日本に籍を置く帆船で広く知られているのは、海事教育機構(かつての航海訓練所)の練習帆船「日本丸」「海王丸」だと思います。
神戸には神戸商船大学の流れを汲む神戸大学海洋政策科学部があり、そのため年に何度も練習帆船が寄港します。須磨沖に停泊している姿を通勤途中に見ることもしばしばで、神戸の景色に馴染んだ存在です。
とはいえ一般公開となると機会が少ないもの。今回は神戸港新港第一突堤で海王丸の公開があり、出かけてきました。
今回の一般公開は船内に入ることなくデッキの上を一回り。実習生が各所に配置され、説明や質問に答えていました。
「あのわっしょい言うてるのは何なんですか?」と聞いたら「今日一番のおすすめです、ぜひ」と椰子の実で甲板磨きを体験することになりました。体験と言いながら掃除のお手伝いをした気がするぞ。
ちなみに椰子の実ですが、2つに割ると繊維質でタワシそのもの。ちょっと欲しいと思ったのですが、この大きさでは一般家庭だと風呂場か玄関のたたきくらいしか使う場所が思い浮かびません。
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2025年04月17日
海王丸一般公開(神戸港新港第一突堤)(3月1日)
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| 一般公開
2025年03月29日
軌道星隊シゴセンジャーファンクラブイベント

たまたま遊びに来てた友人を誘って出かけたのですが、キッズたちの反応の鋭さに目を丸くしてました。「関西の子のノリってこうなん?」と尋ねられたんですが、たぶん明石の子どもたちが定番の天文駄洒落に染まりきってるんだと思います。
季節ごとに開催されるシゴセンジャーのプラネタリウムでは、毎回クオリティの無駄遣いというべき気合いの入った映像が登場するのですが、今回は各回を振り返りながら一挙上映。
SNSを見ていると大きなお友達で盛り上がっているように見えるのですが、実はこうしたイベントに参加するのはほとんどが子連れのファミリー層。2025年でデビュー20周年なので、一世代を越える程度には明石の街で定着していることが伺えます。
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| 明石市立天文科学館
2025年03月23日
星の友の会例会(2024年度第4回)
明石市立天文科学館星の友の会例会。
子午線の話と経緯度の話と時計と伊能忠敬の会員発表で盛り上がりましたが、気がつけば今回は星の発表が一つもなかった。さすが天文科学館の星の友の会。
この日から2025年度の入会受付開始。申込順に会員番号が振られるのですが、2024年と一番違い。
2025年度は後半に工事による長期休館が入るので、友の会の活動もやや変則的なことに。後半は館での活動が出来なくなるので例会は外の会場で。野外天体観測会は合宿でなく日帰りに(休館と何か関係あるんだろうか)。その他もろもろ。これまでも長期休館は何度かあったので、それなりに楽しいことにはなるでしょう。
子午線の話と経緯度の話と時計と伊能忠敬の会員発表で盛り上がりましたが、気がつけば今回は星の発表が一つもなかった。さすが天文科学館の星の友の会。
この日から2025年度の入会受付開始。申込順に会員番号が振られるのですが、2024年と一番違い。
2025年度は後半に工事による長期休館が入るので、友の会の活動もやや変則的なことに。後半は館での活動が出来なくなるので例会は外の会場で。野外天体観測会は合宿でなく日帰りに(休館と何か関係あるんだろうか)。その他もろもろ。これまでも長期休館は何度かあったので、それなりに楽しいことにはなるでしょう。
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| 明石市立天文科学館
2025年03月20日
日本地図学会神戸特別大会(兵庫県立兵庫津ミュージアム)
日本地図学会神戸特別例会に参加。
例会とはいっても市民向けのセッションで、私を含め参加者の8割以上は一般参加。
もともと学生時代は地理を選考していたので、地図は切っても切れない縁があります。メインスピーカーのお三方とも面白いお話でした。
