伝わる谷泰山の旺盛な熱意と、それに応える渋川春海の熱量に圧倒されます。
 距離的にも制度的にも今のような自由な往来が出来なかった江戸時代のこと、藩から江戸留学の許可が降りなかった谷泰山は、書簡を通じて渋川春海に入門します。疑問点を手紙に託し、渋川春海がそれに答える。几帳面な泰山は送った手紙のリストも作っていて、返事が来たもの、来てないもののチェックまでしています。
 送った手紙も膨大なら、いちいち返事を返す晴海も偉いもの。

 しばらくのちに泰山は江戸に上って晴海に会う機会を得るのですが、そのときの印象を「60有余才の老人で質実な感じのする人、目の前の人が、今まで大切なことを教えてくれた人なのかと驚くばかり」と書き残しています。「ただのおじいさんだった」と言わんばかりの記載ですが、その率直さが渋川春海の人となりを示す貴重な記録になっています。

 谷泰山ですが、幕末明治期の子孫に谷干城がいます。西南戦争で熊本籠城戦を戦い抜き、見事、薩摩軍を退けた人です。渋川春海と天文学で文通してた人の子孫がバリバリの武闘派とは、これまた面白いめぐり合わせ。

 展示の後半は各地から資料を集めての江戸時代の天文学を紹介するコーナー。
 個人的には長浜城歴史博物館所蔵の国友一貫斎のグレゴリー式反射望遠鏡を見ることが出来たのが収穫。

 全体的に素晴らしい特別展でした。

続きを読む
posted by ふくだ at 23:51| Comment(0) | 博物館や美術館

高知みらい科学館(8月1日)

20190801kochi130.jpg
 高知みらい科学館へ行ってきました。
 2018年7月末に開館して、一周年を迎えたばかり。図書館との複合施設「オーテピア」の5階が科学館になっています。
 展示室の入場は無料、プラネタリウムだけ有料の比較的小規模な館ですが、夏休み期間ということもあり、平日ながら多くの子ども連れで賑わっていました。

20190801kochi145.jpg20190801kochi153.jpg
 プラネタリウムの投影機は五藤光学のオルフェウス。
 高知県は日本で唯一プラネタリウムの無い県でしたが(過去に設置されたことはある)、みらい科学館の開館によって解消されました。プラネタリウムメーカーとして名高い五藤光学の創業者、五藤斉三氏は高知県の出身で、ここは企業としても故郷に錦ならぬ星空を飾りたいところだったでしょう。
# 解説台の写真は投影後に許可を得て撮影。

 オルフェウスは3等星くらいまで星の色を再現しながら、派手すぎることなく、自然な雰囲気の星空を映し出しています。最近の投影機はほんとレベルが高くなったなと思います。

 投影は2回観ましたが、夏休み期間中ということで子どもが多い時期。
 解説のトークも丁寧なお話の中にユーモアもあり、子どもたちから賑やかな反応が返っていて楽しい投影でした。リピーターが多い様子も納得です。

20190801kochi156.jpg20190801kochi157.jpg
 展示室の中には、新天体の発見で知られる関勉さんのコメットシーカーが、実際に覗ける状態で展示されています。
 池谷・関彗星 (C/1965 S1)を発見した歴史的な鏡筒で、アマチュア天文ファン感涙ものです。

20190801kochi158.jpg ということで、郷土の天文家として関勉さんを紹介するコーナーも。倉敷に本田實さんあれば高知に関勉さんあり。地域の科学館で地元から羽ばたいたこ天文家の展示があるのは素敵ですね。

20190801kochi138.jpg20190801kochi166.jpg
 なお私の趣味で天文に偏った紹介になっていますが、地学や生物、物理の展示もあります、もちろん。
 サイエンスショーや工作の企画もたくさん組まれていて、小さいながらも中身の詰まった運営をされている科学館です。
posted by ふくだ at 23:50| Comment(0) | プラネ/天文台/科学館

地球33番地(8月1日)

20190801kochi097.jpg
 数字が揃うとなんとなく嬉しいもので、高知県高知市には、東経133度33分33秒、北緯33度33分33秒と、「3」が12個並ぶ経緯度ポイントがあります。名付けて「地球33番地」。

 ここに経緯度モニュメントが設置されたのは1962(昭和37)年といいますから、日本標準時子午線上の明石市立天文科学館の開館(1960年)とほぼ同年代で、なかなかのベテランです。

 GPSが手軽に使える現在でこそ、経緯度は気軽に測れるものですが、当時はひとまず国土地理院の地形図から計測するしかありませんでした。
 北緯33度の経度1秒は25.96mですが、1/25000地形図を用いる場合、図上の0.5mmが現地では12.5mの差になります。現地の位置を確認するためには測量も行ったでしょう。