# 前日の神戸市博での特別例会も行きたかったのですが、なにせ平日。
会場での講演に先立って、青山さんのギャラリートーク。震災30年改定のみなと神戸バーズアイマップも展示が始まって10日ほどですが、随時SNSで作業の様子を公開されてたので、なんだか初めて見る気がしませんでした。
個人的には今尾恵介さんに直にお会いできたのが幸せでした。それこそ1990年代から著書を読んでいて、地図エッセイで堀淳一さんのポジションに付くのは今尾さんだろうなと思っていました。鉄道関係の本で知られていらっしゃいますが、地図の著作もたくさんあります。
パンフレットにサイン頂いたのですが、気に入った著作を持って行くのを忘れたのが残念。
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例会とはいっても市民向けのセッションで、私を含め参加者の8割以上は一般参加。
もともと学生時代は地理を選考していたので、地図は切っても切れない縁があります。メインスピーカーのお三方とも面白いお話でした。
# 前日の神戸市博での特別例会も行きたかったのですが、なにせ平日。
会場での講演に先立って、青山さんのギャラリートーク。震災30年改定のみなと神戸バーズアイマップも展示が始まって10日ほどですが、随時SNSで作業の様子を公開されてたので、なんだか初めて見る気がしませんでした。

パンフレットにサイン頂いたのですが、気に入った著作を持って行くのを忘れたのが残念。
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| 博物館や美術館
軌道星隊シゴセンジャー春場所 2025
軌道星隊シゴセンジャー春場所。
春分の日なので真西に太陽が沈むのが気持ちいい。
そして悪役と戦う前に悪役の侵入を許しまくっている明石市の防衛体制を問い直すべき。
そんでもって相変わらず無駄にクオリティーの高い映像を無駄にネタに投入していくスタイル
シゴセンジャー投影終了後の記念撮影列。
投影中に後ろの席に座ってらしたご家族がシゴセンジャー初体験だったらしく、お父さんが「すげえ」「かっこいい」「かわいい」を呟きまくってました。周りの席にダダ漏れでしたよお父さん。
そしてこの春「強化」された天文科学館の子午線たち。私は気付かなかったのですが、もう一ヶ所、強化された場所があるそうです。
春分の日なので真西に太陽が沈むのが気持ちいい。
そして悪役と戦う前に悪役の侵入を許しまくっている明石市の防衛体制を問い直すべき。
そんでもって相変わらず無駄にクオリティーの高い映像を無駄にネタに投入していくスタイル

投影中に後ろの席に座ってらしたご家族がシゴセンジャー初体験だったらしく、お父さんが「すげえ」「かっこいい」「かわいい」を呟きまくってました。周りの席にダダ漏れでしたよお父さん。
そしてこの春「強化」された天文科学館の子午線たち。私は気付かなかったのですが、もう一ヶ所、強化された場所があるそうです。
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| 明石市立天文科学館
2025年03月16日
明石市立天文科学館 プラネタリウム「明石原人が見た星空」
明石市立天文科学館の2025年3月の投影は「明石原人が見た星空」。
春先のプラネタリウムは歳差運動を紹介することが多いのですが、これには理由があります。
南天のシンポル、南十字星は春の星座のからす座の南にあります。縄文時代まで遡ると歳差運動で本州辺りでも南十字星が、それこそ今のからす座辺りの高度に見えていました。
その後も飛鳥時代までは関西一帯ならギリギリ地平線の上に南十字星が出ています。奈良盆地だと南に山があるから厳しいですが、神戸の辺りなら大阪湾の上になんとか。
いわば春は南十字星こと、みなみじゅうじ座が見やすい時期なのです。
ところが今回は、10万年さかのぼって恒星の固有運動。恒星は恒に変わらないから恒星なのですが、それは人間の尺度の話で、長い年月の間には個々の星ごとに様々な方向へ動いていきます。
# ちなみに惑星はふらふら惑うように動くので惑星。
ただ明石のツァイス投影機のような光学式プラネタリウムでは、金属膜に星の並びを穴を開けて再現した恒星原板を使っていますから、恒星の並びを変えることは出来ません。
そこで星空をCGで表現してプロジェクタで映し出すデジタルプラネタリウムです。CGの描画ですからデータさえあれば、いつのどの場所からでも空に広がる星の並びを再現することができます。
明石市立天文科学館には2024年にデジタルプラネタリウムのステラドームプロが入りました。新しい設備(ソフト)が入れば試したくなるというもの(個人の推測です)。
さて10万年遡った星空。さすがに星座もほとんど分からなくなりますが、これは星座の星の並びとして見えている星が比較的近い星という理由もあります。とくに太陽系の側にあるシリウスやプロキオンは数万年で全く違う場所へ動いてしまいます。
もう一つはうしかい座のアルクトゥールスのような星で、回転する銀河面と違う動き方をしています。アルクトゥールスは記録の残っている古代ギリシアの時代から月の直径2つ分動いていて、固有運動が初めて発見された恒星です。
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春先のプラネタリウムは歳差運動を紹介することが多いのですが、これには理由があります。
南天のシンポル、南十字星は春の星座のからす座の南にあります。縄文時代まで遡ると歳差運動で本州辺りでも南十字星が、それこそ今のからす座辺りの高度に見えていました。
その後も飛鳥時代までは関西一帯ならギリギリ地平線の上に南十字星が出ています。奈良盆地だと南に山があるから厳しいですが、神戸の辺りなら大阪湾の上になんとか。
いわば春は南十字星こと、みなみじゅうじ座が見やすい時期なのです。
ところが今回は、10万年さかのぼって恒星の固有運動。恒星は恒に変わらないから恒星なのですが、それは人間の尺度の話で、長い年月の間には個々の星ごとに様々な方向へ動いていきます。
# ちなみに惑星はふらふら惑うように動くので惑星。
ただ明石のツァイス投影機のような光学式プラネタリウムでは、金属膜に星の並びを穴を開けて再現した恒星原板を使っていますから、恒星の並びを変えることは出来ません。
そこで星空をCGで表現してプロジェクタで映し出すデジタルプラネタリウムです。CGの描画ですからデータさえあれば、いつのどの場所からでも空に広がる星の並びを再現することができます。
明石市立天文科学館には2024年にデジタルプラネタリウムのステラドームプロが入りました。新しい設備(ソフト)が入れば試したくなるというもの(個人の推測です)。
さて10万年遡った星空。さすがに星座もほとんど分からなくなりますが、これは星座の星の並びとして見えている星が比較的近い星という理由もあります。とくに太陽系の側にあるシリウスやプロキオンは数万年で全く違う場所へ動いてしまいます。
もう一つはうしかい座のアルクトゥールスのような星で、回転する銀河面と違う動き方をしています。アルクトゥールスは記録の残っている古代ギリシアの時代から月の直径2つ分動いていて、固有運動が初めて発見された恒星です。
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| 明石市立天文科学館
2025年03月15日
京都産業大学神山天文台 企画展「西村製作所と中村要〜反射望遠鏡にかけた夢〜」
京都産業大学神山天文台の企画展「西村製作所と中村要〜反射望遠鏡にかけた夢〜」見学。
中村要(1904-1932)は反射鏡の伝説的な製作者で、2022年にNHK-BSで放送されたコズミックフロント「アマチュア天文学の父 山本⼀清」で知った方も少なくないと思います。
# 私も中村鏡の名前は知っていたのですが、どんな人かを知ったのはこの番組が初めてでした。
西村製作所は各地の天文台に大型望遠鏡を納めている京都の光学メーカーです。明石市立天文科学館の天体観測室の震災後に更新された40cm反射望遠鏡も西村製。
当時の日本の天体望遠鏡はほとんど外国製品の輸入に頼っていましたが、天体望遠鏡の普及は日本のアマチュア天文の底上げに必要なものと考えられました。均質なガラス材を要求される屈折望遠鏡に比べると、反射望遠鏡は比較的安価に大口径の望遠鏡を作ることが出来ました。