 そうして求めた東経133度33分33秒、北緯33度33分33秒の地点は高知市街を流れる江ノ口川の中。
 現在は川の北側からポイントまでデッキが整備されて、1993年に建てられたモニュメントが設置されています。

20190801kochi107.jpg20190801kochi109.jpg
 一方、川の南岸には1962年に建てられた最初のモニュメントがあります。
 こちらは地元の人に声をかけて頂いて教えて頂きました。表示塔そのものだけでなく、看板が素敵です。
 「実際の地点はこの地より北へ30m寄った川の中」の表記があるのも正直で好感。

20190801kochi111.jpg20190801kochi999.jpg
 この道向かいに重度障害者通所作業所「オープンハート」があり、ここで地球33番地到達証明書を頂けます。私は開業前の時間でしたが、後日郵送して頂きました。これも地元の人に教えて頂いたのですが、本当にありがたい話です。

20190801kochi103.jpg20190801kochi104.jpg
 さて川の北岸にもう一つモニュメントがあります。
 何気ない「地球33番地」の石碑のように見えますが、上部に溝が刻まれていて、溝の延長線上に南岸にある表示塔が見えるように設置されています。ここと南岸の表示塔の間の川の中に「地球33番地」のポイントがあることを示す仕掛けで、なかなか乙なことを考えたものだと思います。
 季節柄か木々が茂って視界が遮られていましたが、例えば冬の時期ならうまく見えるかもしれません。

続きを読む
posted by ふくだ at 23:49| Comment(0) | 地図と地理と遠出

2019年08月12日

はりまや橋(8月1日)

20190801kochi118.jpg
 ♪土佐の高知のはりまや橋で坊さんかんざし買うを見た、のよさこい節で有名なはりまや橋です。
 江戸時代は僧侶の妻帯は原則、禁じられていたので、お坊さんが若い娘にプレゼントを送るような恋も十分スキャンダルだったのです(駆け落ちまでしちゃったらしい)。

 そのはりまや橋、国道32号線が高知城下の堀川を越えるところに架かっている橋で、橋の長さより道路の幅のほうが広いうえに、道路の真ん中を路面電車まで行き交う大動脈。
 すぐ南のはりまや橋交差点も国道32号・55号・56号・195号・197号・493号が交錯する交通の要衝(地図の縮尺を小さくすると国道を示す青いおにぎりマークがウジャウジャ出てきます)。

 現在の高知市のまんまん中といっても良い場所ですが、江戸時代は橋の名前の通り、播磨屋というお店の前に架けられた小さな木橋だったそうです。

20190801kochi120.jpg20190801kochi115.jpg
 現在のはりまや橋の脇に架けられているのが当時の木橋を模したモニュメント。観光案内などにはこの朱塗りの橋が紹介されています。歌の印象から嵐山の渡月橋みたいな橋を思い浮かべてしまうためか、イメージの落差から、誰が呼んだか「日本三大がっかり名所」。
 もっとも「がっかり名所」としても名が売れてしまったので、これはこれで期待を裏切らない満足感があります。

20190801kochi119.jpg ところで橋の南側に菓子屋さんがあるのですが、そこで売られているのが「銘菓 かんざし」。売り文句が「恋の架け橋」。もう盛大に吹き出してしまいました。
 ここまで明るく開き直ってしまうと、よさこい節の純信さんもお馬さんも笑うしかないと思うのです。
posted by ふくだ at 23:48| Comment(0) | 星空観望

2019年08月11日

テレコンビノ「宙ガールの双眼鏡」 その2

20190806teleconbino004.jpg20190806teleconbino005.jpg
 このテレコンビノは、ヒノキの板でテレコンを固定しています。白木なので保護のためにも何か塗ったほうがいいと思ったのですが、すでに光学系が組み込まれている状態なので、揮発性の溶剤を含んだ塗料は避けたい。ということで、柿渋を塗ってみました。

 普通の柿渋は臭いがあるのですが、最近は濾過して臭いのもとを取り除いた「無臭柿渋」があります。これを調達して使ったのですが、確かに臭いがなく、塗った後も元のヒノキの香りを感じるくらい。
 いきなり渋い雰囲気を醸し出しました。