中村要が磨いた反射鏡を西村製作所の鏡筒に組み込んで完成させたのが、西村製天体望遠鏡の出発点だったのです。これが1926年のことですが、同じ年に関東では五藤光学が屈折式天体望遠鏡の販売を始めています。
現在の西村製作所は公共施設や研究機関向けの大型望遠鏡、五藤光学も天体望遠鏡は公共施設向けのものだけでプラネタリウムが本業になっていますが、今なお天文を主業として100年続いているのは大したものだと思います。
展示の冒頭で中村要とともに紹介されていたのが山崎正光(1886〜1959)。
この人は日本で初めての彗星発見者(27P/クロンメリン彗星=軌道計算者の名が付いています)として知っていました。望遠鏡の展示に出てきて思わずびっくり。アメリカへの留学中に反射鏡の研磨法を学び、日本に広めた人だそうです。著書は『素人にできる天体望遠鏡の作り方』(1926)。
展示室にはいまや伝説級の名鏡とされる中村鏡が3枚並んでいたり、中村要が範とした32cmカルバー鏡(倉敷天文台/倉敷市指定重要文化財)が鎮座していたり、西村製作所と中村鏡の組み合わせの現存最古の望遠鏡が出ていたり、展示の規模は大きくないながらも、見どころしかありません。
図録は写真もいっぱいで読み応えもあります(学芸員の青木優美香さんが記事を書きまくられている)。無料配布でいいのですかと恐縮するばかりの内容。
企画展初日は、神山天文台の企画展関連企画の天文学講座「望遠鏡の発明と進歩」、講師は冨田良雄先生(元京都大学理学部助教)。
反射望遠鏡の発展史と天文学史を基本をおさらいするように解説。
万有引力で知られるニュートンは、反射望遠鏡の発明で評価されたこと。
ハーシェルの40フィート望遠鏡(口径は126cm)やロス卿の72インチ望遠鏡(口径1.8m)の再現CGで、人力で動かす巨大望遠鏡に可動式の櫓に乗って接眼部を覗き込むという、労災事故が起きかねない環境(個人の感想です)で観測していたこと。
当初の反射望遠鏡は金属鏡が用いられていたため、鏡面が直ぐに曇ってしまい、頻繁に再研磨を強いられたこと。屈折望遠鏡に比べて優位になるのはガラス表面に金属を蒸着する鏡が発明された以降のこと。
中学生にわかるようにとリクエストされてたそうですが、天文ファンにも聞き応えある内容でした。
写真はお話の途中で客席に回していた国友一貫斎の望遠鏡の主鏡の復元品。合金の配合まで再現した復元鏡でずっしり重たい。錫がかなり多め(数字はメモしてなかった)の青銅製。
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中村要(1904-1932)は反射鏡の伝説的な製作者で、2022年にNHK-BSで放送されたコズミックフロント「アマチュア天文学の父 山本⼀清」で知った方も少なくないと思います。
# 私も中村鏡の名前は知っていたのですが、どんな人かを知ったのはこの番組が初めてでした。
西村製作所は各地の天文台に大型望遠鏡を納めている京都の光学メーカーです。明石市立天文科学館の天体観測室の震災後に更新された40cm反射望遠鏡も西村製。
当時の日本の天体望遠鏡はほとんど外国製品の輸入に頼っていましたが、天体望遠鏡の普及は日本のアマチュア天文の底上げに必要なものと考えられました。均質なガラス材を要求される屈折望遠鏡に比べると、反射望遠鏡は比較的安価に大口径の望遠鏡を作ることが出来ました。
中村要が磨いた反射鏡を西村製作所の鏡筒に組み込んで完成させたのが、西村製天体望遠鏡の出発点だったのです。これが1926年のことですが、同じ年に関東では五藤光学が屈折式天体望遠鏡の販売を始めています。
現在の西村製作所は公共施設や研究機関向けの大型望遠鏡、五藤光学も天体望遠鏡は公共施設向けのものだけでプラネタリウムが本業になっていますが、今なお天文を主業として100年続いているのは大したものだと思います。
展示の冒頭で中村要とともに紹介されていたのが山崎正光(1886〜1959)。
この人は日本で初めての彗星発見者(27P/クロンメリン彗星=軌道計算者の名が付いています)として知っていました。望遠鏡の展示に出てきて思わずびっくり。アメリカへの留学中に反射鏡の研磨法を学び、日本に広めた人だそうです。著書は『素人にできる天体望遠鏡の作り方』(1926)。

図録は写真もいっぱいで読み応えもあります(学芸員の青木優美香さんが記事を書きまくられている)。無料配布でいいのですかと恐縮するばかりの内容。
企画展初日は、神山天文台の企画展関連企画の天文学講座「望遠鏡の発明と進歩」、講師は冨田良雄先生(元京都大学理学部助教)。
反射望遠鏡の発展史と天文学史を基本をおさらいするように解説。
万有引力で知られるニュートンは、反射望遠鏡の発明で評価されたこと。
ハーシェルの40フィート望遠鏡(口径は126cm)やロス卿の72インチ望遠鏡(口径1.8m)の再現CGで、人力で動かす巨大望遠鏡に可動式の櫓に乗って接眼部を覗き込むという、労災事故が起きかねない環境(個人の感想です)で観測していたこと。
当初の反射望遠鏡は金属鏡が用いられていたため、鏡面が直ぐに曇ってしまい、頻繁に再研磨を強いられたこと。屈折望遠鏡に比べて優位になるのはガラス表面に金属を蒸着する鏡が発明された以降のこと。
中学生にわかるようにとリクエストされてたそうですが、天文ファンにも聞き応えある内容でした。
写真はお話の途中で客席に回していた国友一貫斎の望遠鏡の主鏡の復元品。合金の配合まで再現した復元鏡でずっしり重たい。錫がかなり多め(数字はメモしてなかった)の青銅製。
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| プラネ/天文台/科学館
2025年03月09日
東大寺二月堂修二会
東大寺修二会のお松明。
一般には「お水取り」として知られていますが、本来のお水取りは3月12日の深夜(13日未明)に行われる行の名前。行事全体は3月1日から14日までの二週間行われます。旧暦二月の行事であることから修二会と呼ばれ、現在は月遅れの三月に行われています。
二月堂は山の中腹にあるので、夜間の行のためにお堂に上がる僧侶の足下を照らすのが、お松明の本来の役目です。
二月堂に上がったところで役目は終わるのですが、火の粉を振り撒きながら舞台を駆け抜ける姿が強く印象に残り、修二会といえばこのお松明が定着しています。
できれば練行衆が間近に通りゆく登廊の側でと思ったのですが、とてもとても。さすが週末で、私が着いた時刻ではすでに二月堂下の芝生に入れるかギリギリという混み具合。
もっとも二月堂の舞台は、遠くからでも見ることが出来ます。二月堂下の芝生は斜面で足場がよくないので、最初から二月堂から三月堂の石畳の広場で待つ方も。
18時50分頃になると、修二会の由来の説明と注意事項のアナウンス。日本語に続いて英語と中国語の音声が流れるのが世情です。やがて周囲の照明が落とされ、闇に包まれる二月堂。人々の話し声も次第にひそやかに。
ざわめきの向こうで登廊を行き来する小さな松明と合図の声。
ひときわ大きな紅い炎が立ち上ると、いよいよ上堂。
良弁杉と人波越しに垣間見える登廊を、屋根を焦がさんばかりの炎が登っていきます。
練行衆を送り届けたお松明が、二月堂の舞台に現れると、歓声が上がります。
火の粉が振りまかれたのか、歓声はひときわ大きく。私のいる場所からは良弁杉の陰ですが、木立のわずかな隙間から火の粉の光がチラチラ輝いています。
ダンダンダダダダッと床を踏みしめてお堂へ入る練行衆。
次の練行衆が登廊を上がると、先の松明が舞台を駆け出します。再び上がる歓声。
お松明が舞台の角はたどり着くと、一呼吸置いて天に掲げられます。舞い散る火の粉。そしてどよめき。
今回カメラは持っていないので、スマホを向けたのですが、実際の炎は白飛びなどせずオレンジから赤、そして火の粉は真っ赤です。
松明を掲げる童子の足音、合図の掛け声、パチパチと弾ける炎、あちこちで鳴る鐘の響き。
音こそはこの時この場ならではのもの。
お松明を見るのは5年ぶりですが、すっかり様変わりしたのは写真を撮る主役がスマホになったこと。
以前は「フラッシュ厳禁」のアナウンスがあっても、パシャパシャと光が飛び交ったものですが(ふだんカメラを使い慣れていない人は切り方が分からないのだと思います)、スマホになってからはそうしたこともなくなりました。たまにスマホの灯りが点いてしまう人もいますが、すぐに気付いて消しています。
一方でスマホのモニタを頭上に掲げる人、人、人。これは以前からそうだったかな。