20190806teleconbino006.jpg20190806teleconbino007.jpg
 使い勝手を考えてハンドストラップをつけました。
 もともと接眼側の板にストラップ穴が開けてあったのですが、そちらは埋めて、対物側に開け直しました。このほうが使用時に顔と干渉する心配がないかと思ったのですが、見栄えは元の穴のほうがよかったかも。ストラップの革の色を柿渋の色に合わせています。
 ケースは百均ショップで扱っているペットボトルカバーが使えるかと思って探したのですが、レンズの径が大きいため、収まりませんでした。、ハクバのレンズ入れが大きさぴったりだったので、これを転用。
posted by ふくだ at 23:46| Comment(0) | 機材

テレコンビノ「宙ガールの双眼鏡」

20190806teleconbino002.jpg20190806teleconbino003.jpg
 「テレコンビノ」は、カメラレンズの焦点距離を伸ばす補正レンズの「テレコンバーター」を2つ並べてつくったビノキュラー(双眼鏡)です。
 笠井トレーディングの「ワイドビノ」を代表とする広視界低倍率のガリレオ式望遠鏡で、多くの星座の主要部分がまるごと見える広い視野と、肉眼よりも1〜2等級は暗い星が見える集光力で「肉眼をドーピングしたような」眺めを楽しめるというものです。

 「宙ガールの双眼鏡」は久万高原天体観測館の藤田さんが自作されたもの。同館で行われている女性天文ファン向けのイベントで使われることからこの名がついています。私の手元にあるのはニコンのコンパクトデジカメ用テレコンTC-E2を2つ並べたもの。よりリーズナブルなケンコーのテレコンを並べたものもあります(こちらはレンズの入手が難しくなってしまったそう)。

 2018年5月に同館を訪問した際、これを覗かせて頂いて、素晴らしい見え具合に感動。その場で制作をお願いしたのでした。

 それがこのほど到着。9日の未明に早起きしてしまったので、早速、実際の空でテストです。
 4等星がギリギリ見える空で(神戸ではまずまず上等)、5等台前半の星まで見えました。たかが1等級のようですが、見える星の数は倍以上になります。
 倍率は公称2倍ですが、星空の見え方は等倍感覚。視野はペガススの四辺形が余裕で収まる広さ(オリオン座の主要部分も入るはず)。最微等級が上がるのと視野の広さで、街中でも星座が面白いようにたどれます。

 ヒアデス星団がとてもきれいに見えてびっくりでしたが、すばるやアンドロメダ銀河は意外にふつうな印象。暗い星が見えるようになっても、解像度は肉眼の見え方なので、星雲星団よりも星野を楽しむための機材なのです。それが楽しくて、テストのつもりが、気がついたら30分くらい空を見上げてました。

続きを読む
posted by ふくだ at 23:45| Comment(0) | 機材

2019年08月01日

岡豊城(高知県南国市)

20190801kochi054.jpg20190801kochi076.jpg
 岡豊城は高知平野の東部にあり、比高90mほどの小山の上に築かれています。現在の自治体では南国市に当たりますが、古くからの土佐の中心で、土佐国府や土佐国分寺なども付近に置かれていました。

 岡豊城は長宗我部氏累代の居城で、長宗我部元親の代の四国統一の拠点となりました。現在は城跡に隣接して高知県立歴史民俗資料館が建てられており、城跡も発掘調査が行われ、見学路が整備されています。

 四国の雄の拠点としては小振りな城ですが、長宗我部氏が国人領主(国衆)だった時代の規模そのままに、土佐そして四国を統一してしまったのでしょう。後の秀吉による四国平定戦では阿波の白地城を迎撃の拠点として改修し、土佐を安堵された後は岡豊城から浦戸城に拠点を移しています。
 その後は廃城となり、開発の手も入らなかったため、曲輪の削平地や土塁・空堀、建物跡の礎石や石垣などが良好に残っています。

20190801kochi074.jpg20190801kochi060.jpg
 山上の詰の段(主郭丸相当)や二の段からは遠く太平洋も望むことができます。
 詰の段と三の段には削平地いっぱいに建物跡の礎石が残り、窮屈なくらいの土地利用。

20190801kochi092.jpg20190801kochi093.jpg
 四の段の外には立派な虎口があり、この外側にも横堀が残っています。いちばん隅の伝厩跡曲輪まで行こうとしましたが、駐車場まで戻るのが大変なので断念。それでも主要部の遺構だけで十分に楽しめました。

 高知県立歴史民俗資料館の閉館時間も駐車場を利用することができ、車があれば訪問しやすいところです。散策路も意向を壊さぬように整備されていて、遺構の説明も充実。個人的にはおすすめ度の高い城郭です。
# 建物などは一つもないので、城郭探索が好きな人にはおすすめということ。
posted by ふくだ at 23:47| Comment(0) | お城