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一般には「お水取り」として知られていますが、本来のお水取りは3月12日の深夜(13日未明)に行われる行の名前。行事全体は3月1日から14日までの二週間行われます。旧暦二月の行事であることから修二会と呼ばれ、現在は月遅れの三月に行われています。
二月堂は山の中腹にあるので、夜間の行のためにお堂に上がる僧侶の足下を照らすのが、お松明の本来の役目です。
二月堂に上がったところで役目は終わるのですが、火の粉を振り撒きながら舞台を駆け抜ける姿が強く印象に残り、修二会といえばこのお松明が定着しています。
できれば練行衆が間近に通りゆく登廊の側でと思ったのですが、とてもとても。さすが週末で、私が着いた時刻ではすでに二月堂下の芝生に入れるかギリギリという混み具合。
もっとも二月堂の舞台は、遠くからでも見ることが出来ます。二月堂下の芝生は斜面で足場がよくないので、最初から二月堂から三月堂の石畳の広場で待つ方も。
18時50分頃になると、修二会の由来の説明と注意事項のアナウンス。日本語に続いて英語と中国語の音声が流れるのが世情です。やがて周囲の照明が落とされ、闇に包まれる二月堂。人々の話し声も次第にひそやかに。
ざわめきの向こうで登廊を行き来する小さな松明と合図の声。
ひときわ大きな紅い炎が立ち上ると、いよいよ上堂。
良弁杉と人波越しに垣間見える登廊を、屋根を焦がさんばかりの炎が登っていきます。
練行衆を送り届けたお松明が、二月堂の舞台に現れると、歓声が上がります。
火の粉が振りまかれたのか、歓声はひときわ大きく。私のいる場所からは良弁杉の陰ですが、木立のわずかな隙間から火の粉の光がチラチラ輝いています。
ダンダンダダダダッと床を踏みしめてお堂へ入る練行衆。
次の練行衆が登廊を上がると、先の松明が舞台を駆け出します。再び上がる歓声。
お松明が舞台の角はたどり着くと、一呼吸置いて天に掲げられます。舞い散る火の粉。そしてどよめき。
今回カメラは持っていないので、スマホを向けたのですが、実際の炎は白飛びなどせずオレンジから赤、そして火の粉は真っ赤です。
松明を掲げる童子の足音、合図の掛け声、パチパチと弾ける炎、あちこちで鳴る鐘の響き。
音こそはこの時この場ならではのもの。
お松明を見るのは5年ぶりですが、すっかり様変わりしたのは写真を撮る主役がスマホになったこと。
以前は「フラッシュ厳禁」のアナウンスがあっても、パシャパシャと光が飛び交ったものですが(ふだんカメラを使い慣れていない人は切り方が分からないのだと思います)、スマホになってからはそうしたこともなくなりました。たまにスマホの灯りが点いてしまう人もいますが、すぐに気付いて消しています。
一方でスマホのモニタを頭上に掲げる人、人、人。これは以前からそうだったかな。
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| 地図と地理と遠出
東大寺
今回の奈良行き、最後の訪問地は東大寺。
一番最初の橿原考古学研究所附属博物館はともかく、薬師寺→唐招提寺→興福寺→東大寺と、修学旅行のような名刹訪問コースです。
夕方17時というのに、シカより人の方が多い東大寺。
3月までは大仏殿も17時で閉まるので、帰路につく人波と逆向きに進んでいきます。
写真は撮っていませんが、二月堂参道の脇で行われている東塔院基壇の整備工事が進んでいました。昨年、奈良文化財研究所から天平創建時の塔が68mの高さだったことが示されたものです。今回は石積みの基壇の整備が行われていますが、将来的に塔の再建はあるのかなあ。見てみたいような、このままの風情でもいいような。
・東大寺東塔の復元研究の成果(奈良文化財研究所/2004.4)
東大寺二月堂の夕暮れ。二月堂の舞台からの景色は奈良で一番好きなところです。特に夕暮れは大好き。
17時半というのに、二月堂下には修二会のお松明を見ようという人たちでいっぱい。日曜日ということもあって、すでに入場制限がかかっていました。
修二会を務める練行衆が起居する参籠宿所と二月堂を結ぶ登廊。手前の細殿には、おそらく今宵に使うであろうお松明が準備されています。
こちらは軸だけ、そしてこちらは12日のお水取りの夕方に使うひときわ大きな籠松明。
18時を過ぎるといよいよ人が増えてきます。
二月堂や三月堂の一帯は広い石畳の広場になっていて、前に聞いた話ではここだけで3〜4千人入るとか。
一帯に竹矢来が組まれるのはこの時期ならではの風景です。
案内板には修二会の案内が記されています。
「水取りや 杉の梢の 天狗星」
正岡子規の句ですが、天狗星は流星のこと(いま調べた)。おそらくは舞い散る火の粉を流れ星に例えたのでしょう。
日が沈み、西空に金星が見えてきました。21日が内合なので、日に日に高度が下がっていきます。
18時20分になると金星に並ぶように水星の姿。こちらは前日8日が東方最大離角。春先らしからぬ澄み渡る空で、肉眼でもはっきり見ることが出来ました。
この日のお松明が上がるのは19時。春まだ浅き奈良の夜に冷たい空気が染み渡ります。
一番最初の橿原考古学研究所附属博物館はともかく、薬師寺→唐招提寺→興福寺→東大寺と、修学旅行のような名刹訪問コースです。
夕方17時というのに、シカより人の方が多い東大寺。
3月までは大仏殿も17時で閉まるので、帰路につく人波と逆向きに進んでいきます。
写真は撮っていませんが、二月堂参道の脇で行われている東塔院基壇の整備工事が進んでいました。昨年、奈良文化財研究所から天平創建時の塔が68mの高さだったことが示されたものです。今回は石積みの基壇の整備が行われていますが、将来的に塔の再建はあるのかなあ。見てみたいような、このままの風情でもいいような。
・東大寺東塔の復元研究の成果(奈良文化財研究所/2004.4)
東大寺二月堂の夕暮れ。二月堂の舞台からの景色は奈良で一番好きなところです。特に夕暮れは大好き。

修二会を務める練行衆が起居する参籠宿所と二月堂を結ぶ登廊。手前の細殿には、おそらく今宵に使うであろうお松明が準備されています。
こちらは軸だけ、そしてこちらは12日のお水取りの夕方に使うひときわ大きな籠松明。
18時を過ぎるといよいよ人が増えてきます。
二月堂や三月堂の一帯は広い石畳の広場になっていて、前に聞いた話ではここだけで3〜4千人入るとか。
一帯に竹矢来が組まれるのはこの時期ならではの風景です。

「水取りや 杉の梢の 天狗星」
正岡子規の句ですが、天狗星は流星のこと(いま調べた)。おそらくは舞い散る火の粉を流れ星に例えたのでしょう。
日が沈み、西空に金星が見えてきました。21日が内合なので、日に日に高度が下がっていきます。
18時20分になると金星に並ぶように水星の姿。こちらは前日8日が東方最大離角。春先らしからぬ澄み渡る空で、肉眼でもはっきり見ることが出来ました。
この日のお松明が上がるのは19時。春まだ浅き奈良の夜に冷たい空気が染み渡ります。
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| 地図と地理と遠出
奈良散歩

周濠は溜池として改修されて水位が上がっているので、元の水位ならもう少し大きな墳丘と推定されています。
近鉄奈良駅を降りると観光客の多さにびっくりします。コロナ禍の前は東アジア系の人がほとんどでしたが、今は西欧系の人が目立ちます。唐の時代の長安で西域の商隊の人たちがあふれかえっているのをイメージするとこうなるのでしょうか。信号待ちをしていると周囲の人の会話から日本語が聞こえなくて、自分がどこにいるのだろうかと戸惑ってしまいます。
奈良のシンボル的存在の五重塔は、長期の保存修理工事で覆屋の中。完了は2032年の予定ですから気の長い話です。
五重塔の脇に立つのが東金堂。興福寺は度重なる火災で創建当初の建物は一つもなく、中金堂は平成の再建、東金堂は室町の再建で国宝、西金堂は跡地だけが残っています。白鳳時代の仏像の白眉とされる興福寺仏頭は、この東金堂の仏さまでした。平重衡の南キ焼き討ちからの再建の際に、飛鳥の山田寺から興福寺の僧兵が強奪してきたもの(僧兵恐るべしというか仏教徒としてどうなんだ)。
時間があれば久々に国宝館を見学しようと思っていたのですが、すでに16時半になっていいました。興福寺の仏像といえば阿修羅像が有名ですが、私は旧山田寺の仏頭が好きです。でも今回はお会いすること能わず。

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| 地図と地理と遠